十二話 涙の行方

 マリスが自室に引き籠るようになって数日。ラクアが作る食事にもほとんど手をつけていない。そんな状況なのに俺の側から離れようとしないので逆に俺から距離を置いた。

 呪いによる悪運は丸一日で元に戻るようで、一日一回マリスの悪運を吸い取って俺に結界を張ってくれればそこまで程度は問題なかった。


「どうしたんだろう。あの子があんなに落ち込むなんて…」


 エレクトは元気のない姪が気になって日課の庭いじりに集中できないようだった。


「…そっとしてほしい時もあるさ」


「そうか…。もう一人前の女性だものね。いつまでも子ども扱いは失礼か」


 中庭からはマリスの部屋の窓が見えた。しかし中の様子が知りたくても日の光が反射して邪魔をする。同じ事を思ったのか栗色の髪の少年が壁に張り付いて窓を覗き込んでいた。


「何してんだあいつは。確かラスとか言ったか」


「息子もマリスの事が心配なんだよ」


「ぶーす、ぶーすって言ってたぜ?」


「男の子はそういうものさ。覚えがあるだろう?」


 くすぐったい昔の記憶がかすめたが、今はそんなものに浸る気になれない。エレクトとの話を切り上げて屋敷に戻り、マリスの部屋の前まで行くといつか見た妙な光景が広がっていた。


「人形…?」


 赤い髪と唇のメイド人形がマリスの部屋の扉の前に鎮座していた。よく見ればスカートの中から頭が出ている。扉の隙間から中の様子を覗こうとしているようだった。


「プラボ…か?」


 真っ黒い髪が背中まで垂れている。ぶかぶかの白いコートを着ている姿は妙にちぐはぐだった。前髪が右眼を隠している上に眼鏡をかけているので陰気に見えそうなものだが、本人と人形が白と黒の服装をしているせいか様式美のように感じる。


「よう。初めましてだな」


「!」


 俺に警戒したのかプラボは鉄人形のスカートの中に引っ込んでいった。不用意に近づくとまた攻撃されそうで怖い。


「…おじさん。だれ」


 スカートの中から声がした。最もな疑問だがこの家は家族間で情報の共有をしないのだろうか。ラスも俺をマリスの夫だと認識していなかった。


「あー…マリスの…親しい関係者だ。この家でお世話になってるよ」


 スカートの中にいるプラボはしばらく黙っていたがようやくぽつりと呟いた。


「マリねえどうしたの」


 マリねえ、か。この家はくだけた奴らが多いな。


「心配ねえよ。ちょっとだけ一人にしてやってくれ」


「やだ」


「な!? わがまま言うなよ。マリスには一人の時間が…」


「プラボはしんぱいだもん」


 少女の純粋な言葉に怯んでしまった。家族が家族の心配をして何が悪いと言われたような気がした。


「ふふーん♪ ふーん♪」


 そんな繊細な事を考えていると後ろから間抜けな鼻歌が聞こえてきた。


「たまにはこっちから訓練場に行こうっかなー…あ!?」


 角を曲がった鼻歌の主は栗色の髪をしていた。どうやら外から見るのをあきらめたらしい。


「な! な! 何だよ!? 俺はこの廊下を通って訓練場に行くだけだよ!」


「ラスにい、おばか。こっちはいきどまり」


「知ってるよ! い、いやうっかりしてただけだ!」 


 二人はぎゃーぎゃーと言い争っている。この喧噪をマリスはどう思っているのだろうか。


※ ※ ※


「なあーオッサン。俺もう訓練してーんだけど」


「かえりたい…ひかりがつよい…」


「まあまあまあ。ほんのちょっとだけ俺につき合ってくれよ」


 二人を強引に庭園の椅子に座らせた。少しでもいいから情報が欲しい。ナブネスがマリスとティータに呪いをかけた理由がどうしても解らない。


「ナブネスじいさんについて教えてくれねえか?」


「…」

「…」


 あれだけ元気なラスも静かになり、元から大人しいプラボはさらに口を噤んだ。


「もしかしたらマリスを元気にさせられるかもしれねえんだ。どんな事でもいいから教えてくれ」


 マリスの名を出した途端に二人の表情が緩んでお互い顔を見合わせた。


「…解ったよ」


「…うん」


「お茶でございます」


 突然のラクア出現にびっくりしたが、美味いお茶を楽しみつつ二人からナブネスの話を聞く事ができた。結論から言えばただのいいおじいちゃんだった。ラスに魔法の才能より剣の才能を見出した途端に埃をかぶっていた訓練場を使えるようにしたり、機械いじりに興味があるプラボには惜しみなくライデン石について教えていたりしていた。

 孫の事を真に思いやれるじじいの鑑だ。だとしたらやはりおかしい。年齢的にいって当主の次に生まれたマリスは初の女の子だし、それこそ誰よりも大事にするはずだ。呪いをかけるなんてもっての他だ。


「ぬううううう…さっぱり解らん。何でそんな事をしたんだ?」


「オッサン頑張れよ!」


「おじさんのあたまこねこねー」


 二人の子供に良いように言われているがやっぱり解らん。聞けば聞くほど違和感しか生まれない。少し頭を冷やしていると女性の絶叫が屋敷から聞こえてきた。俺たちは慌ててその声のする方へ向かうと、ティータの部屋の前でおろおろするメイドの姿が見えた。


「ああ! ラス様! プラボ様! てぃ、ティータ様が…!」


 大慌てでティータの部屋に入るとそこはもぬけの空だった。ベッドにいるはずのティータがいない。


「ティータ…!? おい! どこだよ! ティータ!」


 ラスが慌てて部屋中を探し始めた。必死にベッドの下や本棚を動かして確認している。


「いない」


 声のする方を見るとプラボが立っていた。珍しく鉄人形から完全に出ている。


「ああ…いねえ」


「違う。いない」


「ああ!? だからそう言ってるじゃ…」


「マリねえがいない」


 背中に冷えたものが流れた。まさか二人とも誘拐された? いや、一日中外にいた俺達に知られずに屋敷に入るのは無茶だ。ならばあらかじめ屋敷の中にいたとか? メイドの誰か、客人、ティータやマリスを連れ出せる人物がいるとしたら…。そこまで考えて一つの可能性が思い浮かんだ。


「まさか…マリスが!?」


 マリスがティータを連れて行った? どこへ!? 何の為に!? 


「マリスが行きそうな場所に心当たりはねえか!?」


 ラスとプラボは顔を合わせて同時に答えた。


「「お墓(はか)!」」


※ ※ ※


 墓地はフルグライト家からすぐそこらしい。領民も眠るそこに両親とナブネスが眠っている。中庭を通らずに行けるので俺たちが解らないのも納得だ。


「オッサン! おせえよ! 置いていくぞ!」


「はあ、はあ、はあ、ま、待ってくれ」


「おじさん。がんばれ」


 いかつい男達や燃える石によく追われるので、逃げ足に自信はあったのだがラスに負けた。それより赤い髪の鉄人形が並走しているのに度肝を抜かされた。その肩にプラボがちょこんと乗っている。魔晶石で動くからくりを見た事があったが、そんなものこれに比べたらおもちゃでしかない。


「早くしろって!」

「わ、解った解った! はあ、はあ、あ、どうも」


墓地の領内に入った瞬間にすれ違った人は普段から見るいかつい男達だった。シャベルやスコップを片手に腰にはもれなく刃物が常備してある、どこにでもいるごく普通の墓荒らしだった。


「え?」

「ひゃっはー!」


 いかつい男たちは何故かいつも同じ掛け声で襲い掛かってくる。


「な、何だ!? 何だこいつら!?」

「こわい…そとはこわい…」 


 俺はマリスの結界に守られているがラスやプラボが危険だ。ラスは撃退できそうなものだが二人とも《厄》が黒く濁っていた。このままだと不味い結果になる。ならやる事はいつもと同じだ。


「〈ラックリング〉! 二人の悪運を俺に寄越せ!厄奪バッドスティール!」


「え!?」「わ」


 いきなり触られて二人は多少驚いたがそのまま走っていた。


「お、オッサン! 俺に何をしたんだ!? 体がすげー軽いんだけど!」


「あたまさえさえー」


「詳しい事は後で教える! 今はマリスに直行だ! くれぐれも横は見るなよ!」


 横目で墓からぼこぼことリビングデッドが這い出てくるのが確認できた。マリスの元へ早く辿り着かないと不味い。もうすぐあの燃える石が飛んでくる。少し走ると高くなった丘に人影が二つ確認できた。小さな墓の前でうなだれている。


「マリス!」


 まだ少し距離があるのでよく見えないが、黄金色の髪が確認できた。似た色の髪をした誰かを抱いて墓石の前でピクリとも動かない。


「!?」


 いきなり頭に痛みを感じて転びかけた。カランという音がした方を向くと、白い球がカラカラと地面に転がっていたのが見えた。いや違う。あれは玉じゃなくて頭蓋骨だ。


「いっ…てぇ…くっそ。こんなもん投げてくるなよ…!?」


 待て。痛いだと? まさか結界が解けた? これはマリスの魔法が使えなくなっているのか? マリスを見ると《厄》が濁り黒いムカデが現れていた。


「まだ一日経ってねえぞ!? くそっ! ちょ! やべえ! だ、誰か俺を丘にいるマリスまでひっぱれねえか!? 遠回りしている時間がねえ!」


「わかったよー」


 鉄人形が俺の襟をつかみ、一回転二回転三回転…と高速で回っているようだ。景色がどんどん横に流れていく。


「うおおえええええええ?」

「あうあうあうあう」


 すぐ近くで漏れる声を鑑みるに鉄人形の肩に乗っているプラボもろとも回っているらしい。そんな事を考えていると急に体が後ろに引っ張られた。


「うおおおえええ!?」


 今度は周りの景色が後ろに流れていく。黄金色の髪が急速に近づき、かすめる間際に〈ラックリング〉を発動させた。


「マリスの悪運を…ううおっぷ! 全部寄越せ…バッドスティール《厄奪》」


 頭から地面に激突したようで耳がきんと鳴って周りの音がよく聞こえない。朦朧とする意識で何とかマリスを確認すると体の周囲が揺らいでいた。《厄》も光り輝いている。どうやらきちんと悪運は吸えたらしい。


「…おじいさま」


 遠くなった音でかすかにそう聞こえた。マリスへ近づいて声を掛けようとしたが、あまりの光景に喉から言葉が出てこなかった。

 墓という墓からリビングデッドが現れて一斉にこちらに向かってきている。ラスとプラボは上手く避けたようで、墓地の隅で息を切らしていた。墓荒らしは…リビングデッドの仲間入りをしたようだ。


「マリス…や、やべえぞこれっ…」


 俺の声が聞こえていないのか彼女はまるで周りを気に留めていない。


「三つの春に帽子を頂きました。赤いリボンの綺麗な帽子です。私はそれを被ってよく出かけていました。ボロボロになって被れなくなるまで毎日毎日被りました」


 マリスの声は静かではっきりと、そして冷たかった。


「五つの冬に風邪をこじらせた私に作ってくださったスープの味は今も忘れられません。ライデン石を直接お鍋に入れた時は焦りましたが」


 ティータはマリスの腕の中で静かに眠っているようだった。


「六つの…時に…」


 そこで声が震えて言葉が途切れた。息をするたびにしゃっくりを起こしたように背中が揺れる。じりじりと迫るリビングデッドの大群は大地を埋め尽くす勢いだ。


「嘘だったんですか…? 私によくしてくれた全ては何だったんですか? そしてそれをティータにまで…!」


 右も左もリビングデッドに囲まれた。あと数歩で俺達もこいつらの仲間入りだ。せめて上から逃げようにも燃える岩が最悪のタイミングで飛んできていた。


「マリス…」


うまく動かない体を引きずって何とか二人に覆いかぶさった。結果は同じだろうがせめて順番だけでも遅らせてやりたかった。


「…? あれ?」


 リビングデッドどもは襲い掛かって来たはずだが、見えない壁に塞がれて歯をがちがち鳴らしているだけだった。


「結界…? よ、良かった…」


『万物たる天を穿つ四つの剣、四肢を断ち全てを無に帰せり』


 腰を抜かした俺の横を素通りし、マリスが呪文を唱えながら丘を進んでそのまま空中を歩き始めた。今までなんて比じゃない程の魔力を感じる。


『天の断末魔を耳に、地獄に染まった空を眼に』


 小さな石や塵が上に舞い上がり始めた。それを目で追ってようやく気がついた。


「空が…」


 血のように赤かった。本当に地獄の光景を見せられているようで寒気が止まらない。マリスの周囲はかつてないほどに歪み、黒い雷が耳障りな音を鳴らしながら走っている。


『死の楔を心臓に』


 一瞬の静寂。燃える岩の飛ぶ音さえ聞こえない。


堕天寂光フォールライト


 マリスの体から黒く光る禍々しい矢が放たれた。一つや二つではない。地上にいるリビングデッドの数の分だけ矢が放たれ、正確に胸を破壊していく。その矢は燃える岩も捉え、圧倒的な暴力で削り取って粉々に砕いた。空は青に戻り墓地は静寂を取り戻したが、魔法を放ったマリスは空中で静止している。


「ま…マリス…姉ちゃん…なのか?」


「マリねえ…」


 ラスとプラボは目を見開いて驚いている。しかしその表情に恐怖が含まれていた。俺でさえ今のマリスには底知れない何かを感じて躊躇してしまう。マリスは無表情のままナブネスの墓の前まで歩みを進めるとまたうなだれた。俺は唾を飲み込んで何とか言葉を発した。


「マリス…帰るぞ」


「…」


 マリスは何も答えない。とにかくティータを安静にしなければ。


「このままじゃティータの体に悪い。戻ろう」


「…構いません」


 いきなり何を言い出すのやら。


「構わねえわけねぇだろが」


「…ティータはおじいさまに特になついておりました。そのおじいさまがティータを呪ったなんて知ったら…」


「知ったら何だ?」


「このまま夢の中で…おじいさまと幸せな思い出を抱いて果てる方が…この子にとっては幸せです」


 俺はため息をついてナブネスの墓に腰かけてマリスを見た。


「…」


「怒らねえのか。まあそれはいい。それよりもマリス。ティータのせいにするなよ」


 マリスはうなだれて動かない。


「お前は信じていたじじいに裏切られて傷ついて、ただ怒ってるだけだ。ブチ切れてるだけだよ。それならただ叫べばいい。ふざけんなクソじじい! ってな」


 黄金色の髪から覗く口はへの字に力強く結ばれている。


「だからティータの為だとか誤魔化すのはよせ。自分の気持ちに正直になれ」


「…っぐっ」


 マリスが大きく嗚咽して泣いた。それはずっと幼く、まるでナブネスが生きていた少女だった頃に戻ったようだった。


「おじいさまのばかああああああああ! うわああああああああああああああああ!」


 いつの間にかプラボはマリスの側に寄り添って泣いていた。ラスはその少し遠くで後ろを向いている。


「ナブネスさんよぉ。可愛い孫が泣いてるぜ? あやさなくていいのかよ?」


 踵で蹴った墓石からは何の返答も無かった。

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