私の教科書がイケメンだった件

山田小百里

私の教科書がイケメンだった件

 いつも思うんだけど、日本語で書いてない教科書ってあるよね。

 英語なら仕方ない。だって、英語の教科書だもん。でも、数学とか、物理とか、意味わかんないんですけど。およそ日本の高校生の教科書とは思えないくらい、日本語の意味が分かんない。

 ああ、明日から期末試験なんだけどもう間に合わない…。数学と物理は捨てる! もう良い、もう寝ちゃおう!


 もう日付も変わろうかという時間帯、教科書を睨んで私ーー佐井夏海なつみ 公立高校一年生ーーは呻いていた。


 両親共に教師で、姉は国立大学に通ってる。妹二人も優秀で名門私立に在学中。

 優秀な家族の中、私だけが普通、いや普通以下かもしれない。

頭の出来も、顔も絶対姉や妹に敵わない。せめて、並くらいでいたいと思うんだけど、「どうせ私なんか」って気がして中々うまくいかない。


 テストを「捨てる」なんて言ってはみたものの、やっぱりなんとかしなくっちゃって焦ってたのかな。だから、こんな夢を見たのかもしれない。


 夢の中、いくつもの一人用のスチール机と椅子が教卓に向けて並べられている。教室、みたいだけど私の学校ではなさそう。まぁ、夢だからね。

「お前が敬遠されるのは解るんだが、何でオレまで敬遠されるんだ?」

 教卓の斜め向かいの席に座った男子がボヤいた。机に両足を乗せ、無駄に長い脚を組んでいる。紺のブレザーの袖を折り上げ、臙脂のネクタイはゆるめられている。

 メタルフレームの眼鏡に小さい顔。眼鏡萌だわ。

「なにを言うんです。数学も物理も論理的で美しい学問です。嫌われるはずがない」

 同い年かな? ネクタイが色違いの制服を着た、もう一人の男子が断言した。見本といっても良いくらい、きっちりと制服を着ている。カッターシャツも第一ボタンまで締め、ブレザーの前も閉じてる。短くさっぱりとした髪型と黒く野暮ったいセルフレームのせいもあるのか、神経質そうに見えるのがマイナスかな。せっかく顔立ちはきれいなのになぁ。

「見てください、この美しい数式を! 物理の公式だって美しいじゃないですか」

 セルフレーム君が二つの本をメタルフレーム君が脚を乗せている机の上に広げた。

 あれ?これって、私の教科書じゃない? 隅っこの落書きに見覚えがある。

「おいおい、数学。オレまで手荒に扱うんじゃねぇよ」

 メタルフレーム君ー物理君は慌てて脚をおろし、物理の教科書を抱え込んだ。

「失礼ですね。僕がそんな乱暴なことをする訳ないじゃないですか」

 セルフレーム君ー数学君は拗ねたように唇を尖らせた。可愛いっっ。

 じゃなくて、この二人は私の教科書を擬人化した子ってことでいいのかな? こんな子たちだって分かってたら、もっと丁寧に扱ってたし、意味わかんなくてもちゃんと読んだのに。よし、明日からはそうしよう。

「だいたい、物理の『誤差』ってなんですか。極限まで証明しないとダメじゃないですか」

「うるせぇなぁ。数学と違って物理は実際に実験すんだよ。理論だけの数学と違って何回も検証できねぇし、しゃぁねぇだろ」

 物理君はそっと教科書を机に置いて、傍らに立つ数学君を見上げた。ちょっとうんざりしたような口調なのは、何度も同じようなやりとりをしたからかな。

「そうかも知れませんけど…」

 納得いかない様子で、物理君はまた唇を尖らせた。可愛い。

「相変わらず仲良しだな、あんたらは」

 ツヤツヤの黒髪の美少年が不意に現れた。モスグリーンのブレザーに緑と灰色のストライプのネクタイ。切れ長の目が涼やかで、このタイプも好みだなぁ。この子も何かも教科書かな?

