第9話 悪魔と元妻の和解
「さて、じゃあ色々聞きたいこともあるけど……」
「…………」
ゆかりが持ってきた差し入れというのは、お昼ご飯だった。
僕と二人で食べる為に何処かで買ってきたのか、美味しそうな匂いが漂っている。
そして千夏ちゃんはと言うと、行儀よく座って僕とゆかりを交互に見ていた。
「何見てんのよ」
「あ、いえ……中村さんの元奥さんかぁ、と」
「そうだけど、何か都合の悪いことでもあるの?」
「ちょっと待ってくれゆかり。君が思ってる様なことはないから」
いや、厳密にはあるし、ありまくるんだけどこうでも言わないとゆかりはきっとそのうち爆発する。
そしてゆかりの差し入れのせいもあって何だかお腹が空いてきてしまって、このまま黙っていたらお腹が鳴ったりして火に油ということもあり得た。
「私が思ってることがわかるんだ? へぇ? 成長したじゃない、界人」
「…………」
「あの……」
責められている僕を見ていられなかったのか、千夏ちゃんが口を挟む。
この状況で口を挟むって、相当肝が据わってないと無理だと思うのは僕だけか?
「奥さんはもしかしたら、私と中村さんが不純な関係を築いていると思ってるのかもしれませんが、それは誤解なんです」
「…………」
よく言った!
千夏ちゃん、君は救世主だ。
僕は危うくその場で小躍りしそうになるほど、千夏ちゃんの言葉に喜んだ。
「だって私たち、まだキスしかしてませんから」
「んな!?」
「ちょ、ちょっと!?」
うん、信じた僕がバカだった。
何故この状況でゆかりを挑発する様なことを平然と言い放つのか。
もう少しほとぼりが冷めてから、とか色々方法はあったと思う。
「か、界人あんた……」
「ま、待ってくれ! 不可抗力というか何と言うか……」
「中村さん、最初は確かに事故みたいなものでしたけど、その後はお願いしたらちゃんと自分からキスしてくれてましたよね?」
「あ、あの……千夏ちゃんだっけ? あなた今いくつなの?」
「高校二年生です。早生まれなので、来年十七ですね」
「淫行じゃない! 何考えてんのよあんた!! 由衣と十も違わない子相手に……!」
「…………」
これはもう何を言っても無駄だと思った。
こうなってしまったゆかりは何を言おうが聞き入れることはない。
「そ、それと私たちは別にもう夫婦じゃないから……」
「じゃあ元奥さん。もしかして、中村さんのことが好きなんですか? そうじゃないんだったら、中村さんの恋愛事情に口挟む権限とかありませんよね?」
「……別に、嫌いで離婚したわけじゃないわよ。だけど、こいつは親権がないとは言っても、一児の父なのよ!?」
「言い分としてはわかります。ですけど、お子さんに関しては別に報告の義務があるわけでもありませんし、もう少し大きくなってから、実はこうでした、とか説明するのでもよくありませんか? それとも元奥さんは……」
「ゆかりでいいわよ、呼びにくいでしょ」
「じゃあゆかりさんは、中村さんと復縁したいとかそういう願望をお持ちなんですか?」
「…………」
千夏ちゃんがあまりにもぐいぐい行くものだから、さすがのゆかりも黙り込んでしまう。
離婚した理由としてはすれ違いだとか、お互いの些細な部分をそれぞれが許せなかったことが原因ではあるが、確かにお互いを憎んで嫌って別れた、というものではなかった様に思う。
ゆかりがどう考えていたかはわからないが、由衣にたまに会わせてもらう場合にも嫌悪感なんかは感じなかったし、第一にゆかりだって僕の様子を見に来たりするのは別に嫌っていないから、というのも頷ける。
「由衣は……娘はまだ八歳なの。本当だったら父親と離れて暮らすのだって、寂しいって思う年頃だと思うし。こいつがもう少し真人間に更生する様なら、それも視野に入れてたって言うのは認めるわ。だけど、踏み切れないでいるのはこいつの現状もあるけど、毎日一緒にいるとやっぱりイラついてきちゃう部分もあったから……」
「……まぁ、それはお互い様だったから、離婚したわけだけどね。確かに僕は由衣の父親だし、それは何をどうしようが変わるものじゃない。ゆかりは、どうしたら満足なんだ?」
正直な話、今のままだと進まないし最悪ゆかりが発狂して、なんてことも考えられる。
そうなってしまうと千夏ちゃんにも要らない心配をかけたりと良いことが一つも想像できない。
「あんたは……忘れてるのかもしれないけど」
「ん?」
「離婚に当たって、署名捺印した書類を覚えているかしらね。離婚届以外で」
「……同意書だっけ?それがどうかしたのか?」
それについては確かに覚えている。
しかし仕事と離婚騒動の疲れの両方から、あまりよく見ないで署名捺印をした、という記憶があるくらいで、内容についてはせいぜい由衣との面会に関することだとか、慰謝料について、程度のものだという認識でいた。
「あんた、本当に綺麗さっぱり忘れちゃってるみたいね。というか、もしかしてよく見ないでサインしたんじゃないでしょうね」
「…………」
「どういう、内容なんですか?」
千夏ちゃんもゆかりの言葉を受けて気になるのか、興味を示した。
あんな風に言われると、さすがに僕としても呑気にしていられない。
「あんたね、私の性欲処理の道具として扱われることにも同意してんのよ」
「……は?」
「な、中村さん……?」
こいつは一体何を言っているんだ?
性欲処理の道具?
そんなもん、大人のおもちゃ屋さんででも買ってくればいいだろ……。
一体何で僕が、別れた妻の性欲処理の道具なんて……。
大体、離婚してから数年経つのに、今までそんなこと話にも出なかったじゃないか。
「ほら、これが原本ね。ああ、破いて捨てたければどうぞ。スキャンしてパソコンにもサーバーにもデータはあるから」
「…………」
あくまで冷静に、そう思いながら読んでいくと……確かにその文言はあった。
あまりに唐突に突きつけられた現実に、さすがの千夏ちゃんも言葉を失っている。
「それから知り合いの弁護士にこれが有効な書類であることは確認してあるから。あんたはこれを反故に出来ないのよ。もし反故にしようって言うなら……」
一括で由衣が成人するまでの養育費と慰謝料を支払います、とある。
そんなこと、出来るわけがない。
「そんなわけで、あんたは私のものなのよ、離婚しててもね」
「そんな……」
千夏ちゃんの顔が絶望に歪む。
僕としても、これは想定していなかった内容だけに言葉が出ない。
「とは言っても私だって鬼じゃないから、あんたが恋愛しようが別に構わないわ。ずっと一緒にいたい、なんて思えないしそれは今でも変わっていないから。ただ、あんたが誰かと付き合うなら、私と定期的に関係を持つことを了承してもらう必要はあるかもね。修羅場なんてごめんだし」
さっきまで鬼みたいな顔してたくせに、よく言ってくれるもんだ。
もっともそんなことを言ってこの場で犯されたらたまったもんじゃない。
「そこの千夏ちゃんと付き合うって言うなら、別に好きにしたら? だけど千夏ちゃんは私と界人が定期的に関係を持つことを知ってしまってるわよね。どうするつもりなのかしら。引き返すなら今の内だと思うけど? まだ若いんだし、界人も言ってたかもしれないけどこれから先、もっといい男だって現れるでしょ」
鬼みたいな女が、鬼の首を取ったかの様に勝ち誇るという奇妙な構図。
そもそも子ども相手にムキになりすぎじゃないのか、こいつ……。
「そういえばあんたたち、どうやって知り合ったの? まさか出会い系なんて……」
「さすがにそんなもんに手を出すほど落ちぶれてはいない。というか元々知り合いだったんだ。店の客でね」
「へぇ。あんた意外にモテるのね。大方あんたは興味なかったけど、この子が惚れた、ってところかしら」
何という洞察力。
おそらくこうなってしまっている事情までも察しているのだろう。
本当に恐ろしい女だ。
「で、どうするのよ千夏ちゃん。そもそも何でお風呂上りだったの? もしかしてもう事後?」
「……これから、するつもりだったんです。私が襲うつもりで……」
「え?」
あのシャワーってやっぱりそういうことだったの?
ゆかりが来なかったら僕は危うく性犯罪者になるところだったわけだ。
「ま、この程度で嫌いになったりする程度の感情なら今の内に諦めなさいよ。傷は浅い方がいいでしょ」
「おい、ゆかり……」
「界人、あんたもさっきから被害者面してるけど、男らしくないわね。真剣に付き合ってるんだってことを相手の親にアピールするとか、色々方法はあるでしょうが。性行為したら即逮捕、って言う法律じゃないんだから。いい加減な気持ちで気持ちよくなりたい、みたいなクズの為の法律なのよ、ああいうのは」
「…………」
そんなこと言われてもな……。
正直千夏ちゃんに対して抱いている感情がどういうものかわからないし、あとでやっぱりこの子に恋愛感情なんて持てない、なんてことになったら……そう考えるといい加減なことは出来ないし、言えない。
「千夏ちゃんはどうしたいの? もし諦めるって言うなら……」
「バカにしないでください!!」
ゆかりの言葉に千夏ちゃんが憤怒の表情で叫び、僕もゆかりも面食らった。
わなわなと震えながら、千夏ちゃんが僕を睨む。
「中村さん。私とエッチなことしましょう。その代わり、ゆかりさんとの関係は不問にしますから。浮気は男の甲斐性、なんて言う言葉もありますから、私はそういうものだと思って受け入れます」
「は? おい、待て……もう少し冷静になって……」
「中村さんは私が篭絡します。絶対に、好きになってもらいます。その上で真剣に交際しましょう。それなら、いいでしょう?」
「い、いやしかし……」
「……あっはっはっはっは!!千夏ちゃん、面白いわ。最高だね。界人、もう覚悟決めなさい。この子から逃げきるほどの力はあんたにはないし、たとえ抗おうと思っていても、あんたは絶対篭絡されるから。この子から逃げようと思ったら、多分界人の経済力じゃどうにもならないわよ」
他人事だと思って、好き勝手なことを……。
そんな風に言われて、じゃあやろうぜ! とか言えるほど僕はチャラくないんだが……。
「覚悟、決めてください。私も怖いけど、ゆかりさんと同じ土俵に立ちたいですから」
「…………」
「じゃ、私今日は帰るわ。あ、そのお弁当二人で食べちゃっていいわよ」
そう言ってゆかりはご機嫌で帰って行った。
一体何なんだ本当……。
そして僕は本当にこの子から逃げられないのだろうか。
正しい後悔の仕方~Their angle~ スカーレット @scarlet1003
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