第5話 師との別れ

 それからしばらくして秋風のふく頃、又兵衛は松婆の茶店にやってきた。

 織田信雄は又兵衛の絵を約束どおり狩野内膳に見せたらしい。信雄は松婆の言うように狩野派の画風とはほど遠いその絵を見て相手が断ると思っていたらしいが狩野内膳は又兵衛と会うことを望んだ。

 相変わらずぼそぼそと聞きとりにくい話し方でお国と左門、松婆にことの次第を話す又兵衛に

「で、絵は教えてくれるの」ともどかしそうにお国が聞いた。

 又兵衛はうなづいた。

「馬鹿ね、じゃあもっと嬉しそうな顔をしなさいな、心配するじゃないの」と、お国は又兵衛の背中を叩き、自分のことのように無邪気に喜んだ。

 その様子を見て左門は又兵衛にはお国のように接するのがよいのだろうと思った。

 自分を含めて多くの者は又兵衛に接するたびにその暗い表情を見て凄惨な過去を思い、なにも言えず、遠回しにみるしか出来ない。

 だがそのことが又兵衛をいっそう孤独にしたのではないか。幼い又兵衛が歌説教に夢中になったのは知らぬ者同士が共に話しの流れに一喜一憂する、そんな空気が心地よく寂しさが紛れたからだろう。

 左門がそんなことを考えている間にお国は自分の踊りを見ていけと又兵衛を河原にひっぱっていった。二人を見送りながら松婆は左門に言った。

「結局は由己様が手を回したのだろう」

「いいや」と左門は首を振った。

「又兵衛はつてがないと言っていたが狩野内膳はもともと荒木の家臣の出の律儀な男でね又兵衛が絵を好むと噂で聞いてかねがねなにか助けになればと思っていたらしい」

 狩野内膳は今をときめく狩野永徳の父松栄の弟子で南蛮画を得意とし、秀吉に気に入られて絵事の一人も務めていた。

 多くの城や屋敷、神社仏閣の障壁画や襖絵を手がける狩野派には弟子の絵師の数も桁外れに多い。その中で二十四歳の若さで親族でもない内膳が狩野の名乗りを許されたことはその才能がいかに非凡で抜きん出たものであるかを証明していた。しかも内膳は一癖ありがちな絵師の中でいたって温厚篤実な男で、幼い頃に松栄のもとに弟子入りする際に主村重から師匠松栄に口添えがあったことをずっと恩に感じていたらしい。

「へええ、そうだったのかい」と言いながら松婆は風炉に炭を足す。

「じゃあ可哀想な若様にもやっと運が向いてきたってことか」

「そうなるね」

「でもまだ嫌な殿様に仕えるのだろう」

 左門は肩をすくめる。

「まあね、絵で食うのは難しいし、又兵衛が乳母もなにかも捨てて狩野に弟子入りするのも難しい」

「まあ、あの子自身にも難がありそうだし、仕方ないか」

「でもあの嫌な殿様が又兵衛を育てたのじゃないかと由己様は言っていたよ」

「銭かい」

「いや」と左門.。

「信雄という人は大名としては今一つだけどお能を舞わせれば一流で絵や書をみる目もなかなかのものだと」

 婆は歯のない口でニヤリと笑った。

「芸人の中にもいるね、芸にはいいものをもっちやいるが人としちゃあ最低だって奴がさ」

 左門は苦笑いした。

 又兵衛のことを思えば笑えないのだが由己の話によると信雄は信雄なりにかわいがっているらしい。村重に捨てられた意気地なしだと罵りながら相変わらずあちこち又兵衛を連れ歩き、秘蔵の絵や焼き物などの美術品を見せる。又兵衛は惨めな思いをしながら目を肥やした。

