応援コメント

L'ecrin」への応援コメント


  • 編集済

    モルディヴを馬爾代夫と漢字で書くことをここで初めて知りました;;

    >>青玉石(サファイア)や灰簾石(タンザナイト)や珪孔雀石(クリソコラ)といった数多の碧玉が溢れ出でて撒き散らされた様に<<
    という比喩は地質学的な鉱物の歴史を遡り、地球の神秘を思わせてくれますね。
    星群(アステリスム)へのロマンに加えて夜光虫(ノクチルカ)や渦鞭毛藻(ディアフォレティケス)などのプランクトンにまで言及しているこまやかさから地球に生きる生命の神秘に対する探究心が伝わり、感動致しました。

    作者からの返信

    中澤樣

    此方にもコメント頂戴しまして有り難うございます。
    「馬爾代夫」は中国語表記で、日本語では「馬地維斯」「麻代父」のようにまた別の表記があるようですので、何とぞご留意下さいませ(個人的にはどちらの字面も余り好もしくは思われないのですが……)。

    モルディヴのバードゥという島の夜は、「言語の敗北」というと誤解があるかも知れませんが、何とも筆端に尽くしがたいと表する以外にない美しさです。拙文で些かなりとも「あの」美しさが伝わっていればと庶幾します……まさしく天と地の境界が無くなり、それぞれに星群(アステリスム)が耀く世界です。元少年の私ですらかくも撼かされるのですから、本物の少年少女が実際にあれを見れば、定めし生涯忘られぬどころか、良い意味で人生を「狂わせる」ほどの光景として脳裡に焼き付くことは間違いないように思われます。

    久方ぶりに当拙文を読み返しまして、新たな語彙世界の鉱脈を発見したような気でおります。近いうちに新作をお目に掛けられるのではないかと存じますので、其方にもまた遊びに来て下さると嬉しうございます。

    編集済
  • 安全か危険かは別にして、工藤様は「絶対永遠少年」ではないでせうか?
    工藤様には、こうして「拝顔」しているという印象が強いのです。有難いことでございます。こちらこそ今後とも宜しくお願い申し上げますm(__)m
    「雪苑生」は実際に北海道の景色を目睫の間に記された御作品だったのですね。仰るとおり「雪」を「そそぐ」「すすぐ」「きよむ」と、「木洩れる」の如く動詞化したいものですね。共犯者になりませう。
    「L'ecrin」……こちらはフランス語でありロマンス語ですね。鏤められた記号が、海辺に生きる星々の煌めきに見えて、個人的に、とても好きな世界です。宝石箱をひっくり返したような地上の星たち。海色であり天色である絨毯が拡がり、青玉石や灰簾石や珪孔雀石が星群の如く煌めくさまから、工藤様より「魚座のアステリスム」というコメントを頂戴した日のことを思い出しました。「星群(アステリスム)」は勿論、このたび「夜光虫(ノクチルカ)」の煌めきにも激しく心を奪われております。「夜光虫(ノクチルカ)」……またまた共有希望です。
    ところで、矢川澄子さんと言えば澁澤龍彦夫人であり、自らも少女コレクションに入ってしまえるような印象の御方。矢川さんや山田登世子さんの膨大な著書を熟読するには至らず、欠片に出逢っただけの私ですが「束の間(エフェメラ)」に惹かれ、拙作に縫い付けたのです。しかし「エフェメラお嬢様」単体の扱いは難しいものですね。此処は是非、ペアグラスの趣きで、束の間と永遠を並べるべきかもしれません。
    「観用少女」は、まさに「観るという用途のための少女」と「植物のように育むための少女」の両方の暗喩ともとれるのですが、「育む」は相応しくなくて「羽包む」です。少年の時と同様に少女の時と云うのもエフェメラで、そのエフェメラの奇蹟を体現する「生き人形」が「観用少女」なのです。此処に少女としてのアイデンティティより人形としての持たない自我が優先されているように思えて、水に揺蕩うオフィーリアの如く美しく感じられるのです。
    「自動洋琴弾き人形」に「自操」性が残るのか「傀儡」性が勝るのか。はたして、どちらが少女として至高に美しいのか。改めて考えさせられる工藤様からの御言葉に、いつもながら感謝いたしておりますm(__)m

