風強く樹々ゆさゆさと立てる音黒柴犬と歩く小道で
ささやかながらの応援返歌です。
これからはだんだんと緑が濃くなる時期ですよね。
作者からの返信
中澤樣
何時も何時もご高覧下さいまして有り難うございます。そして又しても御歌、頂戴してしまいました。この度は御礼とともに返し歌(拗らせ歌)をばお送りさせて下さいませ。
百(モモ)足らずいつきに(齋槻に、何時来に)けるや夏(なつ)の風ゆさゆさと鳴りけうか(今日か、京華)とぞ知る
「ももたらず」の枕詞に続く掛詞も苦しきうえ、本来ならば「京華」さんは「けうか」さんでなく「きやうくわ」さんなのですけれどもお見逃し下さいませ……にしましても、twitterで拝見しておりますモモちゃんとなっちゃんには何時も癒やされます。
こんにちは。
「漢詩」の自主企画にご参加いただき、ありがとうございます。
言葉の深奥を探求されている工藤さんの、確かな識見と趣に満ちた漢詩の収められている『豊穣なる語彙世界』にこそ、この企画に参加いただきたいと思っていました。
まさに言葉の豊穣を愉しむ作品の数々。これからも楽しみにしています。
作者からの返信
久里 琳 樣
こんにちは。漢詩の企画に参加すること出来まして、此方こそ何やら嬉しいです。もっと参加者が増えると良いのに……。
何ぶん私も漸く三年前に独学で取り組み始めた許り、詩語や平仄の辞書が手放せない初心者ですので、所謂「近体詩」の押韻や平仄の規則は守れている筈なのですけれども、未だ暗中模索を続けております。
語彙をパズルのように布置して作した詩の、そのコロケーションとしての妥当性ですとか、吟じた時の「音」としての響きといった美的観点からの自己評価も独力では侭ならず難儀しているところです。
喩うるなら、食材自体は良質だのに、それの未熟な調理によって酷い料理が出来上がっているのではないか、そんな疑懼を常に抱いております。美しい語彙が私の手に掛かって台無しになっているのでは、と。漢詩も料理と同じように数をこなしていくことで幾分か上達していると良いのですけれども……。
拙詩(これは謙遜でなしに)の今後の変化を是非、お見守り下さいますと幸甚です。