第13話 家族

勇一郎は、頭をずっと下げて動こうとしなかった。

今までの事が全て嘘だとバレてしまった真理絵は唇を噛みしめ、ただその沈黙をジッと耐えていた。

彼女の体は小刻みに震え、穴があったら入りたい心境に陥っていた。

 「どう言う事なの…これは?」

貴子が困惑した表情で、真理絵に聞く。

しかし、真理絵は硬直したまま動こうとしない。

 「答えなさい!!真理絵!!」

『バンッ!』と貴子がテーブルを叩いた。

その音に『ピクッ』と反応し、ユックリと母を見つめる真理絵。

彼女の目に映った母の表情は、酷く悲しい顔をしていた。

真理絵の心は、その直後ズキン!と痛んだ。

彼女はそこで初めて、自分が今までどれだけ父と母を無視してきたかを悟った。

 「私は、今とても悲しいわよ。」

と、貴子が言った。

「勇一郎から、その話を聞いて、まさか自分の娘が今話題になっているバンドの人をかくまって居るとは…そんなの思いもしなかったからね。けれど例えそうだったとしても、お母さんは真理絵の口から言ってほしかった。それが悲しくて仕方ないのよ…」

貴子の瞳は涙ぐんでいた。

 「だって…お父さんと、お母さんに話したら…余計心配させちゃうと思って…だから、言わなかったの…」真理絵が戸惑いながら答える。

すると秀三が語気を荒くして言った。

 「それが、一番親に心配させる事なんだよ!親はな、子供のどんな事でも知っていたいものなんだよ。それが、自分にとってどんなに苦しい事だろうが、辛い事だろうが、知っていれば何があっても安心するものなんだよ。」

秀三の言葉に真理絵が、不思議な顔をして聞いた。

 「親って、皆そうなの?」

「ああ。そうさ。子供の事を心配しない親なんているものか!それがどんな表現方法だとしても親はそれぞれに、いつも子供の事を思っているものなんだよ…。」

秀三が諭すように言った。

 父の言葉を聞いた真理絵は、暫く考え込んでみたが真剣に父と母の瞳を見据えた。

 「今までの経緯を…聞いてほしいの。お父さん。お母さん。そして私にアドバイスをしてほしい。私、今どうしたらいいか、まるで分らないの…。」

 「とにかく座って話しましょう。真理絵。」

貴子が、彼女をテーブルに誘った。

彼女がテーブルにつくと、秀三、貴子、勇一郎とテーブルにつき真理絵の話に耳を傾けた。

 真理絵は、マルセルとの出会いから先程の哲太の言葉まで、全て話した。

しかし、話している最中に彼女は感情的になってしまった為、泣き出してしまったのだ。

秀三と貴子は驚いた。

娘がこんなにも苦しんでいる。

自分達の知らない間に、真理絵はなんと大きな悩みを抱えていた事か…!秀三は泣きながら話す娘に、黙ってティッシュを取り、それを差し出した。

それを受け取り、涙を拭う真理絵。

 「私、マルセルが一体何を求めているのか、皆目見当がつかないの。彼の生みの母のヘレナが死んで、それで声が出なくなってしまった。その事実は分かるの。分かるんだけど…けれど、マルセルが一人で戦っている間に、事態は足早に過ぎていってしまったわ。私はジミーに彼は必ず、自分で悩みを克服してドイツに帰るでしょう…なんて、大きな口をたたいてしまったけれど、でもそんな保証はどこにもないし、私だって分からない!だから苦しいの。もし…このまま、彼が二度とサベージパンプキンに戻れなくなってしまったとしたら…全て私のせいだって…そのことを考えると、息が詰まりそうなのよ!」

 「真理絵は…そのマルセルって子が好きなの?」

「えっ!?」

貴子の言った言葉に、真理絵は度肝を抜いた。

と、拍子に秀三が、貴子の方を向く。

貴子は真剣な眼差しで真理絵を見ている。

しかし、真理絵は無意識に誤魔化した。

 「そ、そんな事…あるわけないじゃない!さっきも話したけど、あの人には恋人が居るのよ!ファン全員が自他と共に認める、ミシェールという可愛い恋人がね。そ、そりゃあ私はファンとしてなら…マルセルのことが好きだけれど…。」

 「真理絵。家族の前で強がるのはよしなさい。貴方の言葉の端々に態度に、その気持ちは手に取るように分かるのよ。1日中その人の事を思ったり、自分が何が出来るか考えたり、それは昔、お母さんが味わった気持ちに、今の貴方が似ているからなの…」

 母の言葉を聞いた真理絵の瞳から、涙が幾粒も零れ始めた。

今まで抑えていた気持ちを、一番信頼出来る母が思ってくれた。

その嬉しさは、彼女の心の壁を崩した。

真理絵はその瞬間、むせび泣きと共に激しい号泣をした。


「一番苦しんでいたのは…この事だったのね…」

貴子が呟いた。

真理絵は泣きながら頷いた。

何にも増して、彼女はこの気持ちが苦しかった。

自分がいつの間にかマルセルと離れることが出来なくなってしまった、その真実が…

 「お前の気持ちは、橋本君は知っているのか?」

秀三が聞いた。

 「哲ちゃん?」

真理絵が言う。

 「ううん。知らない。でも薄々は気が付いていると思う。」

 「そうか…だとしたら、お前は結構、『酷な事』をしていると思うぞ。」

 「酷な事?」

キョトンとして、真理絵が言う。

 「分かんないのか?」

秀三が尚も突っ込む。

しかし、彼女は驚いた眼を見開くばかり。

 「お前は昔っから、自分の事にはてんで疎い所があったからなあ。じゃあな、どうして橋本君はお前の頼み事を聞いて、マルセル君を自分の部屋に居候させてやったんだと思う?」

 秀三が、真理絵の顔を覗き込みながら言う。

 「マルセルの事が気に入ったからでしょ。兄弟みたいだって言ってたもの。」

 彼女が、キッパリと言い切った。

その途端、秀三が苦虫を嚙み潰したような顔をした。

 「お前は、そう思うのか?しかしなあ…お父さんは違うと思うぞ。橋本君は、マルセル君の友達でもないし、知り合いでもない。ましてやファンでもないんだよ。それなのに何故、ただの友達のお前の話を聞く?可笑しいと思わないか?」

 「何が言いたいの?」

真理絵が言う。

しかし秀三は腕組みをしてから、こう言った。

 「橋本君をしっかり見て、しっかり自分の心に聞いてごらん。そうすれば自ずと、お父さんが言った酷な事の意味が分かると思うよ。」

 それから彼は、貴子に「お茶を一杯いただけるかな。」と言い、肝心な事には触れずに、話を反らしてしまった。

 秀三の言葉を聞いた貴子は、すぐさま立ち上がり、茶色の急須と秀三と自分の湯飲みを持って来た。

「あんたたちも飲む?」

真理絵と勇一郎は同時にコクンと頷き、貴子は2人の湯飲みも持って来た。

それに次々と緑茶を入れ、秀三、勇一郎、真理絵の順に湯飲みを置き、そして最後に自分の湯飲みに緑茶を次いで、沈黙のまま席についた。

リビングに緑茶のいい香りが立ち込め、4人の心を穏やかにしていった。

 4人がお茶を飲み始める。

秀三が「うーん。美味い!」と一言言った。

その父の行動を目で追いながら、真理絵は熱い緑茶をチビリチビリと飲む。

 「それで、真理絵。」

貴子が湯飲みを『コトッ』と、テーブルに置いた。

「真理絵はこれからどうしたいの?」

 「良く分からない。」

真理絵がお茶を見つめる。

 「マルセルの出方次第って事になると思う。ふふ…考えてみると。ゴールのないゲームをしている様だわ。」

 「橋本君のお父さんは、この事を知ってのか居るのかな?」

秀三と、哲太のお父さんとは真理絵が幼稚園に入園してからの友人であった。

 「ううん。全然知らないの。だから哲ちゃんのお父さんには言わないで。哲ちゃんが辛い目に合うから…。」

真理絵が懇願する。

 「そりゃあ、言わないさ。その問題はお前と橋本君の問題なんだから。しかしなあ、お父さんはこのままマルセル君を…橋本君のアパートに居候させるのには、賛成出来ないな。」

 「何故!?」

真理絵が驚く。

 「まずマルセル君自身が、ダメになってしまうと思うんだ。逃げ場があるという事は、現実に直面をしない、きっかけを作ってしまう原因だからね。お父さんはどうしても、そのマルセル君が今はお前達に頼ってるとしか思えないんだよ。」

