第2幕 シーン2

 学校によって考え方違うと思うが、我が良衛の演劇部は役者は体が資本。という愛の考えにより、運動系の部活にも引けを取らないほどの筋トレやロードワークをしている。ましてや千敦は男子ということもあって、女子達の倍やらされていた。


 今日は事情があったのにせよ遅れてしまったわけだし、校庭10周、いや30周くらいは言われるんじゃないか。と戦々恐々としていると、比例して足取りも重たくなっていく。


 けれど、愛への上手い言い訳を考えているうちに、多目的室へと辿り着いてしまった。自然と深い溜め息が漏れる。

 千敦は気合を入れ直してから意を決して重い引き戸を横に滑らせると、既に役者をやっている部活のメンバーが発声練習をやっていた。


 あいうえお、いうえおあ、うえおあい、えおあいう、おあいうえ。と皆で黒魔術の呪文のように低い声を発している。その中にはもちろん愛の姿もある。改めて肉眼でその姿を確認すると、千敦の口からは安堵の溜め息が漏れた。あれが夢だと分かっていても、姿を自分の肉眼で確認するまでどこか不安だった。だが、愛はちゃんと生きている。立っているし、発声もしているし、おまけにこちらを見て苦笑している。


 千敦はすぐにでもジャージに着替えて参加しようしたが、鞄を持ってくるのを忘れことに今更になって気がついた。かなり凹んだ。

 とりあえず制服のままこっそり発声練習に参加する。すると、隣にいた女子が千敦の方を見て、発声しながら白い歯を覗かせて悪戯っ子みたいな笑みを浮べる。それに対して千敦は引き攣った笑みで返した。


 女子の名前はうこ。勿論うこというのはあだ名で、本名は高城麗華たかぎれいか。確かそんな名前だった気がする。いつも「うこ」としか呼ばれないので、たまに本当の名前が分からなくなる。ちなみに、なぜあだ名がうこなのかは、千敦は知らない。


 うこは千敦と同じ1年生で、髪色は明るめの茶髪、いつも頭の上で片方だけ結っている、いわゆるサイドテールという髪型をすることが多い。童顔だが顔の造りは整っていて

るため、大きな瞳に白い歯を覗かせて笑うと普通に可愛い。また、背が女子の平均より少し低いので不意に見上げられると、ドキッ! と胸とん下半身が高鳴ることがある。

 

うこは誰に対しても壁を作らないし、話すときの距離が異様に近い。そのため、無駄に誤解する男子が多発しているらしい。あとは、いつでも明るくてすごく人懐っこい性格なので、千敦も会ってすぐに仲良くなった。部活内でも皆に可愛がられているし、ムードメーカーのような存在となっている。


 数分で基本の発声は終わり、定番のあめんぼ赤いなというあれに移る。それが終わってから10分間の休憩に入った。千敦はすぐに愛の元へ駆け寄る。


 「遅れてすいませんでした、部長!」


 と言うなり深々と頭を下げる。頭を叩かれるか、腹を殴られるくらいの覚悟はしていたが、いつまで経っても衝撃はない。恐る恐る顔を上げると、愛は至って普通の顔つきだった。特に怒っている様子もなく、逆に頭を下げる千敦に戸惑っているように見える。


 「……保健室に行ってたんでしょ? 部活に来ていいの?」

 「はい。体は全然問題ないんで。それに保健室の天使の許可も出てますし」

 「なら良いけど、ほどほどにしときなよ。 体壊したら元も子もないからさ」


 愛は千敦の肩を軽く叩くと、水分補給をするために部屋の隅に行ってしまう。拍子抜けした千敦は、呆然と愛の後ろ姿を見つめていた。

 すぐに、怒られなかったし良しとするか。と、あっさりと気持ちを切り替えて、自分を保健室に運んでくれたという先輩2人の元へ向かう。ちょうど2人で話していたので、あのー。と様子を伺うように声をかけると会話が止まり、2人の視線が一斉に千敦の方に向けられる。


