第七話 あめはおちる

昼下がり、病室で一人窓の外を眺める莉菜。

空は暗い色の雲で覆われ、雨が降るその音だけが静かに谺響する。

「これじゃあ湊は来ないかなぁ…。」

悲しげに呟くその表情は思春期の女の子そのものだった。

友恵はこの日も、用事で遠出している為、見舞いには訪れない。

「花…久しぶりだったなぁ。紗綾とよく三人で遊んでたっけ…。」

莉菜はその日の一人を紛らわすかのように思い出に逃げ込む。丁度、花が置いていったアルバムをめくりながら。


それはまだ莉菜達が小学生の頃。

莉奈と、花と、紗綾。三人が紡ぐ物語。

「これから、劇の役割を決めていきます。進行は、じゃあ、学級委員の二人に任せようかな。

役割は皆に配ったプリントと、黒板に書いてあるからどんどん立候補して、最高の劇にしましょう。」

先生はそう言うと、席に座った。

劇。毎年冬休みの直前にあった、運動会の冬バージョンみたいなもの。

体育館で全学年全クラス2日かけて行う小学校の一大イベント。

毎年、生徒主導で物語の設定は考えられ、それに沿って先生達は一生懸命セリフ作りをする。

例えば桃太郎に竜宮城が出てみたりと小学生にはピッタリな独創性に溢れた物語が次々に誕生する。

その年、莉菜達のクラスが何をしたのかはよく分からないが、姫と魔女と王子が居て、誰かが死にそうな所を狼が助ける…みたいな話だった。

そして役決めが始まった。

「はい。それじゃあ、姫と狼からきめましょう。」

学級委員の声がクラスに響いた。

「姫役をやりたい人。」

学級委員は呼びかける…が、誰も反応はしなかった。

「それじゃあ、狼役をやりたい人。」

ここでは何人かの男子の手が上がったものの、姫が誰ならやりますとかそういう下心ばかりのやんちゃな子ばかりで話にならなかった。

「ここが決まらないと話が進まないので誰かどっちでもいいのでお願いします。」

学級委員は淡々と進める。

「はいはい!」

手を挙げてそう声を上げたのは成瀬 相馬という男子だった。

「姫役も狼役も投票がいいと思います。」

案外冷静な彼の提案には皆がうんうんと頷く。

「それなら、今から紙を配るので一役一人まで適任だと思う人を書いて下さい。勿論自分の名前を書いても構いません。投票は匿名にするので好きに書いて下さい。」

見事と言う他言葉が見つからないように纏める学級委員。

そして投票は行われた。

姫役:神崎 花

狼役:小鳥遊 紗綾

そう、結果が出た時、一番に吠えたのは紗綾だった。

「狼役は…ちょっと…」

そう言った紗綾の声は小さく恥ずかしげでただ確かに嫌だと言う事を伝えていた。

「そう言われても…投票ですから。」

学級委員もこの反応にしどろもどろする中、次に声を上げたのは、莉菜だった。

「あの、それじゃあ、私が狼…やります。」

莉菜は元々前に出るタイプでは無かった。けれど持ち前の優しさがそうさせた。

これが初めて莉奈と花が関わる事となった瞬間だった。

「…女子の中では2番目に票も多いので異論なければ南さんにお願いしますが、皆さんいいですか?」

実際、票の数で言えば莉菜は姫役の方が適任ではあった。

姫役としてもらった票数12

狼役としてもらった票数1

姫役は花と僅差で花に負けていたのだ。

狼役はそもそも票が男子にするか女子にするかで割れていた為、誰もがそこまで多いという訳では無かった。

しかし、異論など誰も唱える勇気も甲斐性もなく、そのまま狼役は莉菜となった。

こうして姫役となった花。狼役となった莉菜。そして狼役から逃れた紗綾。その三人はその後、よく遊ぶようになり、多くの時を共にした。


「あの時は…、なんで私狼やったんだろう?」

病室で一人、思い出しながらクスッと笑って呟く莉菜。

因みにその狼は意外な評判を受け、結構人気が出た。衣装も、かなり格好良かったのだ。

莉菜は一ページ、一ページとアルバムを捲った。

分厚く、重いそのアルバムを大切にゆっくりと眺めた。自分が写った、特に狼姿で写った所は他の所より捲る速さが速かったようにも思えるけれど。

どれもがかけがえのない大切な思い出で、笑顔の溢れる思い出だった。

そんな時。

ガラガラッ…!

勢いよく扉が開け放たれる。

「莉菜…。莉菜…、莉菜ぁ……」

少女が莉菜の元へと駆け寄ると莉菜を抱き締めた。

誰か分からず、少し戸惑う莉菜。

もしかして。そう思った莉菜は声を上げる。

「紗綾?もしかして、紗綾?」

少女は抱きしめながらにコクリと頷く。

紗綾は中学を受験してそれからというもの心配を掛けたくないという莉菜の信条から、疎遠となっていた。

「莉菜…。なんで、もっと早く、言ってくれなかったのさ…。」

泣きながら紗綾は莉菜にそう言った。

「あー、花から何か聞いた?」

うん。と頷いて涙を拭く紗綾。

「全部、聞いた。重い病気だって事も、治らないって事も。あと、大切な人が出来たってことも。」

前半、暗く俯きながら言ったかと思うと、後半はやけに声を弾ませて言った。

「なんか悩んでるらしいから行ってあげてって花から言われたんだけど…。どうしたの?って。余命宣告されたんだからどうしたもこうしたも無いか。」

ずずっと鼻をすすりながら紗綾は言う。

「私ね、そう、花が言ったように、好きな人が出来たの。それから、夢を、見た。幸せな夢。私が病気じゃない夢。」

静かに莉菜は語りだした。

「幸せな夢ではさ、私より先に私の大切な人が死んじゃうの。それが悲しくて悲しくて、私の死もこんな悲しみを皆に齎すんだって思ったらさ、もっと死が怖くなっちゃって…。それなら、これ以上大切な関係って無い方がいいんじゃないかって思ってさ。」

ははっ。と悲しげに笑いながら言う莉菜。

「そんなこと…無いよ。莉菜。莉菜はさ、いっつも皆の事考えててほんとに凄いなって実際憧れてたんだぁ私。けどね、その凄い所っていつも全部を救っちゃうそんな凄さだったんだよ。

莉菜は気付いてないかも知れないけど、今、莉菜は自分を切り捨てる事を選んでる。自分なんてどうせ。自分は死ぬから。

莉菜、莉菜は今、生きてるんだよ?まだ、死んで無いんだよ?だから、もっと自分の気持ちを大切にしてあげて?自分を大切にして。きっと莉菜の大切な人もそう思ってるから。自分の気持ちに正直に。伝えるのは悪じゃないよ。選ぶのは相手だもの。」

にっと笑って紗綾はそう言った。

「ほら、そっちの方が楽しいでしょ?」

紗綾はそう言うと満面の笑みで莉菜を励ます。

「うん。そうだね。」

莉菜も笑って応える。

「やっと、笑った。愛想笑いじゃ、だめだよ。これからはね。相手に失礼だぞ。」

紗綾は笑顔を絶やさない。不思議な明るさ。それは三人を包んでいたあの明るさ。

「うん!」

いつの間にか小学生に戻った様に明るく莉菜はこたえた。

伝えた言葉は違えど、言うことは二人とも変わらない。

花と紗綾。そして莉菜。三人の変わらない愛の形。

互いに助け合い、互いに笑い合い、互いに励ましあって築いた関係。

愛とはつながり。

つながりは力に。

三人はきっとどこに居ようと互いを分かち合う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨深 優 @NeruAdveana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