「それをかわいがるというのですか」と話を聞いた左門は憤慨して由己に言った。

「本当にどうでもよいと思っているのならかまうことはあるまい。たぶんどこかで御自身と重ねているのかもしれぬ」

「信雄様と?」

「信長公は信雄殿にひときわ厳しくあたられた。その上まわりからもあの信長公のお子にしては短慮だ不出来だと言われ、太閤様には好きなようにあしらわれ」

「あげくの八つ当たりではないですか」と左門は言った。

「かもしれぬ。だが八つ当たりならじきに飽きようよ。間が空いた上に五年も六年も手元に置くまい」

「私だったらごめんこうむります」

 由己は左門にもお国にも多くのことを教えてくれたが決して蔑むことも声さえ荒げることもなかった。いたぶりながら又兵衛に構う信雄のやり方は左門には理解出来ない。

「だが又兵衛はそうしなかった、なぜだろう」

「それは」

 又兵衛がそうせざるをえなかったからだと答えかけた左門は不意に由己の顔色の悪さが気になり言葉につまる。

 由己はあの三条河原の処刑から食が極端に細り、痩せた。まるで太閤秀吉の変貌と共に急速に老いやつれていくようだった。

「左門、人には己のものさしで図ることの出来ぬことがあるのだよ」

「山科言経様はどうなされているのでしょう」

 突然話題を変えた左門に由己は戸惑いの表情を浮かべた。

「どうした、急に」

「すみません、お顔の色があまりに悪いので。このところ食欲もなくお疲れのご様子。一度山科様にみていただいたらいかがですか」

 言経は本願寺の京への移転に際し、顕如の尽力で京には戻れたが勅勘は解けず受領ももどらなかったために、由己が家康に紹介し徳川から援助をうけていた。

 恩に感じている言経は由己の具合が悪いと聞けばいつでも診てくれるはずだが由己にその気がないようで今も左門の言葉をはぐらかすように部屋の隅で丸くなって眠っているかたりに話しかけた。

「のう、かたり。まだまだ花見は続くのかな」

 出会ってから十年以上になるのにほとんど大きさも様子も変わっていないかたりは金色の目をわずかに開けてつぶやいた。

「ながむとて花にもいたくなりぬれば」

 左門は猫を、そして猫を見る由己の青ざめた横顔を見つめた。

 燭台の灯りが揺れ、猫の影も揺れる。

「散る別れこそ悲しけれ、か」

 由己は寂しそうに言った。

 かたりが由己になげかけた西行の歌は、眺め親しんだ桜がいざ散るとなれば哀しいという意の歌で散るのは豊臣か、それとも由己なのか、どちらにしても左門は背筋が寒くなった。

 かたりはゆっくりと由己に近づくと身をすり寄せる。由己はかたりを抱き上げ膝にのせると俯いた。丸めた背中が小さく見え、左門は目を背けた。出会った頃に由己はかたりは悪さはしないと言ったが、やはり妖怪で由己の生気をすいとっているのではないか、そんな不安に左門はおののいた。

 左門の不安を察したのか、かたりはほどなく屋敷から姿を消した。

 かたりがいなくなることはそれまでも度々あったから最初は由己も左門も気にしなかったが今度の家出は長く、さすがに由己が心配したが左門はかたりがいなくなれば由己の具合がよくなるような気がし、そのことに望みをかけた。しかし由己の体調は悪くなるばかりでこの頃は連歌所にも出られない日が多い。

 今日も以前からお国にせがまれていた新作の踊りのうただけ左門に託して由己はここに来ない。

 新作の時にはいつもここに来てお国がいろいろと振りを考えるのを楽しんでいた由己にしては珍しいことで左門の不安はつのるばかりだった。

 そんな思いを察したのか松婆が言う。

「今年の夏は暑かったからね、年寄りにはこたえたのさ。由己様もじき還暦だろう」

「ああ、だが同じお年の太閤様はまだぴんぴんしている。この間いらした太田様なんぞは由己様よりも十も上なのに」

「あんな化け物と一緒にしちゃあいけないよ」と松婆は笑った。

 丹羽長秀から秀吉に仕えるようになった太田又助は二年前の朝鮮出兵の折には名護屋に六十七歳の弓大将として在陣し、今もまだ元気そのものだった。最近では秀吉の伝記にもとりかかり、暇をみて天満の由己とかたりの元に話を聞きに通いにきている。

 秀吉の伝記はすでに由己が書いており、又助はかつてそれに辛辣な評を下していたから、左門は複雑な思いだったが、由己は「又助殿の書いているものは記録だから」と言って気にする様子もない。

「それよりほら、あたしの相手をしてないでお国の様子を見ておいで。あれはさっきまでうたを眺めて扇子を回していたからもう踊っちまっているよ」と松婆に言われて左門は我に返り、慌てて店を出た。

 店の前の猿回しを踏みかけ、転びそうになりながら河原をめざした。

 軽業、ややこ踊り、猿楽、それを人形で演じる能人形、狂言、田楽、手妻、絵解き説教と賑やかな河原の様子が一望出来る土手に又兵衛が座りこんでいた。

 相変わらずぼんやりした無表情だが見世物に一喜一憂する人々を見る目は優しい。

 信雄が連れていく先々で今でも又兵衛は好奇の目で見られているのかと思いながら、左門は又兵衛の隣に座ると聞いた。

「お国は」

「さあ、ここで待てと」

 左門は辺りを見回したがお国の姿はない。

「浮世の芸は久しぶりだろう」と、左門は又兵衛に話しかける。

 又兵衛は黙ってうなづいた。

 その後話しが続くこともなく、沈黙が二人の間を流れた。

 その重さに耐えかねて左門が口を開こうとした矢先、又兵衛がぽつりとと何かを言った。

「えっ」と聞き返す左門に又兵衛は俯いてもごもごなにか口ごもっていたが、不意に顔を上げると左門の目を見て言った。

「礼を」 

 左門は何のことかわからず面食らった。

 又兵衛の目が曇り、俯く。

「いや」と左門は又兵衛を傷つけまいとして言った。

「どういたしまして」

 又兵衛が顔を上げ、僅かだが嬉しそうな笑みを見せた。

 いつもは俯いたまま表情のない男が浮かべるその笑みはなまじ苛酷な生い立ちを知っていたためか、左門の胸を妙に熱くさせ戸惑わせた。

 そこへお国が薄を手に息をきらして現れた。

「待たせたね、これであんたの好きな小栗を」

 ぼそっと又兵衛が何か言い、左門が言った。

「ややこ踊りを踊ってくれってさ。賑やかなのがいいらしい」

「あら」とお国は残念そうに薄を見たが左門に薄を押しつけると、懐からゆらいという赤いかぶりものを出してかぶり、歌いながら踊りだす。

 もとは幼女の踊りを指したややこ踊りはお国の人気とお国の年が上がるにつれて今では若い女の踊りをも指すようになっていた。

「来し方よりも

 今の世まで絶えぬものは恋

 恋といえる曲者

 げに恋は曲者曲者かな

 身はさらさら さらさら

 さらにこそ寝られぬ」

 由己の新作ではなく梁塵秘抄のうたに振りをつけたあでやかなお国の踊りにつられるように人が一人、また一人と集まってくる。

 又兵衛はまぶしそうに踊るお国を見つめていた。

 お国も得意そうにちらりちらりと又兵衛を見る。

 二人が交わす眼差しに左門は少し心が痛んだ。

 お国は又兵衛に惹かれている。

 幼い頃から人懐っこいところはあるが、だからといって人に媚びることはない。あの美男の山三でさえ身内扱いのお国にしては珍しいことだった。

 かたりは縁のはじまりだと言った。左門は自分と又兵衛ではなくやはり又兵衛とお国の間にこそ強い縁があるように思えた。

 泣きも笑いもせずと言われていた又兵衛がお国の前で二度も泣き、お国が突然小栗を歌いだしたこともそうだ。それにこの不遇の若様は普段表情が乏しい分、ふっと打ち解けた時に相手をとろけさせるようなところがある。

 そんなことを考えている左門の前に突然お国が飛びこんできた。

「思いついたよ、左門。謡って」

「えっ」とうろたえる左門を尻目にお国は近くの見物人から浅黄色の手ぬぐいを借りるとゆらいを外し、がわりに手ぬぐいをはらりと髪にかけた。

「ほら、今の」

 お国は左門のうたに合わせて振りを変えて踊る。恋は曲者で手ぬぐいをそっと噛み、身はさらさらでは手ぬぐいを手にとる。

「ああ、うまいものだ」と誰かが言い、肯く者もいたが

「綺麗で楽しげだが恋の重みはまだまだだな」と言う者もいる。

 お国は踊り終えるとお辞儀をして手ぬぐいを返し、又兵衛を挟んで左門の反対側に座りこんだ。

「ああ難しい」とため息をつきながら又兵衛の顔を覗きこんで聞いた。

「ねえ、どうだった?」

 又兵衛は黙って肯く。

「本当に本当によかった?」

 又兵衛は少し困ったようにしばらく黙っていたがもう一度肯いた。

 お国はじっと又兵衛を見つめ、にこりと笑うと問いかけた。

「じゃあいいや、それであんたはお城に絵が描きたいの」

 又兵衛は再び黙り込む。

 左門も興味深かった。又兵衛の描きたい絵は何なのだろう。派手な襖絵を描くごとを望んでいるようにも思えない。

 又兵衛にもまだ分からないのだろう、答えがないまましばらくすると待ちきれぬようにお国が話し出した。

「あたしはね、五条の尼様みたいになりたいの」

「五条?」

「白拍子、昔々 後白河院様に今様を教えてさし上げた人」

 困惑気味の又兵衛に左門が説明する。

「後白河院様っていうのは源平の頃に義経や頼朝をしたたかに翻弄した帝の御隠居なんだ。芸能を大層好んだ院は五条の尼という年老いた白拍子、白拍子っていうのはほら静御前、水干に烏帽子で謡いながら舞う。その五条の尼にわざわざ今様、当時の流行りうたの教えを乞うたと伝えられている」

「そうなのよ、その時尼様は七十過ぎだよ」

と、お国はうっとりとした顔で宙を見つめた。

「今様の名手とよばれて、そのお年で元帝から教えを乞われるの。どんな舞を舞って謡ったのだろう」

 又兵衛はまだ話が飲み込めないのか、ぼんやりとした顔でお国を眺めている。

 踊り手の時は短い。

 能の世阿弥は一生を舞ったが、あれは金も時間もある階層が世阿弥の舞を評価したからであって、下々の芸能で特に女たちは容貌の衰えと共に引退を強いられるのは世の常だ。今や一座の稼ぎ頭であるお国も過去の一座の女たちが踊りの上手下手に関わらず、ある程度の年になると次々とやめていくのを見ていた。

