第4話 再会

 かたりは縁のはじまりと言ったがその後の又兵衛との再会には長い歳月を要した。

 この間に大きな出来事がいくつかあり、左門や又兵衛の周りも大きく変わった。

 まず天正18年の小田原征伐後の移封命令を拒否した織田信雄は下野に流される。天正19年に秀吉から土地を寄進された本願寺は大坂から京へ移った。同年秀吉は関白職を甥で後継者とみなした豊臣秀次に譲り、伏見城へ移った。当然由己も度々そちらへ出仕することが増えた。さらに明けた文禄元年には朝鮮出兵のため秀吉は肥前名護屋城へ行く。しかし翌七月に大政所が亡くなり、急遽秀吉は大坂に戻り朝鮮との戦も一旦終結した。

 翌年には拾、のちの秀頼が誕生し、数年前に幼い息子を亡くした太閤秀吉の喜びはひとしおであったがこの嫡男の誕生で関白秀次の立場は急に危ういものとなる。

 そして文禄四年の夏、ついに秀吉は秀次を切腹に追い込み、子ども四人を含んだ妻子側室三十九人には三条河原で処刑の命を下した。

 建前は殺生関白秀次の粗暴な行いを見るにみかねたという理由だったが誰が見ても我が子可愛さの甥つぶしだった。

 大村由己は十八になった左門と共に三条河原に出かけ、まだあどけない幼子や若く美しい女人達が無惨に斬り殺されて穴に蹴落とされのを痛ましい表情で見つめた。

 ギラギラとした夏の暑い日差しの下で生臭い血の臭いが辺り一面に漂う中、諦めて大人しく首を差しだす者、恐怖で身をすくめ、うづくまったまま刺し殺され断末魔の悲鳴をあげる者、無念の表情を浮かべる者とさながら地獄絵図そのままの処刑が続く。

 左門は最上義光の娘で自分と同い年の美しい駒姫の首が落とされる時はさすがに思わず顔を背けた。あまりの惨さに体が震える。

「もうよい、お前は先に五条のお国の元へ行きなさい」と由己は左門を気遣った。

「しかし」

「わしは見届けなければならぬ。それが務めだ。だがお前がこんな地獄を見ることはない、いやこれ以上は見てはならぬ」

 そう言いながら左門の背中をそっと押す由己の顔は厳しく悲愴だった。

 大村由己は秀吉に惚れ込み、秀吉に従った。

 数年前に関白任官記で臆面もなく秀吉が貴人の出だと書き、いくらなんでも追従が過ぎると太田又助からなじられた時に由己は答えた。

 明朗快活で剛毅な反面、心遣いのこまやかなあの人が天下の頂点に立つのにただ百姓の出だからというだけで人々に蔑まれるなら自分は人からなんと言われてもよいから奇想天外なほら話を書き、あの人を持ち上げようと。

 そう奇想天外こそが秀吉だった。奇想天外な発想をし、機知で少々のことは笑いとばす、そんな従来の武人らしからぬ明るさと暖かさのあるこの天下人が人々に畏怖された信長とは違う平和な世をもたらすと由己は信じた。

「おぬしが信長公に惚れているようにわしは秀吉様に惚れている。わしもおぬしも天下人に間近で接する僥倖に巡りあえた。おぬしが信長公の全てを記録することを生きがいとするのならわしはあの方の魅力を広めることを生きがいとするのだ。そのためにはほらふきになることも厭わぬ。わずかな真実を練りこんだ大きな嘘ほど人々の口にのぼるものよ、そして人々はほらだと笑いながらあの方の魅力に気づき、天下は春のごとく明るく和やかとなろう」

 だが由己の願いに反して、陽気な天下人は手にした巨大な権力に徐々に蝕まれていった。己に比べればはるかに小さな存在でしかない甥と一族をあたかも砂糖にたかった蟻が許せぬと鬼の形相で潰していく陰湿さなどかつての彼にはなかった。

 寛容さはなく偏狭的な猜疑心にとらわれた昨今の秀吉は由己が惚れこんだ秀吉とはすでに別人である。だが生まれついての天下人であると喧伝した由己には全てを見届ける責任があった。

