第8話 おかしい子と元妻の邂逅

 あの日……過ちの第一歩とも言えるあの日から、千夏ちゃんは毎日の様に……いや本当に毎日来る様になった。

 まさしく通い妻状態で、事実上僕は彼女の言いなりになってしまっている。

 こんなことゆかりにも言えないし、ただ最悪の最悪である状態だけは回避できているのが救いと言ったところか。


 それがどんな状態かって?

 下世話な話、所謂体の関係というやつだ。


「中村さんって綺麗好きっぽいのに、割とずぼらですよね」

「…………」

「まぁ、私が来る様になってから少し片付いてきてますし、私のおかげですよね? ご褒美ください」


 こんな感じで、彼女は僕に事あるごとにおねだりしてくる様になった。

 断れば僕には脅迫という地獄が待っていて、それがただの脅しでないことが何となくわかってしまう。

 だってあの目……尋常じゃないし何より僕の知ってる一般的な女子高生はあんな目、しない。


 警察の厄介になるのだけは回避したい僕としては、取れる手段がもうなかった。

 口八丁手八丁というやつで体の関係だけは回避してきているが、これもいつまで続くか。

 

「くれないんだったら、私からもらいに行くだけなので」


 そう言って迫ってくる彼女に、僕は抗う術を持たない。 

 いや、厳密には一回だけ、抵抗したことがある。

 その時の恐怖たるや……。


『中村さんに必要とされない私なんて価値がありませんから、死にます』


 言うなり包丁を台所から持ち出して、首筋に当てると言う暴挙に出た。

 しかもその行動の早いこと早いこと。

 当てた瞬間に刃をずらして、軽く血が滴っていたあの光景は今でも少しトラウマだ。


 見た目はこんなにも可愛らしくて、家だってそれなりに恵まれているであろうはずの子が、何でこんなにも僕に執着するのかは未だに理解できないが、彼女の精神は決して折れることがなかった。

 その時はもちろん死ぬ気で止めたが、これから先どうなるのか、想像もつかない。


「そろそろご褒美も次の段階に進みたいな、なんて思うんですけど」

「それはダメでしょ……」

「何でですか?」

「君、十八歳未満だもの」

「もうキスしたって事実はあるんですよ? それも一回や二回じゃなく」

「…………」


 僕も男として、思うところがないわけではない。

 何度もキスされて、悲しいことに体は正直だったりするわけで、しかもそのことに彼女は気づいているのだろう。

 再会した時に犯す、なんて言っていた彼女だったがさすがにそこまでの暴挙に出てこないことだけは評価出来た。

 

 もちろんそこまでされたら僕だって黙ってはいないはずだ。

 ……多分、うん、多分ね。


「私が黙っていれば済む問題なら、墓の下まで持っていきますよ? もちろん中村さんと一緒の墓の下ですけど」


 それって責任取って結婚しろって暗に言ってるよね。

 僕なんかと結婚して子どもまで作っちゃって盛大に後悔した女を一人知っているだけに、この子にそんな不幸を背負わせたくない、って思ってしまうのはいけないことなんだろうか。

 仮にこの子と付き合うことにしたとして……それなら尚更僕としてはいい加減なことはしたくない、というのが本音だ。


 もちろんそりゃ男だし、色々したいって思う気持ちだってないわけじゃない。

 だけどそれを我慢して自制してこその大人だろう?

 欲望や衝動に任せて何でもしていいのは、せいぜい義務教育の間までだと思うんだ。


「なぁ、何で僕なんだ?」

「どういう意味ですか?」


 千夏ちゃんは首を九十度くらい傾けて、ちょっと前に見たアニメのヒロインみたいになっている。

 何て言うのかな、天性のヤンデレなのだろうか。

 ヤンデレそのものは嫌いじゃないって自覚があったんだけど、実際に目の当たりにしてみると……滅茶苦茶怖い。


「君は将来有望な若者でしょ。それだけ可愛い子なんだし、男なんか僕みたいな人間失格野郎じゃなくても引く手数多だと思うんだけど」

「うち、女子高なので。出会いなんていいとこ先生とかしかないですよ。アルバイトも禁止されてますから」


可愛いって自覚はあるのか……。

まぁ否定しないし、実際可愛いんだから仕方ないかもしれないけど。


「なら、それは百歩譲ってそこは仕方ないってことにしよう。だけど、僕はご覧の通りの体たらくでお金だってない。車もそういう事情で持てないし、じゃあ付き合おう、なんてなっても君を連れて何処かへ、ってこともできないんだ。そんな彼氏嫌じゃないか?無職だぞ?」

「案外つまらないことを気にするんですね」

「え?」


 そう言って千夏ちゃんがやれやれ、と肩をすくめる。

 何となくイラっとくる仕草だが、そんなことはおくびにも出せない。

 怒らせたらそれこそ、取り返しのつかない方向に進んでしまう様な気しかしない。


「私、中村さんと一緒にいられるんだったら別に何でもいいんです。デートだってそこのデパートでいいです。ゲーセンとか入ってますし。それに意外と私、献身的じゃないですか? 重たいですか? 好きな人と一緒にいたい、っていうそれだけなんですけど」

「…………」


 そう言われると、どうも弱い。

 少なくとも嘘を言っている様には思えないし、その気持ち自体は素直に嬉しいと思う。

 

「それに、中村さんが望むんだったら、私が免許取って車買います。私が何処にでも連れて行きますよ。肉便器兼アッシーとして使えて便利じゃないですか?」

「女子高生の口から肉便器とかいう単語は聞きたくなかったよ……」

「どんなに取り繕ったって、みんな大体の人は将来的に子ども作ったりするじゃないですか。もちろん事情で出来ないとか、そういう人もいるんでしょうけど。つまりはそういう行為自体は避けて通れない人が多数なわけで」

「まぁ……それは確かに。いや、最近はそうでもないって聞くけどな」

「私だって中村さんの赤ちゃんほしいですもん」

「……そういうこと言わないで。男は本当、狼なんだから」

「作っても、いいんですよ?」

「いやダメだっての……もう少し真剣に考えた方がいいよ、自分の将来なんだから。絶対後悔する」


 今回は割と強めに言ってしまった、という自覚はある。

 僕だって、千夏ちゃんが可愛くないとか嫌いだとか、そういうわけじゃない。

 こんなに尽くしてくれているのに嫌いです、なんて歪んでるだろ。


 もちろん匂いが受け付けないとか、その人特有の何かがあるんであれば……性格は確かにおっかないんだけど。

 でも別に拒絶するほどでもないかな、なんて思う僕はおかしいのだろうか。

 まぁ、そんなわけで僕としても彼女のことはある意味で大事にしているのだ。


「私、中村さんと結婚できないんだったら一生独身でいいです。中村さんが捨てるんだったら、私生きてる意味ないですから」

「…………」

「別に責任取ってほしいなんて一言も言ってないですし、私はさっきも言いましたけど、一緒にいられたらそれでいいんです」

「だけど、その気持ちがずっと継続できるなんて、まずないと思うよ? 芸能人とかで結婚して何年も経ってるけどラブラブです、なんて言うのは絶滅危惧種だからね?」

「……そうかもしれませんけど、それって恋愛感情が家族愛に変わったりとか……」

「そういうのもあるとは思うよ。だけど僕はそれができなかったし、向こうもそうだったから離婚した。こういう例もあるし、何より僕は恋愛とか結婚には向かないよ」

「何で決めつけるんですか? 相手が違えばまた違うことだってあるかもしれないじゃないですか」


 一歩も退かない、という姿勢をその目で示してくる。

 若いっていいな、と思う。

 僕にもあんなにまっすぐな頃があったのだろうか。


「そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。だからそんな不確定要素しかない僕の人生に、君を巻き込んで台無しにしてしまう様な真似はしたくないんだよ。今まで言ってしまったら勘違いさせるかもしれない、と思ってたから言わなかったけど……君のことはこう見えて大事にしてるんだ。わかってもらえないだろうか」


 僕の言葉に、千夏ちゃんがはっとした様な表情を見せる。

 そんなに大事にしてない様にでも見えたのだろうか……だとしたら少し心外ではあるけど、これで少しでも大人しくなってくれたら、僕としてはアニメ鑑賞と就職活動に精を出せるし、いいことづくめなんだけど。


「大事にって……それって、女性として見てくれてるってことですか?」

「……まぁ、否定はしないよ。あんだけキスしまくってるのに意識するなって言われる方が無理あるでしょ」

「そうですか……そうなんですか……」


 一気に先ほどまでの剣呑とした雰囲気が緩和されていくのを感じる。

 一体何だと言うのだろうか。


「じゃあ、私シャワー浴びてきますから」

「え? え? 何で今の流れでそうなるの? 僕にはちょっと理解できないんだけど」

「あ、お風呂お借りしますね」


 僕の意見などは完全に無視されて、そのまま彼女はそそくさとバスルームへ消えていった。

 うちの風呂なんてユニットバスだし、正直最近の若い子には馴染みなさそうだし、なんていう余計なことを考えて、だけど今更風呂に入ってしまっている彼女を止める術もない。

 何しろ彼女は今やバスルームで全裸のはずなのだから、止めるという名目であっても飛び込んで行けば思うツボというわけだ。


「はー、さっぱりしました。ありがとうございます」

「……お、おう」


 そんなことを考えているうちに大分時間が経ってしまっていたみたいで、彼女はすっかりとシャワーを浴び終えてラフな格好に変わっている。

 そして……。


「久しぶり、元気してた? 差し入れ持ってきてやったわ……よ……」


 合鍵を持っていて、元気よくドアを開けて入ってきたゆかり。

 物凄い固まってる。そして何で無予告で来るのか。

 こうして風呂上りで頭など拭いている女子高生と元妻と、三十半ばの男というカオスな構図が出来上がった。

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