 それゆえに由己が話してくれた数百年前に後白河院に芸を認められ教えまで乞われたという老いた白拍子はお国のあこがれだったた。

 お国は踊りが好きだった。踊っていられる限り踊っていたい。年や容貌に左右されることなく、いつまでも人を魅了する踊りを踊りたい。

 そう語るお国に又兵衛もぽつりと言った

「すごい」

「そう.。すごい、すごいのよ」とお国は笑いながらもう一度又兵衛に問いかける。

「それであんたはどんな絵を描きたいの?」「…今はうまく、なりたい」と又兵衛はお国の勢いに押されて、つっかえながら答えてはにかんだ。

「そう、じゃあお互い精進しないとね」とお国は笑った。

 左門は微笑みながら薄の穂をむしった。

 又兵衛はそれからも度々五条の川原に姿を現すようになった。

 大体はお国の踊りを見にくるのだがやはり元々芸能が好きなのだろう。松婆の店先で通りの猿回しや歩き巫女をぼんやりと眺めたり、河原に降りて軽業や能人形などを見て歩くこともあった。

 松婆の店にいるときはお国や松婆に一方的にまくし立てられながらも、辛抱強く言葉を待つ左門を交えてたわいのない会話が出来るようにもなった。

 ただ山三とは話が出来ない。

 山三も又兵衛と何を話せばいいのかわからないようだった。

 左門は体調を崩した由己の代わりに一人で五条を訪ねて、お国に踊りや芸能の話を伝え、また町へ出ていろいろな話を拾っては天満へ帰り、由己に話すのが常になった。

 そんなある日の晩、左門は由己に昼間に又兵衛が山三に殴られて松婆の店に引っ張ってこられた話をした。

「ほう、山三郎がね」

 由己が首をかしげた。

「よほど又兵衛の軟弱さが我慢出来なかったのか」

「いえ、山三は好き嫌いで人を殴るような」「わかっておるよ」

 由己は微笑んだ。

「あれはただの美男ではない、心根のまっすぐな男だ。それゆえに亡くなった蒲生様も大徳寺出入りの諸侯もあれに目をかける。殴ったのはその真っ直ぐにそわない何かがあったのだろう」

 左門は肯いた。

「そうなのです」 

 山三は黙ったまま不機嫌な顔で帰っていき、左門は頬を張らして俯く又兵衛に事情を聞いた。

 最初はだまりこくっていた又兵衛がようやくぽつり、ぽつりと話したところによると、どうやら又兵衛は橋のたもとで商売をしている床屋の一人に枕絵の話を持ちかけられたらしい。

 清水参詣の前に床屋でさっぱりとしていく客の中には参詣後に宮川町や祇園界隈の色街に繰り出す者も多く、床屋はそういった店の宣伝を頼まれることもあった。

 そのうちに男と女の睦み合う様子を描いた枕絵を客引きに使おうと下世話なことを考えついた連中がこの辺りで時々河原の様子などを描いていた又兵衛に目をつけた。

 無口で引っ込み思案とはいえ十九の青年があのことに興味がないと言えば嘘になる。おまけにたたみかけられるとうまく返せない不器用さにもつけ込まれ、まんまと引っ張り込まれかけていたところを山三が見つけたらしい。揉み合いになったあげくに相手の床屋は山三に殴られて一間はふっとんだと、床屋にわずかだが同情したように又兵衛は言い、左門はあきれた。

「やれやれ、お前はやっぱり御曹司なんだな」

 又兵衛は困惑し、もごもごと言い訳をした。

「おれは」

「お前は山三に助けられたのさ。いいか、又兵衛」 

 左門は噛んで言い含めるように又兵衛に話した。

「おれはここで落ちぶれた小大名の姫がいいように食い物にされて歌比丘尼にまで落ちたあげくに首をくくったのを見た。家族のために小銭をため込んでいた手妻使いが悪い仲間に目をつけられていかさま賭博で身ぐるみ剥がされて川に浮かんだ話も聞いた。ここは確かに屋敷に比べたら人情があるかもしれない。でも食い物にされたらとことん食われるのもここだ。信雄殿はいたぶるだけだがここは命を持っていかれる。白い目で遠回しにお前を見はしないが親しげに肩を抱いて身ぐるみ剥がす輩だっているんだ。枕絵は大名でも頼んで描かせることもあるがこんな場末でそんなものに手を出してみろ、ただでさえお前の育ちは目を引く。村重の息子がついに落ちぶれて五条界隈でいかがわしい絵を描いていると都中の噂になれば、乳母殿は泣くだろう、内膳殿とて狩野派での立場もあるからお前に絵を教えられなくなる」

