九話 不吉な予感

ぐうう、という音で目が覚めた。


「…腹減った…」


 そういえば昨日は朝しか食べていない。パンでも欲しいが他人の家で勝手をするには気が引ける。横目で見る質素な部屋は朝日に照らされ、たった一冊しか入っていない本棚が寂しさを強調していた。そんな光景を眺めつつ寝返りを打つとマリスと目が合った。


「うおお! びっくりした!」


「あ、す、すみません」


 どうやら少し前から起きていたのだが、自分が離れたら俺が危険だと考えてそのままずっと背中を見ていたらしい。


「男性の背中って大きいんですね」


「やめてマリス。そういうのオッサンは凄く照れちゃうから」


 両手で顔を覆っていると扉からノックが聞こえてきた。


「朝食のご用意が出来ておりま…」


 扉を開きかけて固まった青い髪のラクア。一つのベッドにいる俺とマリスを交互に見た後に一度だけ咳ばらいをして背筋を伸ばした。


「ごゆっくり」


「おい待て。昨日も何にもしてねえし、今からする事もねえ」


「…えっ?」


 マリスはラクアと俺を交互に見て不思議そうな顔をしている。要領を得ていないようなのでそのままでいいです。さっさと朝食を済ませてエレクトの元へ向かう事にする。午前中は庭の手入れをしているらしいので昨日の庭園にでも行ってみるか。



※ ※ ※



 昨日は夜だったせいもあって解らなかったが庭園はとても手が行き届いていた。ほとんどをエレクト一人が手掛けているらしく、仕事の丁寧ぶりに感心させられる。その本人と思わしき人影が庭にうずくまっていた。どうやら雑草を抜いているようだ。


「叔父様、精が出ますね」


「ん、ああ。おはよう。マリスにフランさん」


「どうも」


 いったん休憩を取ろうと促してエレクトを庭園の椅子に座らせた。ついでに近くの机も引き寄せて藁半紙を置いて準備万端だ。



※ ※ ※



「フルグライト家に恨みを持っている者…?」


「心当たりはねえか? どんなに小さな事でも構わねえぜ」


「うーん…」


 エレクトは腕を組んで長考している。何かを誤魔化そうとしているような雰囲気は感じられない。


「個人個人では解らないが、フルグライト家自体に恨みと言うか、やっかみを持つ者はいるかもしれない」


「お、それ! 欲しいのはそういう情報だよ!」


「うーん…しかしこれは家の事だし…でもフランさんはもうフルグライト家に入ったわけだから問題ないか…」


 うん、と膝を叩いてエレクトは頷いた。


「竜の魔法使いって知っているかい?」


「んへっ?」


「はい、存じております」


 どんな野郎が出てくるかと思いきや魔法使いだって? となりのマリスはニコニコしているし何なんだ。


「竜戦争物語の魔法使いですよね。帝国を襲う竜と戦う伝説の魔法使いの物語はドキドキして幼い頃は何度も読み返しておりました」


「うん。フルグライト家の部屋には必ず一冊置いてあるからね」


「おい待て。俺はおとぎ話が聞きたいんじゃねえぞ?」


「いやいや。慌てないで」


 お茶でございます、といつの間にかラクアが人数分のカップを藁半紙の上に置き始めた。高そうなカップだが取っ手を掴まずお椀を持つように下からすくってやった。


「紙の上に置くな! 邪魔だっつーの!…ん、うっま! 何これ?」


「ああ美味しい。ラクアの入れるお茶は本当に美味しいね」


「うん。私もラクアのお茶が大好き」


「恐縮でございます」


 ラクアは俺の疑問をスルーして主人たちに頭を垂れている。表情は変わらないがほんのりと頬が赤い。

こいつアレだな。俺の事が嫌いだな。しかし茶は美味い。つーか茶なんて久しぶりに飲んだわ。普段は悪運のせいで沸騰させたお湯しか飲めねえ。お湯に何かを入れたら異物が混入するのが解りきってる。


「で? そのおとぎ話とフルグライト家に恨みを買った人間はどう関係するんだよ?」


「うん。実はこの竜戦争物語にはモデルがあるんだ。それがこの地に実際に起きた大戦争なんだよ」


「ええっ!? 本当ですか叔父様!」


「ああ。数百年以上前にあった戦争で活躍した魔法使いがいてね。右手からは炎、左手からは冷気、頭上からは雷を降らせる大魔導士だったそうだ。しかし名前も素性も解らず、人は敬意をもってドラゴンバスター…竜の魔法使いと呼んだらしい」


 エレクトはそう言ってカップに口をつけた。俺はぐびぐびと茶を飲み干してカップを置いた。


「それこそおとぎ話だな。三系統も魔法を使える人間なんている訳が…」

 

 ん? あれ? 三系統? 炎…冷気…雷? んんー?


「この地を救った竜の魔法使いは拠点を都へと移した。そこで子を儲けて晩年を過ごしたそうだ。王は〈竜の魔法使い〉という特別な爵位を作り、竜の魔法使いの血を引いている者の中で最も魔法の才能が秀でている者へ階級を与えるようになったんだ」


おっと待て待て。今はエレクトの話に集中しろ。うん。


「時は流れて百余年。本家で生まれた三つ子にいさかいが起きた。自分こそが竜の魔法使いに相応しいと騒動があったのだ。しかし悲しいかな長い年月の中で竜の魔法使いの血と魔力は薄れ、今では一系統の魔法しか使えなくなっていた。長男は火炎魔法、次男は雷魔法、三男は冷気魔法が得意だった」


「! まさか叔父様…!」


「お、気がついたかな? そう。実はこの三つ子の次男が、我々フルグライト家の始祖様なのさ。だからフルグライト家は代々雷魔法が得意だし、雷の魔法使いなんて呼ばれ方もする」


