第12話 予感

『カンカンカンカン』と子気味いい階段を上る音と共に、橋本哲太がバイト先から帰ってきた。

外はすっかり暗くなっており、遠くに見える池袋のビルの赤く点滅する明かりが、輝いて見える。

彼は暗がりの中で、自分の部屋を見つけると、側にあったポストの中を開けて銀色の鍵を手に持った。

 これは彼と、マルセルの約束事でマルセルが夕方17:00にラーメン屋のアルバイトへ行く時、必ず郵便受けの中に鍵を入れて置き、それを夜の18:00に帰ってきた哲太が、開けるという手はずになっていたのだ。

 別に、二人とも鍵は持っていたのだが、なんとなく2人はこの方法を実行していた。

それは、2人が今日も元気だよと、いう事をその鍵交換で、知らしめている様なそんな気がしたからだ。

 哲太が、ポストを開けると、鍵と一緒にある、茶色い封筒が『パサッ』と地面に落ちた。

哲太が、暗がりの中でそれを拾う。

電柱の明かりに照らされたそれは、持ってみると中身が膨らんでおり、少し重く、現金書留と書かれてあった。

つりがね荘の大家が、自分で判子を押して、郵便受けに入れておいてくれたのだ。

 「いつものだ!」そう言って哲太は、中を開いた。

1万円札が10枚ほど入っており、彼はそのお金を1枚ずつ数えていく。

すると、札の最後の方に手紙が挟んであった。

いつも手紙なんか、入っていないのに…。

不思議に思いながらも、彼は札束を右の手に持ち替えて、その手紙を開いて読み始める。


 『拝啓。哲太さんお元気ですか?私も康夫も皆元気です。あなたが橋本家を出てから早1年。少しはそちらの生活にも慣れましたでしょうか?お義母様が貴方の事を心配しておりました。近況報告を、どうぞお義母様だけにでも、お知らせ下さい。貴方がいくら出て行ったとしても、まだ橋本家の家族なのですから。自分をしっかり見つめたい。親から自立したい。そう言って、貴方は家を飛び出して行きましたね。けれど、義姉として一言、貴方に伝えたい事と言えば、もし今でも、哲太さんなりの自分が見つかってないのだとしたら、1度、家に戻られたらいかがでしょう?口には決して出しませんが、お義父様は貴方の事を痛く心配しております。それにもうお歳ですし…いつ、どんな事があるか、それを考えると嫁として見ている事が出来ないのです。一度家に帰って、もう一度お義父様と話し合ってみてください…。』