秀三が、自分の考えを真理絵に話した。

それを、聞いた貴子は、「そうですね。」と言い、勇一郎はウンウンと深く頷いた。

 「マルセルは、逃げてるわけじゃないわ!だって哲ちゃんのアパートに居候する期間は半年ってちゃんと取り決めてあるもの!」

 「けれど現在は、状況が違ってきてしまったのだろう?この1か月間の間に、マルセル君が帰らなければ、真理絵、お前は何の為に彼をかくまったんだ?甘えさせる為にかくまったのか?それとも酷な言い方だが。…所有物にするためにかくまったのか?」

 秀三の言葉を聞いた真理絵は、図星を指され、うっ!と心で思い、その後何も言えなくなってしまった。

しかしそこで、貴子が2人の間に割って入った。

 「お父さん!今のは言い過ぎよ。所有物なんて…マルセル君は物じゃないんだからね。でもね。真理絵。お父さんは心配しているのよ。あんたの事をね。とても大切な自分の娘が、何処の誰かも分からない男にうつつを抜かして、しかもその男は煮えたか煮えないかの態度をとっている。将来性もないし、現在を生きている実感さえもない男に、どうして娘がここまで振り回されなければならないのか?私だって悔しいわよ。腹が立つわよ!けれど、あんたがどうしても好きだって言うのなら、私達はただ、黙って見つめることしか出来ないのよ。」

 貴子が、諭すように真理絵に言った。

すると今まで、何も言わなかった勇一郎が真理絵に語り掛けた。

 「真理姉。さっき真理姉は、どうしたらいいのか、私にアドバイスをしてほしいって言ったよね?」

 彼女がコクンと頷く。

「俺、感じたんだけど、今マルセルは自分で卵を作って、その殻に閉じ籠って居る状態だと思うんだ。だから真理姉が、その殻をつついて、出る所は此処だよ、って教えてあげればいいんだよ。」

 「つついて…教える…?」

彼女は目を丸くした。

 「ああ。真理姉が彼に対して思っている事を、全部言ってやればいいのさ。自分が感じた事。そのままに。本当に相手の事を心配してるのなら言えるはずだよ。そうすればマルセルだって、何らかの反応はするはずさ。必ず、自分の殻を自分で叩いて出てくるよ。」

 勇一郎がお茶を飲みながら言った。

そして、更に続けた。

 「今マルセルは、自分の周りに殻があることも自覚してないと思う。それは、真理姉と橋本さんがそうしているんじゃないかって気がするんだ。だって寒い所より、ヌクヌクした暖かい所の方がいいだろ?真理姉がいつまでも鶏の真似をして、卵を温め続けているからマルセルは気づこうとしないんだと思うよ。」

