門出ー1

 その場に残されたソルトはというと、後味の悪さが残る微妙な気分を抱えながらも、それを表に出すことなく、同じく残った先輩たる少女を見つめていた。


 彼の気分が分からないでもないバニラは、こほんと一つ軽い咳をついて重い雰囲気を幾らか和らげ、とんがり帽子の角度を変えて、ソルトにゆっくりと向き直る。


「さて、ソルト。我が後輩よ。小僧が迷惑を掛けて済まなかったな。あやつはあれで、悪気はないのだ。気を悪くしたかも知れぬが、許してやってほしい」


「……別に迷惑は掛けられてないけど、緊張はしたかな」


 彼の肩から力が抜けるのを見て、バニラはくぐもった笑い声を漏らした。あの胡散臭い笑顔の小僧は、なんだかんだいっても人からの印象は良好なのだ。老若男女を魅了するその笑顔は長所であり、短所でもあるのだが、ソルトという人間にとってのそれは、緊張の種という短所にしか働かなかったようである。


(流石は、我の見込んだ後輩よ)


 自身のような口下手な者の方が、あの優男である小僧よりもソルトと話せているということに、バニラは少々面映ゆいものを感じずにはいられない。同じ学校を卒業した者として、性格的に近しいものがある同類として、いささかながら嬉しい感情があるのは事実だった。


「ま、あの小僧のことは端にでも置いておこう。今お主に話しておきたいのは、あの『手負い』についてのことじゃ」


 彼女は立ち話もなんだからと言いながら、その場に椅子を二脚ばかり出現させて、ソルトに勧めて自分も座った。さて、どう話していったものかの、と呟きながらも、彼女は思いつくままに言葉を並べていったのである。


「今回討伐したのはブラックグリズリーの成体と『手負い』の二体じゃ。細かい差異はあったものの、『手負い』の方もブラックグリズリーだったのじゃろうな」


「僕もそう思う。だけど、あの『手負い』はなんと言うか……普通じゃなかった」


「ふむ、確かにそうよな」


 バニラは相槌を打ちつつも、ソルトの思考をなぞってゆく。


 彼が疑問にしている点は、幾つかあるだろう。当初、討伐作戦で推定していたブラックグリズリーでさえ、成体であったのだ。となれば、その成体よりも一回り以上の体格を持っていたあの『手負い』は、どういった理由であれほど大きくなったのだろうか。


 ソルトは考えに没頭したまま、思っていたことを口にした。


「……もしかして、人為が介在している?」


「お主もやはり、そこに行きつくか」


 バニラは陰鬱極まりない表情を崩さぬまま、ソルトの呟きに同意した。


「天然自然があの巨体を育んだのなら、まあ許容もしよう。しかし、不審な点が多すぎる」


 どうしてあそこまで強大な存在が、こんな辺鄙な山の中に逃げ込まざるを得なかったのか。傷だらけであったが、それで苦しんでいた様子もないのは何故か。そもそも、あれだけの傷を一体何者が刻むに至ったのか。それほどの傷を刻んでおきながら、何故むざむざと取り逃がしたのか。


「もしかしたら、全部偶然かもしれないけど?」


「偶然なら良い。偶然ならな。だが、『手負い』の存在がどのギルド支部にも通達されていないというのは、ちと悪意が働き過ぎているのではないかな?」


「……調査の方は?」


「できることから進めておる。『手負い』の解剖・解析に関しては、トリントルの研究所が任に当たる予定らしい。しかし、時間も人手も足りぬわ」


「冒険者ギルドであっても?」


「うむ。なにせ、その件につきっきりというわけにもいかぬからの。有望な人材は、どんどん他の任務を割り当てられててんてこ舞いよ」


 そこでじゃ、とバニラは言いつつ体を前に乗り出して、ソルトの瞳を覗き込む。その眼差しは真摯なもので、澱んでこそいるものの、しかし不快を起こさせるような色は無く、どこまでも真っ直ぐな意思を感じさせる。


 彼女はソルトの瞳の奥に潜んでいる心に語りかけるかのようにして、厳かに言葉を紡いだ。


「ソルト、お主の力を貸してほしい。我らのパーティに入ってはくれぬか?」


 彼はどこか意識の片隅で、その言葉をずっと待っていたような気がしてならなかった。誰かから頼られることを、ずっと昔から期待していたような気がした。自分のやれることをやり、それで人の喜びを感じる。その可能性を広げるために、わざわざ都会にまで連れ出され、魔法学校というものにも通ったのだ。


