第10話 真澄と柳原の会話
翳りかかった夕日の中。
一台の車が、今少しで練馬インターに入ろうとしていた。
運転者は、大友真澄。
そして後部座席には、某FMでハードロックヘビーメタルの専門ラジオ番組の司会をしている、『佐藤司』と、サベージパンプキンのリーダーのジミーハンセンが居た。
ジミーはあれから電話を切った後、昨日の飛行機で、急遽成田空港へ到着。
真澄達と合流した後、マスコミに気付かれずに、佐藤司があらかじめ用意をしていたホテルの部屋に入り、一夜を過ごしたのだった。
首都高速を降りた後、彼等の車は池袋を抜けて川越街道に入ろうとしていた。
その運転をしながら、真澄はある事を考えていた。
司がドイツ語でジミーと話しているのをいい事に、昨日の電話の内容を思い出していた。
それは今回の事件の発端者でもある、柳原和男との電話のやりとりであった。
「ジミーにバレたあー!?」柳原和男は驚いたように言った。
「な、なんて事をしてくれたんです!?これは、うちしか知らない大スクープだったんですよ!!」
怒り狂っている柳原を何とかなだめようと、大友真澄が優しい声で謝罪した。
「すまん柳原。まさかバレるとは思わなかったんだが、成り行きで…。」
「成り行きで済みますか!これじゃあ一体、俺があの日、辛い思いをして、あの近辺の人から情報集めをしたのは、一体、何の為だったんですか!?全部、水の泡じゃあないですか!大体、何で、ジミーの所なんかに電話したんです!?」
柳原は尚も真澄を問い詰めた。
「それは…つまり、何故マルセルがあんな突飛な行動をしたのか、その辺がどうしても気になって…すると、ジミーが、俺の様子がおかしいと感づいたもので…。慌てて切ろうとしたんだよ!!俺は!!すると、その事を話さなければ、もう、うちの雑誌ではインタビューに応じないと言うもんで、仕方なく話してしまったんだ。」
「言い訳なら、よそでやってください!…ったく、ドイツになんか電話しなければ、こんな事にはならなかったのに…これで編集長が勤まっているんだから、凄いと思いますよ。ほんとに。」
柳原は自分の気持ちをただぶつけていた。
嫌味の一つでも言わなきゃ、気が済まないと思ったからだ。
しかし、真澄は、急に声色を変えて、「でもな柳原、そのおかげで、凄い事が分かったぞ。」と話しかけてきた。
「凄い事って何です?」
柳原が、素っ頓狂な声を出して、彼に聞いた。
「マルセルが失踪してしまった訳だよ。」
そう話すと、真澄は柳原にジミーが話した経緯を伝えた。
柳原はその話に耳を傾けると、「そうだったんですか…意外でしたねえ…。」と驚きの声をあげ溜息をついた。
「もっと、驚く事があるぞ。」
「何です?」
先程と違い、柳原は興味深く、真澄の話に耳を傾けた。
「ジミーが、急遽こちらに来るって言うんだよ。」
「ええっ!それは本当ですか!?」
「ああ。本当だ。もしかしてまたインタビューを取れるかもしれないぞ。まっ。これは冗談だけど。」
「何、馬鹿な事を言っているんです!?よく考えて下さいよ。今、日本では、マルセルキスクの失踪事件について、マスコミが躍起になって騒いでいるんですよ?と、いうことは、サベージパンプキンのメンバーの顔だって、当然知られている事になる。だから、ジミーが日本に来る事を、他のマスコミが知ったら…。」
「大変な事になるな。」
真澄が、すんなりと言う。
「だから、悠長に構えている暇はないと言う事です!」
「まあ、柳原。その件については、もう手は打ってある。司に電話をしたからね。」
自信たっぷりに、真澄が言った。
「ああ。あの、うちの雑誌に編集顧問として原稿を書いてもらっている佐藤さんの事ですか?そうですか。あの方でしたら、信用は出来ますものね。」
ホッとした様に、柳原が言う。
「ああ。何とかホテルも取ってくれる事だし…ちょっと待て、柳原。それじゃあ俺は頼りないと言う事か?」
真澄が、怒って柳原に言う。
