第11話 ジミーハンセン

「ジミーハンセン…」真理絵は彼を見てそう言った。

その言葉を聞きつけた、大友真澄は、やっぱり…といった風な顔をした。

真澄は真理絵の目を見ながら、話を始めた。

 「君は、サベージパンプキンという、ヘビーメタルバンドを知っているね?」真理絵が頷く。

 「僕達の事は知っている?」

またも、真理絵はユックリと頷いた。

司と、真澄は顔を見合わせ、確信した様に、いよいよ最後の質問をした。

 「君は、サベージパンプキンのヴォーカリスト、マルセルキスクが今何処に居るか知っているかい?」

 遂に、来た!彼女はもう駄目だ!と思い、諦めた様にユックリと話し出した。

 「…全てをお話しします。でも今は仕事中なので、話す事は出来ません。ちょっと、長くなると思いますので…。私が行きつけの喫茶店があるですけど、『フランソワーズ』という所があるんです。そこで、待っていていただけませんか?場所は今、教えます。」

 そう言うと、彼女は喫茶店の行き方を話し始めた。

それを、ドイツ語に訳して話す司。

その話を聞いたジミーは素直に頷き、「それではお待ちしております。」と英語で話し、3人は真理絵の元を離れた。

 「どうしたの…真理姉?」

ボーッと立っている彼女のもとに、勇一郎がやって来た。

いつまで経っても、工場の中の出荷する荷物を取りに来ないので心配になって来てみたのだ。

 「後で話す。」

彼女はそう告げると、急いで工場の中に入った。

時計は夕方の17:00を指していた。

約束の時間は夜の18:30。

18:00に仕事を終わらせ、30分で支度を終わらせなければならない。

ああ。このまま、時が止まってくれればいいのに…。彼女は心の中で叫ぶ様に呟いた。

 しかし、時間とは無情なものである。

あっという間に時間は過ぎていき、18:00という時間は来てしまった。

 ワイン色のスーツを身にまとい、ワインレッドのルージュを引いて、黒のベレー帽をかぶり、一目散に自転車を走らせる真理絵。

しかし、彼女はやり切れない思いを噛みしめて居た。

こんな形であの、3人と会う事になるなんて思いもしなかった…。

 自転車置き場に自転車を置くと、真理絵は黒いパンプスの音を響かせて、フランソワーズに入って行った。白い扉を開けて中に入ると、すぐ見える端の席に3人は座って居た。

中は中間色の明かりが灯っており夜の雰囲気を一層盛り立てていた。

軽やかな音楽とクリーム色のテーブルとソファーで、囲まれた店内は可愛いクリスマス色の強い小物がさりげなく置かれていた。

 「遅くなってすみません。仕事が手間取ってしまったもので…。」

 そう言いながら真澄の隣の席が空いていたので、その横にユックリと座り、ウエイトレスがお冷を持って来ると、アイスコーヒーを注文して、フーッと溜息をついた。

しかし、どうも先程から視線を感じる。

ふと、3人から目を反らすと、気が付けば周りの目がこちらの方を向いている。

恐らく皆、ジミーの事を見て居るのだろう。

 ジミーハンセンは、その容姿、ルックスから言ってもサベージパンプキンの中で、一番目を引く人物である。

肩まで流れる、クルクル巻き毛の金髪。

透き通る様な白い肌。

スラリと伸びた手足に、洗いざらしのジーンズがまたピッタリと合う。

だが、瞳だけは見る事が出来なかった。

黒いサングラスをかけていたからである。

 

真澄は彼女が席に着くと、さて一体、どの様に話を切り出していこうかと迷っていた。

しかし、そこはいつもインタビューをとっている編集者。

まず、一番分かりたい事は、マルセルとどの様に出会い、どうやって知り合ったのか?という事である。

 「まず、聞きたいんだけど…君はどの様にマルセルと知り合ったんだい?」

 「私は、熱狂的なサベージパンプキンのファンで、彼と会う前日も友達と一緒に最終公演を見に行ってきたばかりでした…。」

そう彼女は話し始めた。

その話を真澄は深く頷きながら聞き、向かいにいた司はドイツ語に直して、ジミーに通訳をした。

彼はコーヒーを飲みながら、暫く真理絵の姿を目で追い、聞いていたが、彼女の話に一応区切りがつくと、英語で突如、真理絵に質問をしたのだ。

 「その話は、ちょっと、可笑しいんじゃない?いくらファンだからって、赤の他人に自分の悩みを、話すもんだろうか?俺にだって、この前の東京公演の前日にやっと話してくれたんだぜ?」