 哲太は途中まで読んでいくうちに、矢も楯も堪らなくなり、手紙をクシャッと握り潰した。

自分の心の中を見透かされたと思える文面に、恥ずかしさと苦さを噛みしめ、そして腹ただしさも感じた。

哲太は手紙をポイッと放り投げた。

すると…

 「あーあ。こんなにしちゃって、紙はもっと大事にしないと資源の無駄使いだぜ。」

 クシャクシャになった手紙を拾いながら、柳原和男はおどけたように言った。

 彼は、哲太の後をずっと附けていたが、哲太がアパートの自分の部屋に入るかと思いきや、扉の前で何やらゴソゴソしていたので、静かに階段を上って彼の前に現れたのだ。

 「うわっ!!」

驚く哲太。

「お前、何しに来たんだよ!!警察呼ぶぞ!!」

 「呼ばれて困るのは、そちらの方なんじゃないの?」

柳原がニヤリと笑いながら言う。

 哲太はグッと、なり、何も言えなかった。

それから、彼が持っていた手紙をひったくる。

 「お前!!何の用なんだよ!!俺は、マルセルキスクなんて奴は知らないぞ!!」

 「こっちが、何も話していないのに…全部聞きたい事を言ってくれたねえ。」

柳原がニコニコしながら言った。

その言葉を聞いた哲太は、赤面したまま何も言うことが出来なくなってしまい、慌てて部屋の中に入ろうとする、しかしその直後、彼の部屋のドアを柳原が足で遮った。

 「なっ何するんだ!?」

すると、柳原は彼が持っているお金の方を指さし、「これ、もしかして、仕送り?」と、質問した。

 「そうだよ!悪いかよ!」

哲太が叫ぶ。

「親に仕送りしてもらって、尚且つバイトで稼いで…いいご身分だねえ。」

その拍子に、柳原の足が更に部屋の中へとグイグイ入り込んだ。

 哲太は、柳原の不敵な笑みを見ると更に腹が立ち、こう言った。

 「お前!何なんだよ!!何が言いたいんだよ!!何の権利があって、こんな事するんだ!?」

 「別に、何の権利もないさ。ただ、俺は親から仕送りしてもらって、一人暮らしをし、自分で自立して生きていると思いあがっている、大バカ者には、どうも許せないところがあってね。親がどんな思いでその大バカに仕送りをしているか?そいつは本当に分かって居るのかなって、時々、疑ってみたくなってしまうんだよ。そんな輩が、金が有り余っているせいで、同情からある人をかくまったりするのかな。だとしたら、そいつは単なる甘ったれになっちまうんじゃないか?なんてね。君は、そう思わないかい?」

 真剣な面持ちで、彼は哲太に質問をした。

 逆に質問された彼は、どう答えたらいいのか分からなかった。

いつもは冷静に状況を見つめ、的確な判断が出来るのに、柳原が言った内容は、少なくとも自分に当てはまる言葉だった。

その為に、自分を庇おうとした為、遂に彼はとんでもない言葉を出してしまったのである。

 「俺は、同情親切から、マルセルと一緒に住んでいるわけじゃない!!奴を気に入ったから住む事にしたんだ!!現に、マルセルも自分の生活費を稼ぐために、アルバイトをしているし…!」

 と、そこまで言って、哲太は口を塞いだ。

何!?俺、今何を喋ったんだ!?

 柳原は、哲太のその行動を見るとニヤリとし、彼にこう答えた。

 「ありがとう。これで、真理絵さんが言った事の裏付けが取れたよ。君のその言葉を待っていたんだ。」

彼はそう言うと、懐から黒いボイスレコーダーを取り出した。

「編集長が真理絵さんの言葉だけでは信じられないと言ってね。脅かして悪かったね…。」

 見事な誘導尋問。

哲太は暫くの間、何も言うことが出来ずに居た…。


真理絵の思った通り、真澄の予感は的中した。

その週の日曜日の深夜に放送しているロック番組で、佐藤司がその話を持ち出してきたのだ。

 司の話はこうだった。

ジャーマンレコードは、マルセルキスクの代わりになる、新ヴォーカルを内密で探していたのだが、マルセルが帰ってくる事を信じて居たので、正式契約は避けていた。

しかし、あれから1か月近く経っても、彼からの音沙汰が何もない事に業を煮やした、ジャーマンレコードの社長、バーナードが、今年中にマルセルが帰ってこなかった場合新しく探した新ヴォーカルと契約をし、サベージパンプキンのメンバーとする…と、爆弾宣言をしたというのだ。

もし、そうなった場合、今までマルセルが持っていた、サベージパンプキンに関する権利、権限等は、自動的に新ヴォーカルの物となり、彼は実質上クビになるという。

 その、新ヴォーカルはアメリカのある大物バンドに居たシンガーとの事で、バンド歴は長くマルセルより年下との事だった。

しかし声域は幅広く、低い声からいきなり2オクターブ上の声まで、シャウト(叫ぶこと)をすることが出来るかなりの実力派であるという。

 真理絵はTVを見ながら、事態はかなり深刻な事になっている事を感じた。

明日のマスコミ界は、大荒れに荒れるだろう…とも、同時に思えた。

 ジャーマンレコードは、もう一刻の猶予もならないと思い恐らく新ヴォーカル探しに力を入れたのだろう。

そのバーナードの話を、ドイツに帰ってから早速聞いたジミーの気持ちは、今どんなだろうか…TVの中の司の話を無意識に聞きながら、真理絵は張り裂けんばかりの苦しさに胸が潰されそうだった。

そして、思った。

 もう、マルセルを私の許に置いておく事は出来ない。

否、絶対にダメなのだ!

