第30話 新世界Ⅴ
「彼女が助けてくれたの」少女は遠慮がちに進み出ると小さく首を傾げた。
「あの老人は助かったの」ユウコの問いにアンは首を横に振った。
「コンクリートの柱の下敷きになっていたわ。私は瓦礫の中で気絶していた」
「うめき声に気が付いたの」少女の声は思いがけずハスキーだった。
「君の他に誰かいるのか。亡くなった老人しかいないと思っていたのだが」
「誰もいない。ずっと一人だった」少女の瞳は濡れたように光っていた。美しい少女だった。
「あなたの名前は」「マユミ」「両親は」「親はいない」思わずアキラとアンは顔を見合わせた。
「あなたはアンドロイドなの」アンが割って入るように聞いた。
「私はアンドロイドじゃない。幼い時に親に捨てられた。だから本当の名前も知らない」アキラは一瞬悲しそうな表情を浮かべた少女の変化に気が付いた。
「君は一人だったと言ったが、他の人がどうなったか教えてくれ」少女は無言だった。その目は遠い所を見ているようだった。アキラは少女が暗い過去を背負っていると確信した。
「話したくないならいい。どこか休める安全な場所はないか」少女は踵を返すと付いて来るように手招きした。案内された場所は不思議な場所だった。
六角形の外観、観音開きの扉を開けるとすり鉢状のホールが広がっていた。ホールを囲む円形の通路は大理石でホールの床には真っ赤な絨毯が敷き詰められていた。見上げると天井は黄金色の鱗のような金属板で覆いつくされていた。まるで巨大な生命体の体内にいるようだった。
「ここはどこなんだ」「新興宗教の総本山だったところよ」「君はここに住んでいるのか」「そうよ」
「君はどうやって私たちがあのビルにいることを知っていたんだ」
「あのビルに老人が住んでいることは知っていた」「老人は誰もいないと言っていたぞ」
「嘘を言っていたのね。たぶんあなたたちを信用していなかった」正面の祭壇に正対するように無数のベンチが規則正しく配置されていた。
「どこでも好きな所で休むといいわ。私は食べ物を持ってくる」アンはマユミの後姿をじっと見ていた。「アン、どうしたの」ユウコの問いにアンはしばらく考えたあとに言った。
「マユミのことどう思う」「不思議な少女ね。何かを隠している気がする」「マユミは普通じゃない」
「どう普通じゃないんだ」「とてつもないエネルギーのようなものを感じる」「私もアンと同意見よ」
「彼女には秘密がある。それを探り出さないと」「どうやって」
「分からない」ユウコはマユミの後を追い、アキラとアンはこの奇怪な建物を調べることにした。
この巨大な建造物には窓というものがどこにも無かった。さらに不思議なのは空調設備も照明
設備も見当たらないのにホール内が適度に温度と明るさが保たれていることだった。アキラとアンは、床と壁を念入りに調べたが何も見つからなかった。マユミはこの建物の玄関からホールの入り口の間にある地下へと続く階段を降りて行ったようだった。
ユウコは階段の先に機械室や倉庫があるに違いないと思った。これだけ巨大な建造物を維持するためには相当大きな機械設備が必要だからだ。思ったとおり、階段降りた所にはいくつもの鋼鉄製の扉が並んでいた。一番大きな扉の前で耳を澄ましてみたが、何の音も聞こえなかった。
「何をしているの」ユウコは背後からの声に飛び上がるほど驚いたが、表情には出さないようにした。
「あなたの手伝いをしようかなと思ってついてきた」マユミは大きな布製のバッグを肩から下げていた。「必要ないわ。行きましょう」マユミは疑っている様子を見せなかった。
マユミはユウコより身長が低かったが、歩くスピードは速く、ユウコは速足になった。ユウコは気になっていたことを訊ねた。「いつも手袋をしているのね」「怪我をすることを防ぐため。この街は危険がいっぱい」「あなたと亡くなった老人以外には誰もいないのでは」「見たことがないと言っただけ」
