御修法

唵嘛呢叭咪吽オム・マ・ニ・パ・ドメ・フム唵嘛呢叭咪吽オム・マ・ニ・パ・ドメ・フム……」

 中宮の御産所おさんじょ高柳前内府たかやぎのさきのだいふ古手河第こてがわていには、依然として六字大明陀羅尼ろくじだいみょうだらに大明咒マントラこだましていた。中宮がこの里第さとだいに退出してより、御産御祈祷おさんごきとうの為の御修法みしほ始行しぎょうせられていたのである。

 御国譲みくにゆずりして間もなき院は栗小路仙洞くりのこうじのせんとうに、中宮所生のいとけなみかど花町内裏はなまちのだいりまします。ごと無き法力ほうりきに守護されて、これより現生げんせいせんとする院の五宮ごのみやにしてみかど御一腹おんひとつばら弟宮おとみやは、果たして男宮おのこみやか姫宮か……。

 御修法みしほは初日の薬師法に始まり、同日に不動法、一字金輪法いちじこんりんのほう五壇法ごだんほう冥道供みょうどうく訶梨帝法はりていほう普賢延命法ふげんえんめいほう、十一面護摩、最勝太子護摩と修され、特に五壇法ごだんほう中壇ちゅうだん桃井宮もものいのみや冥道供みょうどうくを当世随一の験者げんざとして名高い海住山うづやまの僧正そうじょうが務めた。

 今日は二日目で、すでにして如法愛染王法にょほうあいぜんおうほう如法仏眼法にょほうぶつげんほう、北斗法、金剛童子法、不空羂索法ふくうけんじゃくほうを修し、今又、六字法ろくじほうおわろうとしている。

 伴僧ばんそう達がにわかに動き出し、大明咒マントラ音声おんじょう衣擦きぬずれする袈裟けさの音が紛れ込む。

唵阿味羅吽佉左洛オン・ア・クビ・ラ・ウン・キャ・シャ・ラク唵阿味羅吽佉左洛オン・ア・クビ・ラ・ウン・キャ・シャ・ラク……」

 修法ずほうは次なる八字文殊法はちじもんじゅほうに移った。第二日はこの後の孔雀経法、ほう千手護摩せんじゅごま転法輪法てんぽうりんほうで有終となる。

 第三日は座主宮ざすのみや覚令法親王かくれいほっしんのうによる七佛薬師法しちぶつやくしほう晃華院僧正こうげいんそうじょうによる尊星王法そんしょうおうほうがそれぞれ伴僧ばんそう廿人を従えて修されることになっていた。さぞかし、大音声だいおんじょうとなるのだろう。これに准胝法じゅんでいほう聖観音法しょうかんのんほう五大尊合行法ごだいそんごうぎょうほう炎摩天供法えんまてんぐほう随求陀羅尼法ずいくだらにほう大仏頂陀羅尼法だいぶっちょうだらにほうあわせ行われる。

 座主宮ざすのみやは先月初旬に牛車宣旨ぎっしゃせんじこうむって内裏の二間ふたま初参ういざんしたばかり、太秦院うずまさのゐん七宮しちのみや栗小路くりのこうじの院の叔父であった。

 第四日以降は如意輪法や六字河臨法ろくじかりんほう、十五童子法、北斗七壇法、馬頭法、葉衣観音法ようえかんのんほう白衣観音法びゃくえかんのんほう等の諸法に加え、雙身供そうしんぐ天聖供てんせいぐ天辰供てんしんぐ氷迦羅天供ひょうからてんぐ多羅尊供たらそんぐ、また九曜くよう羅睺星供らごしょうく計都星供けいとせいぐ御本命星供ごほんみょうしょうぐ等の星祭ほしまつり放光佛供羪ほうこうぶつくよう大土公祭だいどこうまつり霊氣道断御祭れいきどうだんのおんまつり等等も催行される。

 斯くもねんごろな院も中宮の父高柳大臣たかやぎのおとど男宮おのこみや降誕こうたんをこそ望んでいた。しかながら、中宮は嬰児みどりご男宮おのこみやでないことをひそかに祈った。ひこばえ宝祚ほうそを巡るいさかいを往々にして誘うものであったから……後眼痛うしろめたきことではあったが、当今とうぎん御世みよ弥栄いやさかを、中宮は堯母ぎょうぼとして庶幾こひねごうたのである。

 果たして仰仰ぎょうぎょうしき数多あまたの御祈祷の末にれましたるは姫宮であった。


※人名・地名は架空のものです。

The names of characters and places are fictitious.

※著者の備忘録であるため、修法に対する曲解・誤謬のある可能性があります。

Please keep in mind that this memorandum concerning prayer may have some mistakes.

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