 1人はショートヘアーのサイドを刈り上げ、クリーム色に染めている。かなり背が小さいのが阿部朱梨あべあかり。もう1人の勝野沙夜子かつのさやこは、細身で比較的身長が高く、艶のある長い黒髪がよく似合う女の子だ。

 朱梨は胸の前に2つの大きな膨らみがなかったら、完全に小学生の男の子にしか見えないのだが、千敦よりも1つ年上の2年で、初対面のとき知らずにタメ口をきいたら、即効で腹パンされるほど攻撃性が高い。

 

 「俺は全然覚えてないんですけど、何でも保健室に連れて行ってもらったみたいで……本当にすみませんでした! あと、ありがとうございます!」

 「あー、そのことか。んなこと気にすんなって、困ったときはお互い様だろ?」

 

 朱梨は短い髪を搔きながらガハハと豪快に笑う。性格も行動も男勝りだが、声がすごく可愛いらしいところが、密かな萌えポイントだと千敦は思っている。

 

 「勝野先輩もありがとうございます」

 「……今度から気をつけて。学校は色々と危ないことが多いから」

 

 一方、沙夜子は落ち着いた声で淡々と話す。寡黙というほどでもないが、無駄なことは喋らない人だった。でも、沙夜子は正統派の綺麗系なので嫌いじゃない。

 お礼を言い終わると千敦は少しだけ2人の先輩達と雑談した。けれど、休憩は10分ということもあり、すぐに終わってしまう。愛が集合! と手を叩きながら叫ぶ声が聞こえたので、全員が小走りで中央に集まる。

 

 全員と言っても、この場には役者チームの7名しかいない。本当はあと2人、3年の先輩がいて9名なのだが、2人とも今日の練習には来ていない。3年の室木むろき先輩は、元々練習や集まりにはあまり参加しない人で、もう1人の山之内やまのうち先輩に関しては、幽霊部員らしくて千敦はまだ1回も会ったことがなかった。


 余談だが、演劇部の部員は全部で16人いる。そのうち役者が9名で、あとは衣装や大道具などの裏方をしている。ただ、基本的に裏方の子達は大きな大会や文化祭など、全体召集がかかる時しか集まらないため、殆どが他の部活と掛け持ちだったりする。


 「それじゃ莉穂、あとはよろしく」

 

 いつものように愛は副部長の莉穂に丸投げする。愛はいつも人を集めるだけで、詳しい説明は副部長である莉穂にやらせる。そして、最後に簡単にまとめの話をするのが基本の流れだった。

 ただ、いつも冷静に仕切ってくれる莉穂の様子が何だかおかしくて、愛の言葉も上の空といった感じで反応が鈍い。どことなく顔色も悪い気がする。

 

 「莉穂? 莉穂ってば! どうかしたの?」

 「……ん? あぁ、すまない。少しボーっとしてた」

 

 ようやく我に返った莉穂はすまなそうに謝るも、その姿からどこか弱々しい。

 

 「もしかして具合悪い?」

 

 やはり反応が鈍い莉穂はすぐに言葉を返さず、愛のことをしばらく見つめた後でそっと視線を横に逸らす。それから何でもない、大丈夫だ。と、極めて冷静な声で答えた。

 

 少しわざとらしい咳払いをして仕切り直すと、莉穂は千敦達の方に体を向けて淡々とコンクールに向けてやる演劇の説明をしていく。ちなみに、演劇コンクールの脚本は莉穂が書いたもので、愛や沙夜子がたまに演出をしている。千敦は今年入ったばかりなので詳しく知らないのだが、今回はさすがに部長の愛ということもあり、出演しながら演出するという。

 

 簡単に本の内容を説明すると、舞台はとある港町の酒場。場所はヨーロッパら辺、莉穂曰くスペインらしい。時代は17世紀頃、海賊になることを夢見る主人公の少女レッディは、海賊団に入るきっかけになればと町の酒場で働いていた。そこに超有名な海賊であるゴールド・ロバーツが現れる。ゴールドの海賊団に入れてくれと頼むレッディに対し、女を入れる気はないと断るゴールド。そこから色々と事件が起きて、レッディの中にも海賊になるべきなのか、普通に生きるべきなのか、そもそも海賊とは何なのか。様々な葛藤が生まれてくる。


