吾輩は蝉である

髙田野人

吾輩は蝉である


 吾輩は蝉である。名前などには意味がない。なにせこの身があるのは土のなか。隣人と呼べるものは小石と土と木の根っこくらいなものだ。仮に吾輩が、アンドレア・デル・サルトを自称したところで、無口なる隣人たちは我が名を呼んでくれはしまい。

 仮に名を呼ばれたところで、気取りすぎの名乗りには、いささか気恥ずかしきところがある。

 太郎であるとか、次郎であるとか、何人兄弟の何番目にあたるのか知らぬところの吾輩であるが、ソツのないあたりが良いと思う。十三史郎だとか、十四吾郎だとか、結局はどちらなのだと相手に言わせる酔狂の捻りひとつくらいはあって良いかもとも思う。

 名を忘れられるは、己にしても相手にしても、これは気まずいものがある。

 人の名とはそういうものであった。

 宇宙と書いてソラと読む。そういう当て字の流行が昨今にはあると聞く。うろ覚えの記憶にあっては、孫のひとりがそうであったと記憶する。曾孫であったかもと訂正もする。地中暮らしのモグラの日々を送りながら、宇宙を自称するもいっそ風流にて善きかもしれぬ。


 空は良いものであった。

 月は綺麗なものであった。

 月が綺麗ですねと漱石より借りた言葉を口にした晩。のちに妻となる若き乙女は頬を朱に染めた。それがあまりにも愛いものであるから、吾輩はつい、でもキミはもっと綺麗だ、などと歯が浮くような攻めっ気をだして、乙女の頬を朱色(あけいろ)から恋の赤色に染め直した。

 夜の公園の長椅子、端と端に座った二人はやがて距離を近めていった。

 初の口付けは、そのすぐ後のことだった。

 世に後悔先立たずというが、まことにその通りである。

 後々、ことあるごとに吾輩の妻ときたら、子や孫に我らの馴れ初めの話を言って聞かせるようになった。秘すれば花なりという言葉を女は知らぬ生き物だ。明かしこそすれ花吹く、女の色恋話が満開になるたび頬を朱色に染めるのは、いずれ吾輩のほうとなった。

 なぜ、漱石の言葉についつい一筆を書き加えてしまったのか、後悔やまぬ男子一生の不覚ではあるが、月明かりのした、頬を朱に染め恥じらいうつむく若き乙女のいじましき愛い横顔を目の前にしたならば、男子たるもの幾度となく不覚をとってしまうものであろうよ。


 女には勝てぬものだ。

 惚れた女には到底、敵わぬものだ。

 とてもとても、太刀打ちできるものではない。


 人生五十年であったのは安土桃山は織田信長のことである。あるいは敦盛(あつもり)にして平清盛は源平合戦の世であるか。昭和平成ともなれば、男は七十、女は八十が当たりまえの世のなかである。長寿も過ぎれば老害呼ばわりの世のなかである。己のために泣いてくれる人が残るうちに、さっさと三途を渡るが吉である。世に疎まれていまだ生きるは、こころも切につらきものがある。世に望まれて死するのは、あまりに悲しきものがある。世に惜しまれて去り行くが、人生もっともな幸いである。人の生涯において艱難辛苦は多々あれど、己の死すべきときを選ぶは一等に難しい。己で選べぬから尚更のことに難しい。

 十や二十は流石に早い。三十に四十は責任が重い。五十と六十は孫が愛い。七十やら八十やら介護やら保険やら老人ホームやらの不吉な言葉が耳の孔から入ってくるころには人心にも魔がさすものだ。どうにも気が休まらぬものだ。どうにも気が弱まるものだ。

 夫の最後を看取るのが妻の最後の務めです、などと堂々に言っておきながら順序を逆しまにしおってからに、七十を過ぎた男を泣かせる女があるものか。吾輩のぐしゃぐしゃに泣き崩れた顔を前にして喜ぶ奴があるものか。お前が泣いてくれるのを吾輩は生涯一等の楽しみにしていたというのに、馬鹿者が。これでは順序が逆しまではないか、馬鹿者が。

