八話 鏡の中のきみ

ティータの寝室を後にした俺は庭園にある椅子に腰かけていた。もう日が暮れていたのでライデン石の照明が辺りを照らし、光と影のコントラストで極上の風景を作り出していた。どこかの城で開かれた晩餐会を思い出す。


「少しいいかな」


 声のする方に中年男性が立っていた。マリスの手を取って薬指を撫でていた男性だ。


「夜分どうも」


俺が頭を下げると彼もぺこりと頭を下げて静かに近づいてきた。


「申し遅れたね。私はフルグライト家第四席のエレクトだ。マリスは私の姪にあたる」


「フランです〈グランドフッド〉の冒険者をしてました」


「聞き及んでいるよ。この度はあの子を貰ってくれて本当に感謝の言葉もない」


「それはちょっと待て。…待ってください。結婚とかじゃねえ…じゃないんです」


「無理せずいつも通りでいいよ」


「う、悪いな。俺ぁはどうにも堅苦しいのが合わねえ性分でな」


「構わないさ。それよりどういう事だい?」


「うーんとそうだな。マリスが俺の側にいる代わりに俺がマリスを助けるという、ある種の商業契約のようなものだ」


 エレクトは眉をひそめてどこかを見ている。口元に手を置いて首を傾げた後に俺に向き直った。


「つかぬ事を聞くけどその契約をどこでしたか覚えているかい?」


「ん? フラグライト家の神殿だな。その中で契約を結んだ」


「その際に何か宣誓しなかった?」


「うん? まあ、そうだな…確かに…言ってた…かもな…」


「ご神木が近くに無かった? 宣誓のあとにご神木が光らなかった?」


 たまたま神殿の中で、たまたまご神木の前で、たまたま俺は誓いの言葉を立てていた。


「ええええぇ…? まさか…これ俺のせいなのぉ…?」


「フラグライト家の婚約は神殿の中でする。ご神木の前で宣誓すると寵愛を受け、左薬指にシャドーリング〈誓いの影指輪〉が現れて一族の仲間入りだ」


「やってた。完璧に全部やってた」


「申し上げにくいけど…契りの誓いを交わして一族の者になったら解放される事はないんだ…」


「う、うそおおおお!? お、お、俺、この家の一族になってんのおおぉぉぉ!?」


「申し訳ない…。何かの手違いだったようで…本当にすまない…」


 エレクトはやたらぺこぺこと頭を下げている。


「ちょっと、いや、そんな謝んないでくれよ。まあ、その、何だ。あんな美人と結婚できるなら悪くねえよ。はは」


 なんて冗談を言ってみる。その言葉にエレクトの顔はモンスターでも見るかのように歪んだ。


「…は、はは。〈グランドフッド〉の方は冗談も格が高いね」


「え? あはは?」


「マリスは…その。いくら美しい心を持っていても器量があんなだからね。私はずうっと気をもんでいたんだ。それを美人と言いのける方に貰われたのなら何も不安はない」


「へ」


「それでは私はこの辺で」


 ぺこりと頭を下げてエレクトは屋敷へ戻っていった。


「器量が…あんな?」


 マリスも自分の顔がどうの言っていたな。ちなみに俺が言った冗談は俺のようなオッサンが若くて美人と結婚できるぜ! うへへ! みたいなスケベ根性丸出しでいる事の滑稽さを表現したものだったんだが。


「ここにいらしたのですか」


 目の周りを赤くしたマリスがエレクトと入れ違いにやって来た。黄金色の髪が夜風で揺れ、照明に照らされたマリスの姿は神話の女神を思わせた。


「本当に綺麗だな…」


「え?」


「あ、いや、ライデン石がな。で、落ち着いたか?」


「はい。ご迷惑をおかけしました。それに自分勝手で申し訳ありません」


「しょうがねえよ。確かに呪いが解けるならそれが一番だしな」


「…本当に申し訳ありません」


「おいおい。本当はエレクトの子供じゃないのか? 奴さんもマリスも謝りすぎだぜ?」


「…違うのです」


 マリスは目を伏せて唇を固く結んでいる。


「…婚約の儀の事を黙っていて…申し訳ありませんでした…」


「ああそうか。マリスが知らない訳ねえもんな。さっきエレクトから聞いたよ」


「こ、これだけは信じてください! 騙そうとしたのではなく、本当に頭が真っ白になってしまって! だって、こんな私を必要としてくれる男性がいるなんて信じられなくて…! 言い出せなくって…!」


