『三人で』




 稲荷寿司と一言に言っても、比較的近くに稲荷神社があるからなのかどうかは分からないが、駅前のお寿司屋ではそこにいくつかの種類があった。せっかくだし、毎日同じではなんだから、と、ひづりは稲荷寿司を前に少々我を忘れかけている天井花イナリに「毎日違う物を届けて貰うようにしましょうか」と提案してみた。……自我があるのかどうか少々怪しかったが、彼女は無言で頷いてみせ、結果『稲荷寿司 日替わりコース』で決定した。


 酒屋の方は事前にサトオと電話で話し合い、注文を手伝って貰う事にしていた。何故なら十代のひづりでは注文手続きが出来ないからだ。けれど贔屓にしている酒屋の店主とサトオは顔見知りで親しい。なのでひづりは酒屋に着くとまず、事前に「昼過ぎに電話するので携帯の電源入れて病院の外に出てて下さい」と頼んでおいたサトオに電話を繋ぎ、それから店主を呼び、携帯電話を差し出して彼と通話をさせた。「あぁ、サトオくんのところのお嬢さんだね」と店主はすぐに察してくれると、そこから後の話はかなりスムーズだった。店主と通話しているのはあくまでも成人であるサトオで、サトオが電話注文しているのと同じ事だから、法に少しも触れる事は無い。ただ、「どの酒を選ぶかを和鼓たぬこに任せる」という形になっただけである。そうしてこちらも店の中を巡りながら和鼓たぬこに「どのお酒にしますか?」と選ばせてあげる事が出来た。


 そうして思った以上に注文が順調に進み、とりあえず無事手続きが終わった事を父に連絡しようと再びスマートフォンを開いたところで、ひづりはその連絡先の一覧に、数日前に登録した『ラウラ・グラーシャ』の名前を見つけて一瞬意識と視線が固まった。


 今日の午前、彼女が《ソンクラーン》した、その丁度一時間前の休み時間のことだ。ひづりはアサカ達と共に夏休みの予定について彼女と少し話し合っていた。


 花火大会については、すでにひづりたちが決めていた場所のものにラウラが参加する形で決まった。彼女は夏休みの間もオーストラリアには戻らず、日本で過ごすらしかった。なので今頃無計画に仕立てられているであろう紅葉の浴衣は、無事無駄にならずに済みそうなのであった。


「しっかしさぁ。うちの高校ってなぁーんでこんな夏休み遅いんだろうね? 何か悔しい~」


「そうね。でもまぁその分、涼しくなるまで休めると思えばいいじゃない。宿題の追い込みの時に、暑さで頭がやられなくて済むでしょ」


 窓辺に寄りかかって不満を漏らしたハナに、ひづりはそのちょっとした利点を語ってみた。


 するとハナは一度瞬きするとひづりの顔をじっと見つめ、それから少しいじわるそうな笑みをその声に混ぜて呟いた。


「ひづりんってさぁ、夏休みの宿題、最後まで残しちゃうタイプ?」


 ひづりは墓穴を掘った事を自覚して視線を逸らし肩を竦めた。


「……めんどくさがりで悪かったな。あぁあぁ、そうだろうとも! ハナは大体、夏休みの序盤でもうほとんど終わらせちゃうタイプだろ!?」


「いや? あたしも割と最後まで残しちゃうタイプ」


「え、あれ……? そうなの? 意外……」


「って言っても、効率よく最終日には間に合うように計画して、だけどね」


 ハナの回答にひづりはおもむろに座り直すと両耳を塞ぎ、机におでこを乗せて呟いた。


「……オマエハ、ワレワレノ、ミカタデハ、ナイ……」


「ひづりんが壊れた。もぉ~拗ねないでよぉー」


 机に突っ伏したひづりに、ハナが後から覆いかぶさって来た。暑いのでやめてほしい。


「大丈夫だよひぃちゃん。今年も一緒に宿題、頑張ろうね」


 声のした方をちらりと見ると、アサカがひづりの机の端っこに手を添えて顔を覗かせていた。……ああ、うん、アサカは私の味方だよ。……残念な『勉強できない仲間』だけどな……。


 しかし。


「そうだな。それに今年は、何せハナも、ラウラも居てくれるもんな?」


 ひづりは背中のハナの頭を軽く撫でながら体を起こしつつ、隣の席で大人しく読書していたラウラにも明るく声を掛けた。


「オウ? 私ですか?」


 彼女は振り返ると首を傾げ、本にしおりを挟んでひづりに向き直った。


「そ。……夏休みの最後にはね、恐ろしい宿題というものが待ち構えているんだ……。私とアサカは長年、それに苦しめられ続けてきた……。だけど今年は頼もしいハナとラウラが居る。だから夏休みの暮れに私たちが宿題に行き詰ったら、どうか手伝ってくださいお願いしますハナさまラウラさま」