 吾輩は人生において一等に泣いたものだ。人生において一等に泣かされたものだ。なんと残酷なことをしてくれるのだ。昔日(せきじつ)の乙女よ。吾輩の哀しみを、まこと嬉しそうに笑いおって。心底に喜びおって。これでは責めるに責められぬではないか。


 あぁ、まったく、敵わぬものだ。

 まったく、とても、敵わぬものだ。

 人の臨終に立ち会うのは敵わぬものだ。

 親しきほどに悲しきものだ。


「よう、元気そうだな」と口にはしつつも、「これはダメだな」と香典袋の用意を始める程度には、吾輩は長くを生きた。自分のことは自分が一番にわかると口にすれば、年かさ半分にも満たぬ若い医師やら看護婦やらから説教されるものであったけれども、朝、鏡を見た向こうに映る老いぼれた己を見ればわかってしまうものなのだ。

 なに、いまの病ならば気合でもって乗り越えられもしよう。

 だが、つぎの病には死神さまが同席していることだろうよ。

 わかるのだ。


 いまだ年若い医師や看護婦には近くのものこそがよく見えるのであろう。ただ、老眼の進んだ吾輩の目には、遠くのものほどよく見えるのだ。その点、口悪い年寄りの医師は心得ている。

「大丈夫ですよ」のあとに、「今回は」と付け加えることを忘れない。

 付け加えることを忘れたときには、いよいよが人生の正念場である。

 いつもの毒の混じった物言いが、なりを潜めたときには人生の正念場である。

 煙草をやめろとか、酒を控えろとか、肉の脂に気を付けろとか、もう言わぬ。

 好きにしろとも言えぬから言わぬ。

 その無口こそが一番に優しい、口やかましい医師一等の親切であった。

 のちのちの邪魔にならぬようにと身の回りの片付けを始めようと思ったなら、吾輩のとなりに妻の姿が見当たらぬ。さてまずは、吾輩の妻が一等初めに片付いた。困ったものだ。弱ったものだ。どこになにを片付けたのやらと引き出しを開け閉めする吾輩の姿は、片付けているのやら散らかしているのやら。家人にあっては吾輩の痴呆を心配する始末である。

 なにを探しているのか自分でもわからぬようになる時があるから、己でさえ己の頭を心配する始末である。


 年の暮れなる大掃除。

 歳の暮れなる大掃除。

 どちらもこちらも大層に難儀なものだ。


 初詣、二礼二拍一礼にてかしこみかしこみ、願うことと言えば、善き人であったと思われているうちに善き臨終をなにとぞ。年の初めに歳の終わりを神頼み。妻のときには生きて欲しいと神頼み。己のときには死んで欲しいと神頼み。社の神様もさぞかし苦笑いされておったことだろう。

 かしこみ、かしこみ。

 なにとぞ、なにとぞ、お頼み申し上げまする。

 厄介者がやっと消えたと家族に思われ死にゆく末期(まつご)は、じつに勘弁願いたく候(そうろう)。

 生きることままならぬと若者から死に、生きることままならぬと老人から生き、どちらも共に嘆くいまの世こそが一等にままならぬ。これではまるで天地が逆しまの世だ。いずれ西から日が昇り、東に沈むも不思議ではない。いずれ人生は老人より始まり、赤子に終わるも不思議ではない。いずれ年長のものから蔑まれ、若輩のものから崇められるも不思議ではない。


