『西檀越家と凍原坂家』





 西檀越リコが三歳の冬、東京都内で珍しく積もるほどに雪が降ったその日、彼女の両親と姉は死んだ。


 交通事故だった。幼い頃体が弱かったリコは長らく入院をしていて、事故は、一家が彼女のお見舞いに向かう道中で起きた。


 残された家族は祖父母だけだったがどちらもすでに高齢で、『自分達二人では赤ん坊の育児などもうままならないから』と、彼らは子宝に恵まれなかった長女夫婦、夜不寝家へとリコを預けた。


 リコが物心つく前に死んだ姉、西檀越雪乃には、近日中に式を挙げる予定だった男性が居た。仲睦まじい五年間の交際を経ての婚約、互いの家族も了承済みだっただけに葬儀の席では惜しむ声が絶えなかった。事故の後、婚約者は西檀越家のみならず、リコが預けられた夜不寝家へも足しげく通い、一族の心の傷が癒えるまで親族同然の世話を焼いてくれた。


 彼には雪乃との間に二人の娘が居た。十歳くらいの、ずいぶんと性格の違う姉妹だった。


 それがそもそもおかしかった。リコはそのおかしさに気づかない周囲の人間も恐ろしかった。


 姪たちは、リコが幼い頃から十歳ほどだった。リコがいくつになっても、その容姿は変わらなかった。


 リコは生まれつき《不思議なもの》が見えた。それは黄色っぽかったり桃色のようだったり、大きかったり小さかったり、素早かったりのろまだったり、実に様々だったが、とにかくそれらはリコの視界を好き勝手に動き回っていた。他の人には見えていないようだった。


 それらが《妖怪》と呼ばれる類のものであると気づいたのは小学生の頃だった。以降、リコは見えていても見えていないフリをして、普通の女の子として振る舞うことを決めた。


 妖怪たちはそのほとんどが無害だった。特に、リコが見えていないフリをし始めると、向こうから話し掛けて来る事自体が一気に減った。


 しかしそれでも、リコは姉の婚約者だったというその義兄だけはずっと恐ろしいままだった。暴力を振るわれるだとかそういった事は一度も無く、それどころか、リコの現在の両親や離れて暮らしている西檀越の祖父母にとても良くしてくれているのは、ちゃんと子供心にも分かっていた。


 だが、リコにとって三歳の時に死別した両親や姉の事など、記憶そのものがまず無かったため、義兄が姉や両親にどんな感情を抱いていたのかまるで想像が出来なかったし、何より、恐らく《妖怪》に類するものに違いないそのぼんやりとではあるが猫の様な姿をした二匹を、当然の様に「娘」と称して連れて来るのが怖かった。


 そんな二匹や義兄に、いつか自分が《見えている》と知られてしまった時、自分は一体どうなってしまうのだろう。考えれば考えるだけ恐ろしかった。


 けれど何年も抱え続けたそんな恐怖感情は、リコが中学二年生の時、あっけなく崩れて消えた。




『──リコちゃん、もしかして《フラウ》たちの火が見えているのかい?』




 姉と両親の十一回目の祥月命日。西檀越家で顔を合わせた彼はリコにそんな質問を投げて来た。


 きっかけはリコの不注意だった。彼が連れて来ていた姪の一人、《フラウ》という黒髪の少女が、買い物の途中、路肩に寄せられていた雪山にいきなり頭から突っ込んだ。


 《妖怪》とは分かっていつつも昔から元気過ぎるくらい元気だった《フラウ》のそのあまりに幼い言動からリコもついお姉さんぶって世話をしてあげる事がたびたびあった。


 だからその日も《フラウ》の頭に乗った雪を払い除けてあげようとしたのだが、その際うっかり、彼女の頭の辺りにいつも浮かんでいる妙な《紫色の火》をリコの手は無意識に避けてしまった。




