十四話 ライデン石

「マリス! 聞いてくれ! ナブネスはお前に呪いをかけたんじゃねえ! 封印だったんだ!」


 当主の部屋に長く居たせいで日が暮れかけていた。さすがにラスとプラボはマリスの部屋の前で座っておらず、無人になった廊下で俺は声を張り上げていた。


「自分でもさすがに解るだろ!? 己の膨大な魔力に! ナブネスはそれを封印してたんだ!」


 マリスの部屋からは返答が無かった。


「詳しい話をはしょっちまうがまずは信じろ! ナブネスはお前の事を愛している! ティータもだ! これだけは絶対だ!」


「…フラン様」


 消え入りそうな声が扉の奥から微かに聞こえた。


「お心遣い…ありがとうございます…」


 事情を細かく話してもそれきりマリスの声は聞こえなかった。確かに俺の結論はただの妄想に過ぎず、心に傷を負った今のマリスには届かないようだった。確かなものが無いのだ。今の彼女に必要なのは一目で解る祖父の愛情だ。



※ ※ ※



「ナブネスの部屋はどこだ!?」


 目を丸くしたエレクトは両手いっぱいに鉢植えを抱えていた。


「フランさんいきなりどうしたの?」


「わりぃ、事情を説明している時間が惜しい。ナブネスの部屋か書庫か、とにかく奴さんに関係のある場所を教えてくれ!」


 ぽかんとしていたエレクトだったがいつもの柔和な表情に戻って頷いた。


「じゃあ案内させよう。お願いできるかな?」


「主の為ならば」


 後ろから声がしてぎょっとした。どうしてこいつはいつもそうなんだ。


「ラクア…」


 相変わらず俺に目を合わせず頭を下げているラクアがそこにいた。



※ ※ ※



 廊下を蹴る靴音が妙に響いている気がする。青い髪を揺らしながら歩くラクアはマリスより少し小さい程だった。よく見れば歩き方が綺麗すぎる。〈グランドフッド〉に居た斥候役を思い出す。


「私を見るな」


 ラクアの言葉に心臓が飛び出そうになった。


「…背中に目でもついてんのかよ…」


「馬鹿が」


「え!?」


 主たちとの態度が雲泥の差どころか天国と地獄のように思えた。気まずい空気の中で辿り着いたのは屋敷の三階にある奥まった部屋だ。当主の部屋の斜め向かいにあたる。


「ナブネス様のお部屋だ」


「おう」


 扉を開けようとしたら腕を掴まれて捻りあげられた。


「いでででででで! な、何してんだおい!?」


「そっくり返す」


 小さい身体に不釣り合いな力だ。いやこういうのは技術とでも言うのか?