 又兵衛は少し驚いたように左門を見た。

「そうなのか」

「そうなのさ」

 薄ぼんやりと手元に目を落とした又兵衛はそれでも枕絵を書き損ねたことを惜しんでいるようにも見え、左門はため息をついた。

 この御曹司はたぶん山三に礼を言うことはないだろう。付き合っているうちにわかってきたのだが又兵衛には妙に鈍いというか図太いところがあった。

 それは父に捨てられ、嘆く乳母に哀しみを見せないようにした幼い時を経て、信雄の罵詈雑言を聞き流し、ひたすら目の前の美術品に没頭するという日々の中で己をひたすら守るために身につけた術なのだろうが、人の思いにこたえるとか、感謝するということさえもどこかにおいてきたようであった。

「又兵衛はよくも悪くも人の気持ちを推し量ることをやめてしまっているような気がするのです。山三の思いもどこまで又兵衛に通じたのか」

「なるほど」と由己は肯いた。

「だがわしも今日見舞いに来られた大徳寺の宗彭殿から面白い話を聞いたよ」

 後に沢庵和尚の名で知られる宗彭はこの頃大徳寺におり、宗円こと山三をかわいがっていた。

「面白い話?」

「やはり山三と又兵衛の話さ」

 数日前の昼頃に信雄が又兵衛を共の一人に加えて大徳寺を訪れた。

 大徳寺は秀吉が信長の葬儀を営み、菩提を弔うために総見院を建立してから諸大名の塔頭建立が相次ぎ、広大な寺領と共に盛隆を極めていた。

 宗彭によれば山三は又兵衛が大徳寺本坊にある牧𧮾の観音猿鶴図の前で信雄に昨今の彼の絵がいかに箸にも棒にもかからない恥ずかしい出来であるか、くどくどと言われていたのを宗彭の手をかりて、又兵衛一人を連れ出して同じ大徳寺内の塔頭の一つである三玄院に行ったらしい。

 そして長谷川等伯の襖絵を又兵衛に見せた。

「三玄院ですか」

 いまや狩野派とその勢力を二分すると言われている長谷川派の当主長谷川等伯の襖絵が三玄院にあるとは左門は知らなかった。

「六年前に等伯殿は飛び込みで襖絵を描かせてほしいと開祖春屋宗園様に願ったのだが禅寺に華やかな襖絵はいらぬと断られた。そこで等伯殿は宗園様の留守中に上がりこみ勝手に描き上げたという代物だ。わしも見たことがあるが桐花紋雲母という唐紙の上に墨で描き上げた山水画でそれは見事なものだ。帰ってきてご覧になった宗園様もその見事さと熱意に感心されて等伯殿をとがめなかったそうな」

「なるほどいいところに目をつけましたね」

 左門は別の意味で感心した。

 どの大名もこぞって狩野派の絵を求める中で他派の者が大きな仕事を得るのは並大抵ではない。

 大徳寺百三十世春屋宗園は太閤の重臣石田三成や森忠政、浅野幸長が帰依したばかりではなく、故千利休とも深い関わりがあった。

 作品の売り込み先としては悪くない。事実この後、それまでぱっとしなかった等伯はめきめきと頭角を現し、今にいたる。

「まあ、お前の言うように目ざといといえばそうだが、だが山三は食い入るように襖絵を見つめる又兵衛に言ったそうだ。

 もとは能登の染物屋の養子が三十過ぎてから志を抱いて家族共々都に出てきて狩野派の門を叩いた。だが狩野派では己の絵が描けぬと飛び出し、堺で豪商相手にコツコツと描き続け、再び都に挑戦しに帰ってきて描いたのがこれだと。これに負けない執念と覚悟がお前にあるかと」

「ああ」と左門はうなった。

 確かに長谷川等伯は執念の絵師であった。数百人の弟子を抱え、諸侯の後ろ盾も厚い天下の狩野派にたった一人で挑み、己の才覚と画力で食い込んだ。鉄壁にいささかもひかぬ強さは確かに人並み外れた強い執念あってこそだろう。

 ただでさえ村重のふがいない息子として好奇の目で見られる又兵衛が絵の道を究めようとするなら等伯以上の執念と覚悟がなければ先は厳しい。

 感心するとともに左門は山三が又兵衛にそんな話をしたことが意外だった。

「山三は又兵衛が嫌いなのかと思っていました」 

 由己は苦笑した。

「確かに猛者で知られた荒木村重の息子としては情けないとは思っているようだ。だが山三は宗彭殿に話したそうだ。ある時又兵衛に聞いたらしい」

「なんと」

「父に見捨てられ、信雄殿にののしられどうして生きておれるのだと」

 嫌みにしか聞こえない問いだが左門はこの問いの奥にある山三の真摯な思いを知っている。

 名古屋山三郎は亡くなった主君蒲生氏鄕を心底慕い、殉死する覚悟だった。それゆえに自分の余命を悟った氏鄕は山三の若い命を惜しんで生前に山三に出家を命じる。山三もその思いがわかったから従った。だがそれでも死に損なったという思いはずっと山三を苦しめていた。あの関白秀次の死の際に山三と同じく美男で評判だった不破万作が殉死したと評判になった時には、ならば蒲生のお気に入りの名古屋はどうしたとも言われ、山三が平静を装ってはいても時々ひどく暗い目でふさぎ込んでいたのを左門は見ていた。

