『任される身として』    2/6



「遅くなりました!」


 ひづりは《和菓子屋たぬきつね》の戸を開け、こうもり傘を閉じながら店内に駆け込んだ。


 定休日だったがフロアには明かりが点いていて、一番手前のお座敷席には凍原坂と天井花イナリが二人座ってひづりを待っていた。脇の座布団には《フラウ》が丸まっていた。


「ひづりさん! すみません! ひとまずお水を……!」


 凍原坂は急いで腰を上げると用意しておいてくれたらしい水の入ったコップをひづりに差し出した。ひづりは礼を言いつつそれを受け取り一気に呷って、はぁー、と肩で息を吐いた。


 教室で天井花イナリから電話があった後、ひづりは須賀野やアサカ達に「後でちゃんと話すので!」と少々雑な言い訳をするとすぐに鞄と傘だけ引っ掴んで学校を飛び出した。一昨日アサカ達と走ったばかりだったので朝でもすぐに体は動いたのだが、けれど大雨で足元も悪ければ傘も走るにはそこそこ重かったので店に着く頃にはすっかり息が切れてしまっていた。


「はぁ、ふぅ、はぁ……。ごちそうさまでした。……あっ、それで天井花さん、二人の居場所は……?」


 呼吸を整えたひづりはコップをそっとテーブルに置き、天井花イナリに訊ねた。彼女は電話の際「今わしの《過去視》であやつらの移動記録を追っておるところじゃ」と言っていた。


 天井花イナリは軽く顎を上げて見せた。


「うむ、リコと《火庫》はどうやら山間にある筑波山神社という場所に居るようじゃ」


「え……筑波山神社……?」


 びしょ濡れの靴を脱ぐ手が思わず止まった。ひづり自身一度も行った事はなかったがそれでも有名な所だからだろうその名前自体はそこそこ聞き馴染みがあった。確か茨城県だったはず、夜不寝さんと《火庫》ちゃんはなんだってそんな遠くまで、とひづりは途方にくれるようだった。


「凍原坂。さっきわしに話した事をひづりにも説明せよ」


 天井花イナリは凍原坂に話を振った。ひづりも天井花イナリの隣に姿勢を正して座り、凍原坂の方を向いた。


 凍原坂は深く息を吸い、神妙な面持ちで語り始めた。


「……筑波山神社は、私と雪乃さんが二人で行った、最後の旅行先なんです。雪乃さんのお母様の実家、喜田川家は筑波に在って、それで初詣や家内安全の祈願なんかの時にはよく家族でそこへ行っていたらしくて。だから私達も結婚を機に筑波山の神様にお願いしよう、と当時そういう話になったんです」


 そこまで聴いてひづりはハッとした。


「じゃあ、やっぱり二人は単に理由も無く家出したって訳ではなくて……」


 天井花イナリが頷いた。


「うむ。《火庫》は八月から《雪乃としての記憶》を日に日に思い出しておった、という話であったろう? そうした中で、恐らくあやつはその《筑波山神社へ行った時の記憶》も見たのであろう。じゃがどうもその《記憶》はあやつにとって見るだけでは終わらぬ何か……例えば、当時雪乃であった頃には見落としていた重要な出来事であったり、あるいは雪乃がその神社で落し物をした、といった、今になって気がかりに思うような《何か》が映っていたのではないか? この家出も、一昨日からの体調不良も、それが原因なのではないか、と、今し方凍原坂と話しておったのじゃ」


 天井花イナリの説明に凍原坂も「そうなんです」と頷いた。


「《火庫》には以前、雪乃さんと行った筑波での婚前旅行について話したことがあったんですが、でもその時は興味が無さそうな様子で……。今このタイミングであそこへ行ったという事は、やっぱりそうなんじゃないか、と……。それに夜不寝家と喜田川家は前にリコちゃんの親権についての話し合いをして以来あまり交流が無いそうですから、リコちゃんが何かを思いついて《火庫》を連れ出した、という訳でもないと思うんです」


 ひづりは口元に手を当てて考え込んだ。


「なる、ほど……。……でも、どうしてなんでしょう。《火庫》さん、凍原坂さんにも《フラウ》さんにも何も言わず出て行ってしまったんですよね……?」


 筑波山神社へ向かった彼女達の動機と思しきものには何となく納得がいったが、しかしひづりにはやはりどうにもその点が腑に落ちなかった。


 《火庫》は、自身の前世は西檀越雪乃であったらしいという事実をあの日凍原坂に受け入れてもらえた。そして、不安は共有していこう、と言った凍原坂の言葉を彼女は受け入れていたように見えた。あの日以降彼女が明るい表情をよく見せるようになったのはそうしたやりとり故であったはずだ、とひづりは理解していた。


