七話 少女の矛盾

「フラン様はもう私の夫です」


 か細いはずのマリスの声は、まるで屋敷中に響き渡るかのように感じた。当主と呼ばれた青年も、メイド達も、俺も、完全に固まっている。ラクアと呼ばれた侍女だけが興味なさそうに自分の爪をまじまじと見ていた。


「…ほ、本当かい?」


 声のする方を見ると中年の男性が扉から身を乗り出していた。転びそうになりながらもおずおずとマリスへ近づいていく。体は細く白髪の男性はどことなく当主と呼ばれた青年の面影がある。


「マリス、本当なのかい?」


「…はい」


「そうか…」 


 複雑な顔をした中年男性はマリスの両手を取って、左の薬指を慈しむように撫でている。するとどこからか低く連続した音が聞こえてきた。それは当主と呼ばれた青年の喉から発せられているものだった。


「…っくっくっく…! はははははははは!」


 細身で反り返って笑う青年の姿に狂気を感じる。手すりにいる男女もそう思ったのか顔が歪んでいた。


「これは何と言う戯曲だ? 是非ともオルクを弾ませてくれ! 百がいいか? 二百がいいか!? こんなに可笑しいものは見た事が無い!」


「当主様! お認め下さい!」


 マリスの声など聞こえていないようで、階段の上で笑い転げている。実際に何段か落ちているのに笑いが止まらない。笑い声が荒い息に代わりようやく止まった。


「好きにしろ。もはやお前はどうでも良い」


 表情を完全に失くした当主はよろよろと階段を登っていく。それと同時にメイドが駆け寄って肩や腰を支えていた。


「当主様、あの、まだお話が終わっておりません!」


「悪いが僕は終わっている」


「ま、待ってください! お願いします!」


「…そうだな。呪い子とは言え血を分けた一族だ。餞にあと一つだけ口を利いてやろう」


 マリスは一瞬だけ表情を曇らせたが、すぐに引き締めて口を開いた。


「妹の治療はどうなりましたか!?」



※※ ※



 屋敷の奥に通された俺は飾り気のない扉の前で壁に背をつけていた。マリスが部屋に入る間際に見えた中の様子はこれまた質素なものだった。話し声が聞こえないので何とも言えないが恐らくこの部屋に妹がいるのだろう。


「さあて俺はどうしようかねぇ」


 実はさっきあえて黙っていた。十年も冒険者をやっているとああいう修羅場は珍しくない。部外者がしゃしゃり出て正論を振りかざしたところでこじれるだけだ。

 本当は夫だの薬指だの尋ねたくて仕方なかったが、何故かみんな納得しているようだったので矛を収めた。


「フラン様」


 前を向くとマリスが部屋の中へと手招きをしていた。表情が暗い。つられて思わず神妙な顔をしてしまった。部屋の中はやはり寂しいものだった。一冊しか置かれていない本棚に、窓際にあるベッドが一つ。そこに女の子が眠っていた。そのすぐ側に恰幅の良いおばちゃんが立っている。緑のローブを着込み、右手に黒い杖を持っているその姿は昔ながらの魔法使いを思わせた。


「そちらは?」


「かの有名な最強冒険者パーティ〈グランドフッド〉が一人のフラン様です」


「どうも。フランです」


「そして私の夫でもあります」


「マリス。その件についてあとで問い合わせがあるから」


「〈グランドフッド〉…! ははあ、それはそれは…」


 おばちゃんは両手を合わせて頭を下げた。どうやらこのおばちゃんが回復魔法を使える魔法使いのようだった。


「繰り返しになりますが…容体は安定しております。しかし私は痛みを和らげる事しか出来ません。これはただの気休めです。今こうしている間にも妹君の命は削られております。根本的な回復は私の魔法ではかないません」


おばちゃんの言った事に違和感を覚えたが逆に合点がいった。だから当主はこのおばちゃんを呼んだのか。幼い女の子はただ眠っているかのようにシーツを静かに上下している。黄金色よりも薄い黄色の髪はマリスの血縁を思わせた。姉と同じくこの子も綺麗だ。


「ティータ…」

 

 マリスは泣きそうな顔で女の子の手を握って呟いた。一目見た瞬間に《厄》を調べたがこの子もマリスと同じ黒いムカデに覆われていた。だがマリスと比べると若干小さい。呪いに強さがあるのならマリスの方が強烈に感じる。