 左門は矢来に群がる人ごみから抜けながらも、由己の胸中を思うと辛く、その場を離れることが出来ないでいた。

と、見覚えのある若い僧がぐったりとした若者を抱えて人ごみから出てきた。

山三さんざ

 左門が思わずそう呼ぶと僧は顔を上げ、むっとした顔で左門を睨んだ。

「その名で呼ぶなと言っているだろう、宗円と呼べ、宗円と」

 宗円、もとは今年二月に亡くなった智将蒲生氏鄕に仕えた名古屋山三郎という侍であった。十五で一番槍の功名をあげ、その武勇に似合わぬ美男ぶりから「槍の山三」ともてはやされるが主氏鄕の命で出家し、大徳寺に入山した。今は頭も丸め「宗円」となっているのだが、二十でお国の一座にも時々遊びにくる彼を左門はついなじみの名で呼んでしまう。

「悪い、それよりどうしたんだ」と、左門は山三の機嫌をとろうと反対側から若者を支えて聞いた。

「わからん、隣で見ていて卒倒した。刺激が強すぎたのだろう」

 青い顔の若者は刀を差してはいるが体も腕も細くひょろひょろとした様子はいかにも頼りない。

「捨て置くわけにもいかぬから連れだした」

 左門は少し笑った。

「なにがおかしい」 

「あんたはいい男のくせに妙に人がいい」 

「いい男は人が悪いのか」

「ああ、大体鼻持ちならぬものだ」

「それはおぬしのひがみだ」

「かもしれぬ」

 山三と話していると鬱々とした思いが少し晴れた。

 だがその思いを引き戻すように刑場からつんざくような金切り声がひびく。

 青ざめ立ちすくむ左門を山三は怒った顔で促す。

「行こう、こんなところにいても猿の阿呆さに腹がたつばかりだ」

 左門はうなだれて従った。

 清水寺に通じる旧五条橋界隈は清水寺の参詣客をあてこんで昔からさまざまな芸能が集まる歓楽地だった。旧というのも秀吉が自分の建立した方広寺と伏見への便宜のために新たに大橋をかけて五条橋の名をそちらへつけたからで以後、近くの松並木にちなんでこちらは松原橋と呼ばれるようになった。

 やがて復活した祇園会が盛んになるにつれ、賑わいは祇園社に通じる四条橋界隈に移るのだがこの頃はまだこの辺りの方が賑やかでお国達の一座もここ五条河原で興行をしていた。