 ひづりは引き続きハナの頭を軽くぽんぽんと叩きながら、反対の手でラウラに『お願いします』というジェスチャーをしてみせた。


「オウ! ヤー! 勉強のお手伝いですね! ふふ、嬉しいです! 夏休み、ひづりやアサカやハナと、もっと一緒に、たくさん過ごせるのですね!!」


 彼女は嬉しそうその手を胸の前で組んで可愛らしい笑顔を浮かべつつ快諾してくれた。その整った顔から放たれる「年相応の女の子」な仕草にひづりはちょっと眩しくなった。


「もちろんあたしも良いぜぇひづりん! 宿題のお手伝い、させてもらおうじゃないか~! あ、でもそのお礼に、何して良い? 『一日何回でもひづりんのおっぱい揉んで良い』とかそういうの期待しちゃうかな~ハナさんはな~!」


「残念だよハナ……。私たちの『夏休み宿題追い込み会』への出席の権利をお前はたったいま失った……。残念だ……あともう揉んでるだろやめろ! 離れろ!」


 ひづりはハナの両手首を掴んでぐいとひねり上げた。腕力なら負けない。腕力なら……負けない……ッ!!


「そういえば訊いて良いですか? お盆、って何なんでしょう?」


 すると不意にラウラがその綺麗に背筋を伸ばした姿勢のまま質問を投げかけて来た。その声音はひづりとハナとアサカに向けられているらしく、一瞬、三人は眼を合わせた。『……そういえば《お盆》って、国外の人になんて説明すればいいんだ?』というアイコンタクトだった。


「『お盆休み』というものがあると聞いています。どうやらご家族で行う行事のようですが、私も、ステイ先のファミリーと、日本のお盆というものを体験してみたいです。良かったら事前情報、欲しいです。どんなものですか? 楽しいですか? ……いいえ、私も調べてはみたのです! でも、何の本でも、インターネットの情報でもそうなのですが、どこを見ても『土地によって異なる』って書いてありました! あの一文! 嫌いです! 見ると、もう嫌になってしまいます! なのでひづりやアサカのところの情報だけでも聞かせて欲しいのです!」


 ラウラは身を乗り出してそのように表情をころころと変えながら質問をぶつけてきた。


 見るとハナは視線を泳がせていた。アサカはひづりを見つめたまま首を傾げていた。やはり二人も明確にお盆休みがどういうものか語れないらしかった。


 仕方なく、ひづりは一つ咳払いをしてから説明を始めた。


「……ええと、ね。日本では、大体八月の十三日頃に、ご先祖様……これまでに亡くなった祖父母やそのまた祖父母の幽霊……魂、かな? みたいなものがお墓から出て来て……そうだね……私たちが元気に暮らしているか、様子を見に帰って来るんだ。私たちはそのお出迎えをして、そしてその二日後に、またお墓に戻って貰うためのお見送りをする……。って感じの行事、……だと思う」


 ……で、合ってるよね? ひづりはやはりちょっと自信が無かった。子供の頃に父が説明してくれたのを、ほぼそのまま述べただけだった。しまったな。もう少しくらい、そういう日本の伝統的な行事くらいは真面目に調べたりしておくべきだったか、と反省した。


「……魂を……見送る……」


 ぽつり、とラウラが伏目がちに呟いた。一瞬だったが、その表情にはいつか図書室で見たあの特別な感覚が含まれている様にひづりには見えた。


 しかしラウラはすぐにその視線を上げてひづりと顔を突き合わせると、たった今まで零していたその微かな翳りをさっぱりと消し去り、代わりにそこへ柔らかな子供っぽい笑顔を浮かべて見せた。


「とても興味深いです。ステイ先のお家でも、お盆、してもらえるでしょうか? 私も参加させてもらいたいです。訊いてみます」


 そう言ってラウラはスマートフォンを取り出して、滞在先の家族相手であろう、早速メールで連絡を取り始めた。


「お盆、一緒にさせてもらえると良いね」


 ひづりが独り言のようにそう呟くと、ラウラは首を傾げるようにして振り返り、またにっこりと笑った。


 ……彼女が見せる、ただの嘘ではない、不思議な《翳り》。それらを姉のように一つ一つしっかりと憶えておいて、いつか纏めて全体図として見つめ直した時、それはパズルのように何か形になるのだろうか。姉やハナならそういった事に聡そうだが……どうだろうか。


 掛けた言葉とは裏腹に、ひづりはそんな事を考えていた――。


 ……と、いけない。父に連絡を入れるのであった。ひづりは白昼夢から覚め我に返ると父にメールを打った。岩国の旅行の件で父には今回、大いに心配を掛けてしまった。今まで以上に頻繁に連絡をとってあげよう、とひづりは思っていたし、また明日からの官舎本家帰省にしても父にとって良い安らぎの時間にしてあげられたら、とやはりそう思わずにはいられなかった。