 

「問題なく悪運を吸えるだろうがどうする?」


「!…い、妹を助けられるのですか!?」


「まあな。マリスと同じ呪いに見えるから出来るだろうよ」


「の、呪い…?」


 おばちゃんがぎょっとした声を上げた。慌てて肩掛け鞄から何かの枝を取り出してぶつぶつと唱えている。それを全身にぺちぺち当て始めたのでもうほっとく事にする。呪い除けの仕草に見えるが効果のほどは解らん。


「ふ、フラン様、本当に、本当にティータは助かるのですか!?」


「おう。何度もマリスを助けているだろ? 魔法の手でな」


 ああ…と両手で口をふさいだマリスの目から涙がこぼれた。


「いつもみたいに俺が悪運を肩代わりすればいいだけだ。じゃあやるぞ」


 そう俺が言った瞬間にマリスの表情が強張った。


「…フラン様、どういう事ですか?」


「え? ど、どういうって…文字通りなんだが」


 右手をぷらぷらさせている俺をマリスは呆然として見ている。


「ま、まさか…フラン様は私の呪いを…その身に受けていたのですか…?」


「うーん? まあそうとも言えるか。あくまで悪運を吸っただけだが」


 俺の発言にマリスは後ろへ一歩下がった。


「あ…! で、では、私の呪いを肩代わりしたせいで村では山崩れが起きて、森では火の礫が降って来たのでは…!?」


「恐らくな。ただ悪運の蓄積分もあるから一概にゃ言えねえが」


 マリスは目を見開いて完全に固まってしまった。何かショックを受けているようだ。


「じゃあ妹さんの悪運を吸うから結界を頼むぞ! いや待てよ。ここで吸ったら下手すると落石が部屋に入ってくるかもしれねえな。ちょっと担ぐぞ。庭先で…」


「やめてください!」


 マリスの絶叫が部屋に響いた。目には涙を貯めて顔を真っ赤にしている。


「…らなかった…私…知らなかった…! そんな…! フラン様が犠牲になっていたなんて…私…思いもしなくて…!」


「ま、マリス…?」


 怒りとも悲しみともとれない複雑な表情をしたマリスは、歯を砕かんばかりに噛みしめている。


「一応は森で言ったんだぜ? 俺は悪運を吸えるって」


「…うん…でも…」


 袖で拭っても拭っても涙が溢れ出している。


「フラン様の言っている事が解らなくて…! 私は…魔法が解らないから…! だから…! きっと私には思いもしない奇跡が起きているのかなって…!」


 いつもの敬語が消えていた。よほど応えているらしい。


「ま、まあまあ。犠牲っておおげさな。俺はこういう能力だからそれを使っているだけだ。取りあえず妹さんを救うのが先だ。後の事はゆっくりと考えようぜ」


「駄目です」


 敬語に戻ったマリスの声は落ち沈んでいた。


「おいおい。今すぐ助けられるんだぞ? そのためにマリスだって命を懸けてモンスターと戦ったじゃねえか。何も悩む事なんかないぜ?」


「何を言ってるんですか!」


 凛とした表情になったマリスは俺の目をまっすぐに射抜いた。


「大切な者のために誰かを犠牲にするなんて間違っています」


 確かに正論だが…。


「ぬぅぅ…じゃあどうするってんだ? 呪いを解く方法でも考えるか?」


「…出来れば」


「雲をつかむような話になってもか?」


「誰かを犠牲にするより良いです」


 そう言ってマリスはティータへ足を進めた。両手を優しく握って見つめている。


「ティータ…ごめんね…お姉ちゃん頑張るから…! きっと助けるから…!」


 小さな背中が震えていた。若さとは時に愚かだ。利がある道だと解りきっていても自分の正義を裏切れない。その正義とは単なる我がままに過ぎないと言うのに。


「マリスがいいなら俺はいいけどよ」


 しかし気がついているのか? お前は森で魔法を使うためなら何でもすると言った。それは妹から見れば姉は自分の為に犠牲になろうとしているのと同じ事だ。お前が違うと言い切った事をお前自身が率先してやろうとしている。その矛盾を突きつけられた時にお前はどんな答えを出すんだ?

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