「調べなきゃなんねえんだよ! 部屋の中に入る必要がある!」


「私の任務は案内までだ」


 当主の前であんなに妖しい雰囲気だったラクアはどこへやら、いつもの小憎らしい彼女にしか思えなかった。その当主が何事かと扉を開けてこちらを眺めている。


「お、おい! 当主様よ! こいつ止めろ! あと部屋の中も調べるように命令してくれ!」


 当主は混乱していたが珍しく俺の言う通りにしてくれた。ほんのりと酒臭かったが酔っているのか? しばらくしてようやくお目当ての部屋に入れた。


「予想はしてたがこれまた質素なもんだ」


 ナブネスの部屋はマリスやティータの部屋に負けず劣らずがらんとしていた。何も置いていない机と、本が一冊だけ入った棚が一つあるだけだ。


「じゃあラクア。後は頼むわ」


「何故私がやらねばならない?」


「俺がやってもいい結果にならねえからだ」


「答えになっていない」


「俺の言う通りに動けって当主に言われたろ? 主の為に動くのがお前なんだろ?」


「…」


 細めた切れ長の赤い瞳に怒りを感じる。薄い唇も憎々しく歪んでいた。渋々といった感じでラクアは机を念入りに調べたが何も成果は得られなかった。


「じゃあ次は本棚だな」


「貴様…」


「ほれほれキリキリ動け。主の為にゃ粉骨砕身ってかー」


 本棚もそれに入っている本も特に目ぼしいものは無かった。しかし棚の上が気になったのでラクアに上がってもらう事にする。


「自分で登れ」


「俺が何かを求めると逆の結果になるんだよ。どうにも俺はツイてなくてな」


「…ナブネス様の棚を足蹴にする訳にはいかん」


「じゃあ俺がラクアを担いでやるからパパっと上を見てくれや」


 俺はそう言ってラクアを抱き上げた。表情が見えないが良くない事だけは確かだろう。時間が惜しいから悪態は後で聞く事にする。


「は、離せ!」


「お、ちょ、暴れんな! わ!?」


 俺とラクアは体勢を崩して床にすっ転んでしまった。後頭部を軽く打ったがそれよりも顔全体に柔らかい物が乗っているのが気になった。


「…あー…これは…」


「う!? き、貴様!」


 ラクアは胸を抑えて真っ赤な顔で俺を睨んでいた。怒りやら驚きやら恥ずかしさやらがこみ上げてきているのだろう。俺は俺でこういう甘酸っぱいのがどうにも苦手だ。顔を覆いたいくらいに恥ずかしい。だってもうオッサンなんだもん。それに…これは俺にとって必ず悪運となる。俺には考えつかないが、思いもしない頃に降りかかる凶事の始めに過ぎないのだ。


「わ、わざとじゃねえ。それより上には何もねえのか?」


「…無い!」


 ふん! と鼻息を荒げたラクアは体ごと横を向いていた。不謹慎かもしれないがそのせいでラクアの胸の大きさがより明確になっている。背丈の割にはなかなかのようだ。


「貴様…どこを見ている?」


「え。ああ、いや…はい。すんません」


 何度が腕を極められつつ次に案内されたのはナブネスの書庫だ。ナブネスというよりフルグライト家の書庫らしい。


「ほー。こりゃまた質素かと思ったが意外だな」


「フルグライト家の歴史は長いのだ」


 部屋に置かれた棚に大小さまざまな本がびっしり収まっていた。薄いカーテンから延びた夕日に本の装飾が反射されてキラキラと美しい。棚の上には紙の束が置かれている。書庫兼事務作業部屋というところか。


「じゃ、頼むわ」


「貴様…!」


 苦々しく俺を見るラクアだが主の命には勝てないらしい。俺じゃないけど。無言で片っ端から本をぱらぱらとめくっては丁寧に棚へ戻していく。


「もっと早くやらねえと朝になっちまうぜ? 全部やんなきゃなんだから」


「ぜ…!?」


 さすがのラクアも目を見開いて驚いている。しかしあきらめたのか作業を始めた。日も落ちてライデン石の照明が付いた頃にラクアの口が開いた。


「何故聞かない」


「あん?」


 本をめくるのを止めずに言葉だけを俺に放ってきた。


「当主様から聞いただろう。私はルビアーノン家の従者だと」


「ああ、みてぇだな。びびったぜ。あ、その小さい本も見てくれよ」


 ラクアは俺をチラリと見てため息をつき作業に戻った。


「所詮は余所者か」


「もう俺はフルグライト家に入ったから余所者って訳でもねえよ」


「では何故聞かない」


「聞くって何を?」


「…私が…」


 ラクアはそう言って黙った。


「裏切者とか何とか聞かねえのかって?」


「!…」


 ラクアは体を一瞬だけびくりと震わせたが手は止めなかった。


「仕方ねえさ。生きてりゃ色々ある。あ、その薄い本も見てくれや」


「…適当に話を合わせているのか?」


「さあてな」


 俺がラクアに対して敵対心が無いのは当主の悪運を吸ったからだ。〈ラックリング〉は絶対だ。どんな状況になろうとも最後には必ず当主に幸運が訪れる。お家の存続が危ぶまれているこの状況でさえ運が好転する足掛かりに過ぎない。幸運の女神はとっくに微笑んでいるのだ。あとは黙って見ていればよい。


「面倒ごとに首を突っ込まないようにしているのか?」


「それもあるが…それだけじゃねえさ。人には人の事情がある。善も悪もねえ。やるべき事をそれぞれやっているだけだ。お前が責任を感じる事はねえんじゃねえの」


「!…私がそう言ったか!?」


「後ろ暗くなけりゃ俺なんかに尋ねたりしねえだろ。何で聞かない、なんてな」


 そこで初めてラクアの手が止まった。ぱたんと閉じられた本は棚の上に置かれてゆっくりと後ろを振りむいた。


「おめでたい事だ」


 ラクアは当主に見せていた微笑を浮かべていた。視線を切ると体を捻ってステップするように横に飛んだ。とんとん地面を蹴ってくるくると回って移動している。彼女の動きに合わせて紙がひらひらと舞い上がっていた。


「お、おい…」


 くるんと大きく体を回して一気に俺の目と鼻の先に着地した。スカートの端をつまんで礼をする彼女は、まるで四角い花が舞い散る本の世界で踊っているようだった。


「フルグライト家に哀悼を」


 どん! という大きな音と衝撃が遠くから伝わった。


「命までは奪わない。制裁なのだから」


「お、お前…!」


 もう一度衝撃と爆音が鳴って部屋が揺れた。メイド達の悲鳴も聞こえる。


「ラクア! てめぇいくら何でもやり過ぎだろうが!」


「言ったはずだ。これは制裁…」


 ラクアの言葉を聞き終わる前に窓から炎の礫が侵入してきた。それは俺が何度か受けていたあの燃える礫に思える。


「おい…! 制裁の範疇を超えてるだろが! てめぇは…」


 ラクアは燃える礫に釘付けで俺の言葉を聞いていないようだった。我に返ったように見つめる瞳からは困惑を感じる。


「何だ…これ…」


「ああ!? おめぇの仕業じゃねぇのかよ!?」


「ち、違う! 私は大きな音が鳴る爆薬を数カ所ほど仕掛けただけだ! それも屋敷の外に、人が絶対通らない時間を狙って…それで…!」


 どん! がん! という破壊音が屋敷の上から聞こえてきた。まるで小さな嵐が形を持って暴れているかのようだ。


「あ! やべぇ!」


 上に気を取られていたせいで本に炎が燃え移っているのに気がつくのが遅れた。このままでは不味い。俺が求めているナブネスのマリスに対する愛の証拠が燃やされるかもしれない。


「〈ラックリング〉! ラクアの悪運を全て俺に寄越せ! バッドスティール!《厄奪》」


 混乱しているラクアの肩を掴んで悪運を吸い取った。恐らくこの事態はラクアのせいではない。何故なら彼女の《厄》が真っ黒に濁っていたのだ。


「!? 貴様…私に何をした!?」


「説明は後だ! 頼む! 一生のお願いだ! 頼むからそこら辺を適当でいいから調べてくれ! それで済む!」


「貴様は何を言って…」


「マリスを助けたくねえのか!?」


 俺の言葉にラクアの顔が歪んだ。


「思っているはずだ! マリスを助けたいと! お前がどこかの斥候だが何だか知らねえがそれは本当なはずだ! 嘘とは言わせねえ! お前がマリスの為に毎日必死になって飯を作っているのも仕事だけじゃねえ! これは友愛だ!」


 何かに耐えるようにラクアは後ろに一歩下がった。


「俺じゃマリスを助けられねえ。お前だ。 今、この場で、マリスを助けられるのはお前だけなんだ。マリスを助けたいと思うお前なら可能なんだ。 頼む! ここが駄目になる前に何でもいいからやってくれ。本を取るのでもいい、棚を触るのでもいい。何か一つ! それだけで全て済む!」


 ラクアはしばらく呆然としていたが表情に強さが戻った。


「…それが主の為になるのならやってやる。だが出鱈目だったら殺してやる」


「あー殺せや! 好きにしろや!」


 書庫はすでに大部分が燃えており、俺は結界がなければ熱でやられているところだろう。言うまでも無いがラクアは幸運状態なので何故だか熱が伝わらず煙も吸わない。ラクアは周りを見渡すと、正面にある本棚の三段目にある何でもない装丁の本を手に取った。


「!」


 ラクアが何かに気がついたようで、それを大事そうに抱えてこちらに戻って来た。書庫から出て安全な位置まで下がるとさっそくそれを確認する。


「軽いし、音がする。何かの手応えを感じる」


「ゆっくり開いてくれ」


古ぼけたその本は厚みの割には軽そうだった。ラクアが表紙に手を取るとそれは蓋のように開いた。中は仕切りがされており、一つ一つに黄色い石が収まっている。ずいぶんと歪なその石の下には年代と日付とメモが書いてあった。


「な、なんじゃこりゃ? これがマリスを救う物か? てっきり日記とかなのかと…」


「これは…!」


 ラクアが目を見開いて石を覗いている。


「何か解るのか?」


 息を呑んだ様子で俺に向き直るラクアはどことなく嬉しそうだった。


「マリス様が…ナブネス様の誕生日に贈ったライデン石だ」

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