 魔法学校の卒業に至って、自分という存在に価値を認める者は社会にいないのだと痛感させられたが、しかし、目の前にいる死んだような目をした少女は、こんな自分に価値を見出してくれているのである。自分の力を借りたいと、言ってくれているのである。


 ソルトが黙して言葉にできない感傷と感情に浸りつつ考えている間、バニラは待ちの姿勢に入り、返事が起こるのを待っていた。


 別に、今すぐ決めろという話でもないと、彼女は冷静に考えている。彼に目をつけているのは自分たちくらいのものであるし、他の冒険者たちに引き抜かれないように村長へと根回しを行って、ソルトについての情報は伏せてもらっている。


 都会の多くのギルドは彼を不要と断じているということであるし、もし手の平を返した態度を取っても、ソルトが頷くとは思えない。そもそも、そのような機会が訪れることは万に一つもないだろう、と彼女は自身の経験からそう推測している。


(もし入らぬと言っても、今のところはまだ構わぬしな)


 それはそれで、彼は村で魔道具店を営んでいくであろうし、店に顔を出していくだけのことであるとバニラは簡単に割り切っている。パーティに入らなくとも、彼が店を営み続けてくれる以上、彼女としては特に現状、問題らしい問題は無いのだ。もちろん、素直な感情としては自分たちのパーティに加わってもらいたいのであるが。


 それほど長くも短くもない時間が過ぎた頃、ぽつりと、ソルトは呟くように彼女に尋ねた。


「……僕、魔物と戦闘するのって苦手、というか、体を動かすのも苦手なんだけど、それでも大丈夫?」


「問題ないのう。我も戦闘するのは苦手だし、むしろ戦闘中は動いておらん。もっとも、お主に戦闘を任せるほど、我らのパーティメンバーは腐っておらんよ」


「……魔道具製作や改良とかしかできないけど、それでも良いの?」


「むしろ、我はその点を大いに買っているぞ。ペッパーの小僧辺りはお主の知識や発想に興味がありそうじゃが……、ま、いずれにしても拠点で活動してもらうことになるから、村にいるままというわけにはいかぬがの」


「うん、それは別に構わないかな……」


「ならば、大方決まりかの」


 その姿に似合わぬ慎ましさをもって、バニラは両手を軽く合わせた。すると、軽く弾けるような音と共に、椅子に合わせた高さのテーブルと、その上に幾枚かの紙片が現れる。それらは冒険者のパーティに加入するために必要な契約などの、各種書類の見本であった。


「冒険者には自由な印象が広まっているようじゃが、一応は歴とした職業じゃからの。契約はきっちりと行い、双方の合意がなければなるまいよ」


「流石は先輩……しっかりしてるね」


「うむ。それと、契約内容についてはじっくり考えたいじゃろうから、それらの書類は持ち帰って良いぞ。もし疑問や文句があったら我に連絡を入れよ。応えてやろう」


 ちなみにこれが我の連絡コードじゃ、と言って銀のカードを手渡された。そこには所属先と名前、そして連絡用のコードが書かれており、渡す者と渡される者の魔力紋を記録して文字が表出するという魔道具であるらしい。


 書類をさっさと腰元の袋に仕舞ったソルトは物珍しげにカードを表に裏に返し、舐めるように観察をし始めた。見たことのない魔道具に関して、好奇心を強く刺激されるという悪癖を彼は持っているのである。


 バニラは微笑ましげにそれを見ながら、指をぱちりと鳴らして椅子とテーブルを消失させた。


「さて、そろそろ我も失礼する。契約を履行する準備が整ったら、王都の冒険者ギルドを訪ねるが良い。ギルドマスターに話は通しておくから、不安に思うことはないぞ」


 ではまたのう、と言いながら、のんびりと歩き去っていくその後ろ姿を、ソルトはしばらく見送った。姿が見えなくなった後に、再びバニラから渡されたカードを観察し始めたソルトであるが、それも長くは続かなかった。


「ソルトくん! やっほ!」


 姉貴分のシュガーが、ひょっこりと姿を現したのである。いつの間にすぐ側まで来ていたのか彼には分からないが、恐らく魔道具に夢中になっている内に、近づいてきていたのだろう。


 その顔が妙に血色良く赤色に染まっていることから察するに、かなり酔いが回っているようである。意味もなくにこにこと緩んだ笑みを浮かべ、ソルトの頭やら背中やらを軽く叩いては喜んでいる。


