第3幕
第3幕 シーン1
部活を終え、千敦は昨日祐美と待ち合わせした場所へと向かっていた。
すると少し遠くに愛の姿が見えた。
どうやら職員室に多目的室の鍵を返しに来たらしい。千敦は何だか気まずくなって、すぐに背を向けて引き返そうとしたが、運悪くその前に見つかってしまった。
「あっ、関岡じゃん」
愛の声に肩が跳ね上がり体が強張る。
千敦は仕方なく振り返ると軽く頭を下げた。
「ど、どうも……」
自分でも頭を抱えたくなるくらい他人行儀な発言だったが、愛は特に気にすることなく何だよ、それ! と言って普通に笑う。
既に部活で愛とは顔を合わしているが、千敦は極力会話しないように避けていたし、視界に入らないように目線を逸らしていた。
未だに心の整理はついていなくて、その姿を見ると嫌でも胸が締めつけられて苦しくなる。どんな顔してどんな話をしていいか分からなかった。
「っていうか帰ったんじゃなかったの?……いや、別に残っててもいいんだけどさ」
「えっ? まぁ、なんて言うか、ちょっと色々ありまして……」
「何それ」
やっぱり上手く会話できなかった。できることなら前のように普通に話したい。なのにできない。好きだと言ったときの愛の満足そうな笑顔、その後すぐに真っ赤な血と生気のない顔が脳裏を掠める。愛の死が瞼の裏に張り付いているかのように、どうしたって忘れられなかった。目の前にいるのは愛なのに愛じゃない。自分のことを好きだと言ってくれた、愛はない。そのことがひどく悲しくて、悔しくて、虚しかった。
突然、愛がデコピンされる。
「痛で!」
千敦はおでこを押さえる。
「関岡さぁ……今を精一杯楽しんでる?」
顔は少し呆れているけれど、愛の声はとても優しかった。
そして、その言葉に千敦の胸が熱くなる。
いくら毎回テストで赤点を取っているとはいえ、昨日のことだからちゃんと覚えている。今を精一杯楽しめ、という愛の言葉。例え感情が全てリセットされたって中身は変わっていない、愛の中心が変わらないことがたまらなく嬉しくて、だけど目頭が熱くなって泣きそうになる。
「は、はい……」
だから、震える声を抑えながらそう一言答えるのがやっとだった。目の前に愛がいるのに、何だかすごい遠くにいるような思えた。手を伸ばしても触れても、それは愛ではない。千敦は拳を強く握り締めながら深く顔を俯ける。
「とにかく辛いときは誰かに言ったほうがいいよ? 溜め込んでてもロクなことがないから」
愛は笑いながら千敦の肩を軽く叩くと、そのまま横を通り過ぎて行ってしまう。
「あ、あの!」
千敦は愛に何かを言いたくて口を開いた。が、何を言いたいのか急に分からなくなってしまった。
「ん? 何?」
「いや、その………何でもないです」
「はぁ? 用もないのに呼び止めるなって。それじゃ行くからね」
愛の背中が少しずつ遠ざかっていく。結局何も言えなくて、黙って愛の後姿を見つめることしかできない。深い溜め息を吐いてから、千敦は祐美と待ち合わせをしていることを思い出し、その場所を目指して足早に駆け出した。
待ち合わせに指定された場所は、2階の北校舎の外れ。あまり人気がない所にある女子トイレの前だった。人の多い場所で男が女子トイレに入るのはなかなか勇気がいることなので、祐美も気を遣ってくれたのかもしれない。
とはいえ、人気のない女子トイレに祐美と2人で入るところを目撃されて、もしかしてこれからあの2人って付き合ってるの? と妄想されるのはごめんだ。祐美と噂になっても嬉しくない。なんて、本人向かって口が裂けても言えないことだが。
「よっ、お待たせ」
「もうっ、千敦遅いよ! 3分遅刻してる!」
祐美の姿を発見して傍まで駆け寄ると、開口一番言われたのがその台詞だった。
千敦は露骨に顔を顰める。
「祐美……お前、携帯持ってないのにどうやって時間知るんだよ。ここら辺には時計もないし」
「べ、別にいいでしょ! 一度くらい言いたかったの!」
「何じゃそりゃ」
「とにかく行こ?」
「あぁ」
と2人で女子トイレに入ろうとした瞬間、どこからかせっきー! ユーミン! とバカそうな声で名前を呼ばれた。声がした方に顔を向けると、嬉しそうな顔したうこがこちらに走ってくる。
「おはよ! いやこんにちわ? それともこんばんわ、かな?」
「少なくともおはようの時間じゃないから」
「まぁどっちでもいいや。2人ともなんでこんなとこにいんの?……あっ、もしかしてめっちゃ良いところだった? ねぇオコ? オコ? 2人とも激オコぷりぷり丸?」
勝手に想像して、勝手に慌てふためくうこ。やっぱりバカだ。
「だから、ぷりぷり丸って誰だよ! っうか変な勘違いすんなって。俺達は待ち合わせて、昨日の地下室に行こうとしてただけだから。そもそも、祐美に告白とかマジでないし」
手を左右に振って笑いながら否定する千敦。
「……ふーん。そうだよね」
理由は分からないが、祐美の声のトーンが著しく低くなる。どことなく言葉に怒りが混じっている気がする。
「祐美、どうかしたか?」
