応援コメント

破瓜」への応援コメント

  • 工藤様、こんばんは。
    「破瓜」は健全かつ耽美的イニシエーションに感じられました。
    皙き絅まとう蕾のような十六歳の乙女の何と、うつくしいことでしょう。真に未嫩い。聖なるエロスの世界でございます。王子様が産まれて万歳。異国の絵巻物の如く、うっとりです。
    現代の日本国では、或る状態から「分離」して「過渡期」を経て別の状態に「統合」するという儀式の三局面が感じにくいのですが、其れは延々と過渡期という非日常を彷徨うが如く若者の増加に端を発するでしょうか。とは私の勝手な思い込みでございます。
    しばしば、イニシエーションに蹉跌するような未熟な者ばかりを執拗に創作してしまう私としましては、こちらの絵巻物が、羨ましい程きらびやかに思えてなりません。通過儀礼をスイスイと潜り抜けることができる幸福のカタチ。私も其のようなものをもう一作、書いてみたいと思いつつ、今夜は眠らなきゃ!
    夜分、失礼しました。返信は来月でも、もっと後でも結構ですよ。おやすみなさいませ。

    作者からの返信

    宵澤樣

    お言葉に甘えてしまった訳ではないのですが、お返事が遅くなりまして……この度もご高覧のうえ、拙文を「異国の絵巻物」に喩えて下さり有り難うございます。

    仰るとおり、現代日本は特に精神性という観点で「老成」しづらい、あるいは自身の「老成」を実感しづらい社会なのかも知れませんね。理由はよく解りませんが……。何時ぞや何かのアンケート記事で読みましたが、当世日本の大学生は海外の大学生に較べて「あなたは大人ですか?」との問いにノーと答える率が圧倒的に高いそうです。何故に日本だけなのか……現代という時代性ではなく、日本という国に特有の現象なのかな? 坂口安吾のいう「老成せざる者の愚行」=「青春」を、この国では誰しもが、ことによっては幾つになっても謳歌し続けられる時代にいよいよ突入したということになるのでしょうか。

    〈分離→過渡期→統合〉という通過儀礼の三局面が機能する前提として、儀礼を主宰する集団や共同体の一定度の閉鎖性とその中における単線的人生があるのだとすれば、高度に複雑化し個々人による自由選択の幅が拡がった社会の中で人生が複線的になっていると思しき現代では、成人式に象徴される「一律の」通過儀礼というものはもはや嘗ての冠婚葬祭のような人生儀礼の節目というより、日々に継起する数あるイベントの一つとして、その特殊性を希薄化させてしまった体ですね。「通過儀礼をスイスイと潜り抜けることができ」なくなった現代の、ある意味での病理であるともいえましょう。そこまで高度には複雑化していない時代・社会において「破瓜」は恐らく、「少女」にとっての身体的通過儀礼・イニシエーションとして現代における以上の価値を有したようにも思われます。しかも当話の場合は「神婚」ですから尚更に……。

    宵澤さんが描かれる「通過儀礼をスイスイと潜り抜けることができる幸福のカタチ」も拝読してみたいな、などと思いつつ。それぢゃ。

    編集済