「さすが『理数系』、ということですかね」

 淡い色の長髪をサイドで三つ編みにした儚げな美少女風の男子。同じくモスグリーンのブレザーに青と灰色のストライプのネクタイ。物憂げな佇まいに、折れそうに細い肢体。この無駄な色気は何なんだろう。

「おう、日本史、古典。別に仲良しじゃねぇよ。人をニコイチみたいに言うんじゃねぇよ」

「あら、似たようなもんですよ。ねぇ、そう思うでしょう、日本史も」

 物理君の後ろの机に腰掛け、美少女風の古典君は日本史君に同意を求めた。わずかに首を傾げる仕草が、自分の魅力を知り尽くしているようであざとい。

「そうだな。門外漢にとっては似たようなもんだな。なにを言ってるのかさっぱり分からん」

 オレが文系だからかね、と日本史君は笑った。

 そうそう、そうなのよ。物理と数学って、日本語とは思えないくらい難解なのよ。意味が不明すぎて、理解しようとする気にもなれない。

「あぁ? そんなことないはずだぞ。救急車や消防車が通るだろ。通り過ぎたら、サイレンの音の高さが変わるだろ? それは知ってるよな」

「確かに変わるな。それも物理なのか?」

 それなら私も知ってる。確かに変わるね。日本史君の返答に、物理君は得意げに答えた。

「『ドップラー効果』って言うんだ。何で音の高さが変わるか、それを説明するのが物理だ。物理ってのは、身近な現象を説明するもんなんだ」

 ふむふむ、そうなのか。

 物理君は立ち上がり、教卓の向こうのホワイトボードに図を書き始めた。

「音ってのはな、波なんだよ。音の出るものの周りに同心円状に広がるんだ。音の出るものが動けば、その同心円に偏りができるんだよ。進む方向の波の間隔が狭くなるんだ」

 お世辞にもうまいとはいえない図なんだけど、イメージは分かる。

「そうすると、音が高くなる。通り過ぎると、低くなるのはそのせいだ。後ろは間隔が広くなっているからな」

 私が思い浮かべた絵が、カエルの泳いでいる姿なのは謎なんだけどね。まぁ、泳ぐときに波はできるけど。

 古典君も日本史君も頷きながら聞いている。

「ものの動く速さと音の高さの関係には関係があってな、速く動くほど、音が高くなる。その関係が公式になるんだ」

「その公式を導き出すのに数学が必要なんです」

 数学君がドヤ顔で割り込む。物理君には数学君が必要なのか。そりゃ、ニコイチだね。

「やっぱり、ニコイチじゃないですか」

 古典君の指摘に、物理君が眉をしかめる。

「物理だけじゃなくて、化学でも経済でも数学使うだろうが」

「そうなんですか? 数学」

 古典君が数学君に問いかける。全く知りませんでした、と小首を傾げる様子が可愛い上に、睫毛長くてうらやましい。

「そうですよ。数学を使わないと利息計算もできませんからね」

「モテモテだなぁ、数学」

 得意げな数学君を日本史君がからかう。からかわれたことに気づかず、数学君はますます得意げだ全く知りませんでした、と。少しずり落ちた眼鏡を押し上げる。

「そうでしょう。僕はアイドルなんです」

「そっかぁ、アイドルなのか」

「そうです、数学の公式はとても美しいんです」

「それも知りませんでしたよ」

 日本史君と古典君が微苦笑で数学君に応える。取っつきにくいまじめな子かと思ったけど、数学君可愛いなぁ。子犬っぽい。きっと一生懸命教えてくれるんだろうなぁ。こんなに可愛い子が教えてくれるんなら数学勉強してもいいな。

「物理の証明に数学が必要なら、一緒に勉強すりゃいいのに別々なんだな」

 ふと、思いついたように日本史君が呟いた。

 確かにそう! そうなのよ。なにに使うんだかわかんない数学の公式なんて覚える気にならないじゃない。物理だって、身近な例えで話してくれないと興味持てないし。

「まぁ、確かにな。取っ掛かりはその方がいいだろうな」

「そうしたら、僕、もっと人気でますかね」

 不承不承、といった感じの物理君と、目をきらきら輝かせる数学君。なかなか良いコンビじゃない。

「オレと古典も一緒に勉強した方が良い部分もあるな」

 日本史君が筋張った手で古典君の頭を撫でる。古典君は気持ちよさそうに微笑んで応えた。

「そうですね。背景が分からないと理解しづらい作品もありますからね。額田王の和歌は中大兄皇子と大海人皇子との三角関係を知っていたら、昼ドラっぽくて面白いんですけどねぇ」

「違いないな。せっかく読むなら、面白く読みたいよな」

 日本史君はニヤリと笑った。

 今でもそうだけど、小説とか物語ってその時の時代を映してたりするもんね。

「平家物語となんかは、歴史が分かっていれば物語の流れが理解しやすいもんな。ということは、オレと古典もニコイチだな」

「うふふ、嬉しいです」

「お前等の方が仲良いじゃねぇか」

 微笑み合う二人に、物理君が小さくつっこむ。本当に日本史君と古典君は仲良しなんだね。

 っていうか、教科同士が関連してるなら、一緒に勉強した方が効率良さそう。しかも、こんなに可愛い子たちが教科書なら、俄然やる気になるよ。なんか、今まで損してた。

 目が覚めて、この夢を覚えてたら妹たちにも教えてあげよう。関連づけて勉強したらもっと分かりやすいよって。

 私ってば、なんて良いお姉ちゃんなんだろう。


 …なんて、のん気に考えてた夢の中の私を殴ってやりたい。

 うちの妹たちは私なんかよりずっと優秀だったわ。忘れてたけど。

 朝食の席で夢の話をして、関連づけて勉強すればいいのよ、なんて言ったら、

「え? なんで関連づけて勉強してないの?」

 ってすぐ下の妹、秋良あきらが突っ込んできた。だって、そんなこと考えつかないじゃない。

「はるえおねえちゃんがおしえてくれなかったの?」

 一番下の妹、冬香が不思議そうに質問した。

 そんなこと、全然全く聞いてませんけど。春恵姉さん、私には厳しいからなぁ。贔屓だ。

「夏海が聞かないだけじゃない。聞かれたら教えるわよ、そんなことぐらい」

 春恵姉さんが面倒くさそうに言う。気持ちが顔に出てたのかな。

「夏海が鈍くさいのは、運動神経だけじゃなかったのね。同じように産んだつもりだったのにごめんなさいね」

 ママは俯き、涙を拭う仕草をした。面白がってるよね、この人。

「まぁ、これから関連づけて勉強するようにすれば大学受験には何とか間に合うんじゃないかな? 今日の試験には間に合わないけどね」

 穏やかなパパの言葉に顔面蒼白になる。すっかり忘れてたけど、今日は物理と数学の試験がある。どうしよう、捨てるつもりで全く勉強してない。物理君も数学君も、試験範囲の話をしてくれたら良かったのにかすりもしてない。

「しかし、教科書がイケメンになるなんて、相変わらず面白いこと考えるのね、夏海は。ママ、夏海のそうゆうところ好きよ」

「想像力が豊かなんだね、夏海は」

 ママとパパのフォローも耳に入ってこない。

「ゆふかのきょうかしょもゆめに出てこないかな?」

「寝る前に教科書読んだら出てくるかもね」

「はるえおねえちゃん、ほんと?」

「かもしれないわよ」

「私もやって見る。冬香、出てきたら教えてあげるね」

「わー、たのしみ」

 和やかな朝食のはずなのに、私だけ凍り付いていた。


 その日の試験の結果が散々なものだったのは言うまでもない。

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