第2話「排斥、始まる」

「それでは、最後に配り係を決めたいと思います」


 6限目は臨時のホームルームとなっていた。級長の猪股がクラスをとり仕切って、皆と話し合いながら各係を決めていく。


 係を決めるとき、猪股がまず立候補者の有無を皆に問いかけた。定員以上の手が挙がればじゃんけんで決め、もし全く手が挙がらなければ猪股が適任を指名した。猪股は生徒一人一人の趣味趣向や性格をよく把握している。その優れたデータベースを基に、一番その係に向いていて、比較的文句を言わずにやってくれそうな生徒を指名するのだ。

 もちろん、面倒な仕事を押し付けられ、初めはブーブー言う生徒もいたが、結局は猪股に従った。猪股はその優秀さと気だての良さゆえに、教師から絶大な信頼を得ている。そんな猪股を敵に回すことは、教師たち、ひいては学校を敵に回すことになると、ほとんどの生徒が心得ているのだ。

 猪股は完璧だ。そして、彼女には何でも見透かしてしまう、並外れた洞察力がある。そんな彼女の目に、クラスの生徒たちはどう映るのだろう。似たようなことを喋り、ほとんど同じタイミングで笑い、お互いを傷つけないように本音を隠して振る舞う。そんな彼らのことをどんな風に思っているのだろう。

 少なくとも悪くは思っていないのだろう。でなければ、級長としてクラスの皆のために尽力するはずがない。


「配り係はふたりです。うち、ひとりは乙顔さんにやってもらおうと思います!」


 猪股がそう言うと、場の空気が心なしか固まったような気がした。そして、それは気のせいではなかった。


「は? 乙顔に? 級長、正気?」


 山田だ。山田沙織。クラスの中でも特にガラの悪い連中のトップに君臨している。このクラスのリーダーが猪股だとすれば、山田はいわば裏のリーダーだ。

 かく言う僕も、山田の標的にされている。

 そもそも僕のことを、暗いとか、発言が意味不明だとか、キモいとか言い始めたのは山田だった。すると、それは瞬く間にクラス中に広がり、皆が僕のことをそんなふうに見るようになった。


「彼女みたいな頭おかしいやつにクラスの係を任せるなんて、どうかしてんじゃないの?」


 山田はことあるごとに、級長にすらたてつく。

 折った片足を椅子の座面に載せている。そのせいで、おそらく見せパンという代物なのだろうが、スカートの中身、カラフルなチェック柄の布地が露わになっている。男から見れば、普通の下着と見分けがつかない。

 髪も金髪に染め、典型的な不良だ。


「山田さん、頭おかしいってどういうこと?」


 猪股が、この険悪な雰囲気からはおよそ考えられない澄んだ笑顔で応じた。強靭な精神力と、絶対の自信があるからこそできることだ。


「いやいや、ずっとお面被ってるしさ、頭おかしいに決まってんじゃん。しかも転校してきた分際で、クラスに溶け込む努力すらしないし。なんかムカつくんですけど。ね? みんな」


 山田が周囲に目配せをすると、何人かの生徒が大きく頷いた。いつも山田とつるんでいる生徒たちだ。

 やはり、僕の予想した通り、乙顔は排斥されるらしい。

 山田と、それを取り巻く生徒たちは、攻撃可能な対象が見つかれば、ほぼ間違いなく攻撃する。乙顔は、転校生という特殊な立ち位置にあって、おそらく社交的でなく、さらにお面を被っているという変人ぶり。三拍子がそろっているのだ。絶好の攻撃対象であることは、疑いようがない。

 攻撃する生徒たちの心理は、僕にはよくわからなかった。

 他人に危害を加えて、一体何がそんなに楽しいのだろうか。他人を貶めることの、いったいどこに楽しみを見いだすのだろうか。僕にはよくわからなかった。他人の違いを認め合った方が、絶対に皆が平和に日々を過ごせると、僕は思う。けど、人間はそれができない。人間が根源的に有している何かのせいで、人間はお互いを攻撃しあわなければならないらしい。

 誰かを攻撃しているとき、彼らは本当に楽しそうだった。彼らはそれでいいと思う。楽しいなら、それでいいじゃないか。

 でも、それだと、攻撃される側の人間はどうすればいいのだ? この如何ともしがたい不条理を、僕たち攻撃される側の人間はどのように受容すればよいというのだ? 誰か教えてくれ。



「――削除」



 不意に、どこかから小さな声が聞こえた。

 誰だ?

 何を削除するのか、その部分は聞き取れなかった。

 氷のように冷ややかな声色――乙顔だろうか?


「乙顔、今なんか言った?」


 山田が不機嫌を露わにして言った。

 やはり、声の主は乙顔らしい。


「いえ、何でもないわ。続けて?」


 乙顔の声はやはり冷ややかで淡々としている。乙顔が首を山田の方へ向けると、狐のお面が山田を見つめる格好になった。よく見れば、お面の狐の表情は少し笑っている。どこか冷笑的な笑いだ。もちろん、お面の下の乙顔本人が冷笑的に笑っているとは限らないが。


「は? なんか生意気。喧嘩売ってんの?」


「山田さん!」猪股が、いきり立つ山田を制した。声を落ち着かせて、続ける。「乙顔さん、転校してきたばかりだから緊張してるのよ。事情は知らないけど、お面だってきっと訳があるはずよ。仲良くしてあげて?」


「はーい、すみませんでしたー」


 ぞんざいな口調。全然謝る気など無い。

 この手の人間には正論を言ったって無駄なのだ。そんなこと、猪股だってわかっているはずだ。しかし、いつも猪股は不良な生徒たちを正論で制しようとする。確かにその場は収まるが、根本的な解決には全然なっていない。

