2話目
押し入れの下側を赤いトランクケースが占拠している。目測より押し入れが狭かったのかトランクケースが大きかったのか、縦にしても横にしてもトランクケースの端がはみ出てしまう。閉まらない押し入れの上段に例の子どもが座っていた。
青くて丸い日本のキャラクターを思い出す。あれぐらい愛嬌があればまだマシだろう。部屋の中心で座る俺を妙に見下ろしている節がある。
居た堪れなくなって、立ち上がり玄関へ向かうと「どこに行くんだよ」と不審がるような声が押し入れの方から聞こえてきた。
「あン時、警察も来ていたし状況を確認してくる」
どういう意図があるのかは分からないが、あの子どもが押し入れに居座る限り、子どもが警察に駆けこむことはない。また、あの家には夫婦が住んでいるが、事前の調査では彼らが帰って来るのは夜遅くで、少なくとも今日は通報されないだろう。
とはいえ、俺が忍び込んだときにサイレンの音がした。窓を割った時に近所に気付かれてしまったのか、なんなのか…だが、警察が来たのは確かなのだ。
状況を知っておかなければならないだろう。
「それはないと思う」
続けて聞こえてきた言葉に「はぁ?」と気の抜けた声が出てしまった。
踵を返して戻ると相変わらず子どもは押し入れの上段に座り足をぷらぷらとさせていた。
「なんでわかるんだよ」
何も考えずに適当に言ってるんだろう。子どもらしい勘というやつだ。たぶん。
しかし子どもは俺を見ると呆れたように深く深く、深すぎるため息を吐かれた。解せない。理不尽だ。
「…お前は警察が来たって言ってるけど、あの時来たのは救急車だ。前の道を通り過ぎただけだろ」
「なんでそうはっきりと言えるんだ。サイレンが聞こえたんだから警察かもしれないだろ」
「お前、サイレンはどれも同じだと思ってるのか?ああいう車のサイレンには違いがあるんだぞ。あのとき聞こえたのは救急車のサイレンだ」
そういえば…と思い返してみる。さっきの事ではなく、今までの人生の事だ。救急車、消防車、パトカー…思い返してみればどれも特徴がある違うサイレンだった。
そして冷静に、さっき聞いたサイレンを思い出す。あれは救急車だ。
しかし、それをあんな状況で判断するのは俺には無理だった。窃盗中というやましい心境が冷静さを欠かせたのだ。
だが、それはこの目の前で頬杖をつく子どもも同じはずだ。
この子どもはトランクケースに入っていた。何故入っているのか分からないが、サイレンの音に誰かもわからない足音も聞いていたはずだ。
そんな状況でサイレンの音を冷静に聞き分ける余裕があるなんて…
「…気になってたんだが、お前はいったい何なんだ」
思わず口に出す。
俺は、今回の空き巣について調査をしていた。人の少ない時間、家主が留守にする時間。侵入経路等々…
もちろん、家族構成だって調べた。
だが、事前に聞き及んでいた情報では、あの家にいるのは俺と同じ年齢の夫婦2人だけであるはずだったのだ。
子どもがいたなんて聞いていない。
「どこで調べたのか知らないけど、だったらその通りじゃないの」
子どもは、視線を逸らして面倒そうに答えた。
「たぶん誘拐としても事件にはならないと思うから、しばらくは大丈夫でしょ」
目の前の子どもの事なんて知ってるはずもないが、加えて得体のしれない気味の悪さを感じずにはいられない。
「…どちらにせよメシを買いに外には行く」
俺は考えを振り払うように、また玄関へ向かう。
ドアノブに手をかけて、顔だけをそちらへ向ける。
「お前なにか食いたいのあるか?」
「…なんでもいい」
なんでもいいは子ども特有だと思う。いや、大人でも言う。
なんでもいいと言いつつも、適当に選べば文句を言われるんだ。
「なんでもいいが一番困るんだぜ。何買って来ても文句言うなよ」
率直に言えば「さっさと行け」と言われた。
玄関を出て鍵を取り出す。そこでふと思い出した。俺が出かけている間は子どもは一人だ。
「なんだよ。行くんじゃなかったのか」
いつの間にか子どもは押し入れから床に移動していて、時間も置かずに戻ってきた俺を見て言った。
「いや、俺がいない間に逃げるかもしれないからな。なんだかんだ言って交番とかに飛び込まれちゃ困る」
手招きするが、子どもは行きたがらないようで床に根を張って立ち上がる様子がない。
「逃げないって」と言いそっぽを向いた子どもの腕を掴む。
「お前みたいな捻くれてそうなガキの言うことが信じられるかよ。いいから来い」
ちょっと、逃げないって、と言っていた子どもも玄関から出したら大人しくなった。
そこで気づく、子どもの靴がない。
元々、室内にいたのだから靴がないのも当然で、俺は仕方なく子どもを肩に乗せる。
降ろせと言って暴れるかと思ったが、俺に部屋に置いておく意思がないことと靴がないことを理解してか何も言わなかった。
そのまま、近くのスーパーにまで行く。
店内は、平日ではあったが高齢者と親子連れが多く、騒がしいほどでもないが静かでもない。
総菜や弁当が置かれているコーナーに行くと、当たり前なのだが、いつも茶色いと印象を抱かずにはいられない。
「好きなの選んでいいぞ。高いのは選ぶなよ」
「ケチかよ」
「うるせぇよ」
自分で選んだものなら文句はないだろう。
俺は唐揚げの入った弁当を選び、子どもはハンバーグの入った弁当を選んだ。
ついでに、と言って子どもはリンゴジュースも手に取っていた。
何度か使ったことがあるがいまだにセルフレジに慣れず、もたついていると子どもが俺の頭を容赦なく叩き、代わりに操作してくれた。
「なぁお互い自己紹介しないか?」
部屋に戻り、暖かくない弁当をつつき合いながら俺は切り出した。
子どもは、興味のないことを語る学者を眺めるような目で俺を見ている。
案の定「なんで」と興味なさそうに聞き返された。
「お互いお前と呼び合うのは嫌だろ。少なくとも俺は、小さいガキにお前呼ばわりされるのは嫌だね」
そうだとも。一回りも二回りも小さい子どもに脅された挙句に呆れたような表情をされてお前と呼ばれるのは、正直、へこむ。
こうして答えている間も、子どもは俺に一瞥もくれずにリンゴジュースを口にしていた。
「というわけで、俺はジューゴだ」
めげずに答え、握手を求めて手を差し出す。
子どもは相変わらず視線を上げずに「……シセル」とだけ呟くように言った。
もちろん、握手はしてくれない。
「…偽名とかじゃないよな?」
「うるさい。お前こそ偽名だろ」
念のために、またジョークの一つとして訊ねたが、子ども…シセルは、それこそ心底面倒なものを前にした気怠さを含めた声で返した。
「違ぇよ。…シセル、よろしくな」
「うるさい」
その一言を残してシセルはしばらく黙り込んでしまった。
旅は道連れ地獄まで 目門 @mekadotti
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