「又兵衛はぼそぼそと答えたそうだよ。自分が死んだら乳母は死ぬと。自分に尽くしてくれる乳母のために生きねばならない。それから珍しく山三の目をまっすぐみて、それに自分は絵が描きたいと言ったそうだ」

 きっとあの眼差しだと左門は思った。いつもぼんやりとはっきりしない又兵衛がほんのたまに見せる透き通った眼差しが脳裏を横切り、そしてなぜかそこにお国の笑みが重なる。

「あきれながらも山三は夢中になれるものを持っている者は強いと宗彭殿にしみじみと言ったそうだ。たぶん山三は又兵衛がお国と似ていることに気がついて認めてやる気になったのだろう」

「お国と又兵衛がですか」

「ああ、あの2人は一座と乳母、それぞれを背負いながら踊りや絵のとりこになっている。己のためだけでない、だが回りのためだけでもない」

 二人の間には強い縁があると感じ、焦っていた左門にとって思いがけない指摘だった。

 由己は微笑んだ。横にいたかたりが左門を見上げて言った。

「つまりお国は似たもの同士ゆえに又兵衛に惹かれているわけさ、わかったか」

 しばらく屋敷から姿を消していたかたりは昨日ふらりと帰ってきた。心配していた由己はひどく喜び、かたりに何処へ行っていたのだと聞いた。かたりは家康の城を見に江戸へ行っていたのだと言い、いろんな土産話をして由己を喜ばせた。

 左門は猫を見、しどろもどろになって言い訳をした。

「別に私は」

「へえええ」と猫は金色の目を細める。

「左門こそ又兵衛が嫌いなのではないか」とかたりは意地悪そうに言った。

「お前」と思わず左門が腰をあげるとかたりは手が出せるものなら出してみろとばかりに由己に身を擦りよせた。

 由己は笑いながらかたりをたしなめた。

「かたり、意地の悪いからかい方をするものでないよ。それより左門、話は変わるが浄瑠璃節はきいたかね」

「ええ、最近お国があれにすっかりはまって」

 もとは三河の名刹鳳来寺の薬師如来にまつわる仏教譚の浄瑠璃姫物語は室町期に御伽草子に描かれ、平曲を語っていた琵琶法師が節をつけて語り広めたが、さらに最近になり澤住・滝野という二人の検校がこれを琵琶ではなく新しく堺から広がった三味線に合わせて語り、評判になっていた。

 三河の矢矧の長者の娘浄瑠璃姫は奥州にむかう途中の牛若と恋に落ちる。先を急ぐために旅だった牛若は駿河の国の浜で病に倒れてしまう。姫は乳母の冷泉と共に駆けつけ、すでにこときれた牛若を探しだし、生き返らせる。おかげで無事に奥州にたどりつけた牛若が後に義経となり数万の兵をひいて都に上る途中に姫を訪ねると冷泉が涙ながらに姫が去年亡くなったと話す。悲しんだ義経が墓を訪ねて、経をとなえながら歌をよむと姫と思いが通じて、墓の五輪が砕けるというこの悲恋話に夢中になったお国は自分の興行が終わると連日のように通い、一座の娘達と聞き惚れる有様だった。

「琵琶と違い、三味線はどうだね」

「そうですね、音色が明るく軽いような。ただもの哀しい響きもあるので、戦記物なら琵琶の重々しさ、色恋ならあの音色の方がしっくりくるような気がします」  

「ほう、それは一度ゆっくり聞いてみたい。屋敷によんでくれぬか」

「ええ、聞いておきます。お国がもれなくついてきますがよろしいですか」

 由己は笑った。

「よいとも、久しぶりにお国の踊りも見たい」

 お国に会いたければいつでも呼び出せばよいものを由己はそれをしない。

 お国が由己を心配し、見舞いに来たいというのも興行を優先せよと断った。

「お国が来るならあれの一番のお気に入りをきかせてもらおうか」

「五輪砕きばかり何遍もせがまれますよ。又兵衛なぞは絵に描けと言われて」

「絵を」

 五輪砕きは浄瑠璃節の最後の段で、冷泉に姫の死を聞かされた義経が姫の墓前で涙ながらに歌を詠むと、墓の中から歌がよみかえされ、何度かのやりとりの後に互いの思いが通じた証に墓の五輪が砕けるという話である。お国はこのくだりが大好きで毎日のように聞いては泣く。あげくに又兵衛に白扇子を渡して、ぜひこの場面を描いてほしいとせがんだ。

「いにしへの恋しき人の墓に来て見るより早く濡るる袖かな」と義経が墓に歌を手向けると墓より返歌があり

「濡るるともそなたの袖はあればみる ただ朽ち果つる身こそ辛けれ」

(たとえ濡れてもあなたの袖は見ることが出来る、ただ朽ち果てしまった私の身こそ辛く哀しい)

