二章 君子を人を以て人を治む その②
三重の
水運を発達させた藍陽には、古都のような
比して宮城は伝統的に造られており、左右
中でも宮城の中央に位置し、金色に
そんな
「まだ慣れませぬか、陛下?」
必要な書簡を、山と積まれた巻物の中から探す安世の問いに、朗清は
「使えればいいという
材料も装飾も造りも、全てが一級とわかる調度に囲まれ、安世と故国から共に戦った側近しかいない気安さにそう心中を
朗清の
「先帝の
決して調度の趣味が悪いというわけではない。どころか、一級品とひと目でわかる確かな芸術性と統一感は、皇帝の執務室としては文句のつけようがない。
問題なのは、これだけの調度を
「こんな物に金を
朗清は今、地方の軍から送られて来た
「改革が動き出す前に、国土は三分の一消失するんじゃないか?」
朗清はあえて
「
「どれも、先立つものがありませんな」
つまりは、金だ。
そうして愚痴は、最初の調度への文句に
「いや、問題はこの藍陽から動けない現状、か……」
朗清は進退
将としての経験を積んだ朗清なら、
芸術的な机に向かって文字を追うことの、なんともどかしく雲を摑むような実感のなさか。
そんな摑めないものの最たるものとして、
「…………
本心の見えない笑みを浮かべた先帝の子息を思い描けば、安世も苦々しげに言った。
「全く
安世が顔を
地方で暮らした朗清も葉氏に対する思いは同じで、苦々しげに口角が下がっていた。
「政治の中心に葉氏が残るのも面倒だが、地方に出して勝手をされるのも困る。その上、この人手の足りない中で能力だけはあるから、使えないことが腹立たしい」
朗清が己の心中を口に出せば、安世も同じ考えであるらしく、さらに
「あれはとんだ
科挙とは、生まれの
「これでは、なんのために葉氏を
一将軍である朗清が王に望まれるほど、地方は
故国を守るには皇帝という上位者に問題を
「俺は故国を、
朗清は宙に伸ばした手を、決意と共に
とは言え、事態は深刻だ。冬に悪政を
足並みを揃えた旧臣は、よりによって改革の準備をする安世の
一人ずつが勝手に動くなら切り
先日の朝議では、安世が提出した改革のための法改正の草案を、誤字があるというだけで
安世の後ろには皇帝がいるので、やっている邪魔は改革を
「勇将である陛下が自ら兵を率いて地方へ向かえば、戦意
「それをさせないために、宮城の中に
「さらに面倒なのは、都の人間の度し
先帝の悪政は疑いようがない。ただ、その
「地方では反乱が起こるほど
先帝の悪政による反乱の
「……いっそ、道理を
安世の冗談に、朗清も室内にいる側近も笑った。
「その時には喜んで買ってやろう。うるさい旧臣も排除できて、家財を押収、国庫を
「改革の足を引っ張ることに心血を注ぐ害悪は、いなくてよろしいかと」
目を
ここのところ安世はまともに食事の席についていない。腹持ちのいい小麦粉の焼き
「あんなのでも、旧臣たちは国を運営するためには欠かせない人手だ。今切り捨てては傾きかけているこの国が立ち行かなくなる。……とは言え、現状を維持するだけでは、近い内にまた農民反乱が起こるだろう」
軍を率いた朗清は、戦争で最も死にやすいのが
この都で生まれ育った先帝は、そうした決死の民に追われたと言ってもいい。
皇帝を守るはずの国軍が、地方で続発した農民反乱を
「明日は我が身、か……。藍陽では最初からあまり
人手が足りず、皇帝自ら物資補充の優先順位を書き出し清書に回しながら、朗清は呟く。
「噂? あぁ、あの陛下の兵が
「そうだ。配下は
新帝に対する不満を、実のない噂で発散しているのかと考えた朗清だったが、安世は厳しい表情を浮かべた。
「確か、調べを行った結果も、夜市には通達したはずですな? それでも消えないとなると、何者かが故意に噂を
