十五話 信頼

 フルグライト家のあちこちから破壊音が聞こえる。炎は書庫を飲み込んでなおその規模を広げようとしていた。


(不味い! 考えろ! 連鎖を想像しろ!)


 俺は〈ラックリング〉で起きる幸運と、その範疇外で起きるであろう悲劇を想定して最善の行動をとるべくラクアに向かった。


「ラクア! お前のエプロンドレスを脱いでくれ!」


「は!?」


 信じられないといった表情を浮かべているがそれは俺も同感だ。こんな状況でよくそんな事を言えると自分でも思う。


「時間がねぇんだよ! これはマリスを救うために必要な事なんだ!」


 ラクアはこれまで見た事の無い憎悪の籠った視線を俺に投げつけたが、観念したようにエプロンドレスを脱ぎ始めた。下着一枚になったラクアに俺が身に着けていた黒いローブを渡すと、ラクアと共に幸運となったエプロンドレスを祖父の思い出の品にぐるぐる巻きにした。


「えーと…頼む! エレクトと、リリベルと…あとは屋敷にいるメイド全員を速やかに避難させてくれ!」


 ぶかぶかの黒いローブを着たラクアはきょとんとした顔を覗かせていたが、とある疑問が浮かんだようでそれを俺に言いかけた。


「ラスとプラボと当主は助けなくていい。あいつらは絶対に、ぜーったいに死なねえ。俺はそういう能力を持っている。もう知ってるんだろ?」


 ラクアは一瞬だけ視線を床に落とし、後方で燃え盛っている書庫を目だけで追うと小さく頷いた。


「必ず助けろ。でなければ…」


「ああ。好きにしろ」


 調子が狂うといった表情でラクアは音もなく高速で走っていった。


「…問題は俺なんだよな…」


 これをマリスまで届けるまで五分もかからない。廊下を歩いて階段を降りたらマリスの部屋だ。造作も無い。ただしそれはごく普通の人間に限った事だ。俺は深呼吸して一歩を踏み出した。


「!?」


 ばきん! という音が響いて目の前が真っ暗になった。しばらくするとそれは天井の崩落によって起きた事態だと理解した。上を向くと真っ暗な空が見える。俺の上にある天井部分だけが壊れて直撃したようだった。結界が無ければ即死は免れない。


「勘弁しろよ…一歩でこれかよ…」


 俺は全身余すことなく運が悪い。俺の望む結果を求めて行動するとその途端に悪運は牙を剥き出して襲い掛かってくる。俺がこの祖父の愛が詰まったマリスからのプレゼントを届けるのは命がいくつあっても足りない。


「でもつまりそれは、こいつを届けたらマリスの心に届くって証明な訳だ」


 俺はなりふり構わず走った。足が地面に着くたびに周囲からばきばきと音が響いて耳が痛い。五歩も進む前に音が鈍くなり、どこからか発してくる強い光で視界が白くなってきた。目が当てにならなくなったので頭の中で屋敷の間取りを計算して走る。


「お!?」


 体が一瞬だけ浮いて風を感じ、直後に衝撃が全身を襲った。


「…!…」


 痛みで呼吸が出来ない。しかし何とか体をよじって周りを確認した。ぼやけた視界でかすかに見えた鉢植えは、ここが恐らく一階にいるのだろうと予測させた。

「…がっ! はぁあ! はぁあ!」


 ようやく呼吸を取り戻すと懐にある〈祖父の思い出〉が壊れていないか確認した。マリスを助けたいと願うラクアが着ていたエプロンドレスにくるまれていた為に問題ないようだ。これを庇って背中を強打した甲斐がある。とにかく良かった。しかし…。


「はあ…はあ…くっそ…またか…」


結界で守られているはずがいつの間にか解けてしまっていた。思えばマリスの感情が不安定な時に封印も不安定になっているような気がする。


「いくら心配だからって…過保護は…よくねぇって…」


 足に力を入れようとしたが出来なかった。まるで下半身が切り離されているかのように動かない。


「はぁー…容赦ねえなぁー」


 下半身の感覚が無いので両手で這って移動する事にした。背中に〈祖父の思い出〉を乗せて一歩、いや、一手一手と進んでいく。


「…ぐっ!…うっ!」


 手をつく床にガラスが巻き散らかっており、その全てが上向きになっていた。一手一手と進むごとに手が削れていく。しかしそれでも俺は前進を止めなかった。


「はあー! はあー!」


 歯抜けになった手で体を推し進めていくとようやくマリスの部屋の扉が見えた。安堵しかけた時に、どん! という衝撃と音が地面から響いた。それに構わず進もうとするがどうにも上手くいかない。背中に妙な感覚があったので触ってみると固い感触を覚えた。それを上から下に伝うと自分の体に繋がっていたのが解った。


「…く…そ…」


 柱か何かが俺の体を貫いて床に磔にしているようだった。もう感覚が鈍い。体もほとんど動かない。背中にあったであろう荷物はどうなっているのだろうか。確かめる事も生き延びる事も出来そうにないが、しかしそれでも俺には勝算があった。


