君の世界は前奏で

 具現化された銃弾が、金切り声と共にエナの体の中央、心臓部に突き刺さる。次の瞬間、鮮血が噴水の如く噴き出すかと思われたが、その胸からは一滴も流れる事は無かった。エナは勿論、背後のエドすらもぽかんと口を広げ、何が起こったか理解出来ずにいる。


 痛みはあったのだろう。すり抜けた弾丸を目で追うエドの挙動はいかにもそれだった。だが、その痛みの痕跡が、何もない。まるで初めから何事も無かったかのように。


「エナ、下がっててくれ」


「う、うん」


 とりあえず、エナを戦線から引かせる。エナがエドの攻撃の対象になっては元も子もない。


「さて…………、さっきは何をしたのかな?」


 ここで漸くエドが口を開いた。


「————さあな」


 余裕を持ってそう言うと、それが癪に障ったのだろう。エドが歯を剥き出して唸った。肉を切り裂く為に発達した犬歯が鈍い輝きを見せる。


「……冒険譚の力を借りて、何をするかと思えば……ただの幻覚魔法か。それも程度が低い。所詮、私に殺される時間を伸ばす為の稼ぎに過ぎない。君には期待していたんだが……失望したよ」


 そう言うが否や、眼前から巨大な獣の姿が搔き消え、背後で一陣の風が通った。振り下ろされる殺気を頼りに太い鉄棒のような腕を肩で受け止め、振りむきざまに左肘を水月に叩き込む。それまで嘲笑に歪んでいたエドの表情が、初めて苦痛に歪んだ。


「なっ————?!」


 この好機を逃す筈が無い、その一心で、隙を見せたエドに打撃を叩き込む。まず、薄に尖ったエドの鼻に強く踏み込んだ掌底を押し込んだ。目頭に涙がうっすら溜まり、堪らず瞳が閉ざされる。


 その瞬間を狙い、ごわごわと荒い獣毛が生い茂った顎目掛けて引っ掛けるような手刀がぶつかった。その顎から伝わったかなりの衝撃が、エドの脳を猛烈に揺さぶっている事だろう。


 何が起こったか理解出来ていない様子のエドが、二、三歩蹌踉めく。次は、その喉を抉るように殴った。大きくせり上がっている喉仏を、横から差し込み、ぐるりと引き抜くように打突する。


「カ————————」


 裂けた口の端から、泡状になった粘つく唾液が飛び出した。恐らく、呼吸が出来ていないのだろう。


 そんなエドに容赦せず、間髪入れずに再び水月に拳をめり込ませた。彼の鍛え上げられた腹筋の間に、俺の拳が入り込み、内部を破壊する。腰をくの字に折り畳み今にも倒れ込もうとするエドに、最後の打撃を叩き込んだ。


「ラストォォォ!!!」


 脚と脚の間。股。そこ目掛けて渾身の足蹴りをまっすぐぶち込んだ。人型の生物に対してはかなり有効な攻撃方法。それに漏れず、エドの弱点でもあったようだ。顔色がさっと青白く変わり、無様に顔面から崩れ落ちる。


 今の今まで俺たちを圧倒していた奴が、静かに頭を垂らす。その事実は、否応無く俺を高揚させた。


「そうか……! そうか……! 」


 顔面を突っ伏したまま、巨狼がぶつぶつと何か呟いている。次の瞬間、土で覆われた毛並みを奮い立たせ、血走った目で俺を睨んで吼えた。


!! 私を! 君の追い越せるレベルまで!!! くっははははははは!!! 面白い!! 」


 その通りだ。俺が放った銃弾は、エナとエドの胸を貫通した際、。丁度、俺のレベルの『15』と釣り合う所まで。勿論、俺がそう簡単にそんな強大な魔法を使える訳は無い。もう俺の中の残存魔力は空っぽだ。


 だが、良い。レベルさえ同じなら、そんな茶地な物必要ない。


「やっぱり私の目に狂いは無かった!!! 何故、君に冒険譚がのかは分からない!!! だが! これで対等だ!! 」


 その巨体を軽く弾ませ、もんどりうってエドが襲い掛かってくる。だが、遅い。明らかに遅いのだ。以前までは目で追うのもやっとだったが、今なら多少の余力を持って反応出来る。