彼の話を聞いて、司も真澄も同意をした。

真理絵は、ジミーに突然言われたこの言葉に軽く動揺はしたが、心の中で、スウッと深呼吸をした後、落ち着いた気持ちでその問いに、この様に答えた。

 「さあ?どうして話してくれたのか、私にも良く分かりません。確かに私は、彼がどうしてバンドを抜けて来たのかその訳を聞きたいと、マルセルに強請った事は事実です。でも…期待はしていませんでした。すると、どう言う訳か、彼が話してくれたので…あの、これは推測になってしまうのですが、多分あの時私が出した一杯のコーヒーが、彼の心を変えたのではないかと、今は思うんです。前の日の夜は今年始まって以来の冷え込む夜で、深夜には通り雨も降ってましたから。…私はそれを心配して、コーヒーを出したのですが、マルセルは、体より心の方が寒い…と言っておりました。だから、そのコーヒーが彼の心まで浸透していき、心にあった壁が崩れたから、私に話してくれたのではないでしょうか?」

 真理絵は、ジミーの黒いサングラスを真っすぐに見ながら、彼の問いに答えた。

彼は司から彼女の話を聞くと、暫く黙っていたが、おもむろにサングラスを取ると英語で

 「済まなかった。マリエ。君を試す様な事をして。」

と、話しニコッと笑った。

 サングラスを外したジミーの瞳は、吸い込まれるほど美しかった。

深い深海に眠るサファイアブルーの瞳。

その瞳がニコッと笑うと、輝きを増した色になるのだ。

真理絵はその瞳に見惚れてしまい、ハタッと気が付いたときは、自分がやった行動に気恥ずかしさを覚え、赤面してしまった程だった。

 しかし、気を取り直して、彼女は話を続けた。

 「彼の話を聞いて行くうちに、マルセルが死んだ生みの母の事で、相当なショックを受けている事を知りました。ジミーさんは知らないかもしれませんが、マルセルは声が出なくなってしまったんです。あの、サベージパンプキン特有の高い声がです。」

「えっ!?本当の話!?」

司と真澄が驚く。

 「ええ。ですから、このままではバンドの足手まといになると思って、ホテルを出たんだと言っておりました。それしか方法が見つからなかったとも言っておりました。」

 司も真澄も、彼女の話を聞きながら、信じられないといった顔をした。

ジミーは、何の話をしているのか分からなかった。

二人はこの話を訳すのを躊躇ったが、話さない訳にはいかない。

意を決した司は、ジミーにその話を通訳した。

それを聞いたジミーは、今まで知らなかった真実に顔が真っ青になった。

 「…そんな…マルセルはそんなこと俺達に一言も言ってくれなかった…。一言も!!いつだって、なんだって、自分でケリをつけてしまう奴だったから、俺達はあいつの事を強い奴だと。勘違いしていた。それが…全く違っていたなんて…!」

 愕然とした表情で、ジミーが呟く。

そんなジミーを見ていた真理絵は、少し罪悪感を覚えた。

 そんなジミーを見ながら、真澄が話し始めた。

 「なるほど。これで、貴方がマルセルをかくまった訳は、大体分かってきましたが、それでは肝心のマルセルは何処に居るんですか?」

 「そうですね…」

真理絵が、アイスコーヒーの氷をユックリかき混ぜながら呟いた。

 「その前に一つだけ、聞きたい事があります。大友さんは、どの様にして『私』という人物に辿り着いたのでしょうか?」

 彼女の思いがけない問いに、真澄は戸惑いながら答え始めた。

真澄の部下の、柳原という編集部員がマルセルを、池袋の郊外のコンビニエンスストアで見掛けた事、自分はマルセルにインタビューをした張本人なので、マルセルに間違いないと、自分に電話してきた事。

その近所を調べていくうちに、柳原自身が、真理絵と橋本哲太という名前にぶつかり、2人の身元、行動を調査したところ、やはりマルセルと何か関係があるのではないか、と思い至った事など事細かに話した。