朗清の周囲にいる者の評判を落とし、朗清自身にさえ不信感を
要は、また農民反乱が起こって朗清の治世を揺るがすまで時間を
その後、国が
「頭の使い方を、
思わず
「はぁ…………、
皇帝となった今、朗清は切実に能力のある人間を
戦う能力ばかりを見て周りに人を集めていた過去の自分を、非難したくなるほどだ。
「陛下、胸中察して余りあることではございますが、お言葉はお選びくだされ。決して、現状は陛下の不徳などではございませぬぞ」
朗清は今さら過去を
「安世、改革は、お前が
「わかっております。わたくしも陛下に上奏した理想を現実にするためいるのです。まだ準備段階。こんなところで折れるわけにはまいりませんぞ」
戦場に立ったことはないと聞く安世は、それでも目に
科挙に合格した士大夫なら、中央地方を問わず、
安世は地方官吏で、先帝の悪政に各地が荒れる中、
「今が苦しくとも、これも天命でしょう。陛下こそ、皇帝となるべきお方と、天が助けた
思わず、朗清は笑ってしまった。
安世の言葉は、まるで先帝が望んで国を滅ぼそうとしていたようにさえ聞こえる。
皇帝となる準備が不足していながら、朗清が皇帝となれたのは、先帝の周囲に
帝位を望む葉氏の王も、先帝以上に力を持つ後見はおらず、先帝の独断で禅譲は行われたのだ。だからこそ、先帝は己のみが
「葉氏などに天下の裁量を任せるのは、もはや天に
安世が葉氏を
ふと、朗清は昨日会った公主を思い出す。
朗清には
「そうか、
士倫と彩華の関係を思い
「葉氏は
「そんな可愛いものではないでしょう。陛下もあの
「あぁ……、あれか…………」
げんなりとした安世の声に、朗清も目を通した時には頭を
「
「都で
彩華が提出した記録には、いつ繁殖行動があったか、何頭が生まれ、何頭が育ったかという観察記録もあった。
先帝の時代に番が献上された記録はなく、今いる珍獣で打ち止めとは言え、猛獣が都の
「さすがに公主自身が猛獣の相手をしているとは思えないが、あそこで暮らしていてなんともないのか?」
「そう考えると、あの老人たちの
「なんだ、安世。
「
人の悪そうな顔で笑う安世は、きっと足を引っ張ることに
朗清としても、珍獣の
「最初から準備不足で打てる手は少ない。ならば、使えるものはなんでも使わなければということか。となると……、あの公主の
「わたくしとしては、陛下が珍獣を
自身は動物を得意としていないというのに、安世は難題を
ただ、朗清も珍獣を相手にしているほうが楽かもしれないと、考えなくはない。
「……身内を追った相手だ。反発があるのも当然、か」
受け入れられない心中は理解するが、朗清も国を背負うからには引けない信念がある。
朗清と安世が
「陛下、大変です! 葉士倫が春霞宮の公主と
「なんだと……?」
「
「あり得ることではあるな。もし、俺が直接公主に会ったことで、葉士倫の
「なるほど。となると、やはりあの元公主さまの
「瑞獣を手懐けられるかは後だ。今は、葉士倫の
朗清は
少しでも早く、国の
〓
新帝が訪れた翌日、人の通わぬ
切れ長の目に、
文人風の
「はぁ、はわわわ、世、世の中にこんなに美しい生き物がいたのですね……っ」
士倫は今、感
目は
当の双頭蛇は、片方の頭は完全に彩華の後ろに隠れ、
朗清たちのように
「あの、この
「はぁ、はぁ、それは
興奮のためか息が
士倫本人も生活が変わり、この半年
双皙に夢中な士倫を横目に、老趙が彩華の後ろで老女と
「いったい、この方は何をしに来たんだ? 彩華さまのことなどそっちのけではないか」
「いえ、この勢いで彩華さまに
「なんとかと天才は
「珍獣に興味を持ってくださる様子に
背後の会話を否定できず、彩華は
悲しげに
「士倫さまは、
「そうですね。考えてもみれば、
「でしたら、庭園にある爬虫類の飼育場所へご案内いたしましょう」