 振り翳した鋭い右の爪を掻い潜り、徐に脇腹に向かって足蹴りをお見舞いする。が、残った左腕で受け止められ、視界が唐突に反転した。足首を強く掴まれ、投げ縄のように空中で振り回される。


 ————驚いた。レベルが下がってもここまでの怪力があるのか。


「それっ!!!」


 その勢い殺さず、背中から地面に叩きつけられる。頭蓋の中でみしりと嫌な音が訪れ、視界の端が赤く染まった。


「どうだっ!! 私の種族は人狼ウェアウルフ!! レベル以前に、強大な膂力を持っているんだ————」


 蕩けかかった鼓膜の奥底で、エドが何かを悠々と叫んでいるのが微かに聞こえる。確かに、強い。俺ではレベルが同程度に至っても、恐らく勝てないだろう。だが、まあ良い。


 軋む体に糸を巡らせ、その場から飛び上がり距離を取る。少し離れて見るエドの瞳は、再び愉悦に満ち満ちていた。


「面白い……!!! まだ君は折れてはいないのか……!! 君の瞳は未だ炎を燻らせている……! まだ、手が有るのか? 奥の手でも潜んでいるのか? 何でもいい、私の退屈を薙ぎ払ってくれ!!!」


 狂ったように言葉を羅列し、歯を剥き出しにしてエドが俺に向かって走る。そして振り翳された凶刃を、ゆっくりと視界に捉えつつ、腹の真ん中で受け止めた。

 当然レベル差が無いとは言え、エドの歪な五つの爪は俺の皮を裂き、中の肉を掻き乱す。つぷりつぷりと侵入してくる異物が、これでもかと堪え難い苦痛を神経一つ一つに叩きつけた。


「は………?」


 先程の表情とは打って変わり、驚愕を露わにし、固まっているエド。それもそうだろう。俺が何の抵抗もせず、自らの攻撃を受け入れたのだから。


 狼狽しているエドの顔目掛けて、喉の奥からせり上がってきた鉄臭い何かをエドの顔目掛けて思い切り吐き出した。大きく開かれた眼球に鉄臭い血液がこびりつき、流石の巨狼も顔を顰めて逸らす。