 道筋には清水寺への参詣客の休憩のための茶屋もいくつかあり、その一つで松という婆がやっている店がいつからかお国や左門達のたまり場になっていた。

 二人が若者を抱えて店に入ると、松婆と話をしていたお国が立ち上がった。

 十七になり一座の長となったお国は色白でつややかな黒髪の美女となっており、髪に挿した凌霄花の朱色の花がよく似合っていた。

 夏、眩い空にむかって伸びるこの花はお国のお気に入りだった。

「なんだい、行き倒れかい」

「いや、可哀相に山三に女を寝取られて」とお国に出まかせの冗談を言う左門を山三は睨んで若者を押しつけた。

「軽口たたくほど力があまっているのならこいつを奥の涼しいところへ寝かせてこい。俺は疲れた」

 山三の手が離れると若者は急に重くなり、左門は倒れそうになる。

 見かねたお国が手をかし、二人は奥へよたよたと若者を運んでいった。

「物好きだねえ、あんなもの拾っていたらきりがなかろう」と、松婆はひしゃくに冷たい水を汲んで山三に渡しながら言った。

「で、どうだった?経の一つもあげてやったのかい」

 山三は黙って水を飲みほすと不機嫌そうに額の汗を拭った。

 松婆は肩をすくめる。

「まったく六条河原での荒木様一族の仕置きを思い出すよ。あの時も三十人くらい斬られてねえ、辺り一面しばらく血生臭いと評判だったさ」

「おやめな、胸が悪くなる」と奥から戻ってきたお国は山三の肩に白い手を回し、からかうように顔を寄せた。

「ねえ墨染の」

「なんだいそりゃあ」と松婆が聞いた。

「細川幽齋って殿様がこれの美男ぶりをそう詠んだんだって。

 かしこくも身をかへてける薄衣

 錦にまさる墨染の袖

 粗末な衣でも山三が着れば錦に勝るって絶賛よ。これが錦に勝るってねえ」

 お国は笑いながら山三の埃だらけの法衣の袖をつまむ。山三はにこりともせずにそのお国の手をとり

「げに何事も一炊の夢さ、南無三宝」と言うとしみじみと眺めた。

「なんだい」

「哀れでな、こんなふうに白い女子どもの首がすぱすぱと」

 お国は気味悪がって山三の手を払いのけた。

「由己の奴も見ていたらしいぞ」

「奴って言うな」とお国がかみついたが、山三は皮肉めいた口調で続けた。

「今度はなんと書くのだろうな、鬼関白秀次成敗記と題してあることないこと書いたとてもはや衆人の目は誤魔化せまい」

 まだ氏鄕に仕えていた頃に共に行った先の座興にきていたお国の踊りに得意の笛をつけて以来、時折お国の座に遊びにきて左門とも親しい山三だが由己には突っかかった。

 文人として尊敬はしているのだが、やはり秀吉に関する一連の著作が、かつては信長のもとで文武両道の智将とならした蒲生氏鄕の家臣としてはどうにも我慢がならぬらしい。

「こらっ、言い過ぎだ、婆だって言ったじゃないか、信長公だって同じことをしたって」とお国は山三を小突く。天下の色男を兄貴扱いでまったく遠慮がない。

「違う、あれは謀反に対する見せしめだ。戦の末だ。だがこれは言いがかりだ。猿は六年前にも聚楽第の落書き絡みで天満の町民六十人を磔にしている。天下人が落書き程度で、おかしいだろう、左門」

 山三は奥から出てきた左門にきつい調子で問いかけた。

 左門は返答に困り、俯いた。

「また左門をいじめる」と、お国。

「いじめているのではない。問うている」

 山三の鋭い問いに左門はぼそぼそと反論した。

「たぶん太閤様は天下が織田から明智、そして自分に転がったように遠からず他へいくと思って不安なのさ。1国じゃない、天下だからな。甥より息子につがせたくもなるし、気もおかしくなる」

「だから残虐非道もありか」と嘲るように山三は言った。

「さすがにお育ちのいいことだ」

 むっとした左門が口を開く前に悲鳴が上がり、奥の若者に水を持っていった松婆が這いずりながら出てきてわめいた。

「あんたらいったい何を連れてきたんだい」

「どうしたのさ」と、駆けよるお国に松婆は目で奥をさす。

 お国と左門、山三が奥の部屋をのぞくと薄暗く蒸し暑い部屋の中、あの若者が床の板間に夢中で三条河原の惨状を描いていた。近くにかきちらした紙が数枚落ちているところを見ると描きたらずに床にまで描きだしたらしい。

 刺し殺される幼児、首をはねられる若い女、飛ぶ血しぶき:苦悶の表情を浮かべて転がる首、首なしの胴体。

 部屋の鬼気迫る様相に四人はしばらく声が出ない。

 やがてお国が怒った顔で部屋に入ると若者の前に回りこんだ。

「ちょっと」とお国はとりつかれたように青い顔で首から噴き出る血を執拗に描き続ける若者の肩に手をかけた。

 無表情な若者はその手を乱暴に払う。

 その拍子にお国の髪の花が若者の手元に落ちた。

 朱い花に目をとめ、やがて顔をあげた若者は虚ろな眼差しでお国を見る。

 その眼差しに見覚えがあるような気がした左門は心配した山三が部屋に入ろうとするのを思わず制した。

 お国も同じ思いだったらしい。

 再び手元に目を戻し、今度は大きく掘った穴に役人が死体を蹴落とす様を黙々と描きだした若者の青白く汗ばんだ頬にそっと触れてのぞきこむとささやいた。

「あんた、悲しいの」

 黙り込んで絵を描いていた若者の目に涙が浮かぶ。

 不意に彼はお国の膝にかじりつくとおいおいと泣きはじめた。

 お国は驚くこともなく、子供をあやすように若者の背中をさすリ、声をかけた。

「あんただったのね」

 若者は答えず、ただしゃくりあげ泣いた。

 その様子を見て不機嫌そうに山三が左門に聞いた。

「誰だ、あいつは」

 左門は憂鬱そうに若者の貧相な背中を見つめて答えた。

「八年ぶりの……又兵衛さ」

 さんざん泣いて、ようやく落ち着いた又兵衛に話を聞くとどうやら織田信雄に命じられて三条の絵を描きにきたらしい。

 下野に流されていた織田信雄は数年前に許されて、今は由己と同じくお伽衆として秀吉に仕えていた。その信雄がまた又兵衛を召し出していたことに左門は驚いた。

「また仕えているのか」

 又兵衛は俯きながら頷き、なにか言った。

 ぼそぼそと小声で話すため聞きづらいことこの上ない。

「なんだって」といらいらと聞き返す山三にお国がこたえた。

「……他に仕官のあてもないって」

 そりゃあそうだろうという顔を山三がし、隣で左門はため息をつく。槍の山三からみれば女の膝で泣く奴なんぞ武士では、いや男でさえないのだろう。

 しかしお国は又兵衛を気遣った。

「あんたはだけど有名なお大名の子なんでしょう」

 又兵衛はさらにうなだれる。

「本家はなくてもどこかに養子の口とかないの?」

 山三があってたまるかとそっぽを向く。

 左門はもうため息も出ない。

 確かにこんな覇気のない男をこの厳しい戦国の世で養子にする物好きなどあり得ない。

 そういった意味では連れ回すだけでも信雄は大した物好きといえるがその信雄自身が信長の息子の中では出来が悪いことこの上ないと評判であるから救いがなかった.