「……シュガー、酒はほどほどにしといた方が良いよって、前もって言っておいたよね?」


「分かってる! 分かってるって! お姉さんは約束を守る女だよ!」


「……お守り絶対無くさないとか言って、落としてたよ」


「約束破ってた! ごめんなさい!」


 何がおかしいのか、お腹を抱えて笑い転げているシュガーである。時折、涙を流して泣いてもいるし、怒ったように声を荒げてもいる。情緒と行動と言動の不安定さは酔っぱらいのそれであり、思わずソルトは頭を抱えた。


 彼女の母たる村長の言い分では、酔っぱらっている最中の言動や行動は酔いが醒めても覚えているらしいので、会話が成立しなくとも、言葉を聞かせておくことは無駄ではないとのことである。翌日に酔いが完全に醒めたら悶絶するのではないだろうか、とソルトはいささか心配になったが、そこまで面倒は見切れない。


 ともあれ、ソルトとしてはこの迷惑な酔っぱらいと化しているシュガーを、なんとか宥めて家へと帰し、バニラから渡された各種書類に目を通しておきたいのだ。


「ほら、シュガー。そろそろ宴会もお開きだから、酔っぱらいは家に帰って寝なきゃ駄目だよ」


「え~? じゃあソルトくんも一緒に寝ようよ~! うん、それが良いよね!」


「酒臭い人と一緒に寝るのは嫌だな……」


「ひ、ヒドい! と、それはそれとしてソルトくん。何か、私に言っておくべきことがあるんじゃないかな? あるよね? あるんだよ!」


「言っておくべきこと?」


 唐突に振られた話題について思考を飛ばしたソルトの耳に、笑いを収めたシュガーが真剣な表情でもって、囁くように言ったのだ。


「冒険者になるんでしょ?」


 ソルトは僅かに目を見開いてシュガーを見たが、その表情はいつもの笑みで、先ほどの真剣さなど微塵も残ってはいない。


「正直さ、ソルトくんが冒険者になるなんて思ってもいなかったよ。私としては、まだ実感が湧かないねえ。ソルトくんはどうかな?」


「どうって?」


「冒険者として、やっていけると思う?」


「それは……分からない」


 分からない、としか彼には言えなかった。荒事に対する治安の維持を専門としているという職であるということは知っているが、逆に言うとそれくらいしか知らないのである。圧倒的に知識が足りず、覚悟も足りず、正直なところ、彼自身も冒険者になる自身の気持ちに持て余しているところがないではなかった。


「でも、やってみたいとは思ってる」


「どうして?」


「……自分の能力を、技術を、知識を、評価してくれた人の期待に応えたいと思うから、かな。価値を認めてもらえて嬉しいから、ちょっとやってみようかなって、そう思ってる」


「なるほどね。でもま、確かにあのバニラさんは見た目よりずっとしっかりしてるし、彼女がソルトくんを守ってくれるなら、私も安心かな!」


「……シュガーってどっちかって言うと、姉さんというより母さんみたいだね……」


「甘えてもらってもいいよ! ほら、どーんと飛び込んで来なよ! どーんと!」


「酒臭いのはちょっと……」


「ヒドいなあ!」


 二人して朗らかに笑った後、シュガーは優しい微笑みを湛えてソルトに頷きかけた。


「うん、まあ、元気でいってらっしゃい! 困ったことがあったらいつでも戻ってくれば良いからさ! 安心して行ってくるが良いよ!」


「……ありがとう、姉さん」


 俯いて呟かれたソルトの言葉を、シュガーは頭を撫でながら、聞こえなかった振りをした。もしその言葉が心にまで届いてしまったら、きっと、笑顔で送り出せなくなってしまうだろうから。


   ◇ ◇ ◇


 宴会の日から数日が経ち、村は元来の平穏を取り戻した。

 神経を逆撫でするような雰囲気は鳴りを潜め、ゆったりとした空気が再び流れ始めている。


 冒険者チームは宴会の翌日に討伐チームを解散し、パーティ単位の集団に分かれた後、それぞれの拠点へと帰っていった。


「人数が多いと、それだけ軋轢を生むからね。パーティ人数を制限しているのはそのためだよ」


 とは、第二部隊を率いていたキーリの言葉である。彼女は任務中、狩人として森を先導したシュガーをいたく気に入ったようであり、それとなく冒険者としての心構えを説いてくれたのであった。


