応援コメント

搏翼機」への応援コメント

  • 始めまして、工藤様
    Aiinegruthと申します。

    レトロチックな格調高いカタカナとありあまる語彙、それらを複数の絹糸で編んだような修飾の紋様に感嘆の声が漏れます。大学院の国文研究室で、辞書や浩瀚な書物を手にしながら、教養人たちが表現の切り口について語らっているような情景が浮かびました。また、暇を見つけて少しずつ大切に読もうと思います。素晴らしい作品をありがとうございます。

    作者からの返信

    Aiinegruth樣

    初めまして、工藤行人です。
    ご高覧のうえ、応援やフォローのみならず★まで頂戴しまして此方こそ有り難うございました。また、拙文に何ともゆかしく心惹かれる譬喩を充てて下さり大変光栄です。

    紹介文にもありますように、当拙作『豊穣なる語彙世界』は「物語るよりも言葉そのものを書くことに偏執」した、謂わば「語彙の型録」として起筆したもの、「何を」書くかでなく「何で」書くかといった関心から、まさしくお言葉にもある「表現の切り口」であるところの語彙や譬喩、文体の可能性を模索する体で書き散らした、多分に独り善がりな言語的構築物となっております。ご時世かこの一両年は知的刺戟にも乏しく投稿も低調ではありますが、過去に投稿した拙文にもまだ読者の方がいて下さること、感謝致しております。今後も細々と投稿して参る所存ですので、またお運び下さいますと幸甚です。

  • 工藤行人様
    江戸川コナンくんの本名が「工藤進一」くんでしたね。期間限定で無料の電子書籍が開放されていました。一巻を試し読み……興味深い漫画でした。
    先日は、工藤行人様の純粋な感性を以て集められし語彙をリスペクトするあまり「絶対永遠少年」などと申しまして大変、失礼いたしましたm(__)m
    現実には存在しないであろう絶対的な少年少女。その価値を物語の中に見出すことがある私、源氏物語の三女官も、イメージどおりの「少女」です。そのような心象の共有者として、工藤様と共に、これからも秘めやかに精進いたしたい所存です。
    ornithopterは鳥の形をした飛行機。「搏翼機(オルニトプテエル)」という表現が「花玻璃(ステンドグラス)」、「嵌木細工(モザイク)」と共に印象的で、鳥のように搏翼(はばた)く飛行物体を想起します。「鉄」が「鐵」でなければならない世界。「撥」という宮澤賢治的にも聴こえる擬音も然る事乍ら、それが「心悲(うらがな)し氣」であるところに惹き付けられ、「cicada(シケイダ)」がエフェメラの生命の蝉の如くです。
    L'ecrinは工藤様の思い出のレストランだったのですね。さぞかし可愛い宝石のようなプティフールが振る舞われるのでしょう。依然、レストラン、図書館、書店、様々な場所が閉ざされていますね。禁じられると遊びたくなるのが人間の心理でしょうか。やたら図書館の古書物の匂いが恋しいのです。
    四月の終わり、「コロナ」の三文字を小説に挿入するとアウトという本当か嘘か分からない情報を小耳に挟み、過去作を改稿したり、連載中の拙作の何処に「夜光虫(ノクチリカ)」を鏤めようかと模索したりして、外出規制中だからこそ捗る思念に身を委ねておりました。
    「旧式の」「DNAの螺旋のようなコードの付いた」という属性に関する工藤様の連想、差し支えございませんでしたら是非、お聞かせくださいませ。失礼しましたm(__)m

    作者からの返信

    宵澤樣

    いつも当方のネタを拾って下さるお優しさに甘え、ついつい水を向けてしまいましてこちらこそ失礼しました。お付き合い下さり恐縮です。かかる「失礼」をば一向に止めないところにこそ「絶対永遠少年」たる所以の児戯性が潜んでいるのやも知れません。坂口安吾が「青春」を「老成せざる者の愚行」と表していたことを思い出します。ただ、社会生活においてはともかく、言葉の前ではいつも「少年」のようにいたいものですが……。

    「現実には存在しないであろう絶対的な少年少女」、これは少年少女のイデアとでも表しうるでしょうか、そういったものが存在できるところも文芸の面白みの一つですよね。

    ここ最近はコメント頂戴するを良いことにネタばらしばかりで野暮ですが、本作は私が未だ本当の少年だった頃の思い出に根差して書いたものです。中学3年の夏休みに「英語で俳句を作る」という宿題が出されまして、