「ではどこかに人がいるかもしれない」「そういうことになるわね」
マユミはバックからレトルト食品と食器を取り出した。3人は空腹だったので、凄い勢いでたいらげた。お腹が一杯になると眠気が襲ってきた。「寝込む前に質問していいかな」アキラはマユミの手を見ていた。「マユミ、君は秘密を抱えているだろ。その手に関係あるのか」マユミの目に怒りの炎が燃え上がっていた。意を決したようにマユミは手袋を脱いだ。両手のすべての指の第二関節から上の部分が人口の指だった。
「足の指もすべて人工の指、どうしてこうなったか、あなたたちに想像できる」マユミの問いに答えられる者はいなかった。
「私の母親は鬼畜だった。幼い私を厳冬期に暖房の無い部屋に放置していた。そのために私の両手両足の指は重い凍傷にかかった。すべての指を切断せざるをえなかった。それがこの醜い指の理由よ」アンは自分の指を改めて見ていた。アンドロイドの指は人間の指と区別がつかないくらい精密に出来ていた。それなのにマユミの指はロボットの指のように武骨だった。
「なぜこんな醜い指をつけているのか。それは私をこんなみじめな目に合わせた鬼畜をいつも思い出すため」アンは自分の心を読まれたと感じた。
「辛いことを思い出させてすまない」アキラはマユミの両親がどうなったかが気になった。
「私は親に捨てられた。孤児院ではいじめぬかれた。生きていることが辛かった。いっそ殺してくれたらと親を憎んだ」アキラはマユミが心を読む能力を持っていると確信した。
「それがどんなことかあなたに理解できるの」「想像も出来ないと思う」「初めてまともなことを喋ったね。あなたたちが考えていることは手に取るように分かる」危険を知らせる動悸が激しくなっていた。
「人類が破滅したのは、人類の醜さのせいよ」「異星人も分からなかったことを君は知っているのか」
「なぜ知っているかって。それは私が人類の生き残りの一人だからよ」アキラとユウコは思わず顔を見合わせた。「生き残りの一人と言ったけど、人類は絶滅していないのか」。まだ他にいるのか」
「君たちが探していたヒカルがもう一人の生き残りよ」3人の頭は混乱していた。
「まだ分からないの」マユミは3人の顔を順番に見ていた。アキラは頭上で何かが動くのを感じた。
黄金の鱗のように見えた金属板が波打っていた。それは冷たい金属から生命体に変化していた。黄金色から鮮やかなオレンジ、ブルー、グリーンと目まぐるしく変化した。まるで息をしているかのように膨らんだかと思うとのしかかるように一気に縮んだりした。
「いったい何が起きているの」アンはパニックに陥っていた。アキラは目を閉じると大声で言った。
「みんな、目を閉じろ」アキラは視界を遮断すれば幻覚から逃れられると思ったが、脳内から幻覚を追い出すことは出来なかった。マユミは視覚だけではなく、すべての感覚を支配する恐るべき能力を持っていた。アキラは目を開けて、ユウコとアンを見た。2人は耳を両手でふさぎ、目を閉じてうずくまり震えていた。アキラは禅寺での修行を思い出し、座禅を組んだ。目を閉じて、無我の境地に入った。どのくらいの時間が経過したのか、再び目を開けた時、ホールにはマユミもユウコもアンもいなかった。アキラは時計を見た。あっという間の時間だと思っていたが、1時間以上が経過していた。ホール内は静寂に包まれていた。
ゆっくりと立ち上がり、ユウコとアンの名前を呼んだが、声が反響するだけだった。アキラはホールの外に出た。目にした荒廃した風景には変化は無かった。3人はどこに消えたのか手がかりがなかった。眼前に広がる光景のどこまでが真実なのかアキラには確信出来なかった。
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