銀座♡♠♢♣︎ギンザ


私の街には決まりがある。

雨の日は必ず顔を隠す事。

顔を隠せれば何でもいいの。

お祭りの屋台で売っているようなお面でもいいし、仮面舞踏会で着けるような仮面でもいい。

風邪をひいた時に着けるマスクだっていいわ。

兎に角顔を隠さなければならない。

そんな訳で、雨の日のギンザにはユーモアが溢れているの。

そこらかしこを楽しげな面を着けた人達が歩いているんだもの。

だから私は雨の日が大好き。

でもそんな私の大好きな雨の日のギンザを壊す人が居るの。

何も着けずに、素顔のまま街中を闊歩する。

なんていけ好かないのかしら。

今迄は街中を歩くだけだったのに、最近は道端に止まって歌まで歌うのよ。

最恐で最悪。

なんておぞましい。

それなのに、皆何故かその愚者が奏でる旋律に耳を傾ける。

どうして?

私の街の決まりが守れないような不逞な輩の歌なのに、どうして皆聴き入ってしまうの?

どうして…私は、泣いているの?

「お嬢さん」

気づけば私もその人の前で立ち止まっていた。

雨に濡れた身体はもうすっかり冷たくなっていたけれど、そんな事どうでもいいわ。

「…なぁに?余り話し掛けて欲しくはないのだけど?」

「これは失敬。いや、お嬢さんはいつまでその仮面を着けているのかと思ってね」

「…何を言っているのかしら?雨の降っている日は仮面を着け、顔を隠すのがこの街の決まりよ。貴方達がおかしいの」

「そんな下らない決まり、誰が考えたのさ」

「下らないですって?随分と不躾な方なのね。決まりが守れない上にこんなに失礼な事言うなんて」

「気を悪くしたなら謝るよ。でも本当の事だ。ほら、周りを見てご覧。もう仮面を着けているのはお嬢さん、あんただけだ」

私は慌てて周りを見回した。

でも皆しっかり仮面を着けていたわ。

ちゃんと顔を隠していた。

隠していないのはこの人達だけ。

「…貴方達嘘までつくの?本当に最低ね」

「嘘なんてついてないさ。あんたには、周りがまだ仮面を着けているように見えるんだね」

「………どういう事よ」

「言葉通りさ」

「…ああ言えばこう言う。口ごたえする殿方は女性から嫌われるわよ?」

「ははっ、それも結構」

ケラケラと笑う声がやけに大きく聞こえる。

耳障り。

「それよりも、さっきの俺の問いにまだ答えて貰ってないんだけど?」

「……………」

「あ〜あ、遂に黙りこくっちゃったか。あんたが答えらんないなら俺が答えてやるよ。この街の、この下らない決まりを作ったのは、お嬢さん。あんただ」

………………?

この人は何を言っているの?

これ以上話していたら低俗が移ると思って口を噤んだら…自分勝手に話し始めて…。

一体何を言っているのかしら?

それに自分の質問に自分で答えるなんて、馬鹿にも程があるわ。

「身に覚えがないかい?それとも、意図的に忘れちゃった?」

「……貴方が何を言っているのか、私には理解出来ないけれど、一つだけ分かった事があるわ」

「…一体何だい?」

「貴方と私は分かり合えない、という事よ」

「ははははっ!!そりゃそうさ。俺とあんたは他人だ。違う世界で生きる違う人間なんだ。完璧に理解し合い、分かり合う事なんて出来るわけないよ」

「ええそうね。貴方の事なんて理解したくも…」

「理解したくも無い、ってか?」

「……人の言いかけた言葉を掠め取って、あたかも自分の物のように口にするのはどうかと思うわ」

「それは失礼。でもあんたは、いつまでそうやって耳を塞ぎ、顔を隠して生きていくつもりだ?」

「顔を隠すのは雨の日のギンザの決まりよ。何度も言っているでしょう?」

「そんな決まりないんだよ!!」

「っ!!」

…突然大きな声を出さないで。

そんな…そんな責めるような声、出さないで…。

「…大きな声を出してすまない。でもこれが本当なんだ。そんな決まりない。仮面を付けていたらいつまで経っても視野は狭いままだ」

「……どうして」

「一度その仮面を取ってみればいい。もしかしたら、もう雨は止んでいるかもしれないよ?」

「…それは出来ないわ。雨はまだ降っているのだもの。でもいいわ、そんなに言うなら私に教えて頂戴。貴方は何故顔も隠さずにこんな所で歌っているの?」

「歌が好きだからさ」

「…好き………?」

「俺は歌が好きだ。歌う事が好きだ。好きな事をやって何が悪い?」

「…悪いなんて一言も言っていないわ。ただ、世界はそんなに甘くないのよ。好きな事をやっていればいいと言うわけでもないし、好きな物を好きと、言えなくなってしまう時だってあるの」