 だから、何か不安があったり気がかりな事が出来たのならどうして一言凍原坂に相談しないのか、とそれが不思議だった。


 ただその疑問は凍原坂も同じであるらしく、彼は体を小さくしながら答えた。


「すみません……。《火庫》がどうしてこんな行動をとったのか、本当に分からないんです。リコちゃんもです。二人は一体何を思って今日、こんな事をしたのか……」


 数秒ばかりフロアに静寂が流れた。


「ともかく、あやつらを迎えに行かねばならん事に変わりはない。休憩室へゆくぞ。そこで《転移魔術》を使う。……の前に、そうであった、ひづりはまず畳部屋で私服に着替えて来い。あちらは晴れのようじゃからの、ずぶ濡れの学生服で観光地は目立とう」


 すっ、と立ち上がってから天井花イナリは思い出したように目を細めてひづりを見た。ひづりは自分の体を見下ろして、確かに、と思い、急いで店の奥へ走った。数は多くないがこういう時のために畳部屋の箪笥には何着か替えを用意していた。


「……しかしひづり、やはりお主は今回わしらについて来る必要は無かったのではないか? あやつらを迎えに行くだけならわしと凍原坂だけで手は足りる。学校の出席日数というのも無視出来んものなのであろう?」


 着替えの最中、襖の向こうで天井花イナリはそう言った。電話の際も彼女は『わしらで連れ戻すゆえ、ひづりは別に来なくともよいぞ』と言っていたが、しかしひづりは「いいえ私だって当事者みたいなものですから行きます絶対待っててください行きますから」と言って電話を切り、彼女達に待つよう指示したのだった。


「何か、そうせねばならぬ理由があるのか?」


 そう訊ねた天井花イナリの声には少し優しい響きがあった。


 ひづりはまだ夜不寝リコに対する気持ちを上手くまとめきれておらず、伝えたい言葉に出来るかの自信も無かったが、それでも一つ一つ、昨日から考えていた諸々を天井花イナリに話す事にした。


「……確かに、天井花さん達で先に行ってもらっていれば、今頃もう二人を連れ戻してくれてますよね。こうして待ってもらってまでどうしても私がついて行かなきゃいけないって事はないと思います。……でも、それでもきっと必要なんです。夜不寝さんはたぶん、《火庫》さんに頼まれたから学校サボってまで筑波山に行ってる訳じゃないと思うんです。想像ですけど、夜不寝さん、何かヤケになってるじゃないか、って思うんです」


「ヤケに?」


「だって夜不寝さん、本当は引っ越しなんてしたくないはずなんです。学校の友達と離れるのも嫌でしょうし、何より姉妹だったって分かった《火庫》さんと働くの、とっても楽しそうにしてました。夜不寝さんは養父母のために新潟へついて行かなきゃいけないって思って引っ越しを決めたんでしょうけど、でも本当の気持ちとしてはまだ東京に残っていたいように私には見えるんです」


「そうじゃな。わしにもそう見える」


「ですよね!? ……だから私は、夜不寝さんとちゃんと話をしなきゃいけない、って思うんです。夜不寝さんが東京を離れた後の事……凍原坂さんや《火庫》さんの事、心配だろうけど私達でちゃんとするから、って伝えなきゃいけないんです。それに……《転移魔術》を使ってくれるのは天井花さんですし、格好がつくかどうかって言ったら、たぶんつかないんですけど……それでも今日みたいに家出をした《火庫》さんを迎えに行く中にはちゃんと私も居る、って事を、夜不寝さんには見せておきたいんです。……これは……安心してもらいたい、って事になるんでしょうか……。あと、それから、この家出の事も怒ってやりたいんです。《火庫》さんに何かあったら私夜不寝さんを絶対に許しません」


 ひづりが言い終わると天井花イナリは、ふはは、と小さく笑った。


「それは確かに大事じゃな。よかろう。着替えは終わったか?」


 ひづりは襖を開け、頷いて見せた。


「お待たせしました。行きましょう、筑波山神社に」






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