「何を————」


「そうだ。どうやら俺はお前に勝てそうにないんでな。まあ、結局、勝てば全て良しって事だ」


 瞬間、強い光がエドの背後から俺を照らした。


 額から血を一線流したティアが、両手を広げ、その足元が淡く輝いている。真っ直ぐに俺とエドを見据える瞳からは、一択の濁りも無い決意が伺えた。


「なっ————! くっ、腕がッ!!」


 此処で始めてエドが焦りの表情を垣間見せた。しかし、その右腕は、俺の腹に深々と突き刺さって動かない。俺が動かさない。


「所詮、お前もレベルの支配下って事だ。残念だったな、とでも言うべきか?」


 ぐちゃぎちゃと俺の腹の内部で暴れ動く腕を片手で抑え、もう一方の腕でエドの首元を掴む。


「ここまで堕としたんだ……死んでもらわないと割に合わないぞ!!! 」


 口から大量の血が逃げ出した。いつまで経っても劈き続ける痛みの所為で、今にも気が狂いそうだ。


 朦朧とする意識の中で、薄っすらと、少女の声が聞こえた。と、同時に身体中に強い波動を感じる。


 空中を舞う感覚を味わい、俺は、穏やかに意識を手放した。


 ♦︎


 果てしなく続く痛みに、眉を顰めて目を開けた。直ぐ真上でエナの顔が浮いている。一瞬お互いの瞳が見つめ合うと、未だ痛む腹部に衝撃が走った。


「フェオッ!!! 良かった……!! 死んじゃったのかと思った……!!!」


「フェオさん……! てっきり、エナが治しても起きなかったから死んでしまったのかと……!! 良かったぁ……!!」


 怪我人の傷口に馬鹿二人が纏わりつく。こいつらが垂れ流す涙と涎で服がべたべただ。先程の戦いの時以上の殺意がゆるりと心の奥底で沸き起こる。


 力任せに二人を俺の上から薙ぎ払い、傍にひっそりと置いてあった冒険譚に手を伸ばした。鈍重な感覚を手のひらに感じる。そして、徐に一ページ目を捲った。


「は…………?」


 其処には、何も書かれていなかった。息がつまるような白色が見開きに広がっているだけだ。矢継ぎ早に次々と捲っていくが、どのページにも、挿絵さえ写っていなかった。


「なあ、ティア。これが冒険譚じゃないのか?」


「はい? ————て、これは……!! いえ、確かにこれは冒険譚です……。ですが……」


 苦虫を噛み潰したような顔で、ティアが悩む素振りを見せる。


 冒険譚じゃない……? なら、これは……?


「くはっっははははは!!!」


 静寂に包まれた最中、唐突に、狂人の高らかな笑い声が響き渡った。仰向けに倒れたエドが、指一つ動かさず、その体制のまま笑っている。


のさ!! 冒険譚から! お伽話を!! 」


「なっ————!!!」


「何の因果かは知らないが!! 冒険譚は君の中へと刻まれた!! それは未来永劫消える事は無いさ!! くくくははははっ!!!」


 冒険譚が俺の中に————?


 そう考えた瞬間、どくんと、心臓が強く脈打った気がした。


「なあ、エド」


「くくくくく…………なんだい? 」


「どう言う事なんだ?」


「くくく……私にも分からないよ。あんまりね。ただ一つ確かに言える事は、冒険譚は君を選び、そして自らを委ねたって事だけさ」


 確かに聞いたあの声。


 俺を助け、力を貸してくれたあの声。


 あれが冒険譚自身の声……?


「くく、然し、私の冒険譚は前奏曲プレリューレに過ぎない!! あれは分断された一部分」


「————ッ!! どう言う事だ!!」


「冒険譚が一つだけ、私が守るものだけだと思ったのかな? 違う、冒険譚は幾重にも分けられ、その全てが世界中に散らばった。そして、その一つが私の元にあった。それだけの事だよ」


 得意げにエドが口舌を立てていると、突然、地鳴りが響いた。遠くの方で何か大きなものが滑落し、天井からぱらぱらと小石が溢れる。


「おっと、時間切れ。門番が敗れたら、此処は自動的に崩壊するようになってるんだ」


「は————!! クソッタレがッ!!! 逃げるぞ!!」


 道ずれにされるのでは、たまったものじゃ無い。冒険譚を拾い上げ、二人を背に出口に走る。その後ろでは、ダンジョンが崩壊する哭き声と、けたたましい笑い声が、いつまでも響いていた。


 ♦︎


 笑う男のすぐ側に、大きな瓦礫が落下した。それに怯えず、男は笑う。やがて、崩壊の波は男の真上に広がり、一際大きな塊が、唸りを上げて男の上に落下した。が、刹那それは粉微塵になって消え、男が徐に背を起こした。


「やっと解けたかな……。全く、ギリギリじゃ無いか。それにあれも殆ど卑怯だろう。あんな場面で冒険譚が力を貸すなんて。私にはあんなに拒絶してたくせに」


 軽薄な口調で独り言を呟き続ける最中、男の姿はすっかり獣毛に覆われていた。裂けた口からなおも呟く。


「まあいいか。これで私も自由の身だ。くくくくくく!!! 久し振りの外だ!!!」


 あの男。あの忌々しい男にあんな場所を閉じ込められなければ或いは————。いや、やめておこう。新しい楽しみも出来たんだ。過去の悪夢など思い出したくも無い。


「確か……フェオ……だったかな……」


 私の黒星はこれで二つ。私を閉じ込めたあの男もいずれ見つけ出してやるが、その前にあのフェオと呼ばれた青年が先だ。あの調子だと、恐らく他の門番も————。


 いやいや、楽しみだ。


「くくくくくく…………はっっははははっはは!!!!」


 雄叫びを上げるかの如く、巨狼が笑う。その姿を全て隠すように、一際大きな瓦礫が、彼の背後に落ちた。





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理想と魔法と冒険譚と ジキルとハイド @chatnoir8543

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