 ただそれとは別に、今日ひづりはもう一つ、そして一番の目的を、いよいよ行動に移すことにした。


 メールを打つ間立ち止まって待っていてくれた両隣の《悪魔》たちにちらりと視線を向け、スマートフォンをポケットにしまうと、ひづりはおもむろに「少し、良いですか」と提案の声を掛けた。


「何じゃ。どうした」


 二人の《悪魔》は同時に振り返ってひづりを見つめた。


 ひづりは一度少しうつむいて眼を伏せ、その頭からラウラと父の事を一度消し去ると、それから一新した気持ちでちゃんと目の前の同僚二人に向き直り、伝えた。


「配達の手続き、思いの外早く済んだので、せっかくだから今からちょっと遠出しませんか。お二人、どこか行きたいところってありませんか?」


 二人に《和菓子屋たぬきつね》の留守番をしてもらうのは一週間ほど前から続いていたことと同じだが、しかし明日から一週間、ひづりはそこに顔を出せない。父と共に官舎本家へ里帰りをする。その間、二人は文字通り水入らずではあるが、一切店から出る事は出来ない。せいぜい電話でひづりたちと話をするくらいだ。


 だから今日、ひづりは二人に、どこか楽しい場所へ連れて行ってあげたいと思っていた。そのためにひづりは数日前から店に寄るたび、休憩室のテーブルに、近所のお寿司屋だとか酒屋だとか公園だとかの情報が乗っている地域発行の雑誌をこっそりと置いていたのだった。


 すると天井花イナリと和鼓たぬこは互いに顔を見合わせてからおもむろに口角を上げた。


「お断りじゃな」


 ふふん、と笑いながら天井花イナリは答えた。「え?」とひづりが仄かに首を傾げると、彼女はすぐにその返答の続きを淡々といつもの調子で述べてみせた。


「ひづり。今日はお主が初めて《魔術》の行使に成功した……わしとしても喜ばしく、そして祝福されねばならん日である。お主こそ望む、行きたい場所を言え。そこへ連れてゆき、そしてわしらに金を出させよ。サトオからすでに現金の支給は受けておる。遠慮をするな。お主があの痴れ者共から取り返してくれたわしの財じゃ。好きなものを言え。日本の通貨にも世情にも疎いが、そこらの店で食事をする程度なら払えよう? じゃからひづり。わしらに奢らせよ。祝わせよ。……ほれ、たぬこ、お主も不服であろう? はっきりと言うてやれ」


 彼女は首を傾けて隣の和鼓たぬこに視線を送った。彼女は少し戸惑っていたが、けれどひづりの顔を見るとすぐ決心したように胸の前で拳を握り締め、前のめりに主張した。


「はい! 私も、ひづりさんに、お祝いと、何か恩返しがしたいです!」


 二人の提案にひづりは呆気に取られ、けれど彼女達の顔をまた交互に見て、それから急に顔が熱くなり思わずうつむくと今度は視界がにわかに滲んでしまった。


 ……ああ、自分はなんて幸せものなのだろう。


 想われている。それが改めて分かって、ひづりはつい泣いてしまった。いつか和鼓たぬこの事を『感動すると泣きやすい人だ』と評価したが、ひづりも決して人の事など言えないのだった。


 特にこの二人からの想いにはどうしても胸がいっぱいにされてしまう。


「あ、あれ? ひづりさん? 泣いているんですか……? ど、どこか痛いですか……?」


 すると和鼓たぬこがおろおろしながら近づいて訊ねて来た。


「いえ、いえ……違うんです。嬉しくて……。ごめんなさい、つい、本当に、嬉しくって……えへへ……」


 ぐすん、と鼻を啜ってひづりは微笑んで見せた。


「……じゃあ、でしたら、一度行ってみようと思っていたパン屋さん……一緒に、行ってくれますか?」


 ひづりのお願いに二人はまた顔を見合わせ、そして再びにっこりと暖かい笑みを浮かべると、その言葉の調子を互いに揃えて真っ直ぐに答えてくれた。


「構わぬ。案内せよひづり」


「はい。行きましょう、ひづりさん」


 二人は両隣に並ぶとひづりの手をそれぞれ繋ぎ、歩き出すのを待つようにした。そうされてしまうとひづりは明日からお盆休みで二人と一週間も会えなくなるのが急にひどく寂しく思えて来てしまった。


 空を見上げてもう一度鼻を啜ると、ひづりは「えへへ……」と零してから、目的地の彼のパン屋へと歩き出した。左右の《悪魔》はひづりの歩調にその足取りを合わせてくれた。


 帰省している間も《魔方陣》習得の練習を頑張ろう。そしてもっともっと立派な《召喚魔術師》になって、この嬉しい幸せの日々を守っていこう。


 慌しい日々が続く中、つい忘れがちになってしまうその自身の願いの根幹に対してひづりは改めて向き合い、しっかりと前を見据えた。


 守ってみせますとも。そうすぐにとは行かないでしょうが、いつか必ずや立派な《召喚魔術師》に成長してみせますとも。


 あなた達がこうして私のそばに居てくれる限り、いつまでも――。





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