第10話 危機回々Ⅴ

『勘弁してください』

 平伏するマッドハッターの頭を涼子は踏み躙り、脱出の算段を整えていた。

「ダメよ」

 短く答えると、踏む力を更に強める。

 キキ、という不快な呻き声に涼子の苛立ちは更に増長していく。

 魔力のパスは繋いである。この空間に閉じめられる寸前に、魔力宝石をばら撒いた。

 それで微かながら外へのパスは繋がっていた。

 涼子の予想外は、マッドハッターの能力であった。まさか閉じ込めた対象の動きを封じるモノだとは。しかし、今はその縛りも解け、自由の身である。

 この空間において、絶対的主導権がマッドハッターにあるのは変わらない。

 つまり、マッドハッターを倒さない限り、強制的に此処から出られないのである。

「さて、それじゃあ今から私がアナタをぶっ壊してあげるわ」

『ひぃ、ホントに止めてください。アナタ様の言う事なんでも聞きますから--あっ』

 涼子はしめた、と思い、ニヤリと笑う。

「言ったわね?」

 演出家の台詞に二言はない。

 そして、発言は現実となる。それは、この空間の主人であるマッドハッターでさえも例外はない。

 涼子の予測は、当たっていた。

「な・ん・で・も、言う事聞いてくれるんだ。そっかそっか」

『い、いや、それは……』

 マッドハッターには、もはや打つ手がなかった。

 涼子の完全勝利である。

 涼子が外界とのパスに魔力を流す。キラキラと光る糸が道標を作った。しかし、このままでは扉を開く事が出来ない。それにはやはりマッドハッターの許可がいるのだ。

「道は出来たわ。さぁ帽子屋、一緒に来なさい」

『……あー、あー、申し訳ございません、夜歌様ぁ!』

 主人思いのマッドハッターは、自らの失態に崩折れる。その首根っこをむんずと掴んで涼子はマッドハッターを引き摺りながら意気揚々と空間の出口へと歩き出した。



 ※



 まさに今、蒼介は命の危機に瀕していた。

 振りかざされる無骨な大剣。

 くつくつと嗤う少女。

 咄嗟に小太刀を構えたが、もう間に合わない。

 完全にやられたな、と蒼介は内心諦める。

「え?」

 蒼介から疑問の声が漏れた。

 何かが、一瞬で起きたのだ。

 ガン、と鈍重な音がアーサーから聞こえた。

 何事だ、と蒼介はアーサーの方を確認すると、アーサーの大剣が止まっている。

 いや、何かが受け止めている。

 蒼介の仕業ではない。何色にも輝く宝石の雨が横殴りにアーサーを襲っていた。

 方角的に柳田邸から飛んで来ている。

 蒼介は知るよしもないが、涼子が異空間に囚われる前にばら撒いた宝石は今になって引き寄せられ、流星群の様に飛来する。

「な、なんだこの石ころ共は!」

 アーサーは素早く飛び退き、飛来する宝石群を剣技で撃ち落としていく。

「ちっ、涼子のヤツ余計な事を」

 夜歌は、ギリと奥歯を噛み、悔しさに表情を強張らせる。

 次いで、第二の異変が起こる。

 夜歌に握られていた影の玉に亀裂が走った。

「これは--」

 有り得ない、と内心驚愕を隠せない。

 赤川涼子は魔術師としては、下の下だ。いかに才能があろうとも、今の彼女は第一位階である初級魔術もまともに扱えない。唯一まともなのは、魔力操作による魔弾のみ。それだけに特化した魔術師が第五位階の形成魔術イェツィラーを破れる筈がない。

「くっ--」

 夜歌は咄嗟に玉を宙へ投げて、距離を取る。

 地面に転がった玉はまるで孵化を始めた様にピキピキと亀裂が大きくなり、やがて割れる。

 夜歌にとっての誤算は、自我の強い使い魔の行動が裏目に出た事。

 --そして、赤川涼子という存在中身が帽子屋の能力と相性が悪かった事だ。

 割れた玉からは、大きな鏡の扉が出現し、中からパリンと破られる。

 そこに居るのは勿論、赤川涼子とくたびれてしおしおになっているマッドハッターである。マッドハッターは、涼子に投げ捨てられ、糸の切れた人形の様に地面に投げ出された。

 ザッと涼子は夜歌の前に仁王立ちし、赤い魔女と黒い魔女が対峙する。お互い睨み合い、親の仇を見るような視線の衝突。

「……随分とめちゃくちゃにしてくれたわね、涼子」

「そういう夜歌こそ、余裕なさげじゃん? どうかしたの?」

 その場に居る誰もが震え上がる。スゥーと空気が凍てついていくのがわかる。

「相変わらずの減らず口ね。ちょっと魔力操作が上手くいったからって調子に乗らない方が良いわよ」

「私が掛けた宝石保険にまんまとやられるなんて、引きこもりすぎて腕が落ちたんじゃない?」

「ふふ、これ以上貴女と話していても埒があかないわ」

「そうね。お喋りは止めにして、私はアンタを--」

「この馬鹿にお灸を据えないと。涼子、貴女を--」

「「ぶっ殺すっ!」」

 花の女子高生が絶対口にしてはいけない言葉が両者から飛び交い、魔女同士の戦いが幕開けた。

 蒼介はというと、その様子をポカンと眺めるだけ。涼子に助かった、とお礼を言う機会を逸していた。

 --都会の女の子は凶暴だな、と蒼介は場違いな感想を心中で述べた。

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Arkhē 剣イウ @knsk0405

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