第20話

食事を済ませた僕は、彼に礼を言おうと立ち上がり、お盆を持って彼が入っていった奥の部屋を覗き込んだ。

彼はキセルを手に煙をはべらせていた。

"ご馳走さまでした。"

"おう⁉︎ …ったく、無理すんなって言ってんのに。そこに置いといてくれ。"

三畳程の広さの部屋。棚にはびっしりと木箱やら瓶が詰められている。天井にも壁伝いに紐がいくつもかけられ、乾燥した樹木や葉っぱらが吊るされていた。どうやらこの部屋は薬剤室のようだ。どこに置けばいいか分からぬほど、こちらも物が乱雑に置かれている。その中でも比較的スペースの開けられた木箱の上にお盆を置いた。

彼は狭い空間の中で器用に棚に伸し掛かり、木枠で囲われた格子のようになっている窓に向かって煙を吐いていた。格子の隙間から複数の直線的な光が差し込み、煙やホコリが薄暗がりの中でゆらゆらと揺蕩っている。

"煙草…ですか?"

"あぁ。悪りぃな。お前さんは吸わなそうだったからな。病症にも悪いしよ。"

彼は手に持つキセルをスッと軽く持ち上げ、僕に見せた。再び口に含み、煙を吐き出した。

"美味しいですか? それ。"

"馬鹿言ってんじゃねーよ。

こんなもん、美味くないに決まってんだろうが。長年、身体に染み付いた汚れみたいなもんでよ、落とそうにも落ちねーんだコレが。"

彼は格子の隙間から漏れ出ていく煙を目を細めて見送りながら言葉を続けた。"でもな、こうして煙を見ていると、嫌なことや辛いこと、心の中のモヤモヤっとしたもんが煙と一緒にフゥーっと空に消えていってくれるような、そんな気がするんだ。"

キセルから伸びる煙は窓の外へと吸い込まれるようにゆっくりと漂い、空へと消えていった。

"っと、いけねぇ。お前さんには煙草なんざ十年、いや二十年早え‼︎ やめちまえやめちまえ‼︎

吸うことを覚えちまってからじゃ、やめる苦労ってのを人より一つ多く背負わなきゃいけなくなるしな。吸わねぇのが一番いいのさ。"

彼はコンコンっとキセルを竹筒に軽く叩きつけるようにして火種を落とすと、わずかに開けられていた格子の扉を閉めた。

途端に部屋は暗くなり、なんだか少し煙っぽい。

"ほれ、そっちに行くぞ。薬を飲まなきゃな。"

"あの…、それなんですが、一旦家に帰ろうと思うんです。"

仄暗い部屋の中で、彼が驚きの表情を示しているのがはっきりと分かった。

"あぁ? なんだって? お前さん、自分の怪我の具合をわかっとるのか? もし遠慮してるなら気にするこたぁない。金のことなら心配するな、支払いだけはしてもらうが、何十年だって待ってやる。私も生活があるからな。"

"いえ…。お気持ちだけで十分です。これ以上、お世話になるわけにはいきません。"

"だがなぁ…。その身体では…。用事があるのなら私が代わりに…。"

"いやいや、そんな…。"

彼は唸り声を上げながら顔をしかめて僕を見ていた。眉間にしわを寄せ、不満そうに片方の口を吊り上げている。だがそれは自分の思った通りにいかない事への憤りというよりも、医者の立場としての見解というように思えた。昨日の、いや、三日前の初対面での第一印象がそう思わせたのかもしれない。

"お前さん、見かけによらず意外と頑固だな…。うーむ…。しかし…。"

彼は考えあぐねているようだった。腕を組み、顎の無精髭を撫でて唸り声を上げている。

攻めるなら今だ。ここを逃せば帰れそうにない。黙ってここから逃げ出すような事はしたくなかった。後ろめたさもさる事ながら、人の道に外れるような事はしたくない。僕は言葉を繋いだ。

"自宅からも割と近いですし、何かあったらすぐにまたお世話になりますよ。"

"んー…。"

ひとしきり悩み抜いたあと、彼は呟くように言葉を口にした。

"…まぁ、仕方あるまい。本人の希望を尊重してやることも治療の一環だしな。"

よかった。僕は胸を撫で下ろした。家の様子が気になっていたため、ちゃんと見てみたかったのだ。それに、このままこうしているのも他人の家に勝手に居候しているようでなんだか気が引けた。

"だが、そのかわり条件を付けさせてもらうぞ。"

"条件…?"