 悲しみが真理絵を襲った。

これで、またファンとアーティストの間柄に戻ってしまうんだな。

そう思うと、やりきれない気持ちで一杯になった。

しかし、彼女がマルセルのことを独り占めしている間に、どれだけのマルセルキスクのファンが、悲しみ、苦しみ、絶望していただろうか…?早くバンドにマルセルが戻り、彼等の活動が再開する事を待ち望んで居たファンは、多かったはずだ。

 どうすればいい?どうすれば彼の声は取り戻せる?あと、今年が終わるまでに数日間しかないのに、どうやって彼の声を取り戻して、ドイツに帰らせればいいのだろう…私が出来ることは、今はもう無いのだろうか?やはり、ジミーの言う様に彼を、ドイツの有名なお医者さんに見せることが最良の策なのだろうか…。

 涙をポロポロ溢しながら、真理絵は一生懸命自分にもがいていた。


 ところが同じ時間。

真理絵が全く、予想にもしていなかった事態が起こっていた。

なんと、マルセルがこの番組を見ていたのだ。

 いつもTVをあまり、見なかった彼だが、この日はたまたま哲太がアパートに帰っていなかった。

彼は、友達と飲みに行ってたのである。

その知らせが、夜の23:00頃マルセルの携帯に入り、今夜は帰らないで直接仕事場に行くと連絡があったので、退屈だった彼は、偶然このロック番組を見てしまったのである。

その、ロック番組の司会が、この間のサベージパンプキンの東京公演の楽屋で知り合った、佐藤司が出て居た事から、彼はビールを片手に、この番組に見入ってしまったのだ。

 暫く聞いていると、彼が例の話を持ち出してきた。

その拍子にマルセルはビールをテーブルの上に置き、TVをジッと見つめた。

それから、司がタイミングの良いところで、新ヴォーカルになるかもしれない、アメリカのヴォーカリストが所属していたバンドのPVを見せた時、それまで何の変哲もない様に見えた彼のダークブラウンの瞳が、にわかに輝きだした。

 ドイツにはない、荒削りの声の持ち主だった。

しかも、自分とは声質も違う。

恐らくアメリカンブルースの影響を大きく受けたのだろう。

このまま、ブルースを歌っても十分通用するかの様な声に思える。

しかし、どちらかと言えばサベージパンプキンは、クラシックから多大な影響を受けた所謂、『様式美』(洗練された手順や形式に存在する美しさを指す)系統のバンドである。

それなのに、何故わざわざ、典型的なアメリカンブルースを受け継いでるシンガーに頼まなければならなかったのか?

 確かに、このヴォーカルを入れれば前入っていたバンドの実績も重なって、かなりの話題性を保つことが可能だろう。

まず、何と言ってもこのヴォーカルの声と、サベージパンプキンの音楽が一致したCDが出るという事だけでも、世間の注目度は増すと言える。

…だとしたら、サベージパンプキンも売り込み戦法を取るつもりなのだろうか?果たして、ジミーはそんな事を実際に思っているのだろうか…?

 だが、ここ最近のヨーロッパのメタル界では、アメリカのシンガーを入れて今までのバンドとは違った毛色を出そうとしているバンドも多くなった。

だから、そんなに大騒ぎする程の事ではない。

それは、分かって居る。

でも、だとしたら、あの頃のジミーは一体何だったのだろう?

 バンド自体が、売れないあまり、金も無く、皆飢え死にしそうな時にも、彼はあくまでもバンドの音楽形態を崩そうとしなかった。

色々なレコード会社が俺達と契約したいと言ってきた、売れ線を作るならば…一般受けの耳に心地よい音楽を作るならば…それが奴等の条件だった。

俺達の中の一人は、あまりの生活の苦しさから、その条件を飲もうという者も居た。

けれど、彼は…ジミーハンセンは、それでもNOと言い切った。

自分達の志す音楽が出来ないならば、俺はバンドと一緒に心中してやる!そこまであいつは言ったんだ!そのジミーが…バンドの売れ行きを考えて、大物のアメリカのシンガーを入れるなんて!俺には、どうしても…どうしても!信じられない!