 義経が歌を返す

「降る雪の空に心はあこがれて消えて帰らぬ人ぞ恋しや」(雪の落ちてくる空にあこがれる、雪のように消えてしまった人が恋しくて)

 墓よりまた歌が返され

「あはれとよ竜田の山の薄紅葉散りにし後をとふぞやさしき」(竜田の山の紅葉が薄いまま散ってしまったのはまことに哀れ、その跡を訪れる人のなんとやさしいこと)

 切々と検校が語り、お国と娘達が悲恋の二人が交わす切ない思いにどっぷり浸かって涙を浮かべている中、困ったのは又兵衛である。

 絵に描けといわれても、姫はすでに墓の中で義経の墓参りだけ描いてもこのやりとりの哀れさは描けない。

「どうする」としきりに左門に助けを求めた。

 左門は思案のあげくに言った。

「そうだな、まず扇の表に墓の前で義経が泣きくずれ」

 又兵衛が上目遣いに左門をにらむ。

「裏で墓が壊れて義経が驚くと」と左門は自分で言いながら笑いがこみ上げてきた。どう考えても間が抜けている。

「墓の後ろに青い顔で化けてでる姫を描くのはどうだ」と、いつの間にか背後に来ていた山三がまぜっかえし、

「いや朽ち果ててるからやはり骸骨だろう」と左門が言う。

「骸骨を美人に描くのは難しい」と又兵衛。

「それくらい絵師なんだから」と左門。

「墓が壊れることはもっと難しいだろう」と山三。

「五輪が三つに砕けて懐にでかい石ころが飛び込んでくるんだぜ。命がけだな、しかし避けてはまずい。恋しい女の墓石なんだから」

「ふむ、あばらの一本も折れるかもしれんがな」と左門が言うと又兵衛は不安そうに自分のあばらの辺りを触ってつぶやいた。

「痛かろうな」

 その様子がおかしく、調子にのった左門が

「いっそのことこれはどうだ、破裂する五輪に腰をぬかす義経」と提案すると、三人はついに吹き出してげらげらと笑いだした。

「うるさい」

 お国と娘達がいっせいに振り返って三人を恐い形相で睨んだ。

「それはそれは」と話を聞いた由己も笑った。

「で、又兵衛はどうした」

「結局、昔小栗を踊った時のお国を描いて渡しました」

 お国は渋い顔で注文と違う扇をしばらく見ていたが仏頂面の又兵衛に諦めたのかこれで勘弁してやると言い、渋々懐にしまった。

 だがその時一瞬だがそれは嬉しそうな笑みを浮かべたのを左門は見、風がひときわ冷たく感じられたこと、山三が横で憮然としていたことまでは由己に話さなかった。

 ただ由己の横のかたりは金色の目ですべてを見通しているようだった。

 その年の暮れ、左門は澤住検校とお国を天満の由己の屋敷に連れていった。

 由己は三味線の音色と検校の語りに愉しげに耳を傾け、久しぶりに見るお国の踊りを見て喜んだ。

「ややこ踊りに三味線はよいかもしれぬ」と、由己は検校らが帰ったあとでお国に話した。

 お国は気がのらない様子だった。

 この頃まだ三味線ひきはそう多くない。

 このあと、三味線は人形遣いの戎かきと結びつき、人形浄瑠璃のもとになる能人形がさかんに演じられるにつれ、広くひろまっていくのだが、当初琵琶法師達は盲人の生活を守るために河原者に勝手に琵琶や三味線を教えることを禁じていた。お国は彼らの座から三味線を調達する手間と金を嫌った。

「案じずともあれは流行る。三味線ひきもじきに琵琶法師達が手に負えぬほど増えるだろう、そうしたら一座に三味線をつけるといい。あれはお前の踊りに会うよ」と由己はお国にさとすように話した。

 しかし由己の言葉にいつもは素直なお国が珍しく駄々をこねるように首を振る。

「三味線なんかなくてもいい。由己様が歌を書いてくれればいい。早く元気になって下さい。お国は九十の婆になるまで踊るのですから」

 お国はそう言って由己の手をとった。

「やれやれ、お前が九十の時にはわしは百三十だ。それはいささか」

「いいのです、長生きして下さい」とお国は涙ぐむ。久しぶりに会った由己のやつれ方がお国をひどく哀しませていた。由己もそんなお国の様子に胸痛めたのか、目をうるませて肯いた。

「そうか、では少しでも長生きせねばなるまいな」

 端で見ていた左門も目頭が熱くなった。

 出会いから十二年の歳月が流れていた。由己に自分とお国は沢山の謡いや古歌を教えてもらった。知識だけではない、それ以上のものを由己は縁もゆかりもない自分たちに惜しみなく注いでくれた。