と、言った。

 「私が、全部いけないっての?結局私がかくまった事は無駄な事だったって勇一郎は言いたいの?」

真理絵がやけくそになって話す。

 「俺が言いたいのは、そんな事じゃない。現にもうかくまっちゃったんだから、後は全力を尽くして自分が今出来る、最大限の事をするしかないんだと思う。」

そう、勇一郎は言った。

 それから秀三が、最後にこう付け加えた。

 「それでもダメだったら、これからのマルセル君の事を皆で考えよう。その時は彼と橋本君も連れて来なさい。」

そう言って、この話は終わったのだ。


『ピンポーン』哲太の部屋のチャイムが鳴った。

 ハーイ!哲太が声をかけながら『ガチャ』とドアを開けた。

 「真理絵!?」

哲太が驚いたのも無理はない。

そこには2時間程前に帰った、浅野真理絵が立っていたのである。

 あの後真理絵は、どうしても秀三が言った哲太に対しての『酷な事』の意味が分からず、それが気になってしまった為、とうとう又この場に戻って来てしまったのだ。

 「どうして…?帰ったんじゃなかったの?」

 「哲ちゃん、私どうしても…貴方に聞きたい事があったの…。それで!それで…。」

 真理絵は首をうな垂れた。

哲太は暫く彼女を見つめた後「とにかく入れよ。」と、真理絵を中に入れた。

 中に入って台所をふと見ると、まな板の上に千切りにしてある中途半端な大根の姿がある。

 「夕食の支度をして居たんだ…。真理絵も食ってくか?」

 「哲ちゃん。」

彼女は哲太の問いには答えず、自分の疑問を彼にぶつけた。

 「私、貴方に酷な事って、してるかしら?もししてたら…私、貴方に謝らなければならない。」

 「な、何をいきなり。」

哲太が驚く。

「突然来て、何を言い出すかと思えば…何を根拠にそんな事言うんだ?」

 「私、今日マルセルの事で親と話し合ってきたの。私の弟の勇一郎が、とうとう2人に話してしまったから…それで、色々話し合って…その時に父が、哲ちゃんの所にマルセルを居候させるのは、貴方にとって酷な事なんじゃないかって、言ったのよ。哲ちゃんとマルセルは知り合いでもなければ、ファンでもないし、ただの赤の他人なのに、私の願いを聞いて哲ちゃんがマルセルをかくまって居るのは可笑しいって…」

 「お父さんが、そう言ったの?」

哲太が聞く。

「うん…。」

 真理絵が頷く。

そして、1つ咳払いをする。

 「私はマルセルのことが好きだったから、何とか彼の役に立ちたかった。だから、哲ちゃんに相談したの。だって、私哲ちゃんのこと、お兄さんの様に思っていたから…。歳は一つしか上じゃないけど…。だから、私が甘ったれだ!と思っても、哲ちゃんなら優しくしてくれると思って…。だから、彼をかくまってもらったんだけど、父が酷な事って言うから…。ねえ。哲ちゃん。ごめんね。もし、今度の事で貴方が傷ついたとしたら許してね。皆私が悪いの。でもマルセルを嫌いにならないで…だって彼、本当に苦しんで居るんだもの!」

 そう言って、真理絵は哲太の前で土下座をした。

彼女の瞳には涙が光っていた。

ああ、俺は、この子の涙には弱いんだよな…。

ここまで言われちまったら、俺何も言う事が出来ないじゃないか。

そう思い、哲太は髪を触りながら苦笑いをする。

 「顔をあげろよ、真理絵。ったく、お前って奴は、本当に思い込みが激しいよなあ。」

哲太は、彼女の髪をかき上げながら、そう言った。

ふいに、哲太の目を見つめる真理絵。

 「マルセルとはいい友達だと思っている。不思議と…気が合うんだよな俺達。喧嘩も思いっきり出来るし…でも最初はね、嫌だったよ。マルセルと暮らすなんてね。だって日本人ならまだしも、ドイツ人だもの。異文化が入ってくるなんて、耐えられなかったよ。英語も苦手だったしね。でも、いざ蓋を開けてみたら、それはそれなりに、楽しいもんなんだよな。食事の面ではどうしても意見が食い違う場面が多かったけど、俺があいつに日本語教えたり、あいつからドイツ語を教わったり、片言だけどね。だから真理絵がそんなに心配する事はないぜ、俺は酷な事なんて思っちゃいないから。」