柳原は電話の向こうで、しまった!と一瞬思ったが、何とかその場を切り抜けようと、真澄にごまをすり始めた。
「いえ。決して、その様な事は思っていませんよー。大友編集長の事は尊敬してらっしゃいますし…。頼りにしてますよー!なんたって、編集長が居るからこそ、我がミュージックスピリッツは発行部数も伸びていると、常々感じておりますものー。」
「何か、胡散臭いなー。まあいいか。いずれ、バレる事だし。」
何か、言いたげな口ぶりで、彼は話を終わらせた。
だが、真澄は本当は心の中でほくそ笑んでいたのだ。
先程と打って変わって、柳原より俺の方が有利だな。
見事に形勢逆転。
柳原の奴、今どんな顔をしてるだろう…。不意に、そんなくだらない事を思い、一人ほくそ笑む真澄。
「それよりか、柳原。」
「はい?」
しかし、当の彼は、真澄の気持ちとは裏腹に、先程の事など忘れたかの様に素直に返事をした。
そこが、柳原のいい所だな。
ふっと、真澄は思った。
だが当の柳原は、先程の事など、もう全然気にしていなかった。
終わった事は気にしない。
それが、彼の特技でもあるのだ。
「お前の方は、何か収穫はあったのか。?あれからマルセルが消えた辺りをうろついて居たんだろう?」真澄がそう言うと、待ち構えていたように柳原がいつもの調子に戻り、「あったも何も、まあ、聞いて下さいよー!」
と、彼に向かって話し始めた。
真澄の電話を切った後、柳原は行動を開始した。
消えた辺りは分かっていたので、その周辺の人達に、この辺りで、茶色の瞳をしている、黒い髪のドイツ人男性を探しているのですが、見た方はいらっしゃいませんでしょうか?と、一軒一軒訪ねて聞いたのだが、思った収穫はなく、時間はどんどん経過していった。
何処かで待っていれば、マルセルを捕まえる事が出来るだろうか…?そう思いながら、例のコンビニの前で夕方位まで待ち続けたが、彼は現れる気配はなかった。
やるだけの事はやった。
けれどダメだった。
しょうがない。諦めて帰ろう…。
その時だった。
彼の目の前に、井戸端会議をして居る3人の主婦の姿が見えたのだ。
最初彼は無視して通り過ぎようとした。
しかし冷静になって考えてみると、この辺りの事を一番良く知っているのは、もしかしたら、こういう人達なのではないか?と直感し、その主婦達にマルセルの事を聞いてみる事にしたのだ。
「あの、すみません。」
柳原の一言で主婦達が一斉に振り向く。
「この辺りで、25歳位の若い外人の男性を見掛けた事はないでしょうか?」
「外人の男性?」
花柄のワンピースを着た、細めの主婦が言った。
「ええ。髪の毛はこう、短く黒い色をしているんですが、瞳の色がブラウン系なんですよ。」
「さあ、知らないわねえ。」
白いエプロンを付けた、ちょっと目つきが鋭い主婦が声を出した。
すると、その真ん中に居た、ちょっと太めの気が強そうな主婦が、柳原に向かって怪訝そうな顔つきでこう言った。
「あんた。誰なの?その外人さんの友達?」
柳原は主婦の取った態度に些か困惑したが、すぐに開き直り自分の名刺を相手に差し出した。
「ミュージックスピリッツ…柳原和男…。」
「はい。実はわたくし共の雑誌で、今度、日本に住んでいる外人達が今のヘビーメタルシーンをどの様に感じて居るか、その特集を組む事になりまして…すると、ある筋から、この近辺に日本に住む25歳くらいのドイツ人が居るという情報が入ったもので、はるばる来たという次第なのですが、いかんせん何処に住んで居るのか分からないものですから。そこで貴方方が知って居るかと思い、聞いてみたのですが…ご存じないでしょうか?」
我ながら、なんというホラを吹いてしまったのだろう!!密に柳原は思った。
だが、その話を聞いた主婦達は、それぞれに違った反応をし始めた。
そして、不意に細めの主婦が…。
「それに答えると、私達も雑誌に載っけてくれるの?」
と彼に問いかけたのだ。
柳原はひきつった。
しかし、彼女達はもう、興味深々だ。
これは、もうちょっと酷だが、嘘を通し続けるしかない!