 そんなある日、残虐非道と悪名高い女海賊、ブルーソワ・ロローネが町に攻め込んでくる。町の人達には色々と世話になったので、恩義を返そうと町の為に戦うゴールド。レッディも町を守るために共に戦うことを決意するが……という内容になっている。

 

 今回、主役であるレッディに選ばれたのは朱梨だった。

 本人も名前を呼ばれた瞬間、よっしゃぁぁぁぁ!と大声で吠えてガッツポーズをしていた。ゴールド・ロバーツはここにいない室木先輩。ブルーソワ・ロローネは沙夜子で、うこはレッディの身を心配する友達のオレン。そして酒場のママで、町のマドンナでもあるピンキーさんに、なぜか男子で2年の鈴木学すすぎまなぶ先輩。

 

 まさかピンキーさんに選ばれるとは思っていなかった鈴木は、かなり動揺していたけれど、レッディを諭す重要な役どころということもあり、めっちゃ頑張ります! と燃えていた。失礼だが、鈴木は元々なよなよしているので、何となくそっちの方ぽっいので、改めて考えると良い選択なのかもしれない。


 千敦の役のブラウンは、酒場に入り浸る町の住人で、舞台に出てはいるけれど台詞は2つのみ。それもただの野次。愛と莉穂は今回は裏方に徹するらしく、ゴールドの手下その2とその3として舞台にはほぼ参加しない。

 

 役の決め方は前からそうなのかは不明だが、愛と莉穂と顧問の先生との話し合いで決めたと聞いている。ともかく今日で役も決まったので、次の練習から本読みやいけるなら立ち稽古に入りたいと莉穂が告げる。

 

 「で、今日はこのまま解散してもいいんだけど……何なら軽く本読みしてく?」

 

 と言う愛の提案に、朱梨は飛び跳ねる勢いで手を上げた。やりたい! やりたい! と大声で叫びながら熱望する。その様子に一同苦笑しながらも、早く芝居をやりたいという気持ちはみんな一緒なのか、すぐさま本読みが始まった。

 

 今回代役としてゴールド・ロバーツを愛がやり、地の文やト書き部分を莉穂が読む。こうして、それぞれの役で読み回しが始まった。

 まだ本読みの状態だったけたれど、やっぱり愛は上手かった。そしてそれに引けを取らないほど、沙夜子も割り当てられた役に馴染んでいる。

 

 今日役を貰ったというのに、まるで前もって練習したかのようで、沙夜子はあまり存在感がある先輩ではないが、演技をすると急に輝く。本当に人が変わったように、登場人物がそのまま現実に現れた感覚に陥る。それでも演技としては愛の方が一枚上手だった。

 

 台詞の間や掛け合いのタイミング、感情の乗せ方など、上手いというのが感覚的に誰でも分かる。やっぱり部長はすげぇなぁ! と千敦は内心感動しながら、まるでお客さんの気分で朗読を楽しんでいた。本読みということあり、大体30分程度で終わった。

 

 今日はこのまま解散ということになり、各自荷物が置いてある部室に帰ることとなった。本当なら千敦もみんなと共に部室に行きたかったが、教室に置いてある鞄を取りに行かないといけないので、途中までうこと話ながら向かうことになった。

 

 役者チームの中で、1年はうこと千敦の2人だけなので、こういう移動の行き帰りで話すことが多かった。同年代だから気を遣わないし、うこは人懐っこくておまけに話好きなので、会話が途切れることはほぼなかった。いつも中身のない馬鹿な話で盛り上がるのだが、今日に限っては全く会話が弾まない。

 

 千敦が気を遣って色々と話を振るが、うこの反応があまり良くない。まるで、先ほどの莉穂のように。会話は2、3往復すると止まってしまい、あっさりと沈黙になってしまう。会話が広がるような話題を探そうと頭を回転させるが、なかなか良い話題が思いつかなくて、長い沈黙が続いている。沈黙が続くくらいなら適当に何か話そうと、自分が今思ったことを口に出した。

 

