行住坐臥

勿忘夏

 例年、九夏三伏きゅうかさんぶくの汗をぬぐうて君と行く菊牡丹はなびの見納めが、今歳こんさいは僕の都合で遅くなった。しか想外そうがいにも、尠少せんしょうなる九月ながつき菊牡丹はなびこそ、朱夏しゅか今際いまわこくするに相応ふさわしき厳儀げんぎであったのだね。

 掉尾とうびを飾る大玉の菊星きくぼしぜて四散した空華くうげひかり垂尾たりおなが乱墜らんついし、のこんとぼしびついえると、先刻さっきまで彼程あれほどにもそら彼方此方をちこち繚乱りょうらんして漆闇しつあん隈隈くまぐままですき無く輝赫きかくさせた火技かぎの、あるいは通宵よすがらとぼり続くやとさえ思われたいろどりは二度ふたたびと闇色に糊塗ことされ、じんだいこ鼓音こおんの如く、かつうは耳にこだまし、かつうは胸をどよませた爆鳴ばくめい風浪ふうろうとてぱたりいでんだ。菊牡丹はなび珠玉しゅぎょくの、一つ一つの瞬霎しゅんしょううちに詰まった数多あまたの物語と想いとが、分厚い夜の天蓋てんがい打衝ぶつかって摧挫さいざしたの余情だけを残して。

 罵散動のりどよめ人浪ひとなみが重力に逆らって河原からゆるるかなる土手の傾斜なぞへさかのぼるその只中ただなかで、中流ちゅうりゅう砥柱しちゅうごとく動ぜず、心寂うらさびしい色に塗抹とまつされたそらを仰ぎ見続ける君は、乱次しどけなく着崩れる褻着けぎ小夜衣さよごろもあらざる、夏の夜の晴着はれぎ浴衣ゆかたに身を包んで、総身そうしん紫紺地しこんじ菊牡丹きくぼたんを花開かせていた。君と僕とはしば人浪ひとなみあらがうては揉まれてたたずんだ。不図ふととなる僕が睇視わきみした君の横顔の、しろ耳朶じだより垂るる珥璫ピアスの脚がかすかに揺れていた。

 嚮後きょうこう、季節は白秋はくしゅうらゆ。の道を踏む日月廻じつげつかい駿駒しゅんくはやいから、これにおいせるやまたたく間に歳次さいじ一巡ひとめぐりするだろう。眼路めじの先にようよ仄見ほのみゆる、よみすべきあらたしき歳旦さいたんがるるがゆえに、襲歩しゅうほする〈時〉のむままらない。

 君の汗あえたうなじに羽虫がまる。屍体したいでもないのに。爾時じじ、深く歎息たんそくした僕の、酒気帯びて熟柿臭じゅくしくさい吐息にこそ腐敗と今際いまはの匂いがした。勿忘死メメント・モリ……死を忘るなかれ。そして、夏を忘るなかれ。mementoメメント・ aestasアエスタス……然有らばご機嫌善う、令和元年の夏。


備考:

フジファブリック「若者のすべて」および「赤黄色の金木犀」(ともに志村正彦 作詞/作曲、2004および2007)の歌詞に対する賛美オマージュとして。

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