 お国が又兵衛の顔をのぞきこみ、又兵衛はお国の大きな瞳にうながされ、ぼそぼそとなにか言う。

「大名にはなりたくないの」

 山三はあきれ顔でもの言いたげに左門を見た。左門は目をそらす。

「三条の絵を描いてきたら絵師の狩野内膳に紹介してくれるって信雄が言ったのね」

 相変わらず酷いことをすると左門は思った。

 松婆が言ったように今回の処刑では誰もが荒木一族の悲劇を思い出した。又兵衛が倒れたのも斬られる若い女に自分の母を重ねて耐えられなかったのだろう。

「弟子になりたきゃ自分でたずねりゃいいだろう」と怒ったように山三が言った。

 又兵衛は顔をあげて暗い目で山三を見た。

 むっとして立ち上がりかけた山三を左門が制すると

「狩野につてがない」と又兵衛が消えいりそうな声で言った。

「だけど絵師になりたいのね」とお国が聞き、又兵衛はうなづいた。

「技法を」と又兵衛は消えいりそうな声でどもりながら言った。

「学びたい」

 子供のころは量をこなしていたからうまかった又兵衛の絵も所詮は素人絵だった。なまじ才能があるから余計にきちんと絵を学びたいという思いが強いのだろう。

「しかしこれではねえ」とそれまで黙って話を聞いていた松婆が言う。

「狩野ってのはよく知らないけどお寺やお城にそりゃあ綺麗な絵を描くのだろう」

 一同は回りの凄惨な絵を見回しだまりこんだ。執拗なほどこと細かに描かれ、生々しく迫力はある。しかし確かに絢爛豪華な花鳥風月とはほど遠いしろものだった。

「ならば私が口を聞こうか」

 一同が振り返ると由己が立っていた。

 左門はあわてて立ち上がり、由己を上座に案内する。

 由己は興味深そうに部屋を見回しながら座ると言った。

「これは凄まじい」

 山三は冷たい目で由己を睨んだ。

「そうだよ、由己様に口をきいてもらえばいいい」と、お国は言うと、由己と又兵衛に微笑み、又兵衛の脇にあった絵を1枚、手に取ると由己に渡そうとした。

 しかし「いい」と又兵衛は断ると絵を取り返し、ちらばっていた絵も急いでかき集めると懐にねじ込んだ。

「遠慮することないのよ」とお国は絵を取り戻そうとする。

 又兵衛は黙ったまま、その手を払う。

 その様子に左門は確かに又兵衛は不器用で頼りないが、それでも酷いことを承知で刑場に行ったのには又兵衛なりの覚悟があったのだろうと思い、お国を止めた。

「やめろよ、お国。そいつにはそいつの考えがあるのだろう」

 又兵衛がはじめてまともに左門を見た。その目が以外に綺麗で左門は少し驚いた。一方お国は口をとがらせ左門を睨んだ。

「考えってなによ。由己様がせっかく言ってくれてるのに」

「いや左門の言うとおりだよ、お国。嫌がるのを無理にとは言えぬ」と由己は微笑んだ。

「信雄殿が紹介しようと言ってくれたのだ。お前さんはそっちの筋を通したいのだね」

 又兵衛は黙って俯く。

 はっきりしないその態度にいらだちをつのらせている山三を見、苦笑しながら由己は言った。

「ならば早く帰ってその絵を信雄殿に渡しておいで。きっと狩野内膳殿を紹介してくれる」

 又兵衛はおどおどしながら一同に頭を下げると帰っていった。

 松婆は恨めしそうに由己に言った。

「それでこの部屋をどうしてくれてるんだい」

 由己はうっかりしたという顔をし、ニコリと左門とお国、山三を見回して言った。

「消してくれるだろう、新しい知り合いも出来たことだし」

 にゃあと部屋の隅でいつからいたのか、かたりがないた。

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