「も、もちろん載せますとも。でも、そんな風に言うところを見ると貴方方は、ドイツ人の男性の行方を知っていらっしゃるのですか?」
何とか主婦達の機嫌を損ねまいと、彼は笑顔を絶やさず話し続ける。
しかし、彼女達はもう、柳原の弱みを握ったのか、彼に向かってニヤニヤしながらこう言った。
「教えてあげてもいいけれど、まず写真を1枚撮ってくれないかしら?だって、私達のこと雑誌に載せるのでしょ?写真くらい撮ってくれないと…。」
目つきが鋭い顔をした主婦が柳原のカメラを見ながら言った。
彼は、仕方なく写真を1枚撮る事にした。
主婦達は急に髪を直し、服を整え、真面目な顔をしてカメラの前でポーズを取った。
それを『ジシャー!ジシャー!』という音と共に、一眼レフのカメラに収めていく。
「はい。終わりましたよ。それでは、話を聞かせて下さい。」
カメラを片付けながら柳原が言うと、花柄のワンピースを着た細めの主婦が真ん中にいた太めの主婦に向かって、こう言ったのだ。
「あんたが、管理している、アパートの『哲ちゃん』の従兄が、そんな子じゃあなかったけ?」
「そういえば…そうだったような…。」
太めの主婦が相槌をうって答える。
柳原は、その二人の会話を聞いて、すかさず太めの主婦に訪ねた。
「哲ちゃんて、誰ですか?」
「私のアパートの2階に住んで居る子の事よ。私、『つりがね荘』という名前のアパートの大家をして居るんだけどね。1か月前くらいかな、哲ちゃんとその従兄が、私の所に挨拶に来て、これこれこういう事情で、半年間だけこの従兄と一緒に暮らしますので、よろしくお願いします。って話に来たのよ。その時見たんだけど、サングラスして、髪の毛は金髪っぽかったわねえ。でも、日本語は堪能で割と、いい子だった事を覚えているわ。…でも、そのあと、その子髪の毛黒く染めちゃったのよねえ。どういう訳か。」
太めの主婦が回想するかの様に言った。
すると横から、「哲ちゃんって、もしかして良く貴方の所に、コンビニの残ったお弁当とか持ってくる男の子のこと?」と、目つきの鋭い主婦が話し掛けて来た。
「ええ、そうよ。あの、いい子のこと。私のことをお母さんのように慕ってくれて、本当に育ちがいいのよね。」
と、哲太の自慢話を始めた。
彼女は哲太の事を相当気に入っているらしい。
すると彼女は、こんな事も言い出したのだ。
「それから良く、哲ちゃんと一緒にいる女の子。えーっと…『真理ちゃん。』あの子も、友達だって言ってるけど、最近頻繁に来る様になったわね。毎日来てるわ!」
「やっぱり、恋人同士なのかしら?」
細めの主婦が言う。
「きゃー。若いわねー!!」
主婦3人は勝手な憶測をし、柳原を無視して笑った。
そんな3人を見て、柳原は溜息をついた。
全く!おばさん連中はこれだから嫌なんだ。…と、言いそうになるのをグッと我慢して、彼は更に質問を続ける。
「真理ちゃん…て、誰ですか?」
すると太めの主婦が柳原に向かって、こう答えた。
「よく、哲ちゃんの家に来る、20代くらいの女の子なのよ。真理ちゃんは気さくな子でね。誰とでもすぐ仲良くなっちゃう。楽天家って言うのかしらね、ああいうのを…この頃は毎日のように姿を表すようになったわね。前までは1週間に1回くらいだったのに…。」
それから暫く間を置いて、「そうね。哲ちゃんの従兄が表れてから、よく来るようになったかもしれないわね。」と、付け加えた。
「その、哲ちゃんの従兄さんって、大体何月くらいから、つりがね荘に住む様になったか分かりませんか?」
柳原が、太めの主婦に更に聞く。
「1か月くらい前だから、12月頃かな。」
主婦のその言葉を聞いた彼は、確信した様に思った。
マルセルだ。間違いない!金髪っぽい髪という事実と言い、ここに現れた月日もほぼ一致している。
もし、マルセルだとしたら、…その哲ちゃんか、真理ちゃんのどちらかが、共犯者という事になるな。
柳原が、大家の話を真剣に考えていると、その傍で後の2人の主婦が大家に驚いた様に言った。
「えー!?それじゃあ、真理ちゃんは哲ちゃんの事が好きじゃあないの!?」
「どうやら、そうらしいわね。」
大家が小声で言う。
「でもさあ、もし、それが本当の事だとしたら…三角関係って事になっちゃうわね。」
細めの主婦が面白そうに言った。
「何故よ!?」
徐に、目つきの鋭い主婦が言う。
「貴方、そんな事も分からないの!?哲ちゃんは絶対に真理ちゃんの事が好きなのよ。…口には表さないけど態度で分かるのよ。あの子、真理ちゃんといる時が一番笑顔の回数が多いんだもの。」
