第17話 宮中の鬼姫 其の四

 その晩。

 昨夜同様、結婚の慣習にのつとって《山椿》に現れた鈴鳴に、雲雀は昼の出来事をしらせる。

「ははは。それは災難だったね」

 聞き終わった鈴鳴は、心底愉快そうに手でひざたたいた。

「仮にも妻の苦労をそんな楽しそうに聞くんじゃなかよ」

「いやあ、だって良い気味なんだもの。僕に暮明に勝てなんて無茶を言ってるんだから、貴女にもそのくらいの目には遭ってもらわないと」

「ふん。可愛くない」

 雲雀はふてくされてそっぽを向く。

「で、これから歌のけいに励むわけ? 聞きたいなあ、雲雀がどんな歌を詠むのか」

「きさんに教わろうかと思っちょったが、絶対にそれだけはせんと心に決めたわ」

 この様子では、歌を詠む度に小馬鹿にされそうである。そんなことは、雲雀のきようが許さない。

ありむねにでも頼むかいね。あん男なら、歌の一つくらいは詠みそうやし」

「雅親に頼むといいんじゃないかな。あれでも八歌仙の一人だから」

「その、八歌仙ってなんね」

「え、知らないの」

「そうやって、そっちの常識を押し付けるの、やめてくれん? 《垂藤》でも同じ言葉を散々ぶつけられたけん、もう聞きたくないわ」

「ごめんごめん。八歌仙というのはね──」

 八歌仙とは、陽渡帝が優れた歌の詠み手八人に与えた称号だ。八人には伝説となっているような故人も含まれており、雅親は名だたる本職の歌詠みを押し退けて、その名声を最年少で手にしたらしい。

「雲雀にその気があるのなら、僕から頼んであげてもいいよ」

「うーん……」

 八歌仙の話からも、彼の才に疑いの余地はないのだが、師事を頼むのはどうも気が引けた。《垂藤》では窮地を救おうとしてくれたようにも思えるが、やはり雲雀には、雅親が何を考えているのかわからない。

 闇よりも黒く染まった、あのひとみが気にかかるのだ。

「ま、そっちは雲雀がどうにかするとしてさ」

 雲雀が乗り気でないことにすぐに気づき、鈴鳴は話題をらす。

「それで、僕はどうしたらいいの?」

「どうしたら、とは?」

 首を傾げると、鈴鳴はおいおいとばかりに詰め寄ってくる。

「何か考えがあったんじゃないの。暮明に勝つための算段とか」

「なんもなか。の文化をもう少し知ってたら考えようもあるかもさんが、今のうちには思いつくわけなかとよ」

「気楽だなあ。まあ、そんなことだろうとは思っていたけどね」

 露骨に考えなしという目で見られるのは心外なので、雲雀は何か良い案はないかとしばらく真剣に悩んだ。そして思い付いたことを口にする。

「親王には神事を取り仕切る仕事があるたいね?」

「ああ。帝一族は、大蛇神の首から生まれたあらひとがみだからね。神話にちなんだ行事には一通り参加するよ」

「大蛇の首から? さんくさ」

「そこはどうでもいいじゃないか」

 返す鈴鳴も、その伝説を真剣には信じていない様子である。

「そういう行事で、暮明と正々堂々争えるような場はあるん? 武家では御前試合と言って、年に一度、頭領の前で武芸を競い合うっちゃが」

 言うまでもないが、試合の優勝者は七年連続で雲雀である。

「……それでいったら、直近でまつりだな」

「祀矢?」

「若い親王が、春の訪れを祝って弓矢の腕を競う行事だよ。親王は僕と暮明だけだから、結果的に二人で優劣をつけることになる」

 祀矢は、初代帝が父である大蛇より国を任されたとき、その威光がはる彼方かなたまで届くようにと、東へ向かい三本の矢を放ったという逸話にちなんだ神事だ。

 一本は大地に恵みを与え、一本は天災を封じ込め、一本は民に服従を求めたという。

 祀矢では、親王達が十六間先の的に向かって、各々三本の矢を放つ。そのうち、より的の中心をけた者が勝者となり、帝より褒賞が与えられる。

「という行事が、二十日後にあるにはあるんだけど。まあ、祀矢では暮明に勝ちようがないから、別の手を考えたほうがいいね」

 説明しておきながら、鈴鳴はあっさりとあきらめを口にする。

「去年までは元服した親王は一人だけだったから、勝負ではなく、暮明がただ矢を放つだけの神事だったんだけど、すごさを改めて思い知らされたよ。何せ、あいつの矢はことごとく、的の中心に収まったんだからね」

 去年の実績を考えれば、今年も中心を外すことなどそうそうないだろう。

 鈴鳴がそう考えるのも無理からぬことではある。

「諦めると?」

 だが、その引き際の良さが気に食わず、雲雀は挑発するように言った。

「いやいや……、まさかだけど勝てると思ってないよね。相手はあの、暮明だよ?」

 雲雀の意外な反応に、動揺を隠せない鈴鳴。

「貴女も戦ったことがあるなら分かるはずだ。武芸で勝負はありえないって」

「戦場では見んかったから、暮明の弓がどれほどのもんかは知らん。でも、祀矢の勝敗のつけ方なら勝算はあるんやない? 三本とも中心を穿うがてと言われたら実力の差が出るが、そのうち一本がより中心に寄っていれば勝ちなら、やりようもあるかもしらん」

「まぐれ勝ちしろってこと?」

もちろん、まぐれが起こりそうなくらいには弓の腕を磨かないと話にならんがね。仮に負けたとしても、一本でも的の中心に収まれば、皆がきさんを見る目も変わるんと違う?」

「それは……、そうかもしれないけれど」

「煮え切らん男たいねえ」

 あきれた雲雀は立ち上がり、鈴鳴の横に並んで座った。

「な、なに?」

「うちは鎬雨に文で勝つ。ならきさんは、暮明に武で勝たんと」

 そう発破をかけて、その肩を強く抱く。

 改めて触れてみれば、鈴鳴の身体は本当にきやしやだった。

 ほうから伸びた首は白くて細く、襟足の細かな産毛を見ていると、たくましい暮明に武芸で勝てる見込みなど皆無だと、雲雀でも思ってしまう。

「本気で言ってるの……?」

「本気も本気たい」

 それでも、雲雀は確信に満ちた表情を浮かべ、鈴鳴を鼓舞する。

 無理にでも信じてやろうと思ったのだ。この頼りない夫が、二十日間のうちに成長し、暮明や、観衆に一杯食わせる、その姿を。

「奇跡でも起きない限り、無理だよ?」

「帝一族は、神である大蛇の血を引いとるんやろ。なら、奇跡くらい起こしてみせんか」

「その理屈で言うと、暮明も引いてるんだけどねえ……」

「そういうとこだけ、大人みたいな返し方せんでくれん。可愛げがないわ」

 はあ、と鈴鳴は大きくため息をつくと、やれるだけやってみるとつぶやいた。

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八雲京語り 宮廷に鈴の音ひびく 羽根川牧人/富士見L文庫 @lbunko

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