「あんたは、こんな素敵な街で、まだそんなものに縛られてるのか」

「…これが、私が今まで生きてきた中で出さざるを得なかった答えなの」

「そんな仮面を着けてるからそんな答えしか出せないんだ。仮面なんか着けてたらそりゃ好きな物も好きだって言えなくなるさ」

「…どうしても、貴方は私に仮面を外させたいらしいわね」

「ああそうさ。君の着けている仮面の名前を教えてあげよう」

「あら、ただの普通のうさぎさんのお面よ?」

「いいや違うね。あんたが着けてる仮面の名は、体裁だ」

「………今なんて?」

「体裁。あんたは体裁を繕って繕って。そうして体裁という名の面を着けてしまった。だから、好きな事を好きと、言えなくなってしまったんだよ」

「…よく分からないわ。私には難しすぎる」

「周りの目を気にし過ぎるあまり本当の自分を見失い、本当に好きな物を見失ってしまった」

「私は何も見失ってなんかないわ」

「それじゃあ答えてくれよ。あんたの名前は何だ?あんたの好きな物は、一体何だ?」

「私は………私、は…?」

私は、誰だっけ?

私の好きな物って…なんだっけ?

「ほら、分からないだろう?」

「………」

「俺は周りの目なんか気にしない。いくら白い目で見られようと、いくら変人奇人扱いされようとへっちゃらさ。だって、自分の好きな物をしっかり分かっているから。自分のやりたい事を追い掛けているから」

「……好きな物ばかりをやっていればいいなんて、随分と恵まれた世界で生きているのね、貴方」

「誰にだって出来ることさ」

「そんな事ないっ!!」

気づいたら私は大声を出していたわ。

「誰もが皆貴方みたいに生きていけると思わないで!!好きな物をわかってる?やりたい事を追い掛けている?巫山戯るのも大概にして頂戴」

そうよ。

この世界はとても残酷なの。

皆それを分かっているからお面や仮面を着けて生活しているの。

自分を偽って、そうして周りと調和して生きていかなければ簡単に淘汰されてしまう世界だから。

「好きな事をしているだけじゃ生きていけないの。やりたい事を追い掛ける事に疲れてしまう時だってあるの。逃げてしまいたい時だってあるの」

「だったら逃げればいいさ」

「え…」

「逃げればいい。休めばいい」

「だって……そんな、簡単な事じゃ…」

「簡単さ。世の中はとても簡単に出来ている。それを難しくしてしまっているのは皆、自分自身なんだよ」

「………」

「さっきの俺の言葉、覚えているかい?」

「…どの言葉の事かしら?」

「他人同士なんだから完璧に理解し合い、分かり合う事なんて出来ない」

「ええ勿論覚えているわ。私もそう思うもの」

「でもこの言葉には続きがあるんだ」

「続き?」

「ああ。他人同士なんだから完璧に理解し合い、分かり合う事なんて出来ない。けれど、歩み寄る事は出来る」

「…………」

「人と人とがぴったりと重なり合い、全く同じ考えを持つ事はほぼ有り得ないと言っていいだろう。でも歩み寄って、隣で似たような思考を巡らすことなら出来るのさ」

「…………そうするために皆自分を偽って周りに合わせているんじゃない」

「いいや違うね。あんたの論と俺の論は似て非なるものだ。俺が言っているのは素顔での対話だ。仮面同士の対話なんて犬も食わないさ」

「仮面を着けたまま発した言葉には犬の餌になる価値もない、という事かしら?」

「まぁそんな所だね。偽物の関係はいつか終わりを迎える。それが分かり切っているのに何故人は仮面を着けたがるのだろうか?」

「…上辺だけの関係を作る事がこの世界で求められているからよ。偽物でも、上辺だけでも、いつか終わるのだとしても、それでも……自分がこの世界から外れる事よりはマシだと、皆思っているの」

「不思議だなぁ。俺は自分を殺してまで生きていくなんて真っ平御免だけどね」

「それは貴方だから思える事よ。さっき貴方は歩み寄る事ならできるって言っていたわよね?貴方に歩み寄ってくれる人はいるの?」

こんなに屁理屈ばかり捏ねて、面倒臭い貴方に、歩み寄ってくれる人はいるのかしら………

「いるよ?」

「え…」

「いるよ、俺には。歩み寄ってくれる人が。勿論多くはないけど」

「………そんな…だって…貴方みたいな人…」

「あんたの目に、俺は相当嫌な奴に映っているらしいね」

どうして…?

こんな…自分勝手に生きているような人にどうして歩み寄ろうとする人がいるの?

私には、いなかったのに…。

皆に合わせて、合わせて。

そうして体裁を繕って。

誰からもいい子だねって、いい人だねって言われ続けてきたわ。

なのに私は、いつも孤独だった。

誰も私の好きな物を、やりたい事を肯定してくれなかった。

理解しようとしてくれなかった。

そうして私は、やりたい事を追い掛ける事もせずに諦めてしまった。

周りが進める道を、仮面を着けて歩いただけ。

恰好、風体、見掛け。

小手先の飾り付けで全てを有耶無耶にしてしまったから、私は……

「中身が、空っぽになってしまったんだわ………」

「空っぽなら、また何かを入れればいい」

「…貴方は何でもかんでも簡単に言うわね」

「さっきも言っただろう。簡単なのさ。空っぽの入れ物に何かを入れる事は簡単だ。しかもあんたは、もう何を入れるべきなのか気づいているじゃないか」

「………私が…好きな物……」

「そう。あんたが好きな物。やりたい事を今からその中身にめいいっぱい詰め込め。パンパンになって溢れてしまったらきっと、それを拾ってくれる誰かが現れる。あんたに歩み寄って、それを拾ってくれる誰かが」

「………遅くは、ないかしら?今からでも」

「遅い?とんでもない。何を始めるのに遅いなんて事は無い」

「でも…でももし上手くいかなかったら?皆に嫌われて、今よりもっと孤独で、一人になってしまったら?」

「もし、なんて言葉は捨ててしまえ。そんなの俺にだって分からない。俺は神様じゃない。未来の事なんて分からない。…でも一つだけ分かる事がある」

「それは、一体なぁに?」

「今よりも、あんたは生きていけるって事だ」

「…………」

「皆誰もが自分の人生の中では主人公だ。その物語をいかに楽しく美しく、且つ魅力的にするかは主人公次第だ。自分の物語の書き手は自分。主人公も自分。全部が全部自分次第だ」

そう…。

そうよね…。

私は…私はっ…!

「私は、主人公よ!」

パリィンッ!!

その瞬間、私の着けていたお面が弾け飛んだ。

粉々になったお面は街に吹いた心地の良い風に吹き飛ばされていった。

「…いい顔してるじゃんか、お嬢さん。大丈夫、きっともうお嬢さんは仮面なんか着ける必要はなくなるさ」

そう言って彼は、とても素敵な笑顔で私を見詰めてくれたわ。

だから私も、彼にとびきりの笑顔で返した。

「どうもありがとう。素敵な歌い手さん。私の物語を楽しみにしていて頂戴な」

雨はもうすっかり止んでいた。

代わりと言っては何なのだけれど、空には七色に輝く美しい橋が架かっていた。

ギンザの街の人は皆、笑顔で自分の道を歩いていたわ。



_________________________________________



今日も銀座の街は雨が降っている。

でも私にはそんな事関係ないわ。

多くもなく少なくもない人集りの真ん中で傘もささずにひたすら歌を歌う。

少しすると雨がかなり強く降り始めてきてしまったの。

流石にこれじゃあ歌い続けるのも無理ね。

曲が終わり、一礼する。

立ち止まっていた人々からの拍手の音は、雨が地面を叩きつける音と重なり合ってとても大きく聞こえたわ。

雨も、拍手してくれているのかしらね?

「こんにちは」

人集りが散り散りになり始めた頃になって、ようやく私は彼に話しかけた。

「こんにちは。今日も来てくれてたんだね。ありがとう」

「いいえ。今日は私の物語を語るためにきたのよ」

「それは楽しみだね。俺の物語とお嬢さんの物語、どちらが魅力的か勝負するかい?」

「それもいいわね。でもいいの?今の私は自信満々よ?だって私の中は好きな物で一杯なんですもの」

「へぇ…それはいい事だ。今日は良い日になりそうだね」

「雨が降っているのに?」

「雨が降っているからさ」

私は、素敵な笑顔を向けてくれた彼に歩み寄って、傘を半分差し出してあげたの。

「さぁ、勝敗の無い勝負を始めましょう?」

そう言って私は彼に微笑んだ。

好きな物で一杯な私達はどちらも勝ち。

勝敗はつかないけれど、とっても素敵な勝負の始まり始まり。

私達は一つ傘の下で、お互いの物語を語り合いながら、自分の道を歩いて行った。

勿論、笑顔でね。

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東京とトウキョウ 月詠 キザシ @moon_Kizashi

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