 「……俺さ、最初ブラウンって言われたときめっちゃ嫌だったんだよね」

 「ふえっ? なんで?」

 

 うこが話に喰いついてきてくれた。千敦は密かによっしゃ! とガッツポーズしながら話を進める。

 

 「だって台詞少ないしさ、正直めっちゃ地味な役じゃん? ブラウンって」

 「うん。そうだね」

 

 うこが全く迷うことなく同意する。そこは少しは否定してほしかったが、良い流れなので千敦はそのまま話を続けることにした。

 

 「それで俺さ……部長に抗議しに行ったんだよね。今日の昼休みのとき」

 「せっきー、すごっ! 自分なら無理。絶対無理! そんなこと言ったら、部長オコだもん」

 「うっ!」

 

 うこの素直な意見が千敦の胸に突き刺さる。

 今にして思えば、よく1人で抗議に行けたものだと自分の行動力に驚く。でもそれだけ今回の演劇コンクールには賭けていたし、自分の与えられた役がどうしても納得できなかった。今だってやれるならば、ゴールド・ロバートがやりたい。ただ、自分に与えられたのは地味なブラウンなので、その与えられた役を精一杯やろうと心に決めたからこそ、千敦はうこに話すことができたのだと思う。

 

 「でもさ、逆に説教されちゃったよ。役者が役を選ぶな、役者は与えられた役を魂燃やして精一杯演じる。ただそれだけなんだよって……」

 

 千敦の言葉にうこは何も言い返さなかった。それは別に無視しているわけではなく、うこは少し寂しそうな顔をして遠くの方を見つめ、珍しく深く考え込んでいるようにも見える。

 

 「与えられた役を魂燃やして精一杯演じるか…………あー、結局はそういうことなんかも」

 「へっ?」

 

 意味が分からなくて千敦は首を傾げる。

 

 「……でもオレンか。こんなこと言ったらみんなオコだろうけど、今回は主役やりたかったなぁ。あっ、これ秘密ね! こんなこと聞いたら絶対オコだもん」

 

 台本を強く抱きしめながらうこは小さな溜め息を吐く。

 

 「いや、どうせやるなら主役やりたいっしょ。誰だってそう思うよ」

 

 千敦だって折角舞台に立つのだから、主役がやりたい。まぁ、脇が美味しいって場合もあるにはあるけれど、主役という言葉には夢がある。ただ、今回は主役が女の子という時点で、千敦には元々勝ち目のない戦いだった。だから初めて台本をもらったとき、ちょっとだけ女の子になりたいと思った。


 「ニヒヒ……そっか。みんな同じか!」


 うこが歯を覗かせて無邪気に笑う。この笑い方をしているうこは、本当に可愛いらしい。少しだけ鼓動が高鳴るのを感じながら、千敦はそっとうこから視線を逸らす。不意に、自分が何も持っていないことに気づいて足を止めた。


 「ん? 何かあったの? せっきー」

 

 千敦は顔を顰めながら口元を覆うと、やっちまった。と小さな声でぼやいた。

 

 「どしたの?」

 「…………台本忘れてきた」

 「えぇぇぇぇ! それはちょっとドン引きかも」

 

 うこはひとしきり驚いた後で困ったように笑う。返す言葉がなかった。台詞を全て覚えているならともかく、まだ立ち稽古もしていないのに、台本を忘れてくるなんて役者をやっていてありえない事だ。それだけ台本が大切なもの、ということは自覚している。だからこそ、千敦は自分を殴ってやりたくなった。

 

 「ごめん、ちよっと取ってくるわ!」

 

 千敦はそう言ってうこに背を向けると、来た道を慌てて引き返した。今いた場所がちょうど中間地点だったこともあり、大して時間がかからずに多目的室に辿り着いた。着くとすぐにドアに手をかけたが、なぜだか鍵がかかっていなかった。

 

 だから簡単に戸を横に引けた。千敦は鍵をかけ忘れたのかな? と少し不思議に思ったが、すぐに台本を取れるので逆にラッキーともいえる。

 けれど、そんな考えは部屋の中に入った瞬間に掻き消えた。

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