 冷たい空気を感じて振り返ると襖の隙間を押し開けて出て行くかたりの背中が見えた。

 お国の涙が効いたのか、厳しい冬をなんとかもたせた由己だったが桜の散る頃にはとうとう枕から頭を上げることさえ出来なくなった。

 ある日、由己は傍らについて離れない左門に苦しい息の下で花はどうかと尋ねた。

 数日前に太閤から病の重い由己の見舞いにと鮮やかな早咲きの山吹を八重、一重と混ぜ、ふんだんに投げ入れた豪奢な壺が届けられていた。眩しいくらいの黄金色の花々はかつての秀吉の明るさを思い出させ、由己は体調を崩してから参内することのない自分のことなど忘れてしまわれたものと思っていたがやはり人たらしなお方だと嬉しそうに見舞いに来ていた太田又助に言ったばかりだった。

「今が盛りでございます」と左門は答え、金色の花を見せようと枝に手を伸ばした時、

由己が微かに「まだ」と呟くのが聞こえ、左門が振り返ると由己は長い息を一つついてそのままこときれた。

 お国が泣き崩れ、又助はじっとかなしみ

に耐え、山三は経をとなえながら涙を落とした。

 左門はただ茫然としていた。失われたものの余りの大きさに実感がわかず、涙も出ない。そんな左門の右手を横にいた又兵衛が何も言わずに強く握りしめた。

 左門は又兵衛を見た。言葉こそないが何かを訴えかけるような目で自分を見つめる又兵衛に

「俺は大丈夫だから」と言っているうちに涙が溢れてきた。

 握られた手の痛みで我に返り、押しよせてきた悲しみにのまれた。出会いからの十三年、あれもこれも思い出されてただ泣き続ける左門の手を又兵衛は黙って握っていてくれた。

 その後、左門は葬儀の手伝いと残された膨大な蔵書の整理に追われた。

 蔵書の多くは家康公にと言うのが由己の遺言だった。親しくしていた山科言経のことで相談にのってもらい、世話にもなったからというのが理由だが、あれだけの太閤贔屓の由己がこうした遺言を残したことに左門は複雑な思いを抱いた。

 天下人秀吉の時代は長く続いた戦国の殺伐とした空気に終わりをつげ、文化芸能が花開いた豊かな時であった。太閤がかつてとは変貌し、虎視眈々と天下を狙う家康の存在があるとはいえ、豊臣の世はまだ続いている。

 だがそれでも絢爛たる山吹もいつかは散るように豊臣が終わることを由己は予見しているようだった。

「まだ」

 あれはまだ生きて豊臣の最後を見届けなければという思いの一言だったのか、豊臣が咲き誇る山吹のようにまだ続いて欲しいという願いだったのか。

 そんなことをあれこれ考えながら左門が蔵書の全てを整理し、徳川や太田又助や山科言経、連歌所の関係者ら、その他に渡し終えた頃には夏が終わりをむかえていた。

 左門はがらんとした書庫蔵に古びた文机を抱えて一人座り込んでいた。明日にはここも出なければならない。

 左門は愛おしむように文机を撫でた。由己が出会って間もない頃に与えてくれたものだった。はじめは手習いに、そしてここ数年は連歌所で宗匠を務める由己の傍らで執筆を務める際に使っていた。

 背中にかたりが柔らかい体を擦りつけてきた。

「どうする?」

 左門は振り返ると猫に聞いた。

 一時期は由己の命を削るように思えたかたりも今では共に由己の思い出を語り合える大切な相手だった。

 猫は金色の目で左門を見上げて言った。

「わしは又助のところに行く」

 太田又助は由己の蔵書の整理も手伝ってくれて、左門にも全てが終わったら自分のところに来いと言ってくれていた。

「じゃあお別れだ」と左門は三毛猫の背中を撫でた。

「太田様によろしく伝えてくれ」

 左門は又助のもとに行く気はない。記録好きの一方で歴とした武芸者でもある又助は芸能には一切興味がなかった。

 由己が芸能に関わることには友として何も言わなかった又助だが仕える身になる左門にはあまりいい顔はしないだろう。そうなれば今までのように頻繁お国にかかわることが出来なくなるし、由己の親友であり、その立場を理解はしていても由己の作品は追従がすぎると批判的な又助に仕えるのは正直しんどい。

 猫は小首をかしげ、左門を見つめて言った。

「また会うさ」

「俺は家康公にも仕えないからお前の好きな花見には縁がないよ」

 蔵書の引き渡しの際には蔵書と共に徳川に来ないかとも言われたが左門はそれも断っていた。

 猫は金色の目を細めた。

「何も天下人だけが花を咲かせるわけではない」

「じゃあお前は俺と何が見たい」  

 かたりは答えず蔵の出口に向かう。

 左門は立ち上がり、問いかけた。

「かたり、お前は何を」

 かたりは振り返って金色の目で左門を見て言った。

「まだ見ぬ花さ」

「まだ見ぬ花?」

 かたりはふふんと鼻を上に向けると蔵の外の白菊の花をゆらして消えていった。









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