"一つ、帰りの道中に私を付き添わせること。

一つ、定期的に私の訪問診療を受けること。

以上二点、これが呑めなければ帰らせるわけにはいかん。"

何を言われるかと一瞬ドキッとしたが、医者としての責務を果たそうとしていただけだったようだ。僕は快く了承した。

"なんだ、そんなこと…。えぇ、もちろん。了解しました。わざわざすみません、ありがとうございます。"

"お前さんに任せといたら治るもんも治りゃせんくなりそうだからな。"

彼は顎の無精髭を指先で撫でながら、困った顔をしている。

"おお、そうだった‼︎ 大事なことを伝え忘れとった‼︎"

間髪いれず驚いたような表情を見せた後、彼は満面の笑みを浮かべて言葉を紡いだ。

"たまには甘いものを馳走してくれ。出張サービスってやつだな。ガハハ‼︎"

"フフ。えぇ。わかりました。"

"そうと決まれば話は早い。それ、まずは飲み薬だ。さっさと飲んじまえ。私は出かける準備をしちまうからな。アレは苦いぞぉ。ほれ、行った行った‼︎"

彼は何やら楽しそうに僕を部屋から追い出した。次いで自分も後をつけるように部屋を出た。

"立ったり座ったりは苦しかろう。しばらく準備に手間取るだろうから、先に玄関に座って待っときなさい。薬と水を持ってってやる。"

"ありがとうございます。"

慌ただしく準備を始めた彼の背中に礼を伝えた。

僕は数歩先の玄関に到着すると、慎重に手を置き、ゆっくりと座った。つぅ…。やはりまだ肋骨や腕が痛い。行動を起こすのにいちいち心の準備が必要な程だ。

なんだか完全に彼のペースに巻き込まれているような気がする。だが悪い気はしなかった。彼の明るく豪快な性格のせいか、こちらまで彼の元気を分けてもらっているかのように心が軽くなっていた。

彼はすぐに白い紙の包みと容器に入れられた水を持ってきた。包みを受け取り、中を開くと、そこには白いサラサラとした粉が入っていた。

"薬を飲むときはな、躊躇するな。一気にいけ。"

彼がニコニコとしてこちらを見つめている。

さっき苦いって言ってたよな…。

僕は左手で包みを持つと、言われた通り一気に粉を口の中へと含み入れた。

なっ…‼︎

想像以上の苦さに危うく白い噴霧をおみまいするところだったが、どうにかその衝動を抑えることが出来た。慌てて彼の手から奪い取るように水を受け取ると急いで口に含み、胃袋へと流し込む。うげ…。まだ苦い。というか臭い。苦臭い。

"アッハッハ‼︎ どうだ、苦いだろう‼︎ ソレはなかなかどうして、自慢の逸品だ。私が調合したんだぞ‼︎ ガハハ‼︎"

彼は僕の様子を見届けると、立ち上がり、再び慌ただしく外に出る準備を始めた。

こうなるとわかってて見てたな…?

くそ、なんか悔しい。

しかし、苦いとは聞いていたが、まさか臭いとは…。予想外だったせいで余計に衝撃的だった。

これから毎日これを飲むのか…。飲むのやめようかな…。

"ちなみになー。飲まないと感染症が悪化して手足が腐っていくからなー。私は医者だ。飲まなかったら病状を観察してればすぐにわかるぞー。"

ギク。心の声の筈だったのだが、声に出していただろうか…?

しかもほとんど脅しじゃないか。飲まなかったら無理やり飲ませるんだろうか…。

嫌な日課が増えてしまった。

それからしばらくして、準備を終えた彼が木箱と風呂敷を持って僕の側へとやってきた。

"待たせたな。お前さんが飲む薬の調合に手間取ってな。とりあえず一週間分は作っといた。さっき飲んでもらったのが感染症のためのものなんだが、他にも痛み止めと化膿止めもあるならな。愛情込めて作っといたから、じっくり味わって飲んでくれ。

…カラいぞ。"

ビクッとして彼を見ると、

"ガハハ‼︎ 冗談だ、冗談。カラい薬があってたまるか。…苦いだけだ。"

ズーンと心に重石が乗っかった。どのみちつらいだけのようだ。

"さぁて。じゃあボチボチ向かうとするか。立てるか?"

彼が僕の左腕を自身の肩に回し、身体を支えるようにして立ち上がらせた。

"ありがとうございます。あとは大丈夫、一人で歩けます。"

"そうか。無理するんじゃないぞ。辛いときは辛いと、声に出していいんだからな。"

"はい。"

彼は僕の様子を観察するように頭から足先まで見た。

"よし。それじゃあ行こう。"

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼夜叉 @shion_0490

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