 「本当?」

真理絵が聞く。

 「当り前さ。俺はそいつの事が気に入らなければ、平気で追い出すからな。そういう、性分だしね。」

 そう言って、哲太は笑った後、ついっと時計を見て、また夕食の支度をする為に台所に戻った。

哲太の大根を切る音が心地よく聞こえる。

 真理絵は満面の笑顔を讃えて、彼の許へ来ると哲太の後ろ姿を見ていた。

 「やっぱり、哲ちゃんに相談して…良かった。お兄さんみたいに的確な答えが返ってくるんだもの。」

そう言って、満足そうに頷いた。

 「つまり、俺は…お兄さん替わりって訳?」

 一瞬哲太が大根を切るのを止めた。

 「ええ。そう思っているわ…迷惑だった?」

 「いや…別に…嬉しいよ…。」

そう言って、哲太はまた大根を切り始めた。

 22:00過ぎた頃、マルセルが帰ってきた。

手には沢山のビールが入っているビニール袋を提げて、ドアをユックリと閉めた。

「駅前でビールが特売していたので、哲達の分も買って来たんだ。」

マルセルが白い歯を見せながら、明るく言った。

 夕食が始まり、先程の哲太が切っていた大根は味噌汁に変わっていた。

そして、冷蔵庫からビールも出てきた。

『プシュッ!』と缶の蓋を開けると、ビール独特の何とも言えない香りが立ち込めた。

そのビールを次々と空にしていくマルセルと、哲太。

しかし、いくら飲んでも赤くならない。

こういうのを蟒蛇と言うのだろうか…?そう思いながら、真理絵は1本目のビールをチビリチビリと飲んだ。

 15分程経ち、2人は4本目のビールに手を伸ばしていた。

もう、マルセルも哲太も上機嫌だ。

口数の少ない二人が良く笑い、良く話をしている事から、大分お酒が回っているらしい。

二人の話題は、酒の話から始まって、次に車、オーディオ器具等、真理絵にはチンプンカンプンな事ばかりだった。

しかし、いつもは話している下ネタを彼等は話はしなかった。

真理絵が居たからである。

 「あれ、煙草が切れちまった。ちょっと買ってくるわ。」

哲太がポケットに手を突っ込みながら言う。

そして椅子から立つと、真っすぐドアの方へ向かい外へと出て行った。

真理絵は哲太の階段を降りる足音が聞こえなくなるまで、ドアの方を見つめていた。

 「ああなると、帰るの遅くなるよ。多分、職場のコンビニに向かったんだろうからね。」

 マルセルは、笑いながら話す。

 哲太は、職場で絶大な信頼関係があり、店長も太鼓判を押す程だった。

職場ではリーダーを務めて居たし、店長はそんな哲太に「社員になる気はないか?」と、いつも話しているぐらいだった。

 「真理絵に聞きたい事があるんだけど…」

マルセルが、徐にに言った。

 「なあに?」

「真理絵はどうしてヘビーメタルを好きになったの?」

 「どうして、そんな事聞くの?」

彼女が逆にマルセルに聞いた。

彼は鼻に手をやりながら、こう言った。


「つまり…俺達のバンド、サベージパンプキンは、独特のパワーメタルを演奏するから、どちらかというと、本国では男性のファンの方が多いんだ。だから、真理絵みたいな真面目そうな感じの女性が、どうしてヘビーメタルが好きなのかなあと思ってしまって、それで聞いたんだ。」

と、言った。

彼はビールを一口飲むと、真理絵の方を見る。

それに対して彼女はクスッと笑うと、彼の問いに答えた。

 「私、真面目そうに見える?」

と、真理絵。

 「気を悪くした?」

と、マルセル。

 「別に、そんな気はないけど…うーん。やっぱりそうか。ポップスからこの世界に入ったんだものね。最初、私はイギリスのアイドルグループのファンだったの。デュランデュランていう。ねえ、マルセルは知ってるこのバンド。」

 「名前だけは、結構売れたバンドだったよね。」

 「ある日、そのアイドルグループから2人メンバーが脱退したの。私はそれを聞いた時、絶望的になった。冗談抜きでね。でも、そんな私の前にあるPVが飛び込んできたの。それが貴方のバンド、サベージパンプキンだった訳。」

 「俺達のバンド?本当それ?」

マルセルが目を丸くする。

 「うん。その中のヴォーカリストに私は強く心を惹かれてしまい、その日から、そのバンドに惚れ込んでしまったのよ。ありとあらゆる、貴方達のCDを買いあさり、佐藤さんの深夜のラジオ番組も聞いたわ。ミュージックスピリッツを買い始めたのも、その頃。色々なヘビーメタルの音楽を聴いていくうちに、私はこの音楽は芸術だと思ったわ。あの迫力。あのパワー。不思議な程に人を引き付ける魅力があり、時には人をも動かす力がある。私は心底、ヘビーメタルを愛しているわ。それは、あのバッハや、ベートーベンにも並ぶくらいの価値を秘めていると思うの。」

 夢見るような瞳で、彼女はマルセルに自分の考えを語り掛けた。

彼は真理絵の話にジッと耳を傾ける。

 「人間て、ほら、表の部分と裏の部分ってあるでしょう?私、ヘビーメタルって、裏の部分を表している音楽だと思うのよね。妬みや、恐れや、悲しみ、苦しみ、そんな普段現れる事のない部分が、裏の部分だと思う。それを音楽にしてしまっているから、聞いた側は、キューン…と何かを感じ取ると思うのよ。ミュージシャンが体験した感情が、そのまま聞く側に伝達され、その時に人は音楽と体験が一致する。そして、感動が生まれるのよね。私はそんな経験を何回も経験した。だから、ヘビーメタルを素晴らしいと思えるのよ。」