 ともあれ、魔物の騒ぎは終息し、人々は自分たちのあるべき日常へと戻っていったのである。ただ、新たな日常へと踏み出してゆく一人を除いて。


「……まあ、こんなもんかな」


 ソルトは自身の魔道具店舗を手の平に収まるくらいまで縮小させると、それを腰元に括りつけている袋に入れた。これで彼の知る限り、村に残しているものといったら、目に見えぬ人間関係くらいのものである。

 両親には報告を済ませたし、村長にも報告を終えて村を出る許可を貰っている。


「何か困ったことがあったら、いつでも相談してちょうだいね」


 慈しみのある笑顔を湛えて、村長はソルトにそう言ってくれたが、しかしソルトは今回の件に関して村長の助力が大きいということをバニラたちから聞いていたため、よほどの事情がない限りは助けを借りないようにしようと心に決めているのであった。


 もっとも、後々には彼の方からではなく、村長の方から幾つか頼まれごとや魔道具の注文を受け付けるようになるのであるが、現在のソルトはそのことを知る由もない。


 旅支度、というほどの恰好をソルトはしない。村に帰ってくるときもそうであったし、村を出るときもそうである。よれよれの黒いローブを着こなして、ゆっくりのんびりと道を歩く。


 畑に出ている村人たちは前と変わらず三輪駆動車を乗り回しており、ソルトが歩いているのに気が付くと、おーいと手を振り大声を上げる。


 帰ってきたときこそ恥ずかしくて手を振り返せなかったソルトであるが、今は気分か調子が良いのか、手を振り返すことくらいはできた。その表情は、相も変わらず不景気そうな仏頂面のままであったけれど。


 手を振りながら道を歩いていると、村人の声の中に「都会でもがんばれよ」とか「風邪を引かないようにね」とか、ありきたりだがありがたい言葉の数々が含まれていることが分かる。それは以前の彼なら気付かなかったことではあるが、しかし今の彼にとって、そうした言葉の数々はそれなりに心を温めてくれる効果があり、そして同時に、一抹の寂しさを感じさせるものであった。


(少し滞在している間に、どうやら愛着……を持ったのかな?)


 彼は今更になって気付いた自身に呆れを覚え、そして同時にそれを笑えるだけの余裕を持っている自身を思い、口元だけで苦笑を漏らした。短い時間ではあったが、故郷での滞在が自身を少しは成長させてくれたらしい。


(成長の要因は少しも分からないけど……)


 これから訪れる未来でも、そういう場所に溢れていてくれたら良いと、彼はそう思う。自身の成長が周囲の幸福に繋がるものではないかと、そうあって欲しいと、意識のどこかで思っているから。


 村の入り口にさしかかると、そこには見慣れた人影があった。


 濃緑の防護服に身を包み、手には同色に染められた銃を持っている。それは彼女の狩り姿であり、彼女というのは誰あろう、姉貴分のシュガーである。


「やあ、ソルトくん。これから行くんだね?」


「うん。シュガーはどうしてここに?」


「途中まで一緒に行こうと思ってね。ついでに、猪でも仕留めてソルトくんにお土産を持たせてあげようかと思ってさ!」


「……なるほど、お土産は要るかもね。流石に生肉は駄目だと思うから、適当に町で菓子でも買っていくよ」


 ざんねんだなぁと楽しげに言いながらも、シュガーの顔にどことなく、ほんのりと寂しさを感じたソルトであったから、彼にしては珍しく、取ってつけたような言葉を加えた。


「まあ、たまには遊びに来なよ。学校とは違って、それほど規則は厳しくないから」


「えっ、遊びに行っていいの?」


「入り浸らなければ、良いとは思う」


「やったー!」


 半分ほどは社交辞令で言ったものの、意外にそれも悪くない案かもしれないなと、ソルトはシュガーの喜ぶ様を見て、微かに表情をほころばせた。






 魔道具の生産革命から僅か数年余経ったに過ぎない黎明の時代。

 人々は未だその有用性を完全に理解し得ないでいた頃の話である。



 このとき、ソルトは僅かに十六歳。

 成人として、社会的な立場を得られる年齢となったばかりであった。

 故郷を飛び出し、洋々たる世界を見るため、未知へと船を漕ぎだしてゆく。

 己の前途に何を思う余裕もなく、必死に今を見つめて生きていた。

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巨大魔物討滅作戦 広畝 K @vonnzinn

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