「
最初の印象は物静かそうだった士倫の興奮した声に、思わず笑ってしまう。その感情表現のわかりやすさに、彩華はあまり士倫を相手に硬くならずに済んでいた。
比して、昨日に引き続き様子を見に来ていた相真は、金烏館の
幼い
目顔で何か
彩華は気にしつつも、士倫を庭園へと案内した。
「これはなんとも
「まぁ、士倫さまは造園に興味がおありですか?」
「芸術品はなんでも好きなのですよ。少々口うるさいと言われるくらいです。父の絵画の
そう言って士倫は、
「自然のまま、ありのまま、生まれたままで美しい。そんな生き物がいるとは……。僕もまだ、視野が
「この御殿は、正面にあります真円の池を
この庭園は、本来相当
「この観円殿からの眺めは、
母が存命の頃には、まだ
「父は、直接ここへ来ていたのですか?」
「はい。と言っても、数えるほどですし、私が最後に
「……春霞宮にこれだけ
思わずといった様子で
「士倫さまは、この春霞宮に
「えぇ、
士倫は
春霞宮で育ち、珍獣たちを育てた彩華は、知られていないという事実に言葉もない。
「彩華どの、父は珍獣に対してどのような感想を
「いえ……、そのようなことは。あまり珍獣をご覧になっていなかったように
思い返してみれば、先帝は士倫のように飼育場所を見たいと言ったことはなかったように思う。特別興味を示した珍獣もいたようには思われない。
先帝と会った時分は幼すぎて、彩華も今まで思い出しもしなかったことだ。最後に会った時も母を亡くした悲しみで、
「彩華どのは父とどんな話をしたのですか?」
「……あまり。先帝陛下は母とお話しされるばかりで、私には一言二言お声かけいただくのみで」
ここ何年も会っていない上に、先帝が春霞宮にやって来た時、相手をしていたのは母だった。まだ幼かった彩華は、
「そう言えば…………、直接お声かけいただいた折、父の大事な珍獣を大切にしてほしいとお願いをされて……」
「なるほど。彩華どのに任せていたから、安心だったのでしょうね」
ふと思い出したことを口にすると、士倫は
「そうだと、
言いながら彩華は、先帝にそう声をかけられてから珍獣の世話に手を出し始めたと気づく。
一つを思い出すと、
「母は、私が直接世話することに反対で。初めて爬虫類の世話をしたと知られた時には、とても
母は爬虫類と言うより、食虫動物が得意ではなかったのだ。すぐさま
反対する母が亡くなってから、彩華は珍獣の世話を本格的に始めた。それまでも老人たちを手伝い
彩華が思い出に意識を向けていると、士倫も思い出し笑いを漏らした。
「僕も幼い頃は、危ないことをしてはいけないと、色んなことを止められましたよ」
「まぁ、士倫さまもですか?」
そんな話をしながら、彩華は観円殿の前を通り
飾り窓は南向きにあり、天気の良い日は秋の迫るこの季節でも暑さを感じる。
「あぁ、今日は大人しくしていたの、大蜥蜴。いい子ですね。
そう彩華が声をかけながら小部屋を開けると、無角の
そして
「この子は記録によりますと、
注意
士倫は両手で口元を
「……絶美…………っ」
苦しそうな息の下からそう
【画像】
「変な
「相真、そんなことを言ってはいけません。きっと、泣くほど動物好きだったのでしょう」
相真も老人たちも
「あ、
亀は
見知らぬ人物を
「……
「ほら、やはり動物好きなのでしょう」
彩華が微笑む後ろで、相真たちは顔を見合わせて首を横に
たっぷり
「結局何をしに来たんだ?」
「先日いらした陛下が春霞宮を取り
変わったことや困ったことはないかと
そう
春霞瑞獣伝 後宮にもふもふは必要ですか?/九江 桜 九江 桜/角川ビーンズ文庫 @beans
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