    After burning its own life, a cicada falls silently.
    音すれば 命燃え尽く 蝉の骸(から)

    と試行錯誤して作って提出したところ、これを先生が随分と褒めて下さったのです。その後、夏の終わりの教室では「cicada」を極刑の意味の掛詞で用いる「You are (a) cicada=おまえはシケイダ」等と中学男子特有の下らない言葉遊びが流行する仕儀となったわけですが、昨年、ふとそのことを思い出し、一話として成した次第です。

    通常は「オーニソプター」と表記するのでしょうが、「搏翼機(オルニトプテエル)」は上田敏の詩集から拝借した語彙です。私は蝉が些か苦手なのですが、時折、道端に落ちているその翅だけを見つけると、綺麗で「栞にしたいな」などと思い乍ら、結局は思い留まるということを毎年繰り返しております。宵澤さんは彼奴らが落ちて土瀝青(アスファルト)に叩き付けられた瞬間の音をお聞きになったことはありますか?「撥」は本当にパチンとしか表しようがなく、哀しげな音に聞こえました。今年も、いつの間にかcicadaが命を燃やして静かに落ちる季節がやって来るのでしょうね(始まる前に終わりのことを考えてしまうのは、どうにかしたいものです……)

    世情の物怱、まだ暫く続くのでしょう。私も友人と四月下旬に行くはずだった食事の予定をキャンセルし、3月下旬に借りた本も図書館の貸出期限が延長されて未だ返却できていません。本もひたすらネットで購入しています。今は待つしか無いのでしょうね。自宅は幸か不幸か「古書物の匂い」には事欠かないのですが、洩れなく埃がおまけで付いてくるのが玉に瑕。空気清浄機は必須アイテムです……。

    >「コロナ」の三文字を小説に挿入するとアウトという本当か嘘か分からない情報
    初耳です。そうなのですか。デマ情報との混同が忌避される向きでもあるのでしょうか……?

    さて、随分前置きが長くなってしまいましたが、例の「旧式の」「DNAの螺旋のようなコードの付いた」の属性についてです。

    「旧式の」は、勿論、技師が時代の流れから取り残されている存在であることの表徴なのかも知れませんが、私にはこの技師が「結節点」のような気がしたのです。巧く表現できませんが、〈時間の流れ・現実〉―〈技師と旧式の電話〉―〈時間の停止・夢〉といった具合です。この場合、〈時間の流れ〉=更新され続ける現在と、〈時間の停止〉=永遠との間に位置する〈技師と旧式の電話〉は〈生〉と〈死〉の間に存在する〈過去〉に等しいのではないかと考えました。
    私は「森林の中の一軒家は―」以降を拝読し、ここから如上のラルムとその母が生きる「現実の」物語現在と「夢の」永遠との間の、何らかの「過去」を技師と旧式電話に読み取っ(てしまっ)たのです。「端末の電波が届かない場所」とは物理的なものであるとともに、時間的なもの、すなわち携帯電話のない「過去」と捉えることも出来るからです。そうなると「旧式」の電話は、現在における「時代遅れ」の表徴を超えて、語り手の視点から見た「過去」を暗示し、その意味で物語の時間は「破れ」「歪み」を生じることになります。そしてそれは、同時に夢と現の渾然一体する「あはい」にもなり得るのです。類似の手法が用いられた作品として「崖の上のポニョ」を私は想起しました。

    「DNAの螺旋のようなコード」はラルムを救う助けを呼ぶための電話のコードであるとともに、夢(内)と現(外)との「綱引き」の中でラルムを現実に繋ぎ止めるための唯一の命綱でもあり、あるいは此岸(生)と彼岸(死)を結ぶ連絡通路でもあり、更に妄想を逞しくすれば、母がラルムを何らかの形で「産み直す」ことを暗示する「臍の緒」なのではないか。DNAから連想される「gene(遺伝子)」の原義を強いて漢字一字で表せば「産」になると思うのですが、そこから「generation(世代)」や「generate(生み出す)」などが派生しますし、或いは「螺旋」は「禍福はあざなえる縄のごとし」よろしく、幸不幸の表裏、夢現の表裏反復関係を暗示するのではないかと、そうイメージしたのです。母のラルム「産み直し」に加担する技師は、「父」の表徴となり得ましょう、

    ……などと、妄想もあまりに過ぎました。又しても長文であるのみならず、意味不明もあろうかと存じますが、いつもそんなことを考えながら、御作、拝読しております。普段はあまりここまで考えることもないのですけどね……笑。

    編集済