「自分を卑下しすぎじゃねえのか? エレクトもマリスがどうの言ってたし、マリスはマリスで自分の顔が醜いだの何だの…」


「でも! でも! 事実じゃないですか!」


 鬼気迫るマリスを見て呆気に取られていたが、ここでようやく気がついた。マリスの異常とも思える自身の顔に対する嫌悪やエレクトの態度の違和感。その正体に心当たりがあった。俺は雑貨鞄から安物の鏡を取り出してマリスに見せた。


「! や、やめてください…!」


「ちょっと隣に行くぞ」 


 腰が引けているマリスを捕まえて鏡を覗き込んだ。


「おっ…!?」


 そこには俺の知らないマリスが映っていた。ばさばさとした細かい繊維のような黄色い髪が土気色の肌を覆っている。小さくて離れた薄水色の瞳は不快極まりなく、異常に分厚い唇がそれを助長させていた。鼻に至っては穴が二つあるだけだ。


「やはりそうか。にしても呪われている人間ってのは案外と多いもんだな」


 ぽかんとしているマリスを置いて俺は一人で納得していた。


「俺が説明するより見た方が早い。自身に掛けた封印を解いて鏡を見てみろ」


 さあさあと促すとマリスの目が光を取り戻して体の周囲が揺らめいてきた。


「もう一度だけ鏡を見ろ。騙されたと思って、な?」


 本当に嫌なのだろう。今までにない怒りのような表情で鏡を握りしめている。唇を噛んで鏡をゆっくり自分に近づけたマリスは、自身を確認した瞬間にそのまま固まった。


「…え?」


 恐る恐る自分の髪に手を通すと指がするんと流れていく。大きくて形のいい目を何度もぱちぱち上下させ、薄紅色の整った唇をぱかりと空けて鏡の中の自分を凝視していた。


「それが本当のマリスだ。鏡に映った姿は呪いのせいだな。〈グランドフッド〉に居た時も何人か呪いで外見がおかしくなっている奴がいたよ。俺には呪われた姿が見えなかったが悪運を吸った瞬間に周りの態度が激変してたぜ。悪運も呪いみたいなもんだからか? よく解らねえが」


「これが…わ、私…? う、嘘…!」


 何度も鏡を離しては見て確認している。頬をつねって夢かどうかを確認しているマリスに俺の説明は届いていないだろう。


「ふ、フラン様。この鏡…壊れています…知らない人が映っています…」


「マリスだよ。納得するまで何度でも言ってやるよ」


 鏡と小一時間にらめっこしてようやく理解してくれたようだ。


「納得できませんが…わ、私って…き、き、き、綺麗…だったんですかね…?」


 十六年間あの顔に苦しめられながら生きてきたマリスには、実は超絶美少女だったという現実をすぐに呑み込めないようだ。

 

「ああ、すげー綺麗だ。ちなみに聞くけど妹のティータはどう? 綺麗なほう?」


「…私にとっては」


「あ、じゃあやっぱり呪われた外見をしてるな。ティータもすげー綺麗だったよ」


「そ、そうなんですか…」


 頬を紅潮させて鏡を何度も見ている。よっぽどの事なんだろうな。


「鏡を見ながらでいいから聞け。俺はこれからもマリスの悪運を吸う。これは契りでもある。破棄は認めねえ」


「で、ですがそれではフラン様が悪運になるのでは…?」


「色んな人間の悪運を吸っているからすでに俺はとてつもない悪運の塊だ。幸運の人間達に囲まれてないと命に係わる。だがマリスなら俺に結界を張れるから一人でも大丈夫だ。つまり俺が言いたいのは…」