 ここまで考えて、マルセルはハタッと気が付いた。

そして、無意識のうちにバンドの事を考えている自分に対して、笑いが出てくる。

 こんな事を考えてしまうなんて…やっぱり、俺はサベージパンプキンに帰りたいんだな…

 それから、彼の心は自分がバンド活動をしていた、ドイツのライブハウスの頃に戻っていた。

あの時には、バンドのメンバーが居た。

俺が憧れた、ジミーハンセンが居た。

小さなクラブ周りだったけど、ファンがたくさん来てくれて、とても楽しい日々だった、充実した日々だった。

 しかし、その回想は、たちまちマルセルの父ルドルフの姿によって、いっぺんにかき消された。

そこで、ハッ!とマルセルは現実に戻った。

TVには、もう別のバンドのPVが映し出されている…。

 これが、現実なんだ。

これが俺が選んだ道なんだ。

もう、あのバンドに戻る事はない。

声を失ってしまったシンガーの運命なんて、こんなものなんだ…。

 バンッ!とテーブルを拳で叩いた後、マルセルは勢いよくTVを消しビールを飲みほした。

そして、開いてる窓から外を見降ろした。

空には満月が煌々と輝き、遠くにサイレンの音が聞こえる…。

彼は、その音を耳にしながら人生の選択を余儀なくされている、自分に戸惑いを感じていた。


その次の日の夕方、真理絵は仕事が終わると、早速橋本哲太のアパートに向かった。

カーキ色のフレアスーツにレンガ色のパンプスを履いた彼女が哲太の前に座ると、哲太は突然、彼女に向かって怒ったのである。

 「…真理絵…。お前言ってる事と、やってる事が違うじゃないか!」

 「えっ!?」

彼女が驚く。

「どう言う事よ。それは。」

 「柳原和男の事だよ!マルセルが今居ないから言うが、お前ミュージックスピリッツの編集長に、マルセルの事を言ったそうじゃないか!」

彼の言葉を聞き、彼女は驚愕した。

 「ど、どうして、哲ちゃんがその事を知ってるの!?」

「先程言った、柳原って奴が教えてくれたんだよ!真理絵さんがマルセルをかくまった事の経緯を、全部我々に教えてくれたので、今度は私がその話の裏付けを取ろうと、貴方のコメントを取りに来たって、奴は言ってたぜ。俺には、からめ手でいかないと、絶対本当のことを話さないからって、そこまで言ってたんだぜ?」

 哲太は不機嫌に、彼女に向かって不満をぶつけた。

すかさず真理絵は、誤解を解こうと弁解を始める。

 「仕方なかったのよ。だって、ものの見事にバレてしまったんだもの…。あれだけ隠し通したのに…。此処の大家さんが、マルセルのブロンドを見てしまった為に…大家さんに渡していた化粧品のカタログから、私の住所が分かっちゃったんだもの。だから…覚悟を決めたのよ!どっちにしたって、マルセルをドイツに帰らせなければならないんだし…。」

そう言うと、真理絵は唇を噛んだ。

しかし最後に言った、マルセルをドイツに帰らせる…という言葉には感無量の響きがあった。      

哲太は、彼女の気持ちを察知し、「そうか…。」と一言受け止めたが、また話を切り出し始めた。

 「だがなー!それだったら、俺に一言言ってくれよ!お前1人でマルセルをかくまって居る訳じゃないんだぞ!その為に俺は、馬鹿みたいに1人で一生懸命あいつの事を隠しとおしていたんだぜ?…おかげで、あの柳原って奴には舐められるし…今、思い出しても腹が立つよ!」

