第三話 『あなたのお婆さんは元気ですか?』

 「おお、キノコ頭よ、久しぶりである!堕落したのはお前ではないか!此処で会ったが百年目、必ずや晴らしてみせよう、ウェールズ語の無念!」

 甲冑の中年男性が胸を張り、声高らかに、朗々と歌うように宣言した。アンジェリーナに堕天使呼ばわりされた彼であるが、その堂々とした態度からは、アンジェリーナのような胡散臭さは微塵も感じられなかった。先のアンジェリーナの発言に違和感を覚えた強は疑問を口に出しかけたが、途中で黒いワンピースの少女に遮られてしまった。

 「あの、ウェールズ語って……」

 「ねえネロ!あたし早く終わらせて帰りたい。八時からライブだって言ったよね。これを逃したらTAZNAタズナBeppベップに来るのは来年なんだよ、来年までISAMイサム様に会えないなんて無理、絶対無理!そんな事になったらあんた、マジぶっ殺すからね。」

 「ま、まさこ殿」

 「まさこって呼ばないで!黒魔道士のマドモワゼル・マリアンヌ!」

 「然し乍ら、マリアンヌ殿、それは戦いの形勢次第で……」

 「大体、模試明けで、超超超寝不足なのに。何が楽しくて週末の朝っぱらから知らないオヤジに会いにO市まで来なきゃならないんだか、意味わかんない。往復の電車代だってかかるし。しかも何よあのちょび髭、明治時代かよ!猫のTシャツなんか着てるし、どこで売ってるのよあんなの!?中国語を操るイケメンがいるって言われたからここまで来たのに、イケ面じゃなくて髭面じゃん!」

 『まさこ』と呼ばれた少女は、胸の中に溜め込んだ苛立ちを加熱した乾燥とうもろこしのように爆発させて、中年男性ネロと強に当り散らした。強はオヤジ扱いされたことや猫のTシャツについての発言に少し傷つき、項垂れた。

 「このTシャツ、市販じゃないんです……。うちのチャッピーの顔写真をアイロンプリントして作ったんです、手作りです……。」

 「別に聞いてないし!猫は可愛いけど。……まあいいわ、ネロ、先制するよ!」

 まさこはネロの返事を待たずに行動を開始した。右手を目の前に突き出し、人差し指で空中にキビキビと文字を書きながら、呪文を口にした。

 「Ut avia tua valet?」

 すると、まさこによって空中に書かれた文字が、薄青く光りながら浮き上がり始めた。彼女を中心にして冷たい風が巻き起こり、それは輝きを伴いながら段々と強くなり、まさこの縦ロールの髪と黒いスカートをはためかせた。やがて、はっきりと空中に現れた文字『Ut avia tua valet?』が、稲妻のように強烈な閃光を放ち、辺りを白い光に包んだ。

