第7話「友達」

 乙顔の素顔について、クラス中で様々な憶測が飛び交っていた。とてつもなく不細工な顔をお面で隠しているとか、親から虐待を受けていて、その傷痕を隠しているとか。果ては、前の学校で人を殺してしまい指名手配中のため、名前を変え素顔を隠し、この学校に何くわぬ顔、いや、何くわぬお面で通学しているなどという、頭の悪そうな妄想まで出現した。本当に、想像力が豊かな奴らだと思う。

 次第にクラスでは、何としても乙顔のお面を剥いで素顔を白日の下に晒してやろうという、歪んだ情熱が高まっていた。

 これまでとは、どこか空気が違う。危険な空気が漂っている。山田たちはきっと、乙顔に対してある一線を越えた仕打ちを与えるに違いない。僕は直感的にそれを感じ取っていた。根拠は特にない。が、彼女たちの陰湿な攻撃を受け続けてきた僕だからわかることがある。今回、彼女たちは標的に関心を持ちすぎている。


「なあ、武田。ちょっと手貸せや」


 いつものごとく自席で俯き、ぼぉっとしていた僕は、不意に声をかけられ、ゆっくり顔を上げた。

 渡部だ。その後ろには大野と青山、そして山田がいた。フルコースだ。嫌な予感しかしない。


「な、何について?」


 ほんとうに、この程度のことでどもる自分が嫌になる。だから、付け入られるのだ。


「決まってんだろ。お面やろうについてだ」


 渡部は長く伸ばした髪を片手でかきあげ、気取っている。特に目鼻立ちに恵まれた容姿ではないのだが、こういう奴に限ってことさらに威張ってみせるのだ。

 それにしても、お面やろう? またけったいなネーミングだ。センスの欠片も感じられない。

 乙顔はちょうど席を立っていた。というより、そういうタイミングを見計らって来たのだろう。助けを求めて猪股の姿を探したが、猪股もいなかった。


「……僕に何をしろって?」


「乙顔さんのお面を取ってくださらないかしら」


 後ろから大野が言う。いまどき「かしら」なんて語尾に付けるやつがいるだろうか。変わっている人が攻撃対象となるなら、どうして大野は攻撃対象にならないのだろう。そういう問題ではないということか。


「ていうか、お前はもう見たのか? やつの素顔」


 と渡部。

 青山は終始にたにたと笑っている。しかし何も口にしない。立て続けに山田にうるさいと言われ、反省しているということだろうか。それでも、山田の尻に付いて回る。どうしてだ。


「いや……見てない。お面のことについては何も教えてくれないんだ」


 もちろん嘘だ。

 だが、お面のことについては、僕と猪股以外の生徒たちには内緒にするよう、乙顔に言われていた。乙顔は、お面に対する皆の素の反応が知りたいのだ。お面の目的について皆に知られてしまうと、素の反応が引き出せない。


「怪しいね。ま、いいけどさ」


 さすがに山田は勘が鋭い。

 改めて見ると、山田のスカートは恐ろしく丈が短かった。ちょっとした加減で中が見えてしまいそうだ。裾からは、ほどよくむちっとした太ももが伸びている。

 僕はこんな状況にあっても、少し上気してしまう。男であることを嫌になる瞬間だ。

 すると、その太ももが進み出てきた。僕の机をバンと叩く。


「でも、彼女のお面はお前の手で剥いでもらうよ」


 僕は気後れし、のけぞった。太ももを少しでもいやらしい目で見てしまったことに対する後ろめたさもあった。


「ど、どうして僕がやるんだよ。やるんだったら、山田たちがやればいいじゃないか……」


 消え入るような声で反論した。

 山田の後ろで青山がキャッキャと笑っている。


「決まってんじゃん。そっちの方が面白いからさ?」山田はニヤリと気味の悪い笑いを浮かべて、続ける。「もしやんなかったら、どうなるかわかってんだろうねえ?」


 やっぱりだ。山田たちのやり口が、かなり手荒になっている。前までは、こんなふうに脅したりなんかしなかった。せいぜいネチネチとした嫌がらせをするに留まっていた。だから、今までなんとか耐え忍ぶことができたのだ。

 乙顔が来たことで、クラスの雰囲気が変わってきている。悪い方向に。

 僕が何も答えず、ただ震えていると、


「じゃ、今日の昼休み、教室でよろしく。どんな手を使ってもいいから、絶対あいつのお面を剥ぐんだよ」


 とんでもない無理難題を言い残し、山田たちは踵を返して立ち去った。僕は、彼女たちの背中を見送りながら、ただ呆然とするばかりだった。どうしたものか。どうしようもない。

 山田たちの言うとおりにすべきか? そうすれば、少なくとも僕は助かる。……だめだ。それはいちばん間違った選択肢だ。


 乙顔は――友達だ。


 そう、友達なのだ。しばらくご無沙汰だった言葉『友達』。出会って2日目にして、乙顔は一度は失われたその言葉を、僕に与えた。とてつもなく速いスピードだ。守るべきは何か、はっきりしていた。

 猪股には相談しないでおこう。猪股も巻き込みたくはなかった。ただでさえ、乙顔と猪股と僕をひと括りにして排斥しようという空気が生まれ始めている。これ以上巻き込めば、猪股はこれまで築き上げてきた級長としての立場を失うことになる。

 いいだろう。どんな仕打ちだろうが受けて立とう。僕が犠牲になることでふたりが助かる。


 僕は初めて、誰かのために、彼らの攻撃を耐え忍ぶのだ。

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