終章 四月十六日

 週が明けた、月曜日。

 任務は終了したという霧島の説明と、校内の生徒や教師たちの様子を見るに、あさみちゃんや霧島の存在は、どうやら最初から「いなかった」ことになっているらしかった。

 そして、桜燐の存在も。

 小田桐さんが新聞部の部室に持ち込んだ、桜燐が存在していたはずの空き地で撮ったという写真には、招き猫が鎮座している小さなお社だけが写っていた。


「元々、手入れもロクにされてない、呪いの力だけで生きていた枯れかけの巨木だったからな。そのまま放置して何か悪さしても困るから、あの後人払いして丸一日使って、整地してあたしの分社を建てることで封印を二重にさせてもらった」


 そう言う先輩の顔は、どこか自慢気だ。

 犯人が警察に捕まったわけではないから、市内では未だに警戒が続いているが、もうあの通り魔が現れることはない。次第に報道も少なくなり、事件は表向きは迷宮入りしたまま、人々の記憶から忘れ去られていくだろう。


「それで……妹さんは?」

「あいつは……」


 言葉に詰まる。

 美咲はあの夜から丸一日以上、姿を消していた。ただ、俺も母さんもあいつのクラスメートも、「美咲がいない」という認識はできていた。

 それはつまり、俺たちが美咲のことを覚えている、ということだった。


「……反抗期なのかもしれませんね。夜遊びしたまま家にも帰らず、学校もサボるなんて」

「そっか……大変だね、妹想いのお兄さんは」

「どうなんすかね。そんな、大それた奴じゃないですよ、たぶん」


 自分の中でまだ、感情の整理がうまくできていなかった。

 あの夜、あいつの表情や口ぶりから、全てが終わったら美咲は姿を消すのだろう、と俺はなんとなく予感していた。

 魔力を全て翡翠に込め、桜燐に叩きこむ。

 それはつまり、封印が成功した場合、妖怪の生命力である美咲の魔力が尽きる、ということを意味するはずだ。

 俺は……何も言えなかったし、できなかった。止めたところで代案なんて浮かばなかったし、なんてこともなかったかのように一緒に家に帰れるかもしれない、という期待もあったからだが、結局美咲はいなくなってしまった。

 ぽっかりと、心に穴が開いたような感覚。

 一瞬だけ、もしも美咲の記憶が俺の頭から消されていれば、とも思った。だが、更に上書きされた偽物の記憶を抱いたまま、大切な妹の存在が「なかった」世界で生きていくなんて、俺には我慢できそうになかった。

 月夜に氷の花びらが舞う中、姿が夜に溶けて消える前に美咲が見せた笑顔を、俺ははっきりと覚えている。

 さよなら、ではなく、おやすみなさい、と俺に言った美咲……妹にいつかまた会える日が来ると、俺は信じていたかった。


「だー、もう! 今日はいいからさっさと帰れ、文也」

「……いいんですか、先輩?」

「いい、構わん。どうせ締め切り近い原稿も無いし、土曜日の一戦で消耗してるだろ。第一、今のお前と同じ空気吸ってると辛気臭くてかなわん。それに……そろそろのはずだからな」

「そろそろって?」

「いや、こっちの話だ。ほれ、あたしも久しぶりにゆっくり夕花の茶を楽しみたいんだから、帰った帰った!」

「ごめんね、長峰くん。奈緒ちゃんなんだか妙に機嫌がいいみたいだから、許してあげて」

「はい……?」


 慰めでも始まるのかと思ったら、先輩は強引に俺を部室から締め出した。いや、先輩に慰められても調子が狂うし困るのだが。

 せっかくだから俺も小田桐さんのお茶をいただきたかったのだが、こういう時は突っ立っていても中にはいれるわけでもないので、とぼとぼと帰路につく。

 家まで着き、鍵穴に鍵を挿したが、既に玄関の鍵は開いているようだった。母さんはまだ職場にいる時間帯のはずなのだが……早退でもしたのだろうか。


「母さん……?」


 呼びかけながらドアを開けるが、返事はない。

 空き巣を警戒して玄関を見回したところで、母さんのものではない、しかし見覚えのある小さなローファーが、綺麗に揃えて置かれているのに気づいた。

 息を飲む。心臓の跳ね上がる音が、聞こえた気がした。

 乱暴に靴を脱ぎ捨てて、廊下を一直線に走りリビングに駆け込む。

 勢いに任せてドアを開け放つ。


「……ドアを壊したら、母さんに怒られますよ」


 聞きたかった声。見たかった姿。


「耳神様の助けも借りて、先日までのように魔力の供給ラインを繋ぎ直したんです……負担はかけたくなかったので、少し時間がかかってしまいましたが」


 ソファーに座っていた制服を着た少女はそう言って立ち上がり、こちらに振り返って笑った。


「……ただいま、兄さん」

「ああ……おかえり、美咲」

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耳神様とオオカミ少年 冴草優希 @yuki1341

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