 同窓の友の家。

 見舞った先は、息も詰まる手狭き四畳半であった。

「なに、このほうが無駄に動かぬで一切がすむから都合がよいのだ」と強がりを見せたは男の意地か。

 窓ありて、テレビもありて、独居房。かつての間取りを思い出したならば、四畳半は物置であったはずのところに友のすがたあり。八畳は友の部屋であったはずのところに孫のすがたあり。昔日の大黒柱が肩身を狭く、やがて折れるを待つが家族か。寝て起きて、電気仕掛けの寝台が、終の棲家の役割とならん。


 聞けばこの寝台、借りものであると聞く。

 以前の借主の行く末ならば、聞かずとも知れた。

 買えば確かに高くつくものであるのだろうが、縁起の悪いことこの上ない。

 いずれ墓石のしたで眠るものが、すでに墓石のうえで寝起きするは、あまりの冗談にも思えた。しかし、臨終の床といったならこのようなものかもしれぬとも思えた。

 生きて入りはすれども生きて出て行きはせぬ、老いぼれどもの詰まった終の棲家の病院など、墓石のなかで寝起きするも大して違いなかろうて。墓石のなかで半死半生の老いぼれを寝かしつける寝台など、どれもこれもが縁起は悪かろうて。人の臨終を看取ったことのない初心(うぶ)の寝台を病院に望むのは、ちと、これは強欲も過ぎようて。

 すれば寝台も借りものにて済ますを善しとせねばなるまい。

 片付けの厄介まで考えたなら、借り物で善しとせねばなるまい。

 なにせ、己の手で片付けるというわけにもいかぬ寝台のことである。

 親と子でこれの寝台を受け継ぐは酔狂にも過ぎよう。


「なにか要り様はないか」と吾輩が問えば、「空が見たい」と同窓の友は望んだ。

 身の不自由な友に代わり、手動きで障子を開け、窓を開けて見せたなら、人の親切を無碍(むげ)にせぬ人懐こい笑顔でもって、「風がよい」とだけ友は答えた。久々に善きことをしたと、吾輩も納得の微笑みをもって返した。

 出された茶が、ゆっくりと冷めていく時間をゆっくりと語りおうて過ごした。


 この歳である。

 もはや、めでたき話の種は少ない。

 どこそこの誰々の孫に新しい子が出来たと言うても、同窓の友の何番目の子の何番目の孫であるのか、もはやさっぱりとわからぬ。これでは喜ぶに喜べぬ。初孫が生まれたと喜んで触れてまわった同窓の友の笑顔が、すでに故人ともなれば、喜ぶにも素直に喜べぬものがあった。

 子が生まれるは、めでたきである。

 けれど我らは、もはや蚊帳の外の住人である。

 いずれは、めでたきではない話の種さえも少なくなった。

 同窓の友を数えるに、もはや両手の指で事足りてしまう歳である。ここまで減れば、もはや減る機会すらなくなってくるものだ。一年に一本、指折り数える機会があるかないかというものだ。

 吾輩が友を置いて去るか、同窓の友が吾輩を置いて去るか、こればかりは天命と寿命と長き人生のうちに溜め込んだ不摂生の功徳の次第であるから、なかなかどうして、三途渡しの順序ばかりはわからぬものだ。

 しかして吾輩は、遠慮なく紫煙の功徳を積み上げる。

 何々、もはや吸えぬ身の友に代わっての功徳積み、冥友へのお焚き上げである。


 またぞろタバコの税金があがったことを愚痴にしたなら、同窓の友は笑いを浮かべた。あなたの健康に害があるとかなんだとか。平成の世になってからは実にうるさい。お国はどうも、まだまだ吾輩に長生きして欲しいそうだ。余計なお世話だ。断る。年金がどうのこうのと問題を語るなら、男が七十を過ぎたなら、タバコと酒には老人割引でも付けておけと言うのだ。若い者は摂生がよろしく、老いぼれは不摂生がよろしく、それで万事が解決であろうによ。

