獣の用心棒

一齣 其日

獣の用心棒

「幕末の折に、あの用心棒には助けられたことがありましてね」

いつかの出会いに想いを馳せながら、その男は語る。流暢な日本語を話してはいるが、その風貌は金髪碧眼の異人。しかし、決して日本人に引けを取らぬ日本語であり、なおかつその口調ももの柔らかく聞き心地が良い。その口で、彼はまた語る。

「怖かったと言われれば、とても怖かった。口調はもの柔らかいはずなのに、度々見せる獣の牙が、私を震え上がらせる。あなたは、直にあの用心棒と対峙したと聞きましたが、貴方から見て彼はどうだったのでしょうか」

「さあの、そこまでおんしのように覚えちゃおらん。わりゃは頭が足りんからの」

長身の異人とはまるで対照的な単身痩躯、気怠げな目の男は投げやりにして答える。人と対話してるのにもかかわらずシャボンを吹き散らす様は、まさに礼儀知らず。しかし、異人はかの男がこのような者と事前に知っていたからか、対して気に留めはしない。

「じゃけんどまあ、怖いとかどうとかは知らんが、奴は中々に強かったんじゃねえかの。あやつに付けられた傷は、今もよう残っとるがな。見るかいな?」

「あ、いやその……それは、遠慮しておきます」

ほうかいな、とまさに肌着を脱がんとしていたその男に、異人は多少なりとも動揺する。やはり、事前に聞いていたとしても、これは流石に予想外、無理からぬことだ。

「ま、まあとにかく、貴方のように彼を知っている者と出会えたのは喜ばしい。彼は、どうも私には忘れ難い存在だった者なので」

「忘れ難い、のお」

「ええ……その、なんて言えばいいんでしょうかね、彼は。 私なんかが言うのはアレですけど、どうも憧れていたみたいで。普段はもの柔らかそうなのに、一旦刀をとってしまえば、敵しか目に入らず、怒涛の剣さばきで相手をなぎ倒す様。しかも、それがどうも楽しみ切ってるのがまた、なんて言えばいいんでしょうかね……」

かの異人の脳裏に蘇るは、まざまざとした血煙。

夥しい屍のその先に、その獣と呼ばれた男はいた。その男に手を伸ばそうとしても、彼と男を隔つようにその血煙が、その屍の道山が聳えている。それは、彼には到底踏み越えることのできない証であるような気がしてならない。

故に、ただできることと言えば、彼を眺め続けることくらいだった。

「……獣の用心棒、とか言われとったの、彼奴は」

「それです。まさに、あれは獣でしたよ。私のような気弱な男には決してなれやしない、獣のような男……そうですね、なんか、話したくなってきてしまいました、私の憧れの。もしかしたら、少し長くなってしまうかもしれない……それでもよろしいですかね」

「別に、構わんが。どうせ今日の仕事は、おんしを案内することくらいじゃけ。案内がてら、聞いていくとするかの」

「それでは、早速」


そして、異人は語り始める。己が血煙の憧れを、その獣との邂逅を。



……



その異人が獣と邂逅したのは、月が雲隠れしてしまった闇深い夜。

その時の彼は、森の中をあてもなく駆けていた。そう遠くないところから聞こえるは、けたましいほどの怒声。

この日本という国の土を踏むにあたって、彼らとコミュニケーションを取ろうと学んだ日本語。しかし、今耳に聞こえる怒声混じりの日本語は、異人を罵倒するどころか殺意ばかりがひしめき合う。

「斬れ斬れ! 薄汚い土足でこの皇国を踏み荒す奴らを斬り捨てろ!」

たまたま一人で外出したのが運の尽きか。ただ、彼はこの日本という景色を見ていたかった。その目に焼き付けておきたかった、それだけのことなのに、なぜこのような事態になったのか全くの理解もできない。

だが、これは彼も悪いと言えるだろう。その当時の日本は、開国により経済は混乱し、異人に対する悪感情が高まっていた。当然、彼もそれを知っていたが、まさかそれほどとは、とたかをくくってしまっていた。

その結果が、今だ。

必死に駆けた足は、すでに限界を迎えたらしく、とうとう躓いて彼の体は地面に叩きつけられる。もはや、ひくひくとかすかに震えるばかりで、立ち上がる気力すらない。


逃げねば、逃げねば殺される!


そう心が叫べども、恐怖からくる混乱に脳も体も全く機能しない。ぐるぐると頭の中を回るだけで、何もかもが追いついちゃいなかった。そうこうしているうちにも不逞浪士とみられる侍が、一人二人とやってきて、地べたに這い蹲る異人を取り囲む。

彼を見下げる目は、どれも殺意に満ちている。例え、彼が助けを求めたところで、その声は余計に彼らの殺意を燃え上がらせるだけだろう。

「終わりだ、私はここで……終わりなのだ」

異人は、そう呻くしか無かった。もはや気力も無く、命への執念から抗うこともなく、ただ泣き叫んで己の運命を受け入れる他ないと悟る。既に白刃は振り上げられ、彼らのいう天誅は、下されんとしている。


「全く、攘夷というからには異人と戦ってくれるのかと思ったんだけど、なんだいコレは。ただのつまらない嬲り殺しじゃないか……失望させないでくれよ」


浪士どもがその声に振り返ったまさにその時、刹那に一閃は奔る。

吹き上がる血、飛ばされる首、為すすべもなく死の淵へと落ちていく。

そんな幻覚が彼ら全員の脳裏をよぎったが、実際には首は繋がれたまま、しかし薄皮一枚切られてるのか、血がたらりと流れ出る。

「多分、今の一瞬で君達は一度は死んでるよ。でも、それはつまらない。何にも楽しくない。戦いでもなんでもない、一方的な殺しだからさ。だから、もう一局面やろうか。今度は、戦いというものをね」

その物柔らかい声の主は、彼らが動揺の内にある隙に既に異人を抱え、彼らの間合いより外れた先に佇んでいた。赤黒く染められた外套に、顔には生傷。そこに浮かび上がるは薄笑いと、どうにも奇妙な男。

浪士どもは剣を構えてみせはするが、どうも狼狽えるばかりで腰が引けている。それもそうだろう、先ほどの芸当を見せられてしまえば、迂闊に間合いを詰めることすらできない。万が一攻め入ったところで、容赦なく叩きつけられるのは死の一文字。

しかして、そんな緊張張り詰める浪士どもに対し、この男はどこか退屈然としてる。

「……かかってきてくれないとつまらないんだよ、俺は。それに、俺を斬らない限り、君らのいう攘夷は果たせないんだよ?」

まるで浪士どもの怒りの炎を焚きつけるかのように、抱えた異人を彼らに見せつけてみる。

その当の異人はもはや、恐怖で心ここに在らず。ただぼんやりとした視界で、彼らの戦いを見やることしかできない。ある意味では現実逃避。しかし、それも仕方ないといえば仕方ないか。


だが、この戦いの光景こそが、生涯彼に深く刻み込まれることになるとは、中々に皮肉なものじゃないか。


男は一向に抱えた異人を下ろそうとはしない。むしろその異人を抱えた上で、剣を構えて浪士どもに対峙する。それは、この異人を抱えたまま戦おうとする気負いすら感じさせる。

「貴様、どういうつもりだ……」

流石の浪士たちも、この侮辱にも近い行いに詰め寄るほかはない。だが、彼らの熱量とは対照的に、男は淡々とした笑みを浮かべるのみ。

「どういうつもりと言われても困るけど、アレだよ、俺を斬れば一緒にこの異人も斬れるようにしただけさ。その方が、君らにも得だし、何よりこれでようやく五分五分って感じな気がするからね」

その舐め腐った言葉に、浪士どもの何かがはちきれた。


「なめるなこの国賊が!」


浪士といえども、まだ二十歳を超えたかどうかの若さを持つ彼らである。自らが天誅を下すべき異人をかばうような姿勢の上に、このような侮辱をされてしまっては、堪忍袋の尾も流石に切れるというもの。猪突猛進の猪が如く、次から次へと躍り掛かる。

相手は異人を抱えて動きも鈍り、刀も片手一本では扱いきれぬというもの。先ほどのような刹那の動きも叶わぬならば、集団で叩き斬れば無数の刃を前に塵になるだろうて。

ならば斬れる、否、斬らねば武士の面目が立たぬ!


しかし。


「もっとやりようがあるだろう、お前ら」


それは、失望の色がありありと滲み出る言葉。

と、同時に既に躍り掛かった男の胴が飛ぶ。振り上げた剣を下すことも叶わず、あえなく倒れ伏していく。

かの男は、躍り掛かる浪士どもを前に、迎え撃った。どころか、迎え突っ込んできたと言えばいいだろうか。その異人を抱えた体で、片手一本でしか震えぬ刀で、あえて彼は突っ込んできた。

だが、それはかの浪士どもが考えたような予想を踏み越えていた。彼らの瞳に映るその男は、先程と変わらぬ動きで、先程と変わらぬ速さで既に一人を薙ぎ斬っている。

しかし、その視界も途端に真っ赤に染まり上がる。奴の攻撃はただ一人を斬り捨てただけでは止まらない。返す刃で一人、二人と浪士を両断する一方。

下手に突っ込みをかけた浪士どもは、今更逃げ出したくとも、それを体が許してくれない。体が反転すれば、それこそ隙を作り、かの男に斬られるのみ。

ならばどうするか。その答えなど、一つしかない。


かの浪士達が生きる道は、眼前の男を斬れ! ただそれだけよ。


刹那にも生きたいと執念を燃やしたとき、人というのは凄まじい力を発揮するというもの。男が刃を返すその前に、浪士どもの刃が一つ二つと入る。血が垂れ、男も苦し紛れに呻きを見せる。ようやく与えた傷、このまま一息に斬り殺す!

だが、奇妙なことが一つあった。


「はっ」


それは、


「ははは! いいねえ! そうでなくちゃあねえ! 戦いは、俺も傷ついてこそさ!」


歓喜の笑声。


生きたい、その執念を燃やした浪士達にとっては、冷や水を浴びせられたかのような感覚であったろう。或いは、得体の知れないものに出くわしたが故の戦慄きを覚えているのかもしれない。

なにせ、この眼前の男は、斬り付けられて笑うのだ。殺されかけて、なお笑うのだ。

異常性癖か?

或いは狂人か?

だが、どちらにしても彼らがこの笑声に臆したのは確かだろうて。振り上げた白刃は行き場も知らずに宙にとどまり、生への道へとひた走った足は静止してしまっている始末。

そして彼は、その隙を逃すような男じゃあない。

「なんだ、折角心意気を見せてくれたというのに、こんなことで止まってしまうのかい。まあ、いいけどさ」

もはや、そこに歓喜の色は失せていた。折角燃え上がってきたというのに、対する敵が己に恐れて腰を抜かせば、灯った炎も冷めてしまうというもの。


「所詮、君たちは一瞬でしか俺を楽しますことができない、弱者に過ぎないのはわかっていたからさ」


故に、失望の剣が、一薙ぎに浪士どもを斬り伏せる。それこそ、もう楽しみは既に失われてしまったと言わんばかりに淡々に、斬られゆく浪士どもはまさに呆気ないの一言。

屍の先に立つものは、艶かしいまでに血濡れた獣ただ一人。

後に異人はその光景をこう語る。


「降るは血雨、漂うは血煙、立つは血纏う獣一匹」


一部始終を、言葉通り男の脇で見ていた異人は、もはや恐怖だとか怯えだとかいうものを遥かに超えた感情を抱いていた。

どうと言葉に変えていいのかわからない。圧倒的な力の差を見せつけ、しかし戦いというものを楽しみたいが故に枷を背負い、自ら傷つきにいき、しかしてその全てを野獣の如くねじ伏せる。

一騎当千。もはや、近代戦の始まってしまった西洋では見られないその姿に、異人は高揚すら覚えている。

「貴方は、一体……」

その問いに、男は笑みを持って答える。


「ただ、戦いが好きな用心棒さ。なんだったら、これからは君の用心棒になってあげようか」


……


「それから、私が故国に帰る数ヶ月間だけでしたけれど、彼は私を守ってくれましたね。ただまあ、危険な目にあうことは多かったですね。多分、彼が最後に別れる時に言ってた餌、というのにされたのでしょうが」

たははと困ったように、しかしてどこか懐かしいと思わせるような色を見せ、彼は笑う。しかし、その内容は中々に酷いものだ。敵をおびき寄せる餌、下手をすれば命を落としかねないものである。文句の一つどころの話ではない。

だが、それに対して異人は何一つとて嫌味も愚痴も言いやしない。

「だって、私が餌となることで、彼のその……あの獣のような戦いぶりを見れるのなら、本望ですよ」

「そうかいのお。わりゃだったら、たったと逃げ出すものじゃが……」

「それが普通なんですよ。多分、私は魅入られてしまったから、こんなことを言えるのだと思います。我ながら、変なことと思いますけれど」

「ふむ」

シャボン玉を吹き散らす男は、いまいちわからぬとばかりの表情。まあ、こればかりはこの男でなくても、それはきっとわからない心情だろう。

「できうるなら、もう一度会いたかった。会って、彼の戦いざまを見てみたかった。あの獣のような戦いざまを、もう一度目に焼き付けてみたかった」

そして、異人は向き直る。その濁りの見せない碧眼に映るのは、一基の墓。手入れは行き届いているのか、雑草一つなく、墓石もよくよく丁寧に洗われている。


そこに刻まれる銘は、「用心棒」。


「彼と貴方が戦ったのは、いつ頃の話なんです?」

「戊辰のおりじゃった、とは思うがの。彼奴はわりゃの前に立ちふさがった。じゃから斬った。おんしの思い描くその男とは違って、わりゃにとってはそれだけの男じゃけ」

男は、淡々と物語る。そのあまりに淡々とした物言いは、まさになんの思い入れも無いと言わんばかり。

「けれど、この墓は貴方が建てたんですよね?」

「まあの。立ち塞がるやつはみんな斬ってきたが、せめて手くらいは合わせてやるところくらいは作った方がええじゃろと思ってな」

「まあ、そのおかげで私は彼とまた会えた……といってもいいのかもしれませんが」

「じゃけんどまあ、それだけじゃけ。他人はどうも、罪の償いのためじゃろうとか、そんなこと言うが、わりゃは知らんがな。墓に手を合わせるが、それ以外のことは知らんがな」

異人はその言葉を聞いて、それは少し非情なという感情と、しかしそれはあの用心棒も同じだったか、というそんな思考が巡った。

かの男は、まさに戦いを楽しむだけの男だった。彼の故国である日本が窮地に立たされてることを知ってなお、戦いを楽しむことに終始していた。


『俺はね、尊王だとか、攘夷だとか、そんなしがらみに縛れたくは無いんだよ。そもそもの話、この国が俺にしてくれたことなんて何もありゃしない。だったら、俺は俺の好きにさせてもらうまでさ』


いつか、用心棒はそんなことを嘯いていたことを思い出す。

この国などどうだっていい、そう受け取れるその言葉を、彼がどういう思いでそんなことを呟いていたのかは、今となってはわからない。ただ、そんな彼が行き着くだろう果ては、なんとなく見えるような、そんな気がしていた。

「彼は、戦いを引き寄せるためにあえて弱いものや、狙われそうな者の用心棒になっていた。特に、私のような異人は餌としては格好だったのでしょう。けれど、そんなことをしていたら、同じ日本人からは忌み嫌われる。しかも、あのような剣を持つ人だ、いつかは恐れられ殺されてしまうのではないか。……彼には失礼ですが、そんな思いがよぎったことがありました。けれど、まさか実際にそうなってしまうとは、思いもよりませんでしたが」

実際に目の当たりにしてみると、どうだろうか。彼の胸の内には、どこか込み上がってくるものがある。

決して動じない、これもそういう運命だ。

なんて思い込んで受け入れようとしても、やはりかの憧れが今となっては墓の下に眠る骨となってしまった事実に、込み上げるものがきて仕方がない。

けれど、そこで泣いてしまうのはどうか。悲しみにくれるのは、どうなのか。

何故ならば、


「彼は、彼の生きたいように生きて、そして死んでいった……きっと、そうなんでしょう。そうであれば、彼としては本望な生き方だった筈です。そこに、私がとやかく思うのは、きっと違いますよね」


たった数ヶ月の付き合い、さらには結構な修羅場を踏まされたのも数知れず。そんな、彼の深いところまでわかったような思い上がったようなことは言わない。

けれど、その数ヶ月の間でも、彼が自分の生きたいように生きていたのは、目に見えてわかっていた。

初めて邂逅したあの歓喜の笑みに始まり、無数の戦いで時折見せた彼の顔は、この生を生きることを楽しんでいる、そんな色をしていた。

それは、別れ際も同じく。


……


「貴方は、私の用心棒を辞めた後も、また用心棒となって、戦い続けるんでしょうね」

「当たり前さ。俺は、戦うのが楽しいからね。この世は酷くつまらないけれど、楽しみ一つでもあったら、人生楽しいもんさ」

「貴方らしい言葉ですよ。ああ、もう少し貴方を用心棒として雇って、貴方の生き様を見てみたかった」

「ハッ、言うねえ。俺は散々あんたを餌にしたつもりだったんだけれどね。普通ならもう二度とゴメンだってところさ」

「危険を代償に、憧れを観れるのなら、私は本望ですよ」

「だったら、またこの国の土を踏む時に俺に会いにきてよ。思う存分餌としてまた使ってあげるさ」

「ええ、楽しみにしてますよ、獣の用心棒さん」


……


しかし、最早その約束は果たされることはない。

果たされることなく、自分の生を生き切ってしまった彼。

かの憧れは、もはやこの世に存在しない。それに対しての哀しみは、どう足掻いても禁じ得ないところがある。

しかしてそれでも、異人は彼に敬意を表する。例え約束を果たせずとも、二度とあの憧れを見ることが叶わなくとも、自らの生を最期まで迷う事なく走り切ったであろう、その男に。

墓の前にかしずき、線香をあげ、手を合わせる。それは、これが今生の別れ、と言わんばかり。


紫煙は、天高くに昇りゆく。

幕末の血煙は、最早程遠いところにあった。

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