「別に」
やっぱり祐美の態度も口調も冷たくて、不機嫌なオーラを全身から放っている。
意味が分からせなくて千敦が不思議がっていると、うこがいきなり手を叩いた。
「よしっ! それなら早速ヴァルろっか!」
「えっ? バ、バ、バリル?」
うこの言葉に千敦は全くついていけずつい聞き直してしまった。
「せっきーはまだ知らないか。昨日行ったでっかいテレビが置いてあった部屋あるでしょ? あれがヴァル!」
「いやいやいや。意味が分らないから!」
勝手に1人で納得しているうこにツッコミを入れると、祐美が千敦の方に顔を向けないまま追加で解説してくれた。どうやら昨日行った司令室みたいな所は、【神々が眠る場所】(ヴァルハラ)と呼ばれていて、略して皆はヴァルと呼んでいるらしい。
「……要はマッケとかモソ、みたいなことか?」
「そうそう! そういうこと!」
うこは歯を見せて無邪気な笑みを見せる。うこは普通に馬鹿だけど、愛嬌があるため憎めない。
「それなら、メンバーみんなでヴァルに行けばいいんじゃないの?」
先程部活が解散になったとき、各自で別行動になったときに千敦は少し驚いた。てっきり皆揃ってあそこに行くものだと思っていたからだ。皆で同じ場所に行くのに、わざわざ別々に行って集合するのは面倒としか思えなかった。
千敦の言葉に祐美が呆れながら答える。
「はぁ? バカじゃないの? いつもみんなでぞろぞろ歩いてたら怪しいでしょ」
何に苛々しているのかは不明だが、言葉の節々から棘が出まくっている。きっと今反論しても火に油を注ぐだけだろうから、千敦は何も言い返さなかった。この辺は幼馴染みなので感覚で分かる。
「そ、それにしても…………出入り口が女子トイレだけってのは、色々と困るんだけど」
千敦はさり気なく話題を変えた。
「本来女子しか選ばれないんだから、普通なんじゃないの」
祐美の機嫌は相変わらず悪いまま。うこは気づいているのか、いないのか、小生意気に人差し指を左右に振りながら、得意げに鼻を鳴らす。
「せっきー、甘いなぁ。別にトイレだけが入り口じゃないから。例えばこの先にある資料室からも行けるんだよ!」
と言って、うこは廊下の先を指差す。
集合時間には多少余裕があったので、今日は試しに資料室から行こうということになった。廊下を歩いて少しすると目的地である資料室へと辿り着いた。特に施錠されていないのか、戸に手をかけると簡単に開いてしまった。無用心だなぁ。と、千敦は要らぬ心配をしながら中へと入る。
ただ、資料室の中は滅多に人の出入りがないのか、かなり埃ぽっくて3人はほぼ同時に鼻を摘んだ。
「アー……シッパイシタカモー」
「オヒ!」
「……ハヤクイコー」
「ウン」
「ソウダナ」
3人の意見が素晴らしく一致したので、ヴァルに行けるという部屋の奥にある掃除用具入れへと足早で向かう。
どうやらやり方はこの前と同じで、壁に手をつけば指紋認証によって床が開いて落ちる、もといヴァルへの道ができるらしい。ただ前回は初回だったしスペースがあったので2人で入ったが、今回はさすがに狭いので1人ずつロッカーの中に入ることになった。
まずはうこが中に入る。すると少ししてからロッカーが軽く揺れた。祐美がロッカーのドアを開けると、マジックのようにうこの姿はどこにもない。
次に千敦が譲って祐美が入ると、また少ししてからロッカーが揺れる。ドアを開けるとやはり祐美の姿はない。
そうして、いよいよ千敦の番になった。普段使用されていないのか、ロッカーの中には何もない。というか下に荷物があったら一緒に落ちてしまうので、定期的に整理されているのかもしれない。
そんなことはともかくとして中に入ると、千敦は少し緊張しながら適当にロッカーの壁に触れてみる。すると、女子トイレのときのようにロッカーが揺れ、次の瞬間床が開いて千敦は奈落に落ちた。
それは紐なしバンジージャンプという感じではなくて、オリンピックの競技にあるリネェージュみたいな名前の競技に近く、細い通路を滑るように下へと降りしていく。けれどかなりスピードで滑走するため、怖いことに変わりはなかった。
「うわあぁぁぁぁぁぁ!」
と叫んでいるうちにヴァルに着いたが、勢い余って出るときに体勢を崩してしまい、千敦はお尻から着地してしまった。
「痛ってぇぇ!」
思い切り強打したお尻を摩っていると、先に来ていた朱梨に指をさされて笑われた。
「ダッセー! お前、運動神経ねぇのかよ!」
「でもこれ、慣れないうちは絶対やるよね」
「っうか、うこはヘットスライディングだったろうが」
「あべ先っ! それは言わないで!」
「……ヘッドスライディングはさすがに俺でもしねぇよ」
とたわいもない話をしていると、その会話を遮るように何回か手を叩かれた。
音のした方に顔を向けると少し呆れた顔しているかすみと目が合った。千敦はとりあず笑って見せたが、なぜか余計に呆れた顔をされた。
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