 ブツブツ文句を言いながら、彼は煙草に火をつけた。

マルセルがいる時は、哲太はなるべくタバコは外で吸う様にしていた。

彼の声の事が心配だったからである。

そこまで気を使っていたのに…哲太は、やりきれない思いでいっぱいだった。

 そんな哲太に向かって、真理絵は謝罪した。

 「…ごめんなさい。急な事で、言えなかったの…。」

真理絵の言葉を聞いてタバコを吸い、そっぽを向いていた哲太が彼女の方を向いた。

哲太は、急に調子が悪くなったのか照れくさそうに

「…俺も…ちょっと言い過ぎた。ごめん…。柳原って奴に舐められた事と、お前の事とは話が違うもんな…。」

 それから、哲太は頭を下げた。

真理絵も

「そうね…もう、私だけの問題ではなかったものね。勝手な事をしちゃって悪かったわ・・・」

 と、彼の瞳を見つめながらもう一度呟いた。

 そんな彼女を見ながら、哲太はコクンと頷くが、すぐに重苦しい表情になり

 「でも、そうなると、ちょっと、まずい事になったな…。」

と、徐にに言った。

 「どうして?」

真理絵が、不思議そうな顔をした。

 「考えてもみろよ。ここの大家が知っているんだぜ?マルセルの本当の髪の色を。あの時俺も、金髪姿だったマルセルを、一緒に連れて行ってしまった事は迂闊だった。もし、ミュージックスピリッツの柳原が、大家に、あいつが今話題の、マルセルキスクだって事を話して居たとしたら…それこそ大変だぜ?」

 「それは、大丈夫。」

真理絵が自信ありげに言う。

 「大友さんが言うには、この事は絶対内密にしますからって言ってたもの。だから、彼も何も言わないと思うわよ。」

 そんな彼女の言葉を聞いた哲太は、苦笑いをし首を横に振る。

 「真理絵…お前ねえー…甘いんだよ、考え方が。仮にも相手は雑誌記者だぜ?ターゲットに優しくして情報を仕入れるのがあいつらの仕事なのさ。特にマルセルキスクに関する情報は、見かけたってだけで、マスコミが押し寄せてくる昨今だ。目の前に肉がぶら下がっているのに、見過ごす輩がいるものか。それに、ヘビーメタル、ハードロック専門雑誌って事だけでも、どうとでも料理する事は出来るんだぜ?」

 「そうかなあ。でも…私はあの人達を信じたいなあ。」

自分のファーのバッグを撫でながら、真理絵が言った。

 「幸せな奴だな。お前は。」

フフッと哲太が、薄笑いを浮かべた。

 「現に、あの柳原って奴が、裏付けを取りに来たのが何よりの証拠さ。雑誌に載せないのに、ボイスレコーダーで録音してまで取りに来るバカが他に居るか?動かぬ証拠ってやつを握る為に決まっているさ!…まあいい。その話は置いといて、俺が一番心配しているのは真理絵。お前なんだよ。」

 「私!?」

真理絵が理解に苦しむような眼をした。

 「そうさ。もし、ミュージックスピリッツにその事が載らないとしても、編集長に知られたのは痛かったぜ。雑誌の編集長は、常に新鮮な情報を仕入れなければならない立場で、その為には他の雑誌のお偉いさんとも、接触する機会はあると思う。その時に彼が一言でも漏らしたとしたら…マスコミは勘が鋭いからな。たちまち調べられて、明日の朝、スポーツ新聞辺りに俺達の事がデカデカと書かれてしまう。しかも大袈裟に悪く書かれてね。」

 「そんな…哲ちゃん考えすぎよ…」

真理絵が笑いながら言ったが、その顔は同様の色を隠せない。

 「これくらい考えておかないと、そうなった時の対処方法が見つからないだろう?いいか真理絵?事態はとんでもない方向に向かっているかもしれないんだぞ。そして、記事に書かれた俺達は世間から悪のレッテルを貼られ、俺はまだいい。しかし、お前はマルセルキスクの親衛隊や、ファンから、どんな目にあわされるか…!」