「チェックが厳しいわねえ。中畑さん!」
大家が、細めの主婦に向かって名前入りで初めて話した。
そして、「でも、あの二人、どうなっちゃうのかしらねえ…」と、3人の主婦が同時に話したところで、柳原の説明は終わった。
「あれには、本当に参ってしまいましたね。主婦パワーは凄いですわ。それで何とか、その『真理ちゃん』と『哲ちゃん』に会いたくて、その哲ちゃんが居る、つりがね荘を教えてもらったんです。すると、ビンゴですよ。編集長。哲ちゃんには、会えました。」
「本当か!柳原!?で、マルセルは居たのか?」
真澄が興奮したように聞く。
「待って下さいよ編集長。で、私が調べた結果ですが、哲ちゃんと言われている男性は本名は、橋本哲太と言います。年齢は25歳との事です。職業はフリーター。某コンビニエンスストアで、AM8:00~PM18:00まで、週5日働いています。女性関係は、友達は結構いるみたいですが、…アパートに入れて居るのは、どうやらその真理ちゃんという人物だけみたいですね。」
彼は、自分の黒革のメモ帳を見ながら、真澄に説明する。
「ふむ。大体の事は分かったが、その哲太という奴は、サベージパンプキンのファンか何かなのか?」
「それが、そうでもないみたいで、私も不思議に思ったくらいなんですよ。会ったのは、夜の18:00くらいで、哲ちゃんに、先程の主婦達と同じ事を聞いてみたんですよ。本人は冷静さを保っていましたが、サベージパンプキンというところで、かなり焦りの色があるような感じはしました。それで、更に突っ込んで、今回の来日公演について聞いてみたのですが、全くの無反応でした。どうやら、哲太という男は、何かを知っている様に私には見受けられましたが、ファンではなさそうです。なにか、知っている様に感じられますが、動機が見つからないんですよ。マルセルをかくまう訳がね。」
柳原はそう言って、深々と溜息をついた後、「そこで、編集長に頼みたいことがあるんです。」と、彼に向かってこう言った。
頼みというのは、真澄が、『真理ちゃん』という人物に会ってほしいとの事だった。
柳原が調べた人物像は、本名、浅野真理絵。
歳は24歳。
住所は、以前大家がもらった、真理絵のお母さんが趣味でやっている化粧品のカタログに載っていて、それがきっかけで、大家と真理絵が仲良くなったらしい。
真澄は何故、自分が真理絵に会わなければならないのか?と当然柳原に質問したが、彼が言うには、真理絵がもしヘビーメタルファンだとしたら、今まで理解が出来なかった問題も解決がつくと思い、どうしても彼女に会ってほしいとの事だった。
柳原は引き続き、橋本哲太に張り込むとの事だった。
真澄は、その話を受ける事にし、最後にここで話したことは、お互い一切他言無用。
社内の人間にも話さない事を約束して電話を切ったのだ。
車は、いつの間にか住宅街に入っていた。
司が、「もうすぐで、着くのかい?」と、真澄に聞いた。
「ああ。ナビによると、この辺なんだけどな。」
と、言いながら辺りを見回す。
道はだんだんと狭くなり、ついに5分後、車のナビの『目的地周辺です』というアナウンスが聞こえた。
真澄は、コインパーキングを探し車を停めた。
そこから先は、車が通れないほどの狭い道になっていたからだ。
ここからは、もう真理絵の家には、おそらく30秒程で着くだろう。
3人は周囲に気付かれない様に、黒いサングラスをして彼女の家へと歩いて行った。
暫くすると、視界に移った、『浅野ゴム製作所』と書かれてある文字と共に、立て看板が見え、その奥で忙しそうに荷物の出し入れをする、黒いスウェットスーツに身を包んだ、20代くらいの娘を彼等は見つけた。
彼女はてきぱきと、出荷する荷物の数を調べ、それを帳面に事細かに記入していった。
額に流れる汗を拭おうともしないその娘は、彼等3人が居る事に全く気付かない様子だった。
「浅野真理絵さん…ですね。」
真澄が彼女の背後からユックリと言う。
その拍子に真理絵が振り向いた。
瞬間、3人の男達は、一斉にユックリとサングラスを外した。
見覚えのある顔…どころではない!そこには、ミュージックスピリッツの編集長、大友真澄。
TVでよく見る、佐藤司、そして、サベージパンプキンのギタリスト、ジミーハンセンの姿があったのだ。
遂に、来るべき時が来た。
真理絵はそう思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます