十三話 瓦礫を積む
「え? 意味わかんねー」
「いんががみだれる…」
マリスの部屋の前の廊下に座り込んだラスとプラボは俺から〈ラックリング〉の説明を受けて頭を抱えていた。
「何度も言うが俺は他人の悪運を幸運に変えられるんだよ」
「うっそくせー。そんな魔法なんて聞いた事ねーし」
「いや魔法じゃねえよ。なんつうか最初からそういう能力を持って生まれただけだ」
「はあ? もっと意味わかんねー」
「プラボはあたまがぼーっとしている」
二人の頭が疑問で一杯になっているようだ。かくいう俺だって〈ラックリング〉について完璧に理解している訳じゃない。
「マリスはよく納得してくれたもんだ」
彼女の部屋の扉は固く閉じられている。何とか墓場から連れ戻したマリスだったが、未だ閉じ籠ったままだった。ティータの体調もさほど悪化しておらず事なきを得たが油断はできない。その元凶であるナブネスの情報も足りない。いや、正確に言えば欲しい情報がまだ見つからない。ナブネスが無実である情報が。
「またあのお坊ちゃんに頼らなきゃならねえかな…」
※ ※ ※
角を曲がったら当主の部屋という所で言い争うような声が聞こえてきた。
「ま、待ってくれ! 話が違う!」
誰かの裏返りそうな声に驚いて曲がり角に張り付いた。そっと覗くと当主が廊下にいるのが確認できた。
「全ては主の命でございます」
聞き覚えのある声だった。それはこの家の主たちに忠実で俺には冷たいメイド。ラクアだ。
「だから待ってくれ! フルグライト家は契約を一切破っていない!」
「当主様。主は全てを見ております。その判断は絶対です」
ラクアはスカートの両端をつまみあげて頭を下げた。珍しい事に微笑を浮かべている。妖しい雰囲気を漂わせる彼女はまるで別人だった。
「それでは御機嫌よう」
固まった表情の当主を置いてラクアは去っていった。しばらく呆けていた当主だったがゆっくりとした動作で部屋に戻っていった。
「…なんだぁ?」
訳が解らないが俺には俺で事情がある。それに当主は〈ラックリング〉で幸運になったので彼にとっての不利益は絶対に起きない。断言できる。
「入るぞ」
当主は机に両肘をついて頭を抱えていた。俺の声は聞こえていないようだ。
「さっき何かあったのか? ラクアが変だったが」
「…うるさい…」
虫の羽音のような悪態が聞こえてきた。こいつも随分とらしくない。
「ま、お前の事情は知らねえや。それより聞きたい事がある」
「…うるさい…!」
「ナブネスの事を…」
「うるさいって言ってるだろ!」
感情的に怒鳴り散らす当主は冷徹さの欠片も無かった。
「何があったんだよ? 悩みを聞いてやるからその代わりナブネスの…」
「黙れ! 消えろ! 僕に構うな! 何も知らない余所者のくせに!」
机を叩きつけて起き上がった当主の顔は真っ青だった。
「お前、マリスがモンスター討伐に行くってラスとプラボに教えなかっただろ」
「…」
初めてマリスと話した時は家ぐるみで排斥されているのかと思ったがどうにも違う。
「もしかしてエレクトやリリベルにも教えてねえとか? いやそれはさすがに無理か。じゃあ適当な出まかせでも言ったか? そういやマリスが屋敷に帰った時にエレクトの態度が変だったもんな。いきなり現れた夫にまるで疑問を持ってなかった。旅の者と駆け落ちしかけているとでも伝えたか?」
当主は苦笑いを作って視線を伏せた。カチコチと響く時計の音は当主の返答を促しているように感じる。ならばと駄目押しに口を開かせる事にした。
「そこまでしてマリスを殺したい理由は何だ?」
当主は大きく息を吸い込んで椅子にもたげた。力なく首を背もたれに預けた当主は随分と疲弊しているように見えた。
「…僕が冷酷な人間に見えているのだろうな」
「そうでもねえよ。俺はそこそこ歳を取っちまってるからな」
「…ふん」
当主は机から葉巻を取り出すと乱暴に端を食い破った。それをぷっと床に吐き出し左手で包んだ。バチバチと音がして微かに放電が見える。どうやら雷魔法を使っているようだ。頃合いになったであろう葉巻を口にして煙を含むと、当主は力なくそれを空中へ放出させた。
「…竜の魔法使いについては?」
「エレクトから聞いてる。おとぎ話だったけどな」
「ふん。そっちじゃない。爵位の方だ」
当主はもう一度葉巻に口をつけて煙を吐いた。
「帝国から授かる最高に名誉の爵位だ」
「帝国? 公国だろ?」
俺が今いる国はインヴェイド公国という古い国だ。ここを通って目的の場所まで冒険に行く途中で〈グランドフッド〉をクビになった訳だが。
「そのインヴェイド公国を傘下にしているのがバルティア帝国だ」
「あーなるほど、わりぃな。俺の人生でお国の事情なんて関係なかったから解らねえ」
「…ふん。マリスはどこぞの野良犬と結ばれたらしいな」
どうやら悪態をつくくらいは元気が出てきたらしい。
「その爵位に執着している連中がいる。執着、だなんて弱い言葉じゃ表現できない。百年以上血眼になって欲している姿はもはや狂気だ」
「ルビアーノン家の事だな? 話にゃ聞いてるがそんなにやべぇのか?」
竜の魔法使いの事で話をした際にエレクトが恐怖で震えていたのを思い出した。
「フルグライト家は貴族だったが爵位を剥奪された。僕が生まれるずっと前の事だから詳しくは知らないが、調べた範囲で考えるならルビアーノン家が画策したからだ」
「はあ!?」
ルビアーノン家がフルグライト家の爵位を剥奪した? そんな事が出来るものなのか?
「この家が随分と古く感じなかったか? それはそうだ。修繕する金が無い。ライデン石を生み出した家なのに赤貧の如くだ。どうしてだと思う?」
「…研究に金を突っ込んでいるとか?」
「あはははは。それはいい! 是非そうしたいね! 正解は収益のほとんどをルビアーノン家に献上しているからさ」
「な…」
「フルグライト家は兵を持たない。いや正確には持たせてもらえない。これもルビアーノン家のせいだ。僕の予想に過ぎないがね。ならどうする? フルグライト領の安全は誰が守る? そう! ここで名乗りを上げたのがルビアーノン家さ!」
当主は大げさな動きで両手を上げた。
「フルグライト領の安全はルビアーノン家が守る! だから金を寄越せとね! そしてその要求を鵜呑みにしかできない程にこの家は弱い! あはははは! どうだ!? どれだけフルグライト家が危ないのか理解したか!? その気になれば一家絶滅なんて簡単だ!」
はあはあと息を切らす当主は額を抑えて机に肘をついた。
「…下手に歯向かったアクアマリア家は当主が行方知らずだ。今ではルビアーノン家がアクアマリア領を実質支配している」
「なんだそりゃ。確か…エレクトはアクアマリア家の音沙汰がねえと言ってたが…」
「それはそうだろう。なにせ当主がいないのだからな」
くくく、と力なく笑う当主の目に光が無かった。
「契約したんだ。ライデン石だけを作る事とルビアーノン家が指定した人物を家に入れる事でお互い不可侵であり続けると」
「不可侵って…さんざんやられっぱなしじゃねえかよ」
「直系であるマリスの両親は事故死した。その穴埋めをする為におじいさまは戦争に駆り出されて死んだ。頼みの直系は二人とも魔法が使えない。その状態でどうやってフルグライト家を存続させられるって言うんだ? 相手は僕やアクアマリア家を潰したくて仕方がないのだぞ?」
「…」
「僕だ。分家で魔法の才能も並みの僕がフルグライト家を継げばルビアーノン家は脅威とみなさない。マリスが死ねばそれはさらに強固になる」
「それだけで大事な家族を犠牲にするってのか?」
「僕はこの家を存続させなくてはならない。何を犠牲にしても」
「自尊心も犠牲にするか? 従属みてえな扱いでもいいってのか?」
「何を言ってるんだ? 有るか滅ぶかの話なんだぞ? どんな形だっていいからフラグライト家を存続させるに決まっているだろう…」
当主の声は徐々に静かになっていった。打ちのめされた姿は魂が抜け落ちたようにさえ感じる。
「…ラクアがそうだ。彼女はルビアーノン家の従者だ」
「な、ラクアが!?」
言われてみればラクアの行動は妙だった。最初に屋敷の前に現れたのも彼女だった。いつでも神出鬼没で現れて側にいたのは情報を収集する為だったのか?
「だがそれだとおかしくねえか? ユリアが祖母だって聞いたが」
「解らないか。ユリアもそうだ。なあ? どれだけ立場が危ういか解ってくれたか?」
つまりこのみすぼらしい契約は遥か昔から続いているという事だった。
「…何で…」
当主がぶるぶると震えながら右手を固く結んでいる。
「守っているじゃないか! 僕は必死に、それこそ命がけでやってるじゃないか!」
「お、おいおい。落ち着けよ。冷静にならねえと解決するもんも…」
「うるさい! 解決だって!? もう終わりなんだよ! 契約は破棄された! 一方的にな! 理由も教えて貰えない! もう…フルグライト家は終わりだ…!」
当主の持つ葉巻が歪み折られた。火元が小指に当たったはずだがまるで意に介していない。
「どういう事だよ? 頼むからしっかり教えてくれ」
「言ったとおりだ。不可侵の契約は無効になった。これからルビアーノン家に潰される」
「何でそんな事になったんだよ? ライデン石は作り続けているんだろ? ラクアもいる。契約が破棄される理由がねえ」
「そんな事は僕が一番解っている! 何も変わらない! 何一つ! なにも…?」
当主の目線が動いた。それはきょろきょろと遊び最後には俺の目を捉えた。
「マリスが変わった…?」
俺はこの瞬間に全ての破片が繋がった気がした。
「…いやしかしそれだけだ。マリスに魔法が使えるから何だ? 婚約の儀は絶対だし、今更マリスが何をした所で何も変わらない…」
当主の認識は大きく誤っていた。何故ならマリスは竜の魔法使いたる才能を内包している。つまりルビアーノン家にとって脅威にしかなり得ない。
仮の話だがそれを生まれたばかりの赤ん坊がもっていたらどうだ? すぐ側にルビアーノン家の息がかかったユリアがいて、自分の孫が恐ろしい程に魔法の才能を恵まれて生まれたと理解したのならどうする?
「守ったんだ…」
マリスのムカデもティータのムカデも呪いじゃない。あれは封印なのだ。「竜の魔法使い」というくだらない爵位に憑りつかれた者から守護するナブネスの御守りなのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます