第32話 エピローグ(終わりの始まり)

 駅近くの荒廃した建物の壁面は蔦でびっしり覆われていた。駅舎は屋根が朽ちていた。赤錆の浮き出た線路は運航が停止してから相当時間が経っていることを証明していた。

「こっちだ」少年は外観が洒落たビルに入っていった。1階は流行のファッションを扱う店だったのだろうが、大きなガラスは粉々に砕け散り、裸のマネキンが床に転がっていた。

 人があふれた当時の面影はどこにも無かった。エレベーターは当然使えなかった。階段はごみと一緒に虫の死骸があちこちに散らばっていた。息を切らせて、屋上まで上がるとそこには驚くべき光景が広がっていた。東京湾に向かって一直線に伸びる道路の先は海に沈んでいた。アキラは奇妙なことに気が付いた。道路の両側にある建物がすべて外側に傾いていたことだった。

「僕の名前はアキラ、君の名は」「リョウだ。よろしく」「建物が傾いているのはなぜなんだ」

「知らないのか。この街がこんなことになった理由を」「ああ。いろんなことがあって、この世界のことが分からなくなった。何が真実で何が嘘か」アキラはリョウの顔を見ながら言った。

「腹が減った。何か食べた後にしよう」リョウはアキラに缶詰と熱い珈琲をふるまった。缶詰は鮭缶だった。珈琲は久しぶりだったので、そのいい匂いに食が進んだ。

「マユミという少女を知っているか」「知らない。ここでは誰かと出会うことはめったにない。実際、君に会ったのは数か月ぶりのことだった」リョウはマユミのことを知らないと言う本当のことだろうか。

「一体、何が起こっているんだ」「地球が突然狂った。磁場が突然消滅したんだ」

「地磁気の反転のことを言っているのか」「反転する前に地磁気が消滅した。太陽風と放射線が地上に降り注ぎ、大規模な気候変動が起きた」

「そんなはずはない。そんなことがあれば証拠が残っているはずだ」リョウは首を振った。

「この異常な世界が証拠じゃないか。人類のほとんどが死滅した。海の中は生命が生き残る確率が高かった。何度も繰り返されてきた絶滅の危機でも海中生物はしぶとく生き残った」

「それがあの海サソリだというのか。しかし、海サソリは絶滅した古代生物じゃないか」

「生物は環境に適応して進化する。あいつは確かに古代生物の海サソリに似ているが、新しい生物かもしれない」「地磁気が消えたのはいつ頃のことなんだ」リョウは少し考えた後に言った。

「30年くらい前のことだ。地磁気が反転して南北が逆転したのは10年ぐらい前だ」

「すると地磁気が消滅していた期間は約20年ということか。たったの20年で人類が絶滅したというのか。信じられない」「君が信じようと信じまいとこれが現実だ。強烈な放射線と太陽風が吹き荒れる地上は生命が生き残るのには過酷すぎた」

「わずかに生き残った人類は地下に潜ったというわけか」「そのとおり。人類は極端な食料不足による争いで破滅の道を突き進んだ。地上の生き物は消え失せ、わずかに水中の生き物だけが生き残った。それが今の世界だ」アキラは急に食している物の味覚が消えた気がした。

「デスゾーンはどうなったんだ」「デスゾーンなんて聞いたことがない」リョウは呆れたように言った。

「デスゾーンは犯罪者を隔離する場所のことだ」「刑務所のことかい」

「違う。東京23区の内側がデスゾーンと呼ばれていた。自分はデスゾーンのパトロール隊員だった」

「君はそれじゃあ、警察官だったというわけかい。そんな身なりには見えないが」アキラは今までの苛烈な経験で埃にまみれた浮浪者のような姿になっていることに初めて気が付いた。

「不思議な能力を持った少女の怨念によって人類は滅びたのじゃないのか」

「それがマユミという名前の少女なのか。人類にとって壊滅的だったのは地磁気異常による気候変動だ」「君は異星人を見たことがあるか」「いよいよおかしなことを言う男だな。超能力少女の次は異星人か。残念ながら会ったことはないよ」

「異星人は人類が絶滅した原因を調べるために人間、アンドロイドを復活させてシミュレーションしていると言っていた」

「君も僕も異星人の作り物というわけかい。さらに超能力者まで創造したというのか」

「僕には分からない。目の前の物が現実なのか。それとも空想なのか。この世界はいくつもの世界が存在しているのか。頭が混乱していて、真実が見えない」リョウは不思議な笑みを浮かべていた。

「何がおかしい」「真実が見えないと言うが君には分かっているはずだ」「どういう意味だ」

「気付いているのにそれを認めたくないのさ」アキラの眼前のリョウの姿がかすんでいった。その声も小さくなりしだいに聞こえなくなった。耳の奥から囁くような声がした。その声はケンの声だった。

「ケン、生きていたのか。どこに行っていたんだ」ケンの顔はどこか寂しそうだった。

「ずっと一緒だったじゃないか。アキラ」「そうだよ」ケンに続いて、ゼンが現れた。

「アキラ、もういいじゃないか。僕たちと一緒に行こう。君は立派に使命を果たしたよ」

「そうとも。精一杯のことをしたよ」ワタルがゼンの背後から現れた。

「みんな無事だったのか。ユウコとアンにはぐれてしまった。誰か知っているか」

「アキラ、みんなあなたが作り出したものよ。この世界が完全に壊れてしまったことをあなたは認めたくないのね」いつの間にかユウコとアンが両脇に立っていた。

「君たちの言っていることが理解できないよ。目の前に世界はあるじゃないか」アキラは景色が色を失い、輪郭がぼやけていくのを感じた。仲間の話す声も聞こえなくなっていった。

「ユウコ、もう少し大きな声で話してくれないか。聞こえないよ」まるで無声映画を観ているようだった。アキラは右手を伸ばしてみて、驚愕した。肘から先が消えていた。

 アキラは視線を下げた。足の先端が消えていくのが見えた。自分の体が次々に消えていく。そんなことがあるのか。アキラは仲間に問いかけようとしたが、目の前に広がるのは荒涼とした大地だった。道路も建造物もすべて消えていた。土煙が上がり、風の音だけが聞こえた。アキラは魂、いや思念だけの存在になってこの世界を漂流していることに気づいて戦慄した。

「そんなはずはない」アキラは自分の肉体が存在していることを確信していた。これは終わりではなく、始まりに違いなかった。激しい風の音はしだいに囁きのように静かになり、視界に暗幕が降りるのに合わせるように消えていった。

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