第31話 新世界Ⅵ

「おい。こんなところで何をぐずぐずしているんだ」突然、背後から声をかけられ、アキラは飛び上がるほど驚いた。そこにいたのは少年だった。

 破れたジーンズに色褪せたダウンベスト、袖をまくりあげたシャツは華奢な体には大き過ぎた。少年のそばには年代物のオフロードバイクがあった。塗装が剥がれかけたタンクにHondaの文字が読み取れた。

「君はいったいどこから現れたんだ」「そう言うお前こそどこから来た」少年は十代半ばくらいに見えたが、この荒れ果てた世界を生き延びてきた逞しさを漂わせていた。

「あんたと世間話をしている暇はない。もしここで死にたくないなら、乗せてやる」少年はバイクにまたがるとアクセルをふかした。静寂な世界にけたたましいエンジン音が響き渡った。アキラは今まで気付かなかった地面のかすかな震動を感じた。アキラは直感で危機を悟り、少年のバイクに飛び乗った。フルスロットルのバイクは砂塵を巻き上げながら疾走を開始した。

「何から逃げようとしているんだ」「今日は大潮、この辺りは満潮時には海水が押し寄せてくる」

「そんな話聞いたことがない」「地震による地盤沈下が起きた。最大で4メートルぐらいの水深になる」

「その程度ならばビルの上層階に避難すればいいだろう」少年は首を横に振った。

「本当に知らないんだな」「何のことだ」「海サソリが満潮とともに襲ってくる」アキラは聞き間違えたと思った。「海サソリと言ったのか。古生代に絶滅した生物じゃないか。あり得ない」

「嘘だと思うなら、ここに留まってその目で確かめればいい。獰猛な奴だ。狙われたら助からない」

「分かった。信じるよ。この世界ではどんなことでもありだからな」風に乗って潮の匂いが漂ってきた。

「飛ばすぞ。ぐずぐずしていると満潮に追いつかれる」アキラは潮の匂いがする方を振り返った。バイクは緩やかな坂を上っていたが、底の方はすでに灰色の海水がひたひたと迫ってきていた。

 水面から鋭い鋏のような肢が現れた。6対の肢を使って、海の怪物は獲物を捕獲しようとしていた。その大きさは節足動物では最大で2mを超えると言われていたが、アキラの目にしているのは5mを優に超えていた。

「本当だ。すぐ後ろに迫っている。もっとスピードを出せないのか」

「2人乗りしているから、スピードが出ない」坂を登り切った所からは平坦な道がしばらく続いたが、すぐにまた上りになった。道路のあちこちにある障害物を避けながらなので余計スピードが落ちた。海サソリはその硬い外殻で障害物を物ともしなかった。すぐ背後に迫っていることが気配で分かった。「このままでは追いつかれる。先に行ってくれ」そう言うとアキラはバイクから飛び降りると瓦礫の背後に逃げ込んだ。アキラが降りたことで軽くなったバイクは一気に加速していた。

 海サソリは動く物に反応するのか、臭いや熱を感知するのか飛び降りたアキラではなく、逃げるバイクの方を追いかけていた。アキラはベルトから炸裂弾を外すと海サソリの前方に投げた。視覚を奪う猛烈な光の洪水によって、海サソリの群れの前進は一瞬で止まった。同時に小型だが強力な爆薬による爆風によって、先頭と二番目の海サソリは全身がバラバラになって空中に飛散した。その衝撃に驚いた後続の海サソリはあっという間に姿を消した。

 ドサッという音とともに巨大な肢がアキラの目の前に落ちてきた。肢の先の鋭い鋏は鋭利な刃物のようだった。アキラは足元をひたひたと濡らす海水の冷たさで我に返った。

「勇気のある奴だな。さあ乗れ。ぐずぐずしていると奴らがまたやって来る」難を逃れた少年が戻ってきていた。アキラを乗せたバイクは、表参道でようやく停車した。ここは武蔵野台地と呼ばれる場所だった。

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