応援コメント

菟裘」への応援コメント

  • 工藤様、お邪魔いたします。
    ソォダ水の季節、気泡がはじけるように突然に、駿馬は去ったのでしょうね。それほどに強い印象を哀しくも工藤様のお心に残し、そうして生まれたアンプロンプチュこそ『驊騮』であったのでしょう。馬だけに「楽世」……上手い、巧い、と納得でございました。
    本日は「菟裘」に失礼しております。「緘黙と漆闇とに耳目を壅がれて精神の研ぎ澄まされて行く」さまは、未亡人である老婦人の隠棲生活から生じた感覚でしたでしょうか。静寂(しじま)ではなく緘黙(しじま)と表現された場所から、話し相手の居ない境遇が強調されますが、菟裘にて独りごちる老婦人の声は奇しくも少女のように純粋に聴こえます。ベッドの上に、ちょこんと座られ、二つ折りにした原稿用紙に筆を滑らせていく姉様のような女性を想います。
    ハイポソムニアとは何語でしょう。工藤様の造語でしょうか? 考え過ぎると不眠症に陥りますかね。考え過ぎぬようにいたしましょうか。
    工藤様の天河の拡張は、束の間の絶対少女探究を永続させる柱になるでしょう。天気輪に導かれし少年のように、現実と夢の狭間に失われつつある何かをすくっては、楽世に持ち帰るであろう私が予測できます***Au revoir ! ***

    作者からの返信

    宵澤樣

    いつもコメント頂戴し有り難うございます。「菟裘」のご感想、「緘黙」を老婦人の「話し相手の居ない境遇」に重ねて下さった点、意図ズバリでございました。自己完結の工夫ではあるのですが、こうしてそれを受け取って頂けたことに頬の緩みを禁じ得ません。嬉しいです。老婦人と姉様のイメージも、書いた当初は気付きませんでしたが、確かに重なるかも知れませんね。問いかけの言葉遣いこそ「其方」ですが、音もなく回転するラジオメーター(少年少女がこれを見ると不思議がりますね)に話しかける「少女」の独語は、闇の中に小さく響く束の間の奏鳴曲として或いは夜な夜な続いていくのでしょう。

    「ハイポソムニア」は私の造語ではありません(が、片仮名で「ハイポソムニア」と検索してもヒット件数が2件、うち1件はこの「菟裘」であることに先刻気付きました!)。不眠症は「insomnia」が一般的ですが「hyposomnia」とも表されることがあるらしいのです。私も詳しく調べたわけではないのですが、恐らく医学用語なのかな? ネット検索して唯一ヒットしたweblioを参照しますと「学術用語英和対訳集」に「不眠」として立項されてはいるようなのですが……。ちなみにもう少し調べてみますと「hypo」はギリシャ語で「低い、少ない、下の」などを意味する接頭辞、「somnia」はラテン語の「somnus=睡眠」に派生する「somni」に、病名に付く接尾辞「ia」が複合したもののように思われます。直訳すると「低睡眠症」ということでしょうか。素人の「解剖」にて恐縮です。にしても、漢語だけでなく、ギリシャ・ラテン語の造語力もなかなかのものですね。やはり古典語は強い。

    今週もビワハヤヒデ(ナリタブライアンの半兄)という名馬の訃報がありました。そして何より先週は、それこそソォダ水の似合う少年期から走り続けた美しい馬、「美」は「はる」とも訓みますが、アッという間に天高く駆けて行ってしまいましたね……。怪しげな瘴氛も再び瀰漫の兆しあり、天象のみならず沈みがちな気分ですが、言葉の世界に沈潜して何とか遣り過ごしております。いつも下さるコメントに、本当に心を軽くして戴いております。

    御作、未だ拝読しに伺えておらず相済みません。些か立て込んでおりまして……今日もシナモンで香り付けした珈琲を啜りつつ、もう一仕事せねばなりません。ということで、またお会いしましょう=会はばや=あはばや=あばよ!

    追記
    「天気輪」について書くのを忘れてしまいました。宮澤賢治の造語、言語感覚もなかなかに独特ですね。吉祥寺に「ゆりあぺむぺる」という気に入りの喫茶店があるのですが、これも彼の詩に登場する人物から名を採ったそうで、口遊むと何とも言えぬ響きがあります。

    編集済