 「やめて!!哲ちゃん!!もう…やめて!!」

真理絵が叫び、頭を抱え込む。

そんな彼女を見た哲太は、どう言ったら良いか分からなかったが、やがて優しく「ごめん。真理絵。また、言い過ぎたよ。」と、言った。

 「けれど、有名人をかくまうとしたら、この位の覚悟は必要だと思う。真理絵は全然気にも留めていなかったかもしれないが、生半可な気持ちでは、とても出来ないよ。こんな事…酷な事を言う様だが、真理絵は甘い。マルセルに対しても、時には自分が悪者になっても、その人の事を考え、辛い事を言うのも、慈悲なんじゃないか?その勇気がなかったら、真理絵は最初から、この問題には口を挟むべきではなかったと思うんだ。」

 真理絵は、黙っていた。

 「暫く、お前は此処には来ない方がいい。」

突然の彼の言葉に真理絵は驚愕した。

 「何故!?」

「柳原が張り込んでいるかもしれないし、他のマスコミがもし、お前の姿を見たとしたら、それこそ真理絵の身が危ないからさ。お前がマルセルの事で、気が焦って居るのは分かるよ。けれどうかうかして居たら、こちらがやられる!俺は真理絵をそんな目に合わせたくないんだよ。分かるね?」

 彼女の瞳を心配そうに見つめながら、哲太が語り掛けた。

しかし、真理絵は唇を噛みしめ、その問いに頷こうとしない。

 「哲ちゃんは、…どうするのよ。柳原さんに何か言われた時、貴方も苦しむ事になるのよ?」

 「俺なら適当に誤魔化すよ。野郎1人なら、向こうも不思議に思うだろうし、事実、真理絵に接触してない事になれば、迂闊に手は出せないさ。」

そう言い、彼は薄笑いを浮かべる。

しかし、真理絵は尚も譲らない。

 「じゃあ!私も一緒にとぼけるわ!元々これは私が持ってきた事なのよ。!途中で投げ出す訳にはいかないわ!それに…私が…アパートから離れている間にマルセルがドイツに帰っちゃったら…!」

そこまで言って、彼女は口を手で押さえた。

自分が一体何を言ったのか、暫く真理絵には理解出来なかった。

しかし、口から出たその気持ちは紛れもなく、真理絵の本心だったのだ。

今まで、気付かぬふりをしていただけで心の底で、真理絵は本来の目的とは、全く別の事態になってほしいと思っていたのだ。

このまま、ずうっと時が過ぎていき、いつまでも…こんな楽しい日々が続いてくれる事を強く願っていた。

しかし…彼女は、ヴォーカリストのマルセルキスクを何よりも増して好きだった。

 真理絵は一瞬黙りこくった後、暗い表情で「分かった。」と、一言呟きバッグを持って立ち上がり、部屋を出て行った。

 帰りの地下鉄に乗っている間も、真理絵の頭に、哲太の先程の言葉が、何度も木霊していた。

時には自分が悪者になっても、その人の事を考え、辛い事を言うのも慈悲なんじゃないのか?

 ワタシハジブンガワルモノニナッテモ、カレニツライコトガイエルダロウカ…。

 哲太の言葉は、真理絵の心に大きく突き刺すような痛みを感じさせた。


 家に着いた真理絵は、家族に「ただいま」と挨拶をすると、たまらなく1人になりたかった為、自分の部屋へ行こうと2階へ上がろうとした。

すると、それを貴子が遮った。

 「何処へ行ってたの?」

「うん…哲ちゃんの家に、用事があったの。」

 適当に誤魔化した後、彼女は疲れた体を休めようと2階へ上がろうとする。

しかし、その背後から

 「本当は何の用事だったの?」

と、貴子が聞いたのだ。

 「だからあ!哲ちゃんの家に用事があったんだってば!」

面倒くさそうに弁明する彼女に向かって、その時、勇一郎が急に大声で叫び彼女に謝った。

 「真理姉!ごめん!俺もう隠しとく事が出来なくなっちまった!この間のロック番組を見て、サベージパンプキンに新ヴォーカルが入るって聞いたとき、もう潮時だと思って、母さんと父さんに全て言っちまったんだ!」

 えーーーーーーーーっ!?

 真理絵は思いっきり叫ぼうとしたが、声が出なかった。

遂に遂に、家族にさえバレてしまったのである。


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