それを、ドイツ語に訳す司の声を微かに聞きながら真理絵は、「そうですか…」と呟き、やっぱり何処かしらから、秘密とは漏れるものなのだな、と感じて居た。

 真澄が話し終わった後、真理絵は、橋本哲太の事について話し始めた。

彼は自分の幼稚園の頃からの幼馴染で、私が無理矢理、一人暮らしをしていた彼に頼んで、かくまってもらったので、彼には罪はないと言う事。

そして今、マルセルは橋本哲太のアパートに、従兄として居候しており、アパート代を半分稼ぐ為に、ラーメン屋でアルバイトをしている事も、分かり易く説明した。

ジミーは、司の要約を聞いた後、真理絵の目を見つめ、手を握り、すがるような目で言った。

 「マルセルに会わせてくれないか。」と

 「それは…ダメです…」

真理絵が言った。

「どうして!?」

3人が彼女の顔を覗き込んだ。

 「それは、彼が今歌えないからです…。」

真理絵は下を向きながら呟いた。

そんな彼女の煮え切らない態度に、ジミーは、遂に腹が立った。

 「どうして、会っちゃいけないんだ!?マルセルが歌を歌えないんだとしたら、それこそ、俺は奴に会わなければならないんだよ!!ドイツにだって、有名な医師は沢山いる。マルセルを故国に連れて帰って、医師に見せれば、きっと声だって出るようになるさ!!俺はあいつが歌いたがっているのが分かるんだよ!!俺達だって、早く、サベージパンプキンを再開させたい!!そう願っている。君がマルセルと会わせてくれれば、全て解決するんだ!!」

 「それを…マルセルが願ってないとしたら?」

 真理絵がジミーに言う。

ジミーは、えっ!?と言い、「どう言う事だ!?」と彼女に聞いた。

 「なぜ、マルセルは、サベージパンプキンから出たのですか?それは、彼は彼なりに決着を着けたかったんだと思うんです。それがどういう事柄なのか、私にも分かりませんが、仮に今私が、貴方とマルセルを引き合わし、貴方がマルセルをドイツに連れて帰ったとしても、声は元には戻らないと思うんです。それは、彼の病が『心の病』だからなんです。彼が、自分の心の中の蟠りに気付かない限り、いえ…多分もう無意識の部分では分かって居て、それを受け止めようと必死なんだと思う。彼は今、自分と戦っているんです!」

 それから、真理絵はジミーの目を見ながらこう言った。

 「お願いです!!時期を待って下さい!!マルセルが自分からドイツに帰りたいと思う様になるまで、それまで待って居てやってください!!その時、彼の声は初めて出ると思うんです!!」

 真理絵の祈るような叫びは、ジミーの心に通じ彼は溜息をつきながら、マルセルと会わない事を承知した。

 帰り際、ジミーが司と一緒に、黒のコートを羽織る真理絵の元に来て、こう言った。

 「マリエ。貴方は本当に、マルセルを友達としか思って居ないのですか?もしかしたら、貴方はマルセルの事を愛して居るのではないでしょうか?」

司が、ジミーの言葉を真理絵に通訳しながら、ビックリした表情で彼を見た。

だって、あいつには、『ミシェール』という恋人が居るんだぜ…

 しかし、真理絵は「恋人が居るのは知っています。」と言った。

 「でも、私はマルセルが好きです。日本に居る時だけでも、彼の役に立ちたいんです。恋人からマルセルを取ろうなんて気持ちは毛頭ありません。マルセルがドイツに帰ったら、その時はただの1ファンに戻るつもりで居ます。」

 ジミーは真理絵の言葉を聞いた後、「貴方の様な人が、ファンで良かった。」と言ってから、悲しそうに、

 「ミシェールが、マルセルの事を心配して居たからね。ミシェールの為にも帰って来てほしいんだよ。」と、言い残し、フランソワーズを出て行った。

司もジミーの後を追う様に出て行ったが、真澄だけは真理絵の元に残り、彼女の傍に来て小さな声で話し始めた。

 「真理絵さん。良く聞いて下さい。これは、あくまでも噂の段階なのですが、ジャーマンレコードがマルセルの代わりのヴォーカルを密かに探しているという情報が入ってきたのです。それで昨日…その、代役が見つかったかもしれないという情報が、うちに飛び込んできましてね。結構まずい事になっているんですよ。勿論、これはまだ、ジミーもメンバーも知らない事です。そこで、貴方にこの事を、…言いにくいかもしれませんが、マルセルに伝えてほしいんです。ぐずぐずしていると、帰りたくても帰れない状況になってしまうかもしれませんからね。私はそれを見越して、貴方に伝えましたので、心に留めて置いて下さい。…それではこれで…。」

 衝撃すぎる内容だった。

真理絵は、喫茶店の戸口に向かって足早に歩いて行く真澄に向かって声を掛けた。

 「あの…新ヴォーカルが正式に契約してしまったら…マルセルは…どうなるんですか?」

 「勿論、クビです…。」

 大友真澄は、その一言を残してフランソワーズを去って行った。

あとに残された真理絵は、先程の彼の言葉が、グルグルと頭の中を回転していた。

そしてやがて来る、マルセルとの別れの日が近づいている事実を、体全体で感じ取っていた。

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