「お、おい!? オッサン!?」

「おじさん…! だいじょうぶ…!?」


 俺はその声を聞いて口角が上がった。これを待っていたのだ。マリスを救いたいと思っている幸運の二人は、運が良い事に唯一救える〈祖父の思い出〉を持つ俺にたまたま出会った。そして幸運の二人が俺の側にいれば俺の悪運が軽減される。つまりこれをマリスに届けられる。


「マリスの部屋に…俺を…荷物を…持って…」


 俺は消えそうな意識で二人に懇願した。ラスは何か怒鳴っていたが、すぐに俺を張り付けていた何かをどかしてくれたようだ。プラボは人形で俺を起こしてくれたらしく視線が上がった。


「…!? オッサ…ねぇぞ!? マリ…ねぇ!」


 意識が飛び飛びになっているらしくラスの声が明瞭に聞こえない。しかしそれは想定内だ。


「ラス…聞こえるか…ティータだ。ティータの部屋にマリスは…」


 いきなり目の前に見慣れた黄金色の髪の美しい娘がいた。どうやらラスに話しかけた直後に意識を失っていたらしい。必死に何かをしゃべっているが全く聞こえない。だがその内容は簡単に想像できる。

 おおかた魔法が使えなくなって、屋敷が火災に巻き込まれたからティータを守るために部屋に来たものの、火が回って出られなくなったってとこだろう。ツイてない娘だ。


「マリス…荷物…を…」


 目の前を霧が濃くしていったが俺が渡した〈祖父の思い出〉を見たマリスは泣きそうになっていたのが見えた。


「どうだ…言った通り…」


一言を呟くのが辛い。絶え間なく心地いいまどろみが俺を襲っている。いっそこの甘美な闇にどっぷり浸かりたくなるが、途切れ途切れに見えるマリスの顔があまりにも悲しそうで心が痛い。それに体はムカデに覆われていて随分と不憫だ。これは良くない。


「マリスの…悪運を俺に…寄越せ…」


 お決まりの台詞も中途半端だったが確かに手応えがあった。それが俺の最後の仕事なのだと悟り、深い眠りに落ちようとしたが世界が止まった。急に右手を掴まれているような感覚がして見上げると何かがあった。それは…美しい何かの…。


「フラン様! フラン様!」


 音がはっきりして声の主の方を見るとこの世の者とは思えない程に美しい娘がいた。薄水色の目が煌々と輝いている。それはまさに地母神の如き母性と少女の可憐さを兼ね備えた完璧な存在だった。


「うわ綺麗すぎ…あ、マリス…?」


「フランさ…え?」


 ようやくはっきりした意識で周りを見るとどうやら俺はマリスに膝枕をされているようだった。ラスとプラボは俺を覗き込んでいるようで、二人とも不安そうな顔をしている。ここにきてチビッ子に心配されている自分が恥ずかしくなってしまった。


「お、おお。大丈夫。ほれ平気!」


 力こぶを作りながら冗談を放ってみたがクスリとも笑ってくれず全く受け入れてくれなかった。


「フラン様! 他にお体のおかしいところはありませんか!? 魔法は効いていますか!?」


「あ、ああ。大丈夫だって。マリスの回復魔法があるから滅茶苦茶やったんだよ。それよりマリス!」


「はいっ!?」


「解っただろ。ナブネスはお前の事をちゃんと愛してたって」


「…はい」


 マリスは照れ臭そうに〈祖父の思い出〉を横目で見ている。


「と言う事はだ!」


「えっ!? はいっ!?」


 力強く立ち上がった俺の行動は決まっていた。


「これからティータの悪運を吸う」


「え…!」


 これは急務だ。今すぐにでもティータの悪運を吸う必要がある。何故ならたった今この屋敷で最も《厄》が濁っているのはティータだけなのだ。恐らくだが今、この場で〈ラックリング〉を使わなければ彼女は不幸な結果を招く。


「いいな? マリス。呪いじゃねえと解った今、こいつを吸うのを反論できねえはずだ」


「…でも」


「でも何だ!? 妹だぞ!? 妹の…」


「私にとっては!」


 マリスの絶叫に思わず縮こまってしまった。その隙に彼女はこう続けた。


「…最愛の妹と…最高の夫の事なのです…」


 もしょもしょとしゃべるマリスの顔が真っ赤だった。思わずラスとプラボの顔を見てしまったがラスは目を見開いて大口を開けている。プラボはきらきらとした目で口を手で覆って俺を見ていた。ここら辺は男女差なのだろうか。と言うかもう選択肢ないじゃん。


「ティータの悪運を全部俺に寄越してくれ。バッドスティール《厄奪》」


 ちょっと気恥ずかしいので抑揚のない感じで言ってしまった。ティータから流し込まれる得体の知れない感覚はいつも通りへそに溜まり、眠り姫は数年ぶりに現世へ帰還する事になった。


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