第5話 『お盆には官舎甘夏と会える』





 持って行く物のチェックは十分過ぎる程にしていた。車で片道一時間程度の距離とは言え、うっかり忘れ物をするような無様を、ひづりは《の人》に見せたくなかった。


 基本的な物として、着替えや歯ブラシなどの生活用品。それから、こちらも重要である、和鼓たぬこ製の和菓子。これは昨日、別れ際に彼女にお願いして特別に作って貰っていた物だった。今は保冷剤と一緒に銀箔の保冷バッグにしまわれて、また傾かないようひづりの座席の足元に固定されている。《彼の人》は甘味が好きだから、ひづりは喜んで欲しいのだ。


 本家への帰省と言っても前途の通り距離が結構近いので山超え谷超えということは無い。言ってしまえば車で都内の中央自動車道を少しばかり西へ行くだけだ。


 電車でも移動時間はさして変わらない……どころか、逆に帰省ラッシュで高速道路が渋滞することも珍しくは無かったが、しかし単純に電車だと荷物の持ち運びが面倒であり、また夏の鮨詰めの電車内ほど疲労し旅の気力が削がれるものも無い。なので帰省にはいつも父の自動車が用いられた。昨年吉備家に嫁ぎ、また現在は入院中であるちよこは当然今回の帰省には同行していない。ひづりと父の、短い二人旅だ。


 南新宿からあきる野市までは、新宿より中央自動車道に入ればもう八割方ほぼ一直線の道程になる。加えて八王子を示す標識の辺りで高速道路を降りてから本家へ向かう道順はもうひづりでさえ憶えている程だった。


 ただ、高速を降りてから次第に高鳴っていくこの胸の感覚はひづりにとって十七に成ろうというこの二〇一七年であってなお変わっていなかった。また例年通り落ち着かない様子になってきたひづりに気づいてだろう、隣の父もまた、少しばかり口角を上げたようだった。


 ひづりはふと足元の保冷バッグに視線を落とし、昨晩の《和菓子屋たぬきつね》でのやりとりを思い出した。


『――人間ならば、家族の許でその生を終えたいと願うのは道理であろう。また残されたお主らが死に逝く家族の最期を看取ってやりたいと願うのも、同じくのぅ。……しかし、万里子はここより遠きイギリスの地にて一人、部屋で孤独に死んだと聞いておる』


 パン屋から戻った三人が《和菓子屋たぬきつね》のフロアで一休みしていた時の事だった。「帰省のお土産に、和菓子を一品、作って欲しいんです」とひづりにお願いされた和鼓たぬこが嬉しそうな顔をして厨房へと消えるのを見送ると、お座敷席でくつろいでいた天井花イナリはにわかにその様な事を語った。


『ならばせめて、その魂を迎え、送るというその儀、大切にせよ。ふ。《天使》であらばこのような事は言うまいて。魂を糧に生きるわしら《悪魔》であるからこそ、こうして口を衝いて出る言葉であろう。ふふ。付き合いをしたのが《天使》でなく、《悪魔》で良かったな、ひづりよ』


 そして最後にニヤリと彼女は笑った。最初何の話が始まったのかと面食らったひづりだったが、それがつまるところ明日からのお盆帰省についての話だと悟ると居住まいを正して彼女の視線を真っ直ぐに受け止めた。


『再三言うが、安心して、店の事はわしらに任せよ。……仮にもしこちら側で何かが起こり、思わず激昂して我を忘れそうになった時には、理性が消し飛んだあの阿呆な《フラウロス》の奴の事でも思い出して、冷静さを取り戻す事に努めよう』


 それからまた、ふふふ、と天井花イナリはその瞼を伏せた横顔に愉快そうな色を浮かべた。


『……じゃからお主は、その魂の儀に務めて参れ。何かあれば《呼べ》と言うたであろう? 心配をするな。期待をせよ――』


 期待をせよ。彼女が自分に向けてくれるその一言を思い出す度にひづりはあれ以来自身の胸に小さな火が宿るような感覚を得ていた。そしてそれは同時に、ひづりも《悪魔かのじょ》に対し、期待させ続けられる人間でなくてはならない、という決意の炎でもあった。


 今回のお盆帰省に於いて彼女が述べた期待とは、他でもない、自分が、改めて母の死と向き合う事であろう、とひづりは受け止めていた。


 車の窓に馴染みのある建物が映っては流れていく。官舎本家は近い。


 期待しています。そして、あなたの期待に応えて来ます、天井花さん、和鼓さん。ひづりは自身の右肩の《契約印》に触れ、今日も《和菓子屋たぬきつね》の留守を預かってくれている《悪魔かのじょ》達への想いをその胸に暖めた。





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