 「うわ、何だ、何だ!?」

 「飲茶超人、落ち着きなさい。大した呪文ではありません、何も起こらないはずですよ。」

 光と風はすぐに収束し、アンジェリーナの宣言した通り、その後は何も起こらなかった。

 まさこは般若のような顔でネロを睨みつけた。

 「……ちょっとネロ、何も起きないんだけど。話が違くない?あたし、スペルも発音も間違えてないよ。」

 「マリアンヌ殿、その呪文は、『敵の祖母の霊を墓地から召喚し、戦う心を挫けさせる』ものであるからして……。」

 「だから、どうして、何も起こらないわけ?」

 まさこに詰め寄られたネロは、助けを求めるように強の方を見た。

 「貴殿、もしや、お祖母様は健在であられるか?」

 「はあ……。父方も母方も、ピンピンしていますよ。老人ホームに入っていますけどね。」

 「ちょっと、何よ、あたしなんか爺ちゃん婆ちゃん皆んな墓の中なのに!」

 「マリアンヌ殿、慌てることはない、他の呪文を唱えれば良かろう。そうだ、あの呪文を思い出すのだ、” Nudus ara, sere nudus.”」

 「それは『全裸で畑作業をしたくなる』呪文じゃない!あたし、あの男の全裸なんて見たくない!嫌よ、嫌、絶対に嫌!!」

 まさこが逆上し、ネロを掴んで前後左右にブンブン揺さぶり始めた

 「まさこ殿、ちょ、やめ、脳味噌が」

 ラテン語の堕天使・ネロと、黒魔道士・マリアンヌの関係は、歪んでいるようであった。



 「……うーん、あの位の年齢の時、僕はもうちょっと落ち着いていた気がする。今の若い子は恐ろしいなあ。」

 「飲茶超人、そんなことより、今がチャンスですよ!さあ、貴様の魔法を使う時がやって来ました!」

 ネロとまさこの様子を静観していたアンジェリーナが、強の猫Tシャツの袖をちょいちょいと引っ張った。

 「でも、どうやって……?」

 「今見た通り、マリアンヌ小姐と同じようにです。但し貴様はラテン語ではなく、先程覚えた『打邊爐』を空に書き、唱えるのです。間違えないように!さあ!」

 「あのー、呪文って、相手が死んだり、全裸になったり、そういうヤバいやつじゃないですよね?女性が目の前で全裸は、僕が社会的に死ぬので……。」

 「相手が死んでしまうような恐ろしい呪文は、例え堕天使であっても人間に教えたりはしません。さあ、早く、飲茶超人!それとも貴様は全裸で畑作業がしたいですか?」

 「それは嫌です。では……『打邊爐』!」

 強は本当に魔法が使えるのか半信半疑ではあったものの、言われた通りに右手の指先で空に呪文を書き、丁寧に発音した。途端に、空中に光る橙色の文字が現れ、柔らかく温い風が辺りを旋回し始めた。『打邊爐』の文字が一段と強い輝きを発したその時、それは風船が破裂するような音を立てて弾け飛び、光の破片がまさこの上に降り注いだ。

 一瞬の静寂の後、まさこは急に大人しくなり、白目を剥いて意識を失いかけているネロを解放した。

 「ネロ、帰るわ。」

 「……ま、マリアンヌ殿、しかし、それでは敗退」

 「構わない。そんな事よりもあたし、今、猛烈にお鍋が食べたいの!しゃぶしゃぶがいいわ、しゃぶしゃぶ!早くしゃぶしゃぶを食べないと、あたし、ダメになっちゃう……!」

 「そんな……マリアンヌ殿」

 「そういう事で、あたし達帰るから!ええと、おじさん、名前は?」

 「我孫子強と、アンジェリーナ・ジョリーです。」

 強は反射的に答えた後、果たしてその回答で良かったのか、一瞬だけ悩んだ。

 「我孫子のおじさん、猫可愛いね!バイバイ!」

 ネロがまだ何か言いたそうにモゴモゴしていたが、急ぎ足のまさこに手を引かれ、JR駅方面へと連れ去られて行った。

 「アンジェリーナさん、あの呪文は……。」

 「そうです、あれは、猛烈にお鍋が食べたくなる呪文なのです。しかも、通常時の十倍の美味しさと幸福度を感じるので、やめられない止まらない。飲茶超人の広東語がまだ不完全なので効き目は弱いですが、少なくとも三時間はお鍋を食べ続ける事になるでしょう。」

 「三時間!?あの子、大丈夫かな。お腹壊しそう。」

 「冇問題 、死にはしません。それより貴様、どうせ店に客は来ません。暇でしょう、広東語を勉強しなさい。」

 「うっ、失礼な……。それより先に、お茶でも飲みませんか?美味しいプーアール茶と、素敵な茶器があるんですよ、骨董の。」

 「ああ、その茶器は、呪われています。」



 強は「自分の周囲にあるものは、全て呪われているのでは?」と思い、少し恐ろしく、そして悲しい気持ちになった。しかし、緩やかに流れる変化のない日々にちょっとしたスパイスが添えられたようで、僅かながら楽しみも感じていた。そのスパイスが刺激的で心地良いものなのか、それとも強烈で毒性のあるものなのか。この日の彼には、まだわからなかった。


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魔法戦士・飲茶超人 @maaumaaumaau

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