太陽虧

 陰神つきのひめ陽神ひのみこを喰ろうた。彼に照らされてこそかがやく彼女が……。

 太陽たいようとは、碧瑠璃へきるりそらに君臨して天地玄黄に佳暄かけんを恵みつつこれを統覧みそなわし、星誕より日日列かがなべてすでに四十六億歳をかずながら、向後きょうこうそれでも五十億歳を生きるとされる日輪の、一見するだに無欠のはずのそのまろく全き肉体が尠少せんしょうにもくる弥珍いやめづらかなる天象てんしょうすなはち日蝕のことである、とは随分と喃喃くどくどしい物言いだな……。

 案下某生復説それはさておきいちとして百歳ももとせ精精せいぜいびょうたる吾等……よう渾円球こんえんきゅう行住坐臥ぎょうじゅうざがする吾吾人類が、すべて合わせて百億という歳月としつきわたる日輪のいちを、永久とこしなへなるものとあやまつるもかた無きことであろう……おや、歳月としつきだなぞとうものだから月がかおいだしたぞよ。

 紹前齣復説さればまた陰神つきのひめにも言い及ばねばなるまいか……言腐乱ことあたらしきことなれど、そも、日輪は平生へいぜい無欠なるが故にそのくる時こそつねならぬが、こと月に至りてはくることすらつねの一部。如何どうやら「つればくる」という古諺こげんのっとって、これも古今不易ここんふえきおのが摂理を固守しておるやに見ゆる。日輪に照らされてくる月のその盈虧えいきは永劫回帰、否、日輪の永らうる限り続くのだ。

 劫説かくて、月はしんげつの無から発してつるに成り、櫛形くしがたに成って充ち満ちて、萬月まんげつを迎えてしほたれて、しぼんで消えて無に帰する。そして二度萌ふたたびきざして登り坂を駆け上がり、逢着ほうちゃくした至高から緩やかに傾斜なぞえを転がって堕ちて二度ふたたびついえて三度さんど四度よどして万度よろづたび……む、これは、吾吾のいちそのもの、そして天象てんしょうが吾等の転生てんしょう必定ひつじょうなるをほのめかすざやかなる徴憑ちょうひょうではないか! 


参考:

「始原的宗教における闇のシンボリズム」(ミルチャ・エリアーデ〔 Mircea Eliade〕著/ダイアン アポストロス=カッパドナ〔Diane Apostolos‐Cappadona〕編/ 奥山倫明訳 『象徴と芸術の宗教学』〔作品社、2005〕)


※話題転換語の宛字は滝沢馬琴『近世説美少年録』(小学館、新編日本古典文学全集)よりの孫引きによる。

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