『──あぁ、やっぱりそうなんだね。本当はずいぶんと前から、そうなんじゃないか、って思っていたんだ。リコちゃんにも《妖怪》が見えているんだね? ……実はね、僕もなんだ』




 怯えて足が竦んでしまっていたリコに、彼はそう打ち明けたくれた。


 馬鹿馬鹿しいほど、何も恐ろしい事などなかったのだと気づかされた。義兄は──凍原坂春路は、偶然にも自分と同じく《妖怪が見える人》だった。


 リコの姉と両親が死んでしばらくした頃、彼は《火車》という《妖怪》に付きまとわれた。だがその時たまたま大学で出会った官舎万里子という先輩に助けられ、その《妖怪》は半分悪魔半分妖怪となって、周囲の人間からは『凍原坂春路の幼い娘達』としか認識されないよう不思議な《魔術》を掛けられた。


 本来はその《魔術》が働いて、リコも《フラウ》たちに対して違和感など抱くはずは無かったのだが、しかし《妖怪が見える眼》を持つが故に、その半身である《妖怪》の部分を介して彼女達の真実の姿が見えてしまっているのかもしれない、と彼は言った。


 以降、凍原坂とリコの間には《妖怪が見える者同士》という、一風変わった信頼関係が築かれた。姪たちも、自分らが《妖怪》であると知られて尚、リコに対し何らその振る舞いを変える事はなかった。


 凍原坂春路。《火庫》。《フラウ》。夜不寝リコ。四人は誰一人として血の繋がりを持たないながら、しかし良き親族として今日まで互いに支え合って生きて来た。


 ……そこへだった。今朝、リコは教室で《凍原坂火庫》という単語を耳にしてしまった。


 リコは学校では親類の話をあまりしないタチだったし、《妖怪》が見える事や凍原坂家の秘密などはそれこそどれだけ仲が良い友人相手であっても徹底的に秘密にして来た。だから、同級生のみが集うはずの2年C組の教室で、同姓同名の人間などそうは居ないであろうその珍しい姪の名を聞いた瞬間、リコの意識はすっかりそちらへ向いた。


 《火庫》の話をしていたのは同じ2年C組のクラスメイト、官舎ひづりと奈三野ハナだった。耳を欹てて内容を聞けば、どうも《火庫》は一昨日からその《和菓子屋たぬきつね》という店で働き始めたという。


 よもやまさか何かの聞き間違いだろう、と疑い半分だった気持ちはそこで一度に消え去って、さながら爆竹が連なって弾けるが如くリコの頭の中ですべてが繋がった。


 最近凍原坂が買って来てくれてとても美味しかったその和菓子の箱に書かれていた《和菓子屋たぬきつね》という古風なロゴ。そして《火庫》の名前を口にしたクラスメイトの苗字は、かつて凍原坂を救ったという《魔術師》、官舎万里子と同じもの……。


 これが全て本当なら今すぐにでも問い質して確かめねばならない。しかし朝のホームルームの後リコはひづりと二人きりで話が出来る機会を窺っていたが学校では邪魔が入ってそれどころではなく、ならばと、盗み聞きした通り《火庫》が本当に今日も《和菓子屋たぬきつね》に居るのならきっと義兄が迎えに来るはずだと踏み、《和菓子屋たぬきつね》最寄駅で彼を問い詰めるべく待ち伏せをした。


 そうして捕まえた凍原坂の口から引き出せたのは、官舎ひづりが《契約》している天井花イナリという《悪魔》は《天界》なる所から命を狙われていて、それを知った上で《火庫》と《フラウ》はその《和菓子屋たぬきつね》に預けられている、という、もはや聞くべきではなかったと後悔するほど、あんまりにもあんまりな、リコの想像を何段も飛び越えたとんでもない話だった。


 その様な経緯を聞いて黙りも見過ごしも出来る訳が無く、憤慨を胸いっぱいに抱いた夜不寝リコはそのまま凍原坂を連れ、問題の《和菓子屋たぬきつね》を目指した。










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