 一つ深呼吸して姿勢を正した。


「俺は俺のためにやってんだ。だからマリスが気に病む事は一つも無え」


 夜風がマリスのワンピースを柔らかく揺らしている。潤んだ瞳から雫がこぼれた。


「そんな事…言って…。もう、もう私、無理です。フラン様に…甘えますよ…?」


「ふん。そんなんで甘えてるって? ずいぶんと塩っ辛いぜ」


 可哀そうに。涙ばかり流している。人に甘えられるような人生では無かったのだろう。


「それはそれとしてティータの呪いを解くためにも状況を知りたい。まずは家族構成だ。後は誰に恨みを買っているのか解らんから、近しい関係にある者も全て教えてくれ」


「は、はい」


※ ※ ※


「せ、狭くてすみません…椅子も無くて…」


「いや構わねえよ」


 マリスの部屋はティータに負けないくらい質素だった。ここにも一冊だけ入った本棚があるだけだ。机が無いので中央に藁半紙を置いてここに書き記していく。羽の抜けきったペンと古いインクを雑貨袋から取り出して準備を整えた。


「ではまずフラグライト家の説明をします」


 現当主はジョイン。第二席はジョインの弟のラス。第三席はジョインの妹のプラボ。第四席はジョインの父親であるエレクト。第五席はその妻リリベル。第六席がマリスで、第七席がティータだった。


「ん? 両親は? おじいさまとか言ってなかったか?」


「両親は私がまだ幼い頃に亡くなっております。おじいさまもその後を追うように亡くなりました」


「…聞きづらいがどうして亡くなった?」


「公国の都にある大規模な工房で事故が起き、最後まで職員を助けて両親は亡くなったそうです。おじいさまは…私たちの代わりに戦争に駆り出されてそのまま…」


 犠牲になる事に強烈な拒否を示すのはそういう経緯があったからか。


「すまん」


「いいえ。お気遣い無用です」


「じゃあ進めるぞ。フルグライト家に恨みがある、もしくは所縁のある家は無いか? セオリー通りなら呪いの原因はそいつらの誰かってもんだが」


「え、ええと…すみません。私はほとんど家の行事に出てなくて。良く存じ上げないのですが確か二つの領地と関りがあったと聞いた事があります」


「漠然としているが十分だ。その領地に詳しい奴を知っているか?」


「当主様にお聞きするのが早いかと」


「無理無理。あの坊やはマリスの話なんぞ聞きゃしねえよ。ああ、目の前で魔法でも使って格の違いを見せつけて屈服させるのがいいな。今からでもやるか?」


「だ、だ、駄目ですよ! そんな乱暴な!」


「えー。でも魔法を使えるとこ見せて当主になるとか言ってなかった?」


「それはティータを助ける為になるかと思ったからです!」


「ティータを助けるための情報は得られるかもよ?」


「そんな事をしたらお屋敷を追い出されちゃいますよ!」


「むう。マリスはともかくティータはキツイな。動かせねえ」


「エレクト叔父様にお尋ねするのはどうでしょう?」


「おおいいね。彼なら話してくれそうだ」


 作戦は大まかに決まったのでお開きの時間となった。マリスはティータの部屋で寝るらしく、俺はマリスの部屋を借りる事になった…はずだったのだが…。


「…何か本当にすまん」


「い、いえ。だ、大丈夫です…わ、私はフラン様の…つ、妻という事になりますし」


 マリスが俺から離れた瞬間に窓から燃える礫が降って来た。結界を張ってくれていたので事なきを得たが大事を取ってマリスと俺は同じ部屋で寝る事になった。


「…じゃあおやすみ」


「は、はい。お、おやすみなさい…」


 狭いベッドに男女が二人、背を向けながら横になっている。気まずくてなかなか寝付けずにいると先にマリスの寝息が聞こえてきた。


「この状況で…すこんと寝ちまうとか。この子は油断が過ぎねえか?」


 悪い男に引っかかったら一気におかしくなる娘に思える。それはともかく一番気にかかっていた事を聞きそびれた。


「強制的に旦那を持っちまった訳だけど、こんなオッサンで良かったのかよ?」


 良い訳が無い。しかしそれを訪ねるほど空気が読めない訳ではない。


「つくづく可哀そうな子だ」


 可憐な少女の静かな呼吸を夜伽代わりに、大きなあくびをして目を閉じた。

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