    作者からの返信

    こちらこそ、いつも拙文への丁寧なご感想、お伝え下さり有り難うございます。
    なるほど「絶対永遠少年」ですか……同じ「工藤」ながら、私は「見た目はオトナ、頭脳はコドモ」のままで、某推理漫画の主人公とはアベコベだなと常日頃から自嘲しておりましたが、見事に見抜かれてしまったのですね。そうしますと、語彙の「共犯者」として与同して下さるとのこと大変心強いのですが、不本意にも私にショウネン法が適用されて「共犯」を免れてしまう可能性がありますから、その場合はご容赦下さい(嘘です笑)

    L'ecrinというタイトルは実は個人的に思い入れのあるレストランの名前から拝借したものでして、そのお店では店名に相応しい「宝石箱」が食後のワゴンサービスでテーブルにやって来て、可愛らしいプティフールを振る舞ってくれます。数年前に改装して雰囲気がガラリと変わった後もやはり変わらないその「宝石箱」に、昨年の初夏に久しぶりに逢いに行ってから思い立って書いた散文が本作でした。

    幼時よりギリシャ神話を愛読していたためでしょうか、これを元にした星座の「アステリスム」という語も私にとっては特別な語彙です。「星群」の外に中国的な(のかな?)「星官」という表記例もあるようで、こちらも我がLexiconの中で使われる時を待っています。何やら幻想的で可愛らしい「夜光虫(ノクチルカ)」もぜひ共有しましょう。ちなみにその織り成す「地上のアステリスム」は日本でも見られるらしいのですが、私が見たのはモルディヴのバードゥという島のものです。「ことばの限界」というものが確かに存在するのではないかと否応にも考えざるを得ないほどに美しい光景のように思えました。

    さて、先だっては、最大限の敬意を表すべきオリジナルの「束の間」を差し置いて「刹那」や「瞬霎」に「エフェメラ」を宛てるなどしてしまいましたが、やはりまずは「束の間(エフェメラ)」というオリジナルの借用に徹し、これを如何に我が語彙世界に迎え入れるかに心を砕くべきなのだと思い至りまして、ペアグラスとしての「束の間」と「永遠」、この線で一つ考えてみるつもりです。多くの書店や図書館が自粛中の現況にあって、矢川・山田両女史のご著書も落手に時間が掛かりそうなのが残念ですが、書きながら待とうと考えております。

    少女少年、やはり奇蹟的な存在なのでしょうね。お話をお聞きするだけでも、「観用少女」という存在は確かにエフェメラの「奇蹟」について考えるに当たって大きな示唆を与えてくれるように思われます。「少女としてのアイデンティティより人形としての持たない自我が優先されている」という部分を拝読して、私などは、些か脇に逸れてしまうかも知れませんが「源氏物語」の女三宮を想起しました。朱雀院の皇女という高貴な血統と、源氏の妻となってなお消えぬ少女性、そして柏木との密通を拒む強い意志を持てず、不義の子である薫を成してしまう……「あさきゆめみし」の光なき黒目がちな女三宮は、まさに自我を持たない「美しい人形」そのもののようでしたが、「少女」「女三宮」「水に揺蕩うオフィーリア」には何か共通しているものがあるように私には思われます。曰く言い難いのですが……などと、また熟々と書き散じてしまいました。いつもながらお付き合いさせてしまいまして申し訳ございません。

    御作の最新話は意識が確りしている時に改めて拝読しにお邪魔させて戴こうと考えております。宜しくお願い致します。

    編集済
  • この作品は言葉選びやルビが好きです

    宝石箱はレカンて読むのですね

    作者からの返信

    永若オソカ 様

    こちらにもコメントを戴きありがとうございます。

    >この作品は言葉選びやルビが好きです
    嬉しいです。

    L'ecrinはフランス語で宝石箱という意味で、字面に忠実にルビを振れば「レクラン」になるのでしょうが、実際には「レカン」とか「リェクアン」に聞こえます。

    あと、本作で描写した風景にご興味がおありでしたら、ぜひ「バードゥ島」を検索してみて下さい。
    意を尽くして言葉を紡いだつもりではあるものの、是を言ってはお終いなのですが、やはり一見には如かず、ということで……。