そう言って、真理絵はビールを飲み、ふうっと快い溜息をついた。

 「そう言えば、俺もそんな体験をした事があったな…ミシェールと2人で車に乗っていた時『スコーピオンズ』のバラードがラジオで流れた事があった。あれは素晴らしかった。そこだけ時が止まってしまったような錯覚さえ感じて居たもんな。」

 空になったビール缶を手で握り潰しながら、マルセルが言った。

 しかし、真理絵は彼の口から、ミシェールという名前が飛び出してきた事で少し取り乱し始めていた。

 「…ミシェールもヘビーメタルを好きなの?」

 「ああ、ミシェールは売れない頃のバンドのファンだったからね。」

マルセルが言う。

 「ど、どうして、ミシェールを恋人にしたの?だって、他に沢山ファンは居たはずなのに…」

いけない!そう思いながらも、彼女はマルセルに思い切って聞いてみた。

 「どうして、そんな事を聞くの?」

と、マルセル。

 「いえ…話したくないならいいの…。」

動揺の色を隠せない彼女をマルセルがチラッと見る。

 「ミシェールは、サベージパンプキンの熱狂的なファンで、あの子も俺も、同じスコーピオンズのファンだった。そこで意気投合して、それが恋人同士に発展していったのさ。レコード会社側も、あの頃俺に恋人を作れって、煩かったしね。そうしないと、感情の籠った歌は歌えないからって…。」

「ふうん…。」

真理絵は答えたが上手く言葉にならなかった。

それから、2人はお互い口を噤んでしまった。

沈黙が流れた。

時を刻む音だけが定期的に聞こえてくる。

どうやってマルセルに話を切り出そうか。

息苦しいと思われる空気の中で、彼女は懸命に考え続けていた。

気まづかった。

あんな質問をするんじゃなかった。

心の中で、真理絵はそっと後悔していた。

しかし、その時、

 「…真理絵…。」

 あれから何も話さなかったマルセルが、話を始めたのである。

 「はい…。」

彼女が驚いた様に言う。

しかし、マルセルの瞳は真剣だった。

 「今…恋人居る…?」

 「えっ!?」

真理絵が彼の瞳を見つめた。

その瞬間、マルセルのブラウンの瞳が何かを語った様に思えた。

 「もし…恋人が居なければ…」

 2人は、お互いを見つめあった。

マルセル…何を話したいの?その後の言葉は?と、思って居るが早いか、マルセルはスッと真理絵の肩を抱き寄せた、その肩は震えていた。

マルセルの手も震えていた。

 「俺と…」

そう言って、マルセルはそっと唇を近づけた。

私、マルセルならいいわ。

真理絵はユックリ、目を閉じた…。

 その時だった。

 『ピンポーン!』

 部屋のチャイムの音が聞こえた。

途端に真理絵と、マルセルがハッとする。

マルセルはその拍子に真理絵から離れ、口を噤んだ。

 チャイムの音は、まだ鳴り止まない。

哲ちゃんだったら、チャイムなんか鳴らさないはずだし、それにしたって、もう23:00過ぎている。

こんな時間に誰だろう?マルセルの中途の言葉を少し名残惜しみながら彼女はドアの方に歩いて行った。「はーい。今開けます。」

 『ガチャッ』とドアノブを回して開けてみると、そこにはこの前会ったばかりの佐藤司の姿があった。

 「佐藤さん!?…どうして此処が…?」

 「ミュージックスピリッツの柳原君が教えてくれたんです。ここへ来るのは悪いと思ったのですが、今日はある人が、どうしても…と言うもので、此処まで来たんです。」

 「ある人って…?」

真理絵がそう言うと、今まで司の後ろに隠れていた黒のロングコートを羽織った、ジミーハンセンが「HAI!」と、言いながら姿を表したのだった。

 「ジミー!?」

彼女は思わず、手で口を押えた。

 ジミーは真理絵を押し退けて、靴も脱がずにズカズカと中へ入って行った。

そして、その後マルセルは信じられない人を見た驚きで、ガックリと腰を落としてしまったのだった。

 「ジミー!!」



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