「し、信じられません…! そんな、私たちが竜の魔法使いの血を引いているだなんて…!」


 エレクトはカップに口をつけた後にふふふと明るく笑った。


「実のところこれもおとぎ話の類だと思うよ。火炎も冷気も雷も…あれもこれも使いたいという願望から生まれたお話じゃないかな」


「な、なあんだ、叔父様! すっかり信じてしまうところでしたよ!」


 いや待って。いる。目の前にそれを使える人いる。火炎も冷気も雷も、何だったら風魔法も回復魔法も結界まで張れる人が。 


「しかし竜の魔法使いの爵位は実際にあるし、我々と血縁関係にある領地が二つある。さっき言った長男と三男がそうだね。こんな逸話があるからなのか、長男の血を引いているルビアーノン家と三男の血を引いているアクアマリア家、そしてこのフルグライト家は対立が酷くてね。特にルビアーノン家は血気盛んで、我こそは竜の魔法使いだと未だに戦争の最前線に出向いて勲功を稼ぐ者もいるくらいさ」


「…ちょっと聞きてえんだけど。仮に、仮にな? 竜の魔法使いの素質がある奴が…このフルグライト家に生まれたらどうなる?」


「駄目だ」


 どうなるとか何とかじゃなくて否定された。


「絶対にそれは駄目だ」


 顔は穏やかなままだったが断固たる態度だった。しかし手に持ったカップの中身がカタカタと波打っている事に気がついた。


「…か、仮の話だ。気にすんなよ」


「ああ」


 複雑なお家事情だな。根無し草の俺には縁のない話だ。いやもう宿付きになってしまったか。


「三男の血を引いてるアクアマリア家ってのは?」


「最近ではルビアーノン家と違って大人しくなったね。大昔はルビアーノン家とよくいがみ合っていたが…近年じゃ音沙汰なしだ。何をしているのやら」


「フラグライト家はその二つの家とバチバチしてないのか?」


「うちは幸か不幸か出世欲が無い者が多くてね。たまにルビアーノン家の言いがかりで争いが起きるがそれも小競り合い程度だ。謝り倒せばすぐに終わるよ。私も名誉とかよりライデン石や樹木を触っている方が好きなんだ。だから恨みを買う事は無いと思うんだけどなあ…」


「…ま、とりあえずそれは解った。じゃあ次に…」



※ ※ ※



「すっかり夕方になってしまいましたね~…ううん」


 マリスはベッドの上で伸びをしているのだろう。床に座り背を向けて相関図を書いている俺にはそれが見えない。たくさんあった無地の藁半紙も文字に埋まった頃によくやく情報がまとまった。


「ああ…こりゃ参ったな。呪いをかけた奴を絞るはずが莫大な人数になりそうだぞ…」


「そうなんですか…?」


「そうなんですか? じゃねえよ! 自覚あるのか!? 竜の魔法使いさんよ!」


「え? 私が…? どうしてですか? 何で私なんかを…」


「何でこの子こんなに自己評価ダメダメなの!? 三系統どころか四系統の魔法を使えてたじゃん! 竜の魔法使いじゃん!」


「え? 私…が…?」


「何回やるのこのくだり! 私何かしちゃいましたか…? じゃねえんだよ!」


「す、すみません! しかし今は自身を封印しているので魔法の感覚が解らなくて…」


「記憶ぐらいはあるでしょぉ?」


「うーん…それも何だか…していたような…してなかったような…」


「ちょ、何でだよ。何で覚えてな…」


 そこで気がついた。マリスはご神木のモンスターにあれだけの雷を降らせたのに初級魔法だと言っていた。山崩れで起きた大量の土砂を吹き飛ばした風魔法でさえもだ。ならば野営で放った炎と冷気は魔法使いのマリスにとって、手で払ったにすぎない感覚しか残っていないのではないかと。


「…もう怪しい奴をマリスが無双して物理的に呪いを解いちゃえばいいんじゃねえか?」


「めちゃくちゃですよ! フラン様!」


「めちゃくちゃだよ。マリスの魔法が…」


 魔法…。そうだ。何で俺が悪運を吸ったらマリスは魔法を使えるようになったんだ?


「…」


〈ラックリング〉は他人の悪運しか吸わない。呪いを解いたりもするがそれはあくまで副産物だ。マリスは魔法を使えない呪いを受けている。呪われてしまった悪運を俺が吸う事で一時的に呪いが解けたように見える。時間が経つと元に戻るのは呪いの根幹が解けていないからだ。


「こんなに強い呪いをどこか遠くからかけられるものか…?」


 マリスは生まれつき魔法が使えないと言っていた。であるなら生まれた直後に呪われた可能性が高い。


「マリス。父か母は呪われていなかったか?」


「え? そういったお話は聞いておりませんが…」


 生まれる前に呪われた可能性も考えたがそれこそ神域の呪いだ。容赦なく命を奪われるだろう。


「て事は…呪った奴はマリスが生まれた直後にいた誰か…」


「え?」

 

 思わず口から零れていた。


「い、いやいや! 何でもねえ! 何でもねえよーん!」


 マリスの頭を撫でながら強引に話を逸らした。嫌な予感がする。マリスにとって望まない未来が待ち受けている。そんな気がする。


「誰に話を聞くのがいいか…もしもソイツが黒だったらヤバいな」


 ティータの体力が尽きるのが先か、呪いを解くのが先か、パーティを追放されてからというもののケツに火がつきまくっている今日この頃。余生どころか今が一番忙しいぞ!


「ふ、フラン様。もう大丈夫です。これ以上、その、なでなでされますと…私…その…ぎゅううぅぅって…したくなっちゃいます…」


「ううんマリス、オッサンそういうの超恥ずかしいー」

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