藐姑射

※縦組みビューワー設定推奨


『岸槐記』令和四年四月廿六日条


四月廿六日〈己酉〉 朝間或晴或陰、及午刻微雨滴、烏露闘諍合戦連々、可絶形候無之、加之冠状病毒、円安等本朝万人周章、世已澆季歟、為首相空手而巳、如之何、

(中略)

後聞、今日赤坂仙洞御移徙儀也、御修繕了後初度、 上皇東宮御位時御坐赤坂御所、又 

 当今東宮御時御在所也〈秋篠皇嗣宮・三笠・常陸・高円等諸宮、皆在此御用地内〉、御譲位後、 上皇・上皇后、自内裏吹上御移徙於高輪皇族邸〈港区高輪、前高松宮御旧跡也、平成十六年、同宮妃《今上御叔祖母也》御薨去後無人、仍被定院御仮寓〉、先此度之儀、十二日、為御方違、三浦郡葉山御用邸御幸啓、今日申刻自同邸出御云々、 上皇・上皇后御同車、及酉刻赤坂御着、幸路満群衆如雲霞云々、 上皇御叡覧、上皇后有御揖云々、御車自正門〈在御用地乾面〉入御新仙洞云々、 仙院還御藐姑射山畢、可謂珍重、


【読み下し】

四月廿六日〈己酉つちのととり〉 朝のあひだあるいは晴れ、あるいはかげる。午刻うまのこくに及びて微雨びうしたたる。烏鷺うろ闘諍とうじやう合戦連々れんれん、絶ゆべき形候きやうかうこれ無し。加之しかのみならず冠状病毒ころなゐるす、円安等本朝万人周章しうしやうすで澆季げうきか。首相として手をむなしうするのみ。これ如何いかんせん。

(中略)

後に聞く。今日赤坂仙洞御移徙おわたましの儀なり。御修繕ごしうぜんをはりて後、初度しよど。 上皇、東宮とうぐう御位みくらゐの時、赤坂御所に御坐おはします。又 当今たうぎん、東宮の御時おほんときの御在所なり〈秋篠の皇嗣宮くわうしのみや三笠みかさ常陸ひたち高円たかまど等の諸宮しよぐう、皆、の御用地のうちに在り〉。御譲位の後、 上皇・上皇后、内裏吹上ふきあげより高輪皇族邸〈港区高輪、さきの高松宮の御旧跡ごきうせきなり。平成十六年、同宮妃《今上の御叔祖母おんおほをばなり》御薨去ごこうきよの後、人無し。よつて院の御仮寓ごかぐうに定めらる〉に御移徙おわたまし此度こたびの儀に先んじて、十二日、御方違おんかたたがへせんが為、三浦郡葉山御用邸に御幸啓ごかうけい、今日申刻さるのこく、同邸より出御しゆつぎよすと云々うんぬん。 上皇・上皇后御同車にて、酉刻とりのこくに及びて赤坂御着おつき幸路かうろ群衆ぐんしう満ちて雲霞うんかの如しと云々うんぬん。 上皇御叡覧ごえいらん、上皇后御揖おんいふ有りと云々。御車、正門〈御用地のいぬゐ面に在り〉より新仙洞に入御じゆぎよすと云々うんぬん

 仙院、藐姑射山はこやのやま還御くわんぎよをはんぬ。珍重とふべし。


※「藐姑射はこや」とは、神仙のまう「はるかなる姑射山こやさん」の意にして、転じて「仙洞(=上皇の居処)」の意なり。


※『岸槐記がんくわいき』とは変体漢文調にてつづりし架空の貴族日記なり。当世の首相の姓より「岸」を採り、大臣の古称「槐門」の「槐」より採りて称呼せうこせしものなり。諸方のご寛恕くわんじよを請う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る