応援コメント

鷹鸇の志」への応援コメント

  • 工藤行人様
    「木洩れる」を一緒に広めたい者として、まず、感謝の言葉を伝えさせてください。あたたかい御心で語彙の共有を認めていただき、ありがとうございます。
    近日中に更新予定の拙作の最新話にて、使わせていただく所存です。同時に「幽けく」も取り入れました。かそけく……平仮名で書いても味わいがあります。一方「嫩い」には、この漢字独特の艶めかしさがありますよね。「わかい」や「若い」では表わせない魅力です。森茉莉氏の小説にも登場していたのですね。「枯葉の寝床」は、図書館の蔵書を借りまして読んだ記憶がございますのに、抜け落ちておりました。記憶を辿ると、もしやボーイズラブ(BL)の先駆けとなる読み物だったのでは、と想うしだいです。確かに「嫩い」は女偏ですのに、彼女の描く少年が魅力的なせいで、嫩く美しい男性に似合う心象を拭えません。エッセイのほうも、萩原朔太郎の息子の朔美氏を褒める言葉として「嫩い」が充てられておりましたので、奇しくも工藤さまと同じ呪縛を背負っているかと。そして森茉莉氏、現代の言葉で表わすと間違いなく「天然」でしょう。そんな彼女を微笑ましく羨ましく想います。卵料理を含め、彼女が食べ物を著すとき、文面が殊に活気付いていたのも可愛らしく想います。
    「メラヴィリア」のお話、私の拙い感想から、崇高なパネリストの御発言を思い出していただきまして、畏れ多い。拙いピアノを延々と弾いて時間を浪費する私は、この場に穴を掘って、うづくまりたい気持ちです。
    「つくばう」「うづくまる」……まさに連呼の果てには同じ音に聴こえ、工藤さまの探究に、這い蹲っておりますm(__)m
    「鷹鸇の志」で大霄に羽を拡げたいところです……「大霄」に「光絢に瑛る蛋白石」の、羞明しいばかりの語彙世界、素晴らしいです☆

    作者からの返信

    宵澤樣

    応援コメント、有り難うございます。

    大変嬉しいお話です。「豊穣なる語彙世界」に顕著な傾向なのですが、なべて拙文は必ずしも内容らしい内容を持つわけではない、「語彙の型録」を標榜しております(何時か内容で読者に問いかけるものを書いてみたいですが……)。その「型録」をご覧下さって「お買い上げ」ならぬ「お拾い上げ」(!?)、そしてそのことの丁寧なご報告、このようなことは宵澤さんが初めてです。今後ともご贔屓にお願い申し上げます(笑)

    にしても、漢字の含意、そして何より造形というのは本当に奥深いですね。「嫩」は「ふたば」とも訓みますので、強い生命のエネルギーの中にも柔軟さやしなやかさが両立するイメージでしょうか……BL小説の趨りとも評しうる「枯葉の寝床」はじめ、森茉莉作品では青年や少年の中に見出した女性的な美に敢えて「嫩」の字が充てられ、そのことが強調されていたのかも知れませんね。ご指摘のあった、萩原朔太郎のご子息の「嫩」さのお話なども併せ考えると、彼女の持つ「私の美の世界」を分析する一助になりそうです(こんなことを言うと、美に分析など禁物だ! 美はただただ感じられなければならない! と、例のパネリストの先生にお叱りを受けてしまうかも)。

    いずれにもせよ、改めまして「木洩れる」のお拾い上げ、有り難うございました。
    ラルム樣にもよしなにお伝え下さいませ。

    お拾い上げ特典(という名の追記):
    「出荷」に当たって、ちょっと気になって「木洩れる」について改めて調べ直してみました。やはり辞典類にこれを立項するものは依然として見出せておりません。が、流石は悠久の歴史と膨大な蓄積を持つ日本語です、前近代の、主に和歌で掛詞・縁語として用いられているやに思われるものが管見に入りましたので、この際、うんと調子に乗ってお知らせします。

    最も端的なのは次の和歌です(まだ註釈書や先行研究に当たっていないので誤読の可能性もあること予めご容赦下さい)。

    青柳のまゆにこもれる糸なれはくる春のみそ色まさりける
    兼盛集

    【語釈】
    青柳のまゆ:柳眉、美人の喩え
    まゆにこもれる:「繭に籠もれる」と「眉に木洩れる」の掛詞
    いと:蚕が吐いて作った美しい繭玉の糸、糸=光の比喩
    ※ちなみに〈糸+光〉で「絖」、普通は「ぬめる」と訓みますが「わた」とも訓み、「わた、きぬわた、まわた」を意味するそうです。
    なれは:なれば=~であるので
    くる春:「来春」でなく「間もなく季節が春になる」と「これから来る青春期」の両義
    色:絹糸としての色美、女性の美しい容貌

    以上を踏まえると、柳の下で「木洩れる」絹糸のように輝く光がその下に佇む美少女の顔に差しているのを見て、誰かが、稚齢ゆえに未だ花開いていない「籠もれる」美の胚胎をこの美少女の中に見出し、彼女がこれから大人びて行けば美女としてますます色めくだろうと魅せられている、といった感じの解釈でしょうか。

    「青柳」「眉」「繭」が詠み込まれた和歌で、「こもれる」を「籠もれる」と「木洩れる」という掛詞で解釈できそうなものは他にもあったので、一種のテンプレかもしれません。

    今そあかぬまゆにこもれる青柳の春のけしきに打なひく比
    亜槐集

    浅みとりかすむ計の若草に春もこもれるむさしのゝはら
    明日香井和歌集

    池水に吹ものとけし青柳のまゆにこもれる千代の春かせ
    後十輪院内大臣詠草
    ※光だけでなく風も「こもれる」?

    ただし古語の世界の「木洩れる」は原形では無く、〈こもる+り〉、「こもる」の已然形活用語尾「こもれ」に完了・存続の助動詞「り」の連体形が接続した形ですので、厳密には「一語」とは言い難いかもしれません。ただ、例えば〈上ぐ(u)→上げる(eru)〉のように下二段活用動詞の古語は現代語では〈u→eru〉と変化することから、仮に「もる」が「洩る」であれば現代語では「洩れる」に転じていますから、「こもる」が「こもれる」に転ずる可能性はあるように思うのです(いつもながら怪しいですが)。あと、「洩る」「洩れる」の前に「木」をつけて「木洩る」「木洩れる」と認識することの妥当性は、例えば「白(豆腐)」を「和える」から「白和え」として成立した名詞が、「白和える」という動詞へ派生することの妥当性と関連します(「木洩れる」と同様、恐らく「白和える」を立項する辞書はない、もしくは少ないと思われます)。

    ……などなど、ご使用に当たっては以上の点にご留意下さい。

    編集済