 同窓の友とふたりして、国家と人生をよろしく語りおうた。

 タバコのまたの値上がりを初耳とした同窓の友のすがたを悲しく思うた。

 足不自由な彼の人生は、もはや四畳半のうちにある。あるいは電気仕掛けの寝台のうえにある。部屋に窓はあれども外(ほか)はない。部屋に扉はあれども外はない。部屋の外において何事が起きようとも、新しき風が彼の窓より内側に吹き込むことはもはや無い。

 テレビはあり、リモコンはあり、なれど鏡面に輝きはなし。黒一面の硝子板が四畳半の狭き世界をただ映し返すのみ。障子の紙は窓の景色を塞ぐのみ。これが同窓の友が選びし余生である。これが同窓の友が選びし世の静寂(しじま)である。


 その気持ち、わからぬでもない。

 ゆえにこそ吾輩は悲しく思うた。

 すっかりと、興も茶も冷めてしもうた。


「なにか要り様はないか」と吾輩が帰り際に再来の理由(ため)を問えば、「窓を閉めてくれ。いい加減に身体のほうが冷えてきた」と先だって願われた。手動きが窓を閉め、障子を閉める吾輩の背に向かい、不図(ふと)、「俺より先に死なんでくれよ」と関白宣言をされてしもうた。

 吾輩の背を、奴の亡き女房殿と勘違いしたのであろうよ。

 聞こえぬ振りをしておいてやった。

 人情である。

「香典を預けるにも、いささか飽きた。いい加減、貰う側になっても良い頃合いだろう。預けるだけ預けて、最後に残ってひとり貰えぬのでは、人生の損得がまったく釣り合わぬではないか」とは彼一流の冗談であった。

 めでたきは桜、咲くの手前の春先であった。

 先の見舞いより三月(みつき)も経たぬうちのことであった。

 香典袋をまたひとつ預けては、またひとつを貰い損ねることとなった。

 吾輩は、同窓の友の女房殿になったつもりはないのだが、順序としてはそうなった。


「長生きしてくださいね」と子や孫が言う。

「具体的には何歳(いつ)までだ?」と吾輩は口に問わず、こころに問う。

 愛も、愛想も、同情も、ひとたびこの世に生を受け滅せぬもののあるべきか。無限のごとくに見えて夢幻のごとくが人の世の情というものである。昨日、愛おし、今日、憎し、珍しくもなき男女の恋仲である。足に弱り、頭に困り、さよならだらけの吾輩の人生が、厄介だらけの吾輩の人生へと変じたとき、いついつまで、親と子の情は愛と面倒を結いつけてくれるものやら。


 人の為の善いも悪いも多くを見てきた。

 人の世の善いも悪いも多くを見てきた。

 人に善き末期もあった。人に悪しき末期もあった。人の多くを見てきた。人の多くを看取ってきた。吾輩の家人ばかりが無尽の情をもって尽くしてくれるなど、信じる気にはなれぬほどには、あまりに多くを看取ってきた。性根と根性がひねくれ不信を覚えるほどには、数の多くを看取りに看取った。それが吾輩の人生である。妻の最後さえも看取った。これこそが吾輩の人生である。

 孫よ子よ、それでいついつまで吾輩は生きて延びれば良いと願うか。子らの想いを嬉しく思う。己の捻くれを悲しく思う。怯えのなかで生きるを苦しく思う。世の無常なるところ切なく思う。吾輩は、ただひたすらに歳月(とき)の残酷なるところ無情に思うた。


 初詣の願い神仏に届いたか。

 功徳の積み上げ天に届いたか。

 いよいよもって、ようやく吾輩の番が来た。

 口悪い年寄りの見立ては一年であったが、功徳積み上げ半年に負けてやったわ。

 死なんでくれ、と、子等が願う。

 死なんでくれ、と、孫等が願う。

 曾孫はまだ、よくわからんという顔で、きゃっきゃと笑う。それが良い。


 吾輩、思うた。

 泣くな、泣くな、泣いてくれるなと思うた。

 そんなに神妙な顔つきでもって泣かれてしまうと、吾輩も神妙にして臨終間際の病人になり切らねばならぬではないか。臨終の床につき、至極真面目な顔付きでもって、間際の病人を演じねば不謹慎になってしまうではないか。うぅ、苦しい。あぁ、苦しい。吾輩の演技ならぬ演技、名演これ以上なく、人の涙を誘うではないか。


 泣かせんでくれ、泣かせんでくれ。

 どうか、笑かせてくれ、笑かせてくれ。

 どうせ一度かぎりの臨終ならば、せめて最後は笑かせてくれ。


 末期の願いだタバコを一本。

 院内が禁煙だとは、人の情わからぬこの藪医者め。笑かしてくれる。


 代わる願いは無いかと問われたならば、「空が見たい」と口からこぼれた。

 人が避けた。カーテンが裂かれた。窓が破られた。そして吾輩、不図、思うた。

 はてさて、空とはこのような律儀なものであっただろうか。窓枠の四角四面に切り取られた、空とはこうも行儀よろしいものであっただろうか。空とは、もっと丸くて星や雲に散らかった、そういう自由なるものではなかっただろうか。吾輩は思うた。


 あぁ、と吾輩もようやく得心いった。

 人の親切を無碍にはせぬ笑顔でもって、「風がよい」と吾輩は答えた。

 その空ではないのだ、思い、笑顔でもって吾輩も答えた。

 見上げれど、見上げれど、猶(なお)、院の天井薄くならざり。目でじっと見る。蛍光灯が、ただ光るのみ。空の青はなく、雲の白はなく、夜の黒はなく、ただ病室の天蓋があるのみ。ゆえ仕方なく、自前をもって用意する。まぶた閉じ、死を観念したかのように己のなかに夜を見つけた。


 父さん、父さん。

 爺ちゃん、爺ちゃん。

 子に孫がこれだけ揃って、吾輩の名を呼ぶものは一切に無し。皮肉なものだ。切なきものだ。悲しきものだ。困ったものだ。嬉しきものだ。人が臨終の場にあって、ただこの世においての役割のみを呼ばれるばかりとは。笑えるものだ。もはや吾輩の名前などには欠片も意味がないとは。じつにじつに愉快なものだ。

 最後の最後に、ちゃんと笑かしてくれたわ。


 黒が深まる。夜が深まる。まぶたの裏に闇夜が広がる。だが足りぬ。これでは足りぬ。天蓋覆う暗幕あれども、輝く月も、踊る星も、公園の長椅子にて吾輩の隣に腰かけた若き乙女の初心なすがたも一切が足りぬ。足りぬ足りぬが多すぎる。これではまるで空とは呼べぬ。

 音が去る。声が離れる。耳の孔より入っては鼓膜をくすぐる親しき人の声が離れてゆく。暗闇(くらき)が広がる。静寂(しずか)が広がる。見えぬ。聞こえぬ。語りもできぬ。これは違う。ここは違う。夜ではない。空ではない。ここは深き深き土の奥だ。ここは暗き暗き土の底だ。ここではないのだ。ここであってはならぬのだ。


 あぁ、願う。

 ここに願う。

 空を。吾輩に空を。どうか、どうか、星と月の夜空を、一目と願う。

 重き、暗き、土のなかにありて、ただひたすらに空を願う。ただひたすらに星と月の夜空を願う。あぁ、吾輩は――、蝉であったか。大地の果てより天空を望む、ただ一匹の蝉であったか。

 昔日の夜空の君を希(こいねが)う、ただ一匹の寂しき蝉であったか。

 吾輩は蝉である。名前などには意味がない。空よ、空よ、あとしばらくを待て。星よ、月よ、あとしばらくを待て。長椅子の端に吾輩のための席を空け、あとしばらくのときを待て。待っていてくれ。いずれ、やがて、そのうちに、きっと、必ず、お前に会いに吾輩は――、




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