 猪股はわかっていて、あえて正論を貫いているように見える。どうしてだ? そんなことでは何も解決しない。僕のような変人が排斥され、辛い思いをしなければならない現状は何も変わらない。

 本当に、僕にとって、この人間社会はわからないことだらけだ。

 乙顔は日常的にじわじわと攻撃されるだろう。山田は、今はひとまず従っているような素振りを見せているが、頭の中ではこれからどうやって乙顔をいたぶっていこうか算段を立てているに違いない。

 まったく、どうしてそんなややこしいことをするのだろう。やるなら、いっそこの場で、先生も生徒もそろっているこの場で、殴りかかればいいのに。

 でも、そうはならない。必ず、先生や猪股の目が無いところで、密やかに排斥は進行する。

 人間関係はどうしてこうもややこしいのか。人間はよくわからない。


「乙顔さん?」


 猪股の声にはっとして、僕は顔を上げた。

 僕は、いつの間にか下を向いていたらしい。机の面をじっと見つめていた。

 何か心的負荷がかかると下を向く癖が、僕にはあった。初めからそういう癖があったわけではないと思う。気が付いたら、いつの間にかそういう癖がついていた。

 見ると、いつの間にか乙顔が立ち上がっていた。猪股以外の生徒たちは自分の席に座っている環境のなか、乙顔が立ち上がっていた。狐のお面は山田を見ている。うっすらと笑いを浮かべながら。

 山田も、鬼のような目つきで対抗する。


「何? なんか文句あんの? 謝ったんだからいいでしょ?」


「文句は無いわ。ただ、さっき私が何を言ったか、教えてあげようと思って」


 乙顔が話すと、本当に周辺の気温が一度ほど下がってしまうのではないかと思われた。そのあまりにも冷徹な声色に、僕は背筋が寒くなる。


「ふん、どうでもいい。あんたの言ったことなんかに興味ない。ただ……」


 山田はそこで言葉を切り、少しの沈黙を置いて、再び口を開いた。


「ピンチになってもまだその大きい口が叩けるかには、興味あるかな」


 山田が目を大きく開け、口の片端を上げて笑う。おいしそうな獲物を見つけたときの獣の喜びが、そこにはあった。


「乙顔、お前終わったわ」


 横合いから青山が口を挟んだ。いつも下僕のごとく山田に付いて回っている、チビで坊主の青山太郎。


「山田さんに目付けられたら、このクラスでは終わるんだぜ?」


 ボキャブラリーも貧困で、本当にただのチビ坊主なのだが、山田に気に入られているからか態度がでかい。

 しょうもない自信だ。僕から見れば、本当に山田に気に入られているかどうかすら怪しいと思うが。山田にテイよくこき使われているだけではなかろうか。


「終わったって構わないわ。私はどうせ、はじめから終わってるから」


「は?」


 青山が怪訝な顔をする。

 青山では、乙顔の発言が意味するところはわからないだろう。もちろん僕にだってわからない。でも、今の発言がきっと、乙顔がお面を被っている理由に少しは関係しているだろうことはわかった。


「何言ってんの? ほんとにこいつ頭おかしいんじゃねえの?」


 青山は笑った。青山には、一生かけても乙顔の気持ちはわからないだろう。


「太郎、その辺にしときな」


 山田が低い声で青山に一喝した。青山は一瞬びくっとした後、おとなしくなった。

 ついで山田は乙顔の方に視線をずらし、フンと鼻を鳴らしたのち、口の片端だけで笑ってみせた。私に逆らったことを後悔するなよと、そう言っているように見えた。


「もう、いいかな? 配り係をもうひとり決めても」


 場が静まったところで、猪股がすかさず進行の言葉を挟む。笑顔。やはり彼女は、ザ級長だ。

 ここまで状況が荒れていても、先生は全く口を挟んでこない。黒板の脇に設置された教師机に着き、こちらの様子を観察してはいるものの、ときおり下を向いて何やら作業をしているだけで、生徒たちの話し合いに関わってこようとはしなかった。

 生徒の自主性に任せているということなのだろうか。それとも、面倒ごとには巻き込まれたくない、お前たちで解決しろ、ということなのだろうか。どちらかはわからない。どちらでもないのかもしれない。でも、僕には、生徒のことを思って先生がそうしているようには、どうしても見えなかった。

 どこか消極的な空気を、先生はまとっていた。そういうものは、見ていればわかるものだ。


「それじゃあ、乙顔さんと一緒に配り係をやりたい人!」


 僕はおもむろに手を上げた。引き受けると言った以上、この空気の中であっても手を上げるしかない。

 わかっている。ここで僕が手を上げることは自殺行為だと。


「ハッハッハッハッハ! ウケるぜ! 変なヤツ同士でプリント配るのかよ」


 青山が爆笑した。させておけばいい。実害はない。

 他の生徒たちも笑いを押し殺したり、にやついたりしているが、気にすることはない。実害はないのだ。

 山田は「太郎、うっさい!」と真顔でつっこんでいた。


「それでは、配り係は乙顔さんと武田くんで決まりました」


 猪股は青山の大音量かつ薄っぺらい発言をことごとく無視した。猪股が青山を叱責することは滅多にない。その必要がないからだ。青山は山田がいなければ何もできない小者だ。

 係は全て決まり、ホームルームは終わろうとしていた。

 このとき、僕は乙顔の小さく細い声